さて、皆さん。『他界』と言えば何を想像します? まぁ、「冥府」・「冥途」・「地獄」などと呼ばれている、死後に赴くべき世界、もしくはそのものですね。ここでは『他界=地獄』として考えていきます。 えーと。この、俗に言う『冥界思想』。日本の民間に流布したのは平安時代以降です。特に、十世紀末の僧源信の著した『往生要集』によると考えられています。 まぁ、「地獄」というのは上記の他に、「冥界」・「陰府(よみ)」などともいい、英語のhell、ドイツ語のH lle、フランス語のenfer、イタリア語のinfernoなどに相当します。地獄は一般に、墓地の情景や死体の腐乱過程との連想から生まれたものとされていますが、超常的な観念や表象によって作り出された場合もあるんですね。 そして、この「地獄」という言葉は、もともとは、サンスクリットのナラカ(naraka)もしくはニラヤ(niraya)の訳語であり、この語は、地下にある牢獄を意味しています。奈落(ならく)または泥犂(ないり)と呼ばれることもありますが、これはナラカやニラヤの音訳にあたります。(ちなみに、訳語は意訳ですよー。音訳は日本語発音と考えてくださいね) それから、地獄の観念に共通する特色は、因果応報や受苦、審判の思想。そのため古今東西を問わず、地獄もしくは類似の思想は世界中にあります。(さぁ、知ってる神話を考えましょう) 一般に、地獄に堕ちた者の試練は、 心身に加えられるさまざまな拷問 罪や苦悩や絶望の感情 出口のない閉所恐怖症的な狂気 などによって彩られており、最後の段階で善行と悪行が秤にかけられ、審判を受けることになってます。(大概、どこの国でも) ここで、世界の代表的な地獄として、古代ギリシア、キリスト教、イスラム教の地獄をあげてみましょう。 まず、古代ギリシアでは「ハデス」と呼ばれ、地獄を統治する神の名前にもなってますね。有名です。ここは、罪を犯した人間に罰と浄化を課する地獄らしいです。例えば、カミュ(A.Camus1913-60)の『シジフォスの神話』。まぁ、読んでみてください。 次にキリスト教のは、「ゲヘナ」という悪人に永遠の刑罰を加える場所とされているものと、古代ギリシアと同じ語のハデスという、死者の霊の赴くところがあります。 また、キリスト教ではカトリック神学が地獄の観念を体系化し、感覚的な肉付けを行いました。 イスラム教では、激しい業火のイメージが特色。その業火の激しさは、ナール(火)・サイール(炎)・ジャヒーム(火のかまど)などとされており、地獄をあらわす際にも使われてます。また、コーランでは地獄のことを「ジャハンナム(jahannam)」とも呼びますが、これはキリスト教のゲヘナに由来。 コーランの記述からは地獄の形状は必ずしも明らかではないが、地獄は七つの門をもつ巨大な穴とイメージされている。罪人はそこで裁きを受け、その罪に応じて七層に分けられた場所のどこに住むかが決められます。 また、主としてキリスト教世界では地獄的な状態は永遠に続くものと考えられています(凄く嫌)が、ヒンドゥー教やジャイナ教、仏教など、東洋の宗教では、地獄を死と再生のサイクルにおける一時的な場所(輪廻転生ですね)と考えられています。 インドにおける仏教の世界観によると、我々の住んでいるところを贍部洲(せんぶしゅう)といい、その地下にさまざまな地獄が存在するとされています。 倶舎論によれば、まず八熱地獄があり、上から、 「等活(とうかつ)地獄」 「黒縄(こくじょう)地獄」 「衆合(しゅごう)地獄」 「号叫(ごうきょう)地獄」 「大叫(だいきょう)地獄」 「炎熱地獄」 「大熱地獄」 「無間(むけん)地獄」 があります。無間地獄は、原語アビーチ(av ci)を音訳して阿鼻(あび)とも。 次に副地獄があり、これは各熱地獄の四方のそれぞれに四種ずつあります。八寒地獄もありますね。 生前に犯した罪に応じて入る地獄も決定しますが、その関係は必ずしも明らかではありません。地獄は、天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄で表される六道のうちの最悪の場所であり、僧侶たちが人々から悪行を離れさせるために、しだいに地獄の描写を詳しくしていったと考えられています。だから、資料もたくさんある訳です。