四方と天井は継ぎ目のない強化ガラスで、床は鏡。 室内に灯はなく、ただ、外の少ない光だけを頼りにしている…つまり、宇宙にダイレクトに面しているような、生身で宇宙に出ているような…そんな場所で息抜きするようになったのはいつからだったろう？ 地上にいた頃から、満天の星の下にいると落ち着いていたから、元々そういうタイプだったんだろうな、とは思う。 各基地や戦艦内でも、暇さえあればこういう場所を探しては昼寝していた位だし。 だから、イゼルローンでは立ち入り禁止だったこの『展望室』に足しげく通うのは自分としては当然の成り行きで。 まさか、他の者が来るようになるとは思ってもいなかった。 「立ち入り禁止ですよ、ここ。入り口に看板かかってませんでしたか？」 帝国の所有物だった頃から来る者もほとんどいなかったらしく、内装もぼろぼろな展望室に入ると、何故か人影。 誰も居ないと信じきっていたこの場所で、自分以外の人間を初めて見た所為か軽く目を見開く。 よくよく見ると知り合い。用心の為に消していた気配はそのまま、それでも随分離れた所から声をかけてみる。…下手に傍によると怪我させられかねない。 他人の気配にかなり敏感であろう、その相手は、こちらの声に驚きもせず、ゆったりと振り向いた。 「…あったような気もするな。──────────しかし、お前さんも人のこと言えないだろ」 平然と返され、肩を竦める。老朽化し、処分し損ねたらしい壊れた機材やら何やらが転がっていたりする場所を我ながら器用に避けて傍に寄り、すぐ隣に座る。自分もそうだが、この人も、多少の危険は度外視しているらしい。 …まぁ、大抵の危険は、危険の方から避けていきそうな人だし。 「────────…。貴方に星を見る趣味があったとは知りませんでした」 少し、話を逸らす。相手が気にしないのを見越してる辺り、我ながら確信犯だな、と思う。それでも、気になったから。 こんな所でぼんやりと外を眺めていた理由が。 「…別に、趣味って程じゃない。偶然足を踏み入れたら凄かったからな。たまにくる程度」 「────────普通は二度と来ないんですけど、ね」 首を捻りながらの科白に思わず呟く。きっと、こっちの言葉の意味は解らないだろう。そう思うと、知らず笑みがこぼれる。 「…見えますか？あの、遠い恒星。あそこにオーディンがあるんですよ」 「…へぇ」 するりと立ち上がり、遠い恒星を指差す。怪訝そうな表情を浮かべていたのが興味深そうなそれに変化する。 流石に興味を引くんだろうな。…オーディンは、確かこの人の故郷。もっとも、帝国で生活したのも、同盟で生活しているのも、同じ位の長さになった…とは言っていたが。…って事は、主観的な感覚では同盟での生活の方が長いのかもしれない。 「ハイネセンは逆方向ですね。…ちょっと見えないかな」 逆を向き、遠くを見つめる。元々、イゼルローンは帝国の建造物だし、補給物資等の関係でハイネセンよりオーディンに近く造られている。 「詳しいな」 「…仮にもパイロットが星と方角に詳しくなくてどうするんです？」 「確かに」 感心したように言う相手に溜息を吐く。 戦闘機乗りが星…というか、宇宙図に詳しくなくてどうしろと言うんだろうか。勿論、機体そのものは計器塗れではあるが、基礎中の基礎なんだけどなぁ…。うちのバカたちだってそれ位はちゃんと身についているのだが。 …まぁ、この人もそれなりに詳しいんだろうけど。陸戦だって方角の取り方判らないと困るだろうし。 それでも、気になるのは会話の内容ではなくてこの人の状態。他では見たことのない表情でこんな所に居た。何かが欠落したのではないかと思った程。 「───────何か、疲れてるみたいですね。…戻りませんか？」 顔を見上げ、吐息交じりに告げてみる。疲れているのは絶対じゃないかと思うのだ。『何に』と言われればそれに答えられる程判りはしない。 「─────あぁ。…いや。もうしばらくいるよ」 「──────────────じゃ、また、ここで。中佐」 それ以外の言葉は出なかった。 