「…何で、あんただったんだ?」 押し殺し、搾り出すような声を浴びる。 「…あいつがそう決めたから」 「…」 「あいつの全ては俺のものだと。あいつがそう、決めた。だから、あいつは俺のものだよ」 殺気すら含む視線を受け流し、嗤う。 殺意も、憎悪も、羨望すら、気にならない。 あるのは事実としての所有権。 「今も、以前も、この先も…な」 「…視線が痛い…気がする」 「気のせいですよ」 遠くから、真っ直ぐに突き刺さる視線を感じ、顰め面で呟くリンツに笑いを含んだ声が応じる。それをちらりと見遣ると、諦めの溜息が漏れる。 「あのなぁ…。お前さんを迎えに来る度なんだから、気のせいの訳ないだろうが」 「じゃ、迎えに来なきゃ良いのに」 「まったくだ」 空戦隊オフィス、と言う、彼にとってアウェイの居心地の悪さを痛感しつつ同意する。真実厭ならば来なければ良い。リンツ自身、面倒臭い事は好きではない。 とはいえ、ついつい足繁く通ってしまう理由は唯一つ。 「でも、約束ですからね」 「…はいはい」 多分に悪戯めいた表情を浮かべる相手に苦笑する。 『約束』と言う言葉に容易く縛られる自分は、かなり酔狂だと思いつつ。 これが、他の人間と交わしたモノであれば、何の迷いもなく放置するのだが。この隣の人物相手に限り、そんな気は欠片も起きない。 魅入られているな、と、自嘲気味に笑い、するりと背に手を回す。 「あ。ダイタン」 「…ま、煽る位は役得だろうよ」 殺気、向けられてるんだから。 そう続け、くすくす笑う相手から視線を逸らしたまま嘯く。 そのまま無言で促せば、数度の瞬きの後、ちらりと背後を確認して、退出の意を告げる。それに何の反論を持てず、遂に背後に回った殺気絡みの視線がいやに心地良い。 優越感。 そう、言うのだろう。この感情は。ただし、それに素直に浸るには、少々、頭の隅が冷えてはいたが。 「この場合、甘えかかった方が効果的、ですかね?」 「何に効果があるのかは知らんが、まぁ、そうかもな」 首を傾げながら真面目に言い出すのに呆れた視線を向ける。そんなリンツの態度には慣れているのだろう。暫くの間思案すると、愉しそうに口を開く。 「…じゃ。中佐、クロスワードパズル買って」 「…自分で買え」 「ケチですねぇ」 「飯たかっといて言う科白か、コーネフ少佐?」 口だけの要望を聞き流し、顔を近づけて笑う。 軽口の応酬はいつもの事。そして、会話の内容と関係なく、周囲が固まる程度に密着してみせるのも、実に自然。 更に言えば、空戦隊のテリトリーから数歩離れた瞬間から過剰な接触がなくなるのも、既に当り前になっている。 演出と言うには無意識に近い行動に、毎回感心する。 「その分、働いてると思いますが」 「働いてるのは俺で、お前さんは享受してるだけだろ」 下から覗き込む顔を軽く押さえる。彼の言うのが『働いている』と言える労働ではないのを内心で突っ込みつつ。 「楽しんでる人には言われたくないですね」 「否定はしないな。…で?今日は何食う」 「あー。何か作るから帰りましょうよ」 働いてないとは心外、とでも言うようにコーネフが眉を寄せる。 「材料あったかな」 飲料関係以外、大して物の入っていない冷蔵庫を思い出す。 調味料以外の食材を切らしているのを正直に告げると、綺麗な柳眉が不機嫌に上がるのが確認出来た。 「…取り敢えずの行き先、決定で」 深い溜息に苦笑で返した。 「…引っ越そうかな」 シャーペンを放り投げ、トレードマークのパズルに突っ伏して小さく呟く。 「引っ越し?」 意外な科白に、思わずデッサンの手を止めて問う。 もっとも、自主的に(勝手に)三十分以上、ほぼ同じポーズを取り続けたモデルが姿勢を変えた以上、スケッチを続けていても仕方がない。 後は手直しを少々、と言ったところか。 「どこに」 官舎と言えど、居住地のあり余っているイゼルローン。希望すればどこへでも移れるのは、一部には暗黙の了解の事実。興味半分、訊いてやる。 「ここ」 「…闇討ちされたくないんで勘弁シテクダサイ」 揶揄うように即答された言葉に、軽く項垂れる。 あの、無自覚の殺気が明確な殺意に変わるのも時間の問題かと思うのに、それを助長させるような行為は止めて欲しいと切に思う。 「妙案だと思ったんですけど」 「俺を殺す気か」 「死なないでしょう?地に足をつけた状態では」 「それは保証しかねるな」 確信に満ちた声を用心深く否定して。下手な事を言えば、揚げ足を取られるのは必至なのだ。不用意な一言で、一応、表面上は平穏な日常を捨てたくはない。 「言い方変えます。殺されないでしょ。地上の王が鳥なんかにはね」 淡い瞳が刹那に違う色を帯びる。鮮やか、と言っても良い程に印象的な笑みに彩られた挑戦的な視線に一瞬息を飲んだ。 