2008年夏の放浪聖地3箇所+2めぐりツアー
えっと、画像の数がとても多いので全部が表示されるまで時間がかかるかもしれません。気長に待ってください。
第1弾
目標 湖西線・越美北線・城端線・大糸線に乗ること。白川郷・木崎湖を訪問する事。
久々に休みが出て、放浪する事にしました。ただし実家の法事の都合で放浪できるのは3日間。そこで今回は近場ですまそうと考え、ざっと時刻表を見る。前回富山に鉄乗りに来たときに、城端線を乗ることが出来なかったので、今回乗る事にしました。どうせ城端に行くのだから、そこから白川郷まで足を伸ばして、ひぐらし巡礼をそして糸魚川まで足を伸ばして大糸線を北側から乗る事を考えたら丁度3日でピッタリ埋まりましたので、この計画を立てました。もちろん使う切符は「青春18切符」です。
平成20年8月16日
移動行程 自宅→名古屋→京都→敦賀→福井→九頭竜湖→福井→富山
さあ放浪の開始だ。今回は青春18切符なので、普通列車しか使えません。そこで今回は近場を選んだのですが。まず普通列車で米原へ、そこから山科まで東海道線を下ります。そこから湖西線に乗り換えて北陸方面へ向かいます。本来なら米原から北陸本線に乗り換えた方が速いのですが、北陸本線はすでに乗っているので琵琶湖の西側湖西線から行こうと思ってたからです。
が、此処で大きなミスを犯す。山科駅で間違えて東海道線上りの列車に乗ってしまいました。よく考えたら違うって解るのに、このときはなぜか乗るまで気がつきませんでした。慌てて次の駅で降りてホームで時刻表とにらめっこ。予定の列車は当の昔に出発してしまってます。うーん、仕方ないこの手を使うか。
再び下りの普通列車に乗り今度は山科のその一つ先の京都へ。ここで特急「雷鳥」(注釈1)に乗り敦賀まで一直線。先程の遅れを取り戻す。敦賀に着いたときには無事に予定の列車に間に合いました
京都から乗った特急雷鳥です。
18切符では乗れないので、お金かかりました。予定外の出費です。
敦賀で何とか間に合ったので此処から福井行に乗り換えて福井まで移動、福井より越美北線(注釈2)の九頭竜湖行に乗ります。
この路線もまだ乗った事のない盲腸線(注釈3)なので、今回の予定に組み込んでました。九頭竜湖までゆっくり移動、そして無事到着。越美北線だけあって最後方は結構険しかったです。
越美北線のワンマン列車です。下の方に「明日へ走れ越美北線」と書いた看板が付いてます。ローカル線の悲哀です。乗客少ないと越美南線のように第3セクター化されるかもしれません。頑張ってほしいものです。
九頭竜湖駅に到着、ネットで事前に調査していた道の駅へ向かう。駅前にあるとの情報でしたが本当に駅前広場が道の駅になってました。此処で昼食をと思ってましたが、折り返しすぐに列車に乗らないといけないので、折り返しまでの15分で昼食の弁当と、飲み物を購入すぐに来た列車に乗り込みます。一応弁当は名物のまいたけ弁当にしました。
九頭竜湖駅の看板です。この駅舎の横が道の駅になってます。車で訪れている方が多く結構駅前は賑やかになってました。停車時間が短かったので、ろくに見て周れませんでしたが、お弁当とアイスクリーム買って帰りの車内で食べてました。
帰りの列車が福井に到着し、今日最後の移動富山駅に向かいます。
翌日になって後悔したんだけど、途中の高岡駅で降りた方が良かったのかもしれない。
ちなみにこの日富山は大雨だったらしく、号外まで出てましたが、私が到着したときはすでに雨も小降りで宿屋まで無事に移動できました。ただこのときは明日の予定の路線がちゃんと明日も動いてくれるかどうかが心配だったのですが・・・
とりあえずホテルのネットで、明日の訪問地について調べました。
平成20年8月17日
移動行程 富山→高岡→城端→萩町神社前→城端→高岡→糸魚川
2日目は鉄乗りが主ではありません。今日の目標は、「雛見沢(白川郷)へ行こう」です。城端線に乗るのがメインなので、ついでにここから白川郷まで足伸ばして数時間見学して行こうという事にしておりました。