「コーネフ」 ドアの開く音で気付いてはいたものの、反応もせずに外を見ていると真上から声が降ってくる。 「─────────遅かったですね。今日はいらっしゃらないかと思ってました」 「…書類と格闘して来た」 真上を見上げて、待っていたのだ…という意味を交えた返事を返すと、当たり前のように言い訳じみた言葉が落された。 ─────────別に、何か約束をしていた訳でもないのに。 そして、それを心地良いと思う自分がいる。 おかしい…とは思う。 しかし、何度となくこの場で顔を合わすうちに当たり前の事になってしまっている。訪れれば姿を探す。…居なければ、現れるのを期待している。息抜きは独りが良かった筈なのに…。いつもの相棒すら拒絶するような状態なのに、何故、この人の存在は気にならなくなったんだろう。 居ないと、息が吐けない程に。 「良かったら、付き合ってくれませんか？」 封の開いたウィスキーのボトルを振ると、軽く頷いて隣に座る。手を伸ばされたので素直に渡すと、そのまま煽るのが目に入った。 「何かあったのか？」 煽りながら、それでも気遣わしげな視線を貰う。この人の前ではポーカーフェイスが崩れるのか、感情の波を読み取られてしまう。 絵描きの観察眼というものだろうか。 「別に。────────────────ね、中佐？」 「ん？」 直接言いたくなくて、どうしようかと思った刹那…、初めてここで会った時の事を思い出す。顔色を伺うように下から覗くと、ボトルから口を離す。 「前、言ってましたよね。何でここに人が来ないのか解らないって」 「あぁ。言ったな」 軽く頷かれる。 「まだ、解りませんか？」 「解らないな」 再度問うてみても、やっぱり解らないらしい。本気で首を捻る姿に思わず苦笑してしまう。物凄く簡単な理由なんだけど、なぁ。解らないと思う方が不思議な位に。 でも、仕方ない。 「…怖いんですよ」 溜息混じりに答を与える。逆に、こんな簡単な理由だったから思いつかなかったのかもしれないし。 「こんなに…四方八方宇宙に囲まれて。ご丁寧にも床は鏡ですし。イゼルローンの所在地も相俟って、怖くなるんですよ。宇宙に放りだされたようで」 どう贔屓目に見てもここは地上ではなくて。 ここは宇宙に浮かぶ要塞で。外壁が壊れれば、容易く宇宙に放り出されてしまうのだ。 真空の…生身では立てない場所に。 誰がそれを確認したいと言うのだろう。自分たちが閉鎖された空間でやっと生きているという事実を。だから、大概の者は初めから来ないか、一度来たら二度と来たりしない。 ましてや、『ここ』は現在立ち入り禁止区なのだから殊更に。 「───────考えたこともなかったな」 感慨深げに呟かれ、内心脱力する。本当に思いもよらなかったらしい。言っちゃなんだが、こんなの、うちの連中にだっていない。 「凄いな。うちの連中でも駄目なの多いのに」 「意外だな」 「そうですか？」 微笑ってしまう。意外と純粋な感覚を持っている相手に。 まったく、空戦隊の奴らは全員、宇宙に焦がれて来てるのかと思っていたのだろうか。 …いくらなんでも、それはない。 それはまぁ、飛ぶのが好きで、それがなくてはどうしようもない奴ばかりではあるけれど…。 それでも宇宙への根本的な恐怖が完全に取り除かれている訳じゃない。 訓練をしてるから、他の人間よりマシなだけで。 こんな、宇宙に生身で立っているような錯覚すら起こしかねない場所に好き好んで来るようなバカは、自分を含めても後数人しかしらない。 それに、この陸戦隊の人が含まれるとは思ってもみなかったけれど。 それを楽しいと感じてる自分が、少し、嫌だな。 「…あ。中佐」 ドアが開く音と、注意深く歩いてくる気配に振り向いて笑いかける。相変わらず気配は消しているんだなぁ…。僅かな足音すら立てない。 「中佐？」 ぼうっと突っ立ったままの相手にもう一度声をかける。声が聞こえなかった筈はないけど、まさか気付かなかった訳じゃないだろうな。 「あ、悪い。あんまり美人なんで見とれた」 「はい？」 いきなり、何て事を言うんだ？この人。 「男が美人なんて言われて嬉しいと思います？」 