「過大評価」 「そんな事もないかと」 パラリとスケッチブックを捲る手をやんわり止められ、そのまま奪い取られる。 開いていたページに、白い鳥が二羽、添うように羽ばたいていたのは偶然。 「…返せ」 「ダメ」 強制的に手の届く範囲から外され、溜息を吐く。 今日は何を言ってももう、取り戻せないだろう。開かれていたページを目にした瞬間、僅かではあるが、眉が寄っていたから。 かといって、わざわざ立って取りに行くのも面倒臭い。 「ここ、居心地良いんで最適だと思ったんですけどね」 「わざわざ越して来なくても入り浸ってるだろうが」 上目に機嫌を伺う仕草に冷たく返す。どうせ、相手は堪えない。 「なら、引っ越して来ても同じじゃないですか」 「気分の問題」 わざとらしく拗ねた口調を作る相手を切り捨てる。 事ある毎に転がり込んでくるのには、いい加減慣らされたが。 それでもまだ、居座らせてやる気にはならない。 「所有物っぽくて良いかと思ったのに」 「そらまた、随分と自己主張の激しい所有物だな」 「従順なのは要らないクセに」 「確かにな」 くすりと笑うのに頷き、手招きをすると素直に寄って来る。この点だけは従順。…と言うより、どこか躾の行き届いた愛玩物を思わせる。 「俺はね。アナタのモンなんですよ。俺が、そう決めたから」 「ん?」 腕が首に撒き付き、懐くように肩口に頭が落ちてくる。 「だから、手放したりしないでくださいね」 含みのある言葉に笑う。 「…俺は優しいからな。御要望には応えましょ」 「…何してる」 「マーキング」 「要らないだろ」 首筋に吸いついて甘噛みするのを引き剥がす。 「アナタが付けてくれないから、代わりにやってるんです」 「そこまで所有されたいか?」 「えぇ。勿論」 呆れ半分の揶揄の言葉に鋭い視線が返される。唇が形だけの笑みを刷いているだけに、ただでさえ整った貌に妙な艶が出る。 「…よく言うよ。お前がされたいのは『所有』じゃなくて『所有権の主張』のクセに」 呼び出して。 痕跡を残して。 自分は自分以外の誰かに所有されていると主張する。 それは、誰かに対する牽制。 安易に叶えてやるのも癪で、言及しない事を理由に、殊更避けていた行為。それは、一種駆け引き染みていたが。 「…そんな」 「別に構わないけどな。好きなだけ利用すれば良い。見返りがお前なら、充分安い」 傷ついた表情の反論を封じ、喉の奥で笑う。 「アレはそんなに怖いか?」 「…引き摺られそうじゃないですか。俺は、独りで飛びたいのに」 微かに震える指先を食む。視線を逸らし、低く答えるのが、多分本音。 「独り…ね」 「俺は。止まり木なんかにはなれない。ならない。片翼も嫌です。冗談じゃない。ちゃんと、独りで飛びたい。…墜ちても、独りで」 前を見据え、告げる言葉に嘆息する。見えない視線の先には、二人共、恐らく同じ人物が映っている筈。 「だから、人のモンになりたいのか」 「…いけませんか?」 「言ったろ。利用して良いって。その代わり、お前は俺の物なんだろう?」 「はい。…あ、でも、誤解しないでくださいよ?アナタ以外の所有物になんか、ならないから」 貴方だけが特別。 そう、続ける相手に薄く笑って。今度こそ望みを叶える為に手を伸ばした 「帰るぞ」 いつものように声をかけると、室内の空気が変わる。慣れた態度で、そのまま近くの壁に寄り掛かると、独特のシルエットをした人物が笑いながら近付いてくる。 「あーんまり、うちのお美人様、気安く持ち帰らないでくださいよー」 ご機嫌、ナナメになるバカがいるんですよね。 口調は随分と軽いが、視線だけが僅かにきつい。それを眺め、にやりと笑う。 「貸出し時間は終わりだろ。返せ」 「…どっちかってぇと、逆っしょ」 「アレは俺の」 「異議申し立て多そ」 「だろうな」 肩を竦める相手に同意を示す。所有・専有を声高に主張すれば、即座に牙を剥く人間は多そうだ。 もっとも、譲る気もないが。 「知っててやってんですか?」 「知らない方が変だろうが」 「ごもっとも。…違ってたら悪いんですけど。やっぱ、アイツのお願い?」 「…さぁな」 「何、話してたんですか?」 「あ?」 「話。あいつと」 「あぁ。世間話」 外見と裏腹に、かなりの慧眼を発揮する相手の顔を思い浮かべる。納得している訳ではないだろうが、どこかで諦めているような眼をしていた。 「よく、判らない。具体的にお願いします」 「貸出し物の返却期限について」 「…あの、それって、その貸出し物って」 「当たり。お前さんのコト」 厭そうに目を据わらせるのを愉しげに見遣り、くしゃりと頭を掻き混ぜる。 「苦情、受け付けてます?」 「ない。───────────── …お前さんは俺のなんだろう?」 「そうですよ。俺は丸ごと全部、アナタの物です」 「よく言うよ」 |