まず宿で朝食をとってすぐさま富山から隣の高岡へ、そこから城端線(注釈4)に乗り換え終点の城端に向かいます。
左側の列車が城端線の列車です。高岡よりこちらに乗って1時間ほどで左の城端駅に到着です。
城端駅に到着し、駅前のバス停から加能越バス(注釈5)の路線バスに乗り込みます。事前に調査してバスまでの連絡10分程度、駅に着いたときにはすでにバスが停車して待っていました。
定刻になって城端駅を出発、10分程度は市内の平坦なところを走ってますが、すぐに山道ものすごい坂をバスが上ってゆきます。どんどん坂を上って頂上近くのトンネルを抜けると、今度は一転下り、しかも半端無い急な下りですしかもカーブの連続。もちろん片側は崖です。ものすごい絶景に目を奪われつつもバスはゆっくりと下ってゆきます。しばらく下ってゆくと、所々に合掌造りの集落があり、あちらこちらに看板も出てましたが、私の目指す白川郷はまだまだ先です。
バスのシートに揺られる事1時間、ついに目的地の萩町に到着。此処が白川郷か、さすが世界遺産ものすごい観光客の数と車の数です。そしてバスが終点の萩町神社前に着いた時・・・
おおお〜〜〜!!!古手神社だ!!
バス停の目の前にありました白川八幡社。古手神社のモデルとなったところです。
早速降りて参拝です。
加能越バスの「萩町神社前」バス停の目の前にあります、白川八幡社です。作中の古手神社のモデルとなったところです。
参拝者が多くなかなか人が途切れず、やむを得ず人の入った写真になってしまいました。そのためちょっと画像をいじってます。もちろんこの神社の絵馬も・・・
で、その境内です。この場所で梨花ちゃんが何度も・・・
絵馬はこの右隣にたくさん奉納されてます。どれも個性のある絵馬でした。
無事に参拝も終了したので、白川郷の街中を散策します。合掌造りの家を見たり高台上って町全体を見たりとか2時間ほど見て周りました。町全体は2時間もあれば大体は見れます。
こんな感じの建物がいっぱいあります。
その後15分ぐらい坂道登って見渡せる場所に立ってました。
そして、展望台を降りて萩町停留所のそばには・・・
白川診療所(入江診療所)です。もちろん此処にも巡礼者が何人か見えてました。
白川診療所を見た後に昼食にしました。此処を訪問する際にもう1箇所訪問したい所があります。昨夜ネットで調べた祭具殿のモデルになった飯島八幡社です。ネットでは場所までは判らなかったので、お土産屋さんの方に聞いたら白川の道の駅の前にあるとのこと。ただし歩いて30分以上はかかるとのことで半分あきらめていたのですが、昼食でお邪魔したお店の方にもう一度聞いたら、「それほど遠くないよ。バス停も近くにあるし、間に合うはず。」とのご意見、ならば行ってみるか、と思って白川郷を後に国道を白川インターの方へ歩き出しました。
昨日の雨もすっかり上がり、炎天下の中汗だくになりながら歩く事20分。ついに道の駅の建物が見えてきました。そして道の向かいには、ありました静かに佇む飯島八幡社です。
飯島八幡社です。もちろん中にオヤシロ様は安置されてません。いたって普通の神社です。向かい側には道の駅白川郷があるので訪問する方は判りやすいですな。
参拝終わってみれば、バスの発車までまだ30分ぐらい時間がありました。そこで道の駅で一休みしてその後、移動途中で見つけた近くのバス停に移動して帰りのバスを待ちます。道の駅にはバス停はありませんでした。(当然ですな)
バス停でじっと待ちかえりのバスに乗り込みます。此処からまた城端駅に戻ります。1時間後城端駅に到着。此処からはまた鉄乗りです。ただし城端駅から列車が発車するのは1時間後じっと待ちます。暇なので駅舎の中をぐるっと見回すと・・・
こんなものが目に飛び込んできました。
これを見るまですっかり忘れてました。此処城端も聖地だったことを・・・
しかも名塚さんが来てたんですね。
