小さい頃から、空に憧れてた。 地上から見上げる、蒼のグラデーション。遥かに高い、蒼空の色。見たことのない、聞いただけの宇宙の色。 そこに行きたかった。方法なんか、知らなかったけど。 ただ、そう思ってた―――――― 「あ――――――。青い、なー」 物凄く、久しぶりの休日。それも夏季休暇、なんて何年ぶりだろう。…もしかしたら、学校卒業して以来かも しれない。 そりゃまぁ、夜勤明け、とか定休とかは別。まとまった休み、という意味である。 「ほんっとに、青いなー」 他に出てくる言葉もなくて、もう一度呟く。頭の上に果てなく広がる、澄んで真っ青な空。雲すらほとんどな くて、あっても、これまた見事に白い。たまに飛んでる鳥が黒い点に感じるような、理想的な夏の空。 …これを見る為に来た。 不意に休みを貰ってしまって。やることも、予定も、情けないことに全くなくて、思いつきでここに来てしまった。 観光地、と言う割に、空と自然以外何もない所だからだろうか。ホテルも簡単に手配できたし。 イゼルローンから船でたった二時間。本当は、勧められるままに適当な観光地を調べて、気が付いたら来てい た、てのが正しい。 『いつも人工物だから、たまには本物を見といで』 本物の空に飢えていたのを見透かしたように言われたから。 既に日常になった人工の空も、たった独り放り出される濃紺の宇宙も、嫌いな訳じゃない。どちらかというと、 宇宙なんか、失くしたらどうなるかわからない位だけど。 それでもこの蒼空が見たかった。 「なんつったかなぁ」 この色。大気の下、水蒸気や、埃の影響の少ない、言ってしまえば郊外の田舎っぽい空。田舎というよりは自 然の中。草の緑、樹の緑に映える、青。本当の、空の色。 あぁ、空色、て言うんだったっけ。 スカイブルー。空の青。 すごく単純な命名。けれど、それ以上の言葉もない。 もっとも、晴れた空なら全部、『スカイブルー』なんだろうが。 飛びたい。 風になぶられ、吸い込まれるような蒼空を見上げているうちに、そう思った。自分にとって、自然の欲求。子 供の頃から、ずっと空に行きたかったから。大きな弧を描いて、高く。自由に。 今なら、方法も知ってる。 地上から離れる事も、飛ぶ術も。子供の頃は不可能だった事も今なら可能。ただし、本当の自由の中で飛べる 訳じゃない。 「それでも、離れられないもんなぁ」 笑ってしまう。…人がいなかったのが、不幸中の幸い。 我ながら不思議なんだが、地上から離れられても、空からは離れられない。飛ぶことはやめられない。 …墜ちるまで、飛んでるだろうな。 きっと、墜ちるのはこういう空じゃない。大気や風のある空じゃない。こんな鮮やかな空では決して墜ちない。 多分、真空の暗闇のような宇宙の方だろうな。何せ、そこで飛んでるんだから。ここの空とは対照的な、星し か見えない、悪い時は真っ暗な感じがする空間。ただ見てると、体を丸めたくなるんだよな。圧し潰されそうで。 調子が悪い時なんかは特に、周囲から自分までが段々暗い色に染まって、見えない壁が狭まってくる感じがする。 そんな時は、全てを投げ出して、でかい図体を最大限に縮こまらせたくなる。星や、他に明かりが目に入るまで、 外が見えなくなる。 計器しか頼れない状況に精神がなってるのに、もし、その計器がイカれてたら、笑い話にもならない。今のところ平気 だからいいけど。 あんな怖い思いを何度も味わってるのに、なぁ。ましてや、乗ってるのは戦闘機なのに。 …なんか、暗い。 こんな綺麗な空見てるのに。何も考えず眺めてりゃいいのに。そのつもりで来た筈なのに…。 ――――――落ち込んでるのかなぁ、もしかして。 独りでいるのが悪い。独りなのが。…だからと言って誰かに声かけようにも、海の方じゃないから人気もないし、今は 落ち込んでるみたいだしなぁ。 あー、困った。 「あ。見ーつけたっ」 木陰に横になって空を見ているうち、うとうとしていたらしい。不意にかけられた声に心臓が跳ね上がった。 「アキヤマ隊長ぉ。少佐たちぃ。コールドウェル大尉、いましたぁ!」 慌てて起き上がると、見覚えのあり過ぎる女の子が後ろを向いて人を呼んでいる。 