「…悪かった」 「───────でもまぁ、貴方になら良いか」 くすくすくす。 苦情を訴えると、あっさり謝罪。でも、あまり反省しているようには見えない。その表情に、悪いと思いながらもつい、笑ってしまう。 …まぁ、少なくとも褒められて悪い気はしない。 「…薔薇の騎士の連隊長は男も口説く、て。吹聴してもいいですか？」 「それは困るな」 そんな事、する気はなかったが、予測通りの反応に少し安心する。 「───────中佐は何で今だにここに来るんです？『違和感』の正体は掴めたんでしょう？」 素朴な疑問。 前から思っていた。相手は『違和感』を感じるからここへ来ると言っていた。その答は、自ら与えてしまった。だから、本来この人はここに来る必要はなくなっている筈。…なのに、あまり日を開けずに来ている。少なくとも、自分が望んだ時にはいつも居るか来るかしてくれている。 自分自身、無意識に姿を探してしまう程に自然に。 「…さぁ、なんでだろうな。…お前は？」 本人にも理由は判らないらしい。習慣化しているのかもしれない。 「俺ですか？俺は、貴方に会いに来てるんですよ」 逆に問われて、視線を外さず、口の端を持ち上げる。 これはある意味本音。元は息抜きの為に通っていた。独りになりたくて。宇宙に抱かれていたくて。…なのに、いつのまにか目的は摩り替わっていた。 ここに来たら、この人に会える…と。 他では見れない、この人が見られる…と。 「────────────ね。貴方は俺に会いに来てくれないんですか？」 「───────────寝てるんですか？」 「起きてる」 仰向けに寝転がり、目を閉じていたところを真上から見下ろしてみる。 …結構、睫が長いんだよな、この人。今度、計らせて貰おうか。そんな取りとめもないことを考えていると、ゆっくり目を開けられる。綺麗な、ブルーグリーンの瞳は、空を透かした森林に近い気がする。同じ『緑』でも、宇宙を連想させるアイツと違って、やっぱりこの人は地上の人なんだな、と思う。決して飛び去りはしない、地上の獣。 「お帰り。いつ帰った」 手で軽く追い払われるのに大人しく従うと、ゆっくりと起き上がる。その動作も滑らかで隙がない。…猫科の獣…の印象。 「ただ今帰りました。先刻です。…やっぱり、久しぶりの戦闘は堪えますね」 応えながら、簡単に報告。 「何かあったか？」 その時、僅かに表情が崩れてしまったのだろう。心配そうに覗かれる。…相変わらず敏い。 「いつもと一緒です。…あぁ。それでも今回は被害が少なかったかな。────────比較的」 「そうか」 いつもと同じトーンに、つい懐いてしまう。極自然に頬に触れ、髪を梳いてくれるのを期待して。大抵、その期待は裏切られた事がない。 「…被害、少なかったんだろ」 優しい声に、強張りが取れていく。…いつもの事にどうしても慣れない、情けない自分。それでも、表面だけは慣れたフリをして。そ知らぬ顔で逃げてきたこの場で、目の前の存在に甘えて。 まるっきり同じ痛みではないのを、言い訳にしている。 本当は、慣れなくても良い方法を知っている。けれど、それをする気には絶対になれない事も知っている。我侭な自分を自覚している。…それでも、たまに甘い誘惑が襲ってくる。 楽になりたいと。 誰にも悟られたくはないし、自分の生存本能はこの誘惑の上をいくと信じてはいるのだが。そして、甘やかし上手な相手に漏らされる本音。 「────────────俺が死んだら…。泣いてくれます？」 それだったら、墜ちても良いかな。 「…髪が、溶けるみたいだな」 「え？」 いきなり言われて戸惑う。髪が溶けるってのはどういう意味だろう。確かに、我ながら色素が薄過ぎるとは思ってはいる。でも溶ける程じゃないと思うのだが。 …実際の希望はさておき。 「…なんとなく。ここで見るお前さんは、宇宙に抱かれてるように見える。手が、届かない気がする」 微妙に不機嫌そうに聞こえるのは気のせいか。それとも本心か。 どうも読めない。他の奴らなら簡単なのに。 「──────────なんか、妬いてるみたいですね」 「そうか？」 