仏教の地獄に似たものは、同じインドのヒンドゥー教やジャイナ教でも説かれてます。でも割愛。 中国で地獄という観念が定着したのは、仏教の影響によるところが大。古代中国では死者の行く所として「泰山」を考えました。泰山には泰山府君という支配者がいて、人々の寿命や現世での栄達・官職などを記した帳簿もそこにあると考えられていました。また、神に対する祈願または奉仕によって寿命を延ばしてもらえるという信仰もあり、それは生命の持続と延長を願う祈りとして「請命」と言います。それが道教内部において仏教の影響を受け、また民間伝承をも取りこんで地獄が組織化されていったんですね。 中国的な地獄の特徴は、現世の裁判制度をそのまま反映し、地獄にも官僚制的な要素が多く付随していることです。地獄で受ける苦しみも現世の刑罰とあまり異ならず、仏教の嗜虐的な責苦の記述とは違います。地獄は罪の償いと浄化の場所であり、道教では下級の仙人が自らの身を鍛えるためにわざわざ地獄に入るともされています。 中国の地獄思想には、インドの地獄観が仏教とともに中国に輸入された後、中国の泰山府君の冥界観と結び付いて生まれた十王思想があります。今流行の『闇の末裔』なんかはここら辺の考え方に近いんじゃないかな? 十王とは、死後、地獄に行った亡者が、 一七日には秦広王(しんこうおう) 二七日には初江王(しょこうおう) 三七日には宋帝王(そうていおう) 四七日には五官王(ごかんおう) 五七日には閻羅王(えんらおう) 六七日には変成王(へんぜいおう) 七七日には大山王(たいざんおう) 百日には平等王(びょうどうおう) 一周年には都市王(としおう) 三周年には五道転輪王(ごどうてんりんおう) の審判を順次受け、地獄の責苦を受けるとされています。(さて、ちゃんと掛け算できたかな?) また、澤田瑞穂氏によると、ある宗教の冥界説が、地獄をも含めて完備したものになるには、 冥界の主宰者と官曹、 業報と死後審判、 牢獄と刑罰という三つの要件を具えなければならないとあり、道教はこの三要素の中では、冥界の官僚組織にかんする方面に重点がおかれていたと澤田氏は仰ってます。 したがって日本の地獄は、仏教的な地獄が中国で生まれた十王思想と習合して、日本に伝えられ、記紀神話に描かれる黄泉国や根国の考え方と融合して独自の地獄思想を生み出したのでありました。(ちゃかちゃん) 源信は『往生要集』に 大文第一に、厭離穢土とは、それ三界に安きことなし、最も厭 離すべし。今その相を明さば、惣べて七種あり。一には地獄、 二には餓鬼、三には畜生、四には阿修羅、五には人、六には天、 七には惣結なり。 と書いてます。つまり、この汚れた世界を離れることは難しく、それは七種類あり、一に地獄、二に餓鬼、三に畜生、四に阿修羅、五に人、六に天、七に惣結。まぁ、いわゆる六道思想のこと。『往生要集』ではこの中で特に、地獄についてくわしく描写してます。(地獄に落ちる恐怖を煽る訳です) 『往生要集』によれば、地獄はこの世界のはるか下にあり、「等活地獄」・「黒縄地獄」・「衆合地獄」・「叫喚(きょうかん)地獄」・「大叫喚地獄」・「焦熱(しょうねつ)地獄」・「大焦熱地獄」・「無間地獄」の八つに大きく分類されています。さらに、各地獄にある四つの門の外に、それぞれ十六の小さな地獄が付属していて、これを別処と言います。『往生要集』にはこの六道のほか、「欣求浄土」という、浄土を願い求める考えから、浄土についても書かれています。詳しくは読んでおみ。 また、『往生要集』に出てくる閻羅王(閻魔王)は、閻魔羅闍(えんまらじゃ)といい、古代インドの死の神ヤマ王(Yama-raja)の略であり、これが仏教の天部に移籍して閻魔となったものであり、閻羅・焔摩天などとも表記される。また、中国では平等に罪を治するところから平等王とも訳され、死後の世界の支配者として、死者に生前の罪によって裁くと言われる。 そして、日本の閻魔王は、インドの仏教が中国に伝えられ、道教や中国の民間信仰などと結びついて生み出された十王信仰とのかかわりが強く、『今昔物語集』や『江談抄』などの説話において、閻魔王が中国の法服を着て罪人を裁判しているのは、この中国の地獄観の影響が大きい。 そういう訳でおしまい。 ま、こういう事をぜーぜー言いながら卒論に仕上げていった訳ですね。今は昔のお話です。 |