緊急巡礼スタートです。列車の発車まで残り40分せめて町並みぐらいは見ておきたいと思って、移動を開始しましたが・・・
わかりません。写真の掲示板には巡礼地も書かれていたのですが、徒歩移動では時間がかかりすぎるし、イベントなんかもあったようですが、街にはその跡も見れませんでした。仕方ないので、時間ぎりぎりまで街中をふらついてそのまま列車に乗り込みました。出来ればもう1本列車を遅らせて特急で遅れを取り戻すと言う手もあったのですが、駅員さんの「満席だよ。」の一言で断念しました。
仕方ないので、次回また放浪したときにこちらも計画的に訪問しようかと思います。
城端から高岡に到着し、そのまま直江津行の列車に乗って糸魚川まで。今日の移動は此処で終了です。糸魚川から翌日、2つ目(正確には3つめ)の聖地訪問に向かう事にします。
平成20年8月18日
移動行程 糸魚川→南小谷→信濃木崎→松本→中津川→名古屋
最終日です。此処からは名古屋に帰るのですが、わざわざ糸魚川まで来たのには理由があります。大糸線に北側から乗ることが目標です。これはポイントです。大糸線は松本〜白馬間は乗ってますがそれ以北がまだ乗ってないので、大糸線(注釈6)を全線乗ることと、おねツイで樺恋が列車で登場したのが上りの列車に乗って木崎湖を訪れてますので、考えるに糸魚川から来てるはずだ思ったからです。(まさか白馬に住んでいたとは思えない。)
ホテルで朝食後、1番の列車で糸魚川から大糸線の南小谷行に乗り込みます。
大糸線は南小谷を境に北はJR西日本管轄、南は東日本の管轄です。北は非電化路線で険しい山中を進む為にかなり移動はゆっくりです。
糸魚川から南小谷まで走っている大糸線(北側)の列車です。所要時間1時間。トイレはありません。乗る前にはきちんと済ませておきましょう。途中で降りるととんでもない事になります。
時間はかかりましたが無事南小谷に到着此処からは電化路線です。東日本の乗りなれた列車に乗り込みます。
そして当然聖地の信濃木崎で降ります。樺恋ちゃんもここで降りてますので。
此処からはいつもの巡礼。巡礼ポイントは決まってるので、何度目かになる聖地巡礼を行いました。
いつもなら特急で移動しているので、もっとゆっくりしているのですが、今回は青春18切符しかも翌日は仕事なので、早々に次の列車に乗り込み名古屋へ向かいます。
この日も聖地は良い天気でした。
松本に到着したらそのまま中津川行きの列車を待ち乗り込みます。後は名古屋行に乗り換えて第1回目の放浪は無事に終了となりました。家についたころ、両足はすでにパンパンでした。
第2弾
目標 可部線・芸備線(西側)・福塩線・吉備線・宇野線・井原鉄道に乗る。尾道巡礼をする。
第2弾です。第1弾で使った18切符は5枚中3枚。つまり後2枚残っているわけです。そして今回の休みは4日間。最終日はライブがあるので、そちら参加と言う事にして3日間放浪しようと考えました。そこで、以前より訪問したいと思っていた、尾道を目標にしました。初日と最終日に18切符を使って鉄乗りを敢行し、真ん中の2日目は1日中尾道にいようと決めました。これなら宿は2泊する事になり予約も簡単だし、尾道がどれだけ巡礼ポイントがあっても充分だろう(もちろん出雲のように遠く離れたところは無理だけど。)と思ったからです。
本当は、初日に尾道2日目に出雲そして3日目に帰ると言うのも考えたのですが、尾道・出雲間がとてもではないが間に合わないので断念しました。
平成20年8月21日
移動行程 名古屋→広島→可部→広島→三次→福山→尾道
まず最初に新幹線に乗り広島へ一気に移動します。18切符を有効に使おうと思うと行か帰りは新幹線と言う事になります。今回は目的地が1箇所のために行と帰りはほとんど同じ経路をたどります。それでは鉄乗りとして重複してしまうので、まず尾道のちょっと先の広島までのぞみで一気に移動して、そこからその地域の鉄乗りをしながら尾道まで移動と言う計画を立てたからです。
