「幸せって…なんでしょうねぇ」 唐突に、何の脈絡もなくしみじみと呟いたのは、第一空戦隊副隊長候補（注：断じて副隊長ではな い。あくまで候補）のロム・サラ・ラディッシュ（通称：ラディ）准尉。 場所はバーのカウンター席。BGMは俗に言うムード音楽などという、おそろしく完璧な雰囲気の中で 吐き出された、憂いすら含むその声に応えたのは、真面目な声でも沈黙でもなく、苦しそうに咳込む 音だった。 「…コールドウェル先輩！何むせてるんですかっ！」 飲んでいたスコッチを気管支に入れてしまったらしく、ぜいぜい言いながら呼吸を整える隣に声を 荒げる。 「…お前、俺を殺す気か？」 口元を片手で押え、ほとんど涙目になりながらコールドウェルが睨む。 『居酒屋じゃない、落ち着いた所で酒が飲みたい』というリクエストに応えて連れてきてやったのは、 こんなギャグを聞く為ではなかった筈なのだ。いくら酔いが回っているとはいえ、ＴＰＯとキャラク ター性くらい弁えて欲しいところである。 「真面目ですよ！…だって、俺、日々不幸だし！」 「…不幸ねぇ」 握りこぶしで断言するラディに、冷ややかな視線を向ける。ラディの目が据わっているように見え たのは、十中八九間違いではないだろう。 「不幸じゃないですか。隊長にはいつも逃げらるし、押し付けられた書類はやってもやっても終わら ないし」 「空戦技はヘタクソだし」 「せんぱぁい」 さらりときつい事を言う先輩に、ラディが泣き声になりかける。 まぁ、ラディの言いたい事は解らなくもない。コールドウェルの崇拝する、有能且つ問題のない上 司（いや、性格と行動には多少問題があるかもしれない）のコーネフと違い、ラディの上司は『あの』 ポプランなのだ。問題の多さではイゼルローン内でも群を抜いている。…少なくとも、デスクワーク における責務を果たしているとはお世辞でも言えない人物である。 空戦技術だけなら、文句なく天才なのだが。 「…目が垂れ下がってるぞ、ラディ」 「たれ目なのは俺の所為じゃありません！」 放っておけば底なし沼にでも落ちていきそうなラディの気を逸らす。泣き上戸の後輩に泣かれたら 面倒、というのも多分にあるのだろう。 「…そらごもっとも。───────…あぁ、でも、お前の幸せなら、判るぞ」 「え？」 「まず、ポプラン少佐を捕まえて仕事させる事だろ？それから、アリスがブルームハルトにふられる 事」 タンブラーを口元に寄せながら笑う。当然揶揄い半分ではあるが、そう外した事でもない筈なのだ。 証拠に、ラディの顔がアルコール分上乗せ以上に赤くなる。それこそ、耳や首まで。 「な、な、何でそこにランド伍長が出て来るんですかっ！」 「隠し撮り、持ってるだろ」 正直過ぎる反応に感心しつつ、冷静に指摘する。 「えー。何で知ってるんですよぉ」 「…皆知ってる」 ラディがアリスの隠し撮り写真を肌身放さず持ち歩いているのは、実は空戦隊内ではアリス以外 誰でも知っている公然の秘密と言うヤツで。ラディだけが知られている事に気付いていなかったと いう間抜けな状況だったのだ。 「うー…」 ぼそ、と告げられた事実に唸り声をあげると、目の前のグラスをあおる。 「…ま、アリスは可愛いし？あの二人、別に付き合ってる訳じゃないから良いんじゃね？」 ちらりと、相手が潰れる寸前なのを確認する。アルコールにそう強い訳でもないくせに、かなりの 量を飲んでいるのだから、無理もない。 「え？付き合ってないの？」 「ブルームハルト、鈍感だからなぁ。ま、未満ってトコだな」 「あ、じゃあ俺にもチャンスあるかなぁ」 眉間のしわを綺麗に消して嬉しそうににやける。こういう時にわざわざ真実を教える必要はない。 黙って空のグラスを満たす。どうせ、あと１、２杯で潰れるだろう。 「そしたら良いなぁ」 コールドウェルの予想通り、１杯半の上乗せであっさりと潰れたラディの姿に、苦笑混じりの息 を吐く。 「───────…大尉、エレカ呼んどきましたから」 「あ、ありがとう、マスター」 不意のカウンターからの声に、顔をあげる。目の前に、笑いを必死で噛み殺している店主の姿が あった。 「いいえぇ。なんとも楽しい話を聞かせてもらいましたから」 「…あぁ、幸せってヤツ。マスターはどう思う？」 漫才のような会話を聞くとはなしに聞いていたのだろう。そういえば、周囲の客たちも聞き耳を立 てていた風情があった。 「そうですねぇ。───────…うーん…。まぁ、この人みたいに潰れても最後まで面倒みてくれ る人がいるってのは随分幸せなんじゃないですか？」 気持ちよさそうに寝息を立てているラディの前を静かに片付けながら言う。 「───────…俺もそう思う」 「コールドウェル」 「隊長。…と、少佐方」 シミュレーションマシンから降りたところで待ち構えていたようなポプラン、アキヤマと、コーネ フに声をかけられる。ポプランとアキヤマは顔全体に、コーネフは瞳の奥にうっすらと、好奇の色が あった。 「昨夜、ラディと幸福論をネタに漫才展開したんだって？」 「…よくご存知ですね」 後が怖いので地獄耳、とは決して言わないが、昨日の今日でよく耳にしていると思う。 「…噂になってるぞ。で、確認しようにもラディは二日酔いだし」 ポプランの指差す方を見ると、二日酔いで頭を抱えているラディが見える。多分、この３人はラディ が真っ当に返答出来ないのを知っていて、コールドウェルを待っていたのだろう。 「で？お前の幸せって何？」 「ラディのなら聞くまでもないからな。お前のが聞きたい」 ポプランとアキヤマが口々に言うのを聞き流しつつコーネフを見ると、くすくす笑っているように 見える。 「…俺も聞いてみたいな」 非難するようなコールドウェルの視線に肩を竦め、さり気なくポプランとアキヤマに加担するコー ネフに小さく息を吐く。 「…そんなの秘密ですよ」 |