「アリス?」 「コーネフ少佐がね、コールドウェル大尉ならきっとここだ、て言ってたんですよぉ」 隊長?なんでここに?仕事は? 頭がパニックを起こして、体勢を整えてる余裕が持てない。慌ててる間に、よぉく見知った顔触れが目の前に揃ってし まった。 「よぉ、暇そうだな」 「暗い。一緒にいる女の子の一人もいないのかよ」 アキヤマ少佐とポプラン少佐が口々に勝手なことを言う。休暇なんだから暇でいいでしょーが。女の子だって、誰かさ んと違ってマメじゃないんだから。 なんか、この二人の顔を見たら、つい先刻まで落ち込んでた自分が妙にどうでもよくなってしまった。 「しかしだ。ここで問題にしたいのはな、これが賭けにも何にもならなかったという事実だ」 アキヤマ少佐が賭け好きなのはよく知ってるけど、これも賭けネタにしようとしたのだろうか…。 「だから最初っから賭けにならない、つったんだよ」 つまらなさそうに頷きながらポプラン少佐がごろ、と仰向けに転がる。その横で、アキヤマ少佐が不服そうな表情をし ながらも、やっぱり横になってしまう。 「二人とも。荷物置きっ放しで、何か俺に言うことは?」 一人遅れて現れたコーネフ隊長が、怒りに肩を震わせて(普通の人にはかなり解りづらいと思うが)、両手に持った荷 物を転がってる二人の鳩尾目掛けてドカドカ、と置いてしまう。 …痛いんじゃないかな、かなり。 自業自得だろうから、同情する気にもなれないが。 「やっぱりここだったか」 アキヤマ少佐の荷物を漁っているアリスを横目に、隊長が笑う。その顔を見ながら、改めてほっとしてる自分に気付く。 アリスを見て、アキヤマ、ポプラン両少佐を見て、隊長を見て。いつものメンツに、いつもの空気。落ち込んでる暇の ない日常が、自分の中に戻ってくる。 「あぁ、蒼いな」 空を振り仰いで、確認するような科白。 「これが空、て感じだよな」 「これは特別だからなぁ」 空を見上げる目は動かさず、相槌が戻ってくる。…何だろう。何か、引っ掛かる感覚。 「綺麗な空ですねぇ。飛びたくなるくらい」 楽しそうにアリスが空に向かって手を伸ばす。 「飛びたい?」 言葉に引っ掛かって聞き返す。先刻、俺もそう思った。何の気なしに。自分だけが思うこと、とは思わないが、聞いて みたかった。何かの答えが見つかるような気がした。 「はい!だって、こんな空が飛びたくて、パイロットになったから。そりゃ、夜の星見て宇宙に行きたくなったけど。 どっちでもいいんですよね。飛べれば。…宇宙はちょっと怖いけど」 言ってから照れたように舌を見せる。 「お前だってそうだろ?」 ぼけ、とした表情をしてたんだろうとは思う。呆れたようなポプラン少佐の声。――――――それは、そうなんだけど。 今、アリスに言われるまで、忘れてたような気がする。 「たまには本物が見たくなるんだよな。この色は人工じゃ出せないから」 アキヤマ少佐が珍しくまっとうな事を言ってる。…もとい、やっと理解出来てきた、というか、思い出してきた感じが する。すごく単純で、当たり前のこと。 特別な空。欲しかったもの。すっかり忘れてた。 そういえば、本物の空に飢えていたことも気がつかなかったからな。 「原点だからな。どんなに離れてても、時々見たくなる」 「―――――そうですね」 やっと納得。この空がなかったら、今の自分はなかった筈。憧れて、焦がれて、知らないうちに大気圏を越えてて。その うちにこの空を忘れてた。 無意識に空を求めるまで。 「落ち込む筈だよなぁ…」 思い出せばなんということもなかったな。とはいえ、思い出していたところで、一人じゃ落ち込みっぱなしだったかもし れない。 非日常と日常があって、やっと、だから。でもまぁ、いいか。まとまった休みの所為だ、という事にしてしまえ。 小さい頃から、空に憧れてた。 地上から見上げる、青のグラデーション。遥かに高い、蒼空の色。見たことのない、聞いただけの宇宙の色。 果てなく広がる、澄んで真っ青な空。 そこに行きたかった。 今は、真空の暗闇のような、濃紺の宇宙にいる―――――― |