広島駅についてから新幹線ホームを出て18切符に日付を入れてもらい鉄乗りの開始です。
まずは可部線(注釈7)に乗ります。終点の可部駅まで40分、広島市内なのですぐに終点到着です。この路線は比較的本数が多いので、すぐに折り返さずに少しだけ周りを見て周ります。
広島駅で撮影した可部線(電化区間)の列車です。
可部駅から先の非電化路線の跡地です。左側の路線が廃止路線で、右側は引込み線ですぐ先で終わってます。
本当は、可部〜三段峡間が廃線になる前に乗りたかったのですが、叶う事無く終わってしまいました。
これは此処だけではなく、全国の地方路線全てがこのような岐路に立たされています。利用者のない路線は廃止されるだけです。昔みたいに国の公共事業として路線が敷設保護されるわけではありませんから。
20分ほどうろついて、上りの広島行に乗ります。広島駅に到着後、次は芸備線(注釈8)に乗る為に乗り場を移動、三次行きの快速に乗り換えます。
快速とは言っても途中までは各駅停車です。ゆっくりと三次へと向かいます。お昼過ぎに三次に到着此処から福塩線(注釈9)に乗る為の列車を待ちます。ただし出発は40分後ですので、ちょっと街中散策です。三次と言えば「朝霧の巫女」。此処も立派な聖地のはずなのですが・・・うーん普通の町だな。朝霧の巫女で町おこしもしていたという話も聞いていたが、すでに年月が経っていることもあり、その影も見ることが出来ません。この辺第1弾で訪問した城端に似てます。ただ、私こちらについては全く下調べしてませんから、見つかるはずも無いんですけどね。
時間が来て福塩線の府中行きの列車が来たので、そちらに乗り込み福山に向かいます。府中までは、1車両のワンマン列車でのんびり下ってゆきます。
府中までのワンマン列車です。
府中から先は電化もされ車両も増えます。
府中で乗り換え福山まで移動します。そこから山陽本線で目的地の尾道に移動して終了なのですが、駅についてから宿に向かう前にちょっと寄り道します。
そう、此処から聖地巡礼の始まりです。少しでも巡礼しておけば早く終わりますから。
でとりあえずこの2箇所を見てきました。
最初がここ尾道駅を望む「うず潮橋」です。作中では単線ですが、本当は複線ですのでご注意を。
うず潮橋のすぐそばにあるのがこちらです。ゆりえ様の通われる学校のモデルとなった小学校です。
夏休み中なのでがらんとしてますが、もし学期中に訪問すればカメラ片手に小学校を撮影する中年。
思いっきり不審者扱いだな。
この学校の校門を山側に振り返ると、この場所になります。アニメではこの目の前にフェンスがあって、「黙って俺について来い」の場所です。
で、こちらがその校門です。ゆりえ様が早退したときに登場しています。
以上で今日の巡礼は終了。本当は学校のアングルでもう一つ押さえたかったのですが、どうしても見つかりませんでした。その場所を探して学校の周りをうろうろしていると、ご親切に地元のおばあさんが一緒に探してくれました。観光客慣れしているのか、気さくに話しかけてきてくれて色々と教えてくださいました。ありがたいことです。
夕暮れも終わりに近づき暗くなってきたので、此処から宿に向かって終了です。尾道駅に着くまでは列車の中なので快適でしたが、この撮影をしただけで汗だくになりました。つまりはそういう場所にあるんです。翌日はさらに凄い事になりました。
宿にチェックインした後夕食を済ませる為に街に出て適当な店に入ると、そこでも店主の方が色々教えてくれました。訪問するならこの順番がいいとか、自転車を利用しようかと思って話すと、止めとけといわれました。本当に必要無かった事は翌日良く解りました。
平成20年8月22日
この日は鉄乗りは全くしません。
かみちゅ巡礼です。
昨日聞いた店主の情報と、事前にネットで調べ印刷した地図を片手に出発です。まず尾道駅に向かいそこからバスに乗ります。マップによると巡礼ポイントは尾道市街地に広く散らばってます、ただし尾道駅から東側に集中しているので、まず尾道駅から東側にバスで移動してそこから駅に向かってポイントを周ろうと画策しました。