揶揄うように笑う。不思議と不安そうに見えるなぁ。 「触りたきゃ触れますよ。俺は」 無造作に近付いて、ほら、と言って手を取り、口元に寄せる。…暖かい手だなぁ。いつも思うけど。 「…いますよ。ここに」 安心させるように、指を唇に当てたまま囁く。こんな事で安心なんかする訳ないだろうし、ましてや、不安なのかどうかも不明だが。 「──────────あぁ。本当だ。体温、あるじゃないか」 「当たり前でしょう」 納得したように頷いて、笑いながら顎の下辺りにちょっかいを掛けてくる。…猫じゃないんだけどね。一応。それでも、確認するような手の動きに、されるまま放っておく。 気持ち良いし。 「あまりに宇宙に溶け込んでて、無機質に見えたからな」 不意に、手が伸びてくる。ぐいっと引き寄せられて、抱え込まれるのは計算外だが、居心地が良くて妙に落ち着いてしまう。 マズイな。 この感覚は、気をつけないと手放せなくなる。 もしかしたらもう、手遅れになっているのかもしれない。 危険信号も意味をなさない。 「───────中佐って、あったかいですねぇ」 「─────────…」 「…『展望室』」 目の前の表示を確認するように読み上げる。昔ながらの発音が出来ているかなんて、判る訳がない。 …あの、会戦の中、墜ちた自分を拾ったのは同盟の人間じゃなかった。 四肢が潰れ、壊死していたのを再生してくれたのだから、随分な投資をしてくれたものだ。記憶も何もなく、ただの塊に近しい自分に、一から総て与えてくれた。呼吸の仕方から言葉から、本当に総て。 その飼い主を振り切って、こんな所まで来てしまった。 何故なら、自分を取り戻したから。 長い間、室内から一歩も出して貰えない、半軟禁状態（身体が信じられないくらい弱っていたのだ）から開放され、初めて外に出た時。 空と緑が目に入った。 刹那、耳に慣れた声が蘇った。 それこそ、幾つも。 …全て終わっていて、自分には既に何も出来る事はなくて。それでも帰りたくなった。恩を仇で返すその行為に嫌悪を抱きつつも飼い主を説得して、漸くここまで帰して貰えた。 ────────条件付ではあったけれど。 帰る場所と問われて、脳裏に浮かんだのはこの場所。たった一人。 ドアの前に立つ直前に深呼吸をしてみる。…いる筈がないと知りつつも。ほんの少しの期待を込めて。…逢えなければ、帰せないと言われている。確率の低すぎる賭に乗ってしまったのは百も承知…なんだが。 相変わらず反応の悪いドアがゆっくりと開くのを待って、中に入り込む。 以前同様、否、それ以上に崩壊寸前の室内に苦笑する。そして周囲を見回して…。 「 」 ─────────…いた…。 「え？」 目にした途端、名前が口から零れ落ちる。 …居たよ、あの人。 こちらの小さな呟きに反応して振り向く姿に頬が緩んでいくのがはっきり判る。 やだなぁ。何で、居るんだよ。 望み通りに。 「中佐。リンツ中佐」 嬉しくて、何度も名前を繰り返す。 階級はきっと、違うんだろな、とぼんやりと考えたが、呼び慣れた名称しか出て来ないのも事実で。あり得ないモノを見るように呆然と突っ立っている相手にゆっくりと近付いていく。 「お久しぶりです。…元気…でしたか？」 「お前…」 言葉を確認しながらゆっくりと問い掛ける。 「─────────────コーネフ」 「はい」 名を呼ばれ、返事をすると、怖々と触れてくる。やっぱり暖かいな。手も、声も、この人を構成する全てが。 「何で…もっと早く…」 「すみません」 信じられない、とでも言いそうな声に謝罪する。…それは…まぁ、信じにくいとは思う。 「────────自分を取り戻したのが割と最近で…」 気づいた時には戦争は終わっていたのだ。それを告げた途端、きつく抱え込まれる。…まるで、外界から遮断でもするように。 「あの、中佐？」 戸惑い気味に声をかける。それでも、腕を緩められる事はなかった。…呼吸し難いほどきついのに、抵抗も出来ないくらい居心地が良いのには困ってしまったが。 「───────────…遅くなって、すみませんでした」 |