マップに載っているポイントは20箇所以上!有名なところからほんの一瞬だけの場所もあり探すの大変そう。
そこはゆりえ様への信仰心でカバーすべし。
目的のバス停につき、早速第1のポイントに向かう。
そして目の前に現れた階段と坂道・・・確かに自転車は借りなくって良かったです。まったく意味ないことが良く解りました。
さすが坂の街尾道、巡礼しているところほとんどが階段か坂道です。巡礼開始10分で汗だくです。
此処から先色々なポイントを見て周り写真を取りまくってますので、代表的なのを何点か載せます。
ゆりえ様のご自宅となった家のモデルです。こちら一般の民家ですので、参加と訪問には礼儀とマナーを守って巡礼しましょう。
私も迷惑にならないように気をつけながら撮影させていただきました。
来福神社のモデルとなった御袖天満宮です。此処はOPで使われた場所です。脳内で音楽流して補完しながら歩きました。
こちらが境内です。社殿自身は此処がモデルではありません。社殿だけはこの後訪問する艮神社がモデルとなってます。社殿の形が違うのですぐにわかります。ちなみにこちらの境内には絵馬の奉納所があり巡礼ノートも設置されておりました。なお三枝邸のモデルと思われる場所もすぐそば(と言うか隣)にあります。
でこちらが、社殿のモデルとなった艮神社です。御袖神社からちょっと離れた所、ロープウェイ乗り場の麓にあります。
両方の神社を参拝し、次のポイントへと向かいます。此処からがまた大変です。猫の細道といわれる坂道階段を登る登る登る・・・
ポイント確認しまた次へ階段登る・・・
ずっとこれの繰り返しです。
猫の細道をどんどん登ってゆくとここに到着です。ちょっと解りにくいかもしれないけど、番宣ポスターの場所です。ポスターでは祠になってますが、実際は郵便受け箱です。写っている民家は空き家で、再開発プロジェクトの改装が行われてます。
前の写真からさらに登り千光寺と言うお寺から少し西に向かうと此処です。この2方向に分かれている階段何回か登場しているんですよ。
似たような場所が他にも何箇所かあり間違えやすいのですが、ネット掲載地図のおかげで無事に発見できました。ネットには本当に感謝です。
此処から一気に下りになります。下る途中にもポイントはあり、そこを見ながら沿岸部まで降ります。此処からは登りではなく、商店街の中を歩く事になります。途中昼食をはさんで商店街の中を歩きます。
商店街に入ってすぐの場所です。10円で動きます。現役です。ゆりえ台風で看板が飛ばされた、お寿司屋さんも此処の隣にあります。
さらに商店街の中を進むと、このお稲荷様に遭遇します。
商店街を数箇所周り沿岸部に出ます。
神様御用達の日の出渡船、のモデル福本渡船です。運賃は人なら60円自転車付きで70円です。
船は折り返しのピストン輸送で数分おきに出向します。写真は車とか写ってませんが、毎回結構な車と人で賑わってます。
此処からゆりえ様は家のある向島に渡ってます。
向島側のフェリー乗り場です。こちらには係員の方がいて、此処で料金を支払います。
向島を散策し、もう一度渡船に乗り尾道側に帰り海岸を歩きます。
渡船乗り場から東側に移動すると、このベンチです。本当は渡船に乗る前にここには来てますが、人がいて撮影できなかったので、渡船に乗った後にもう一度来ました。
ベンチにはアイスクリーム屋さんの宣伝が書いてあります。私もそこでアイス買ってこのベンチに座って食べました。ソーダ味ではなかったですが・・・
渡船乗り場から、昨日訪問したうずしお橋を渡り、小学校にもう一度向かいます。が、その前に商店街に戻ります。実は、商店街の店舗を借りて、かみちゅ原画展が開催されているのでその会場に向かいます。ネットの地図を掲載しているサイトさんからこの催し物があることが判ったので、見に行くつもりでした。
商店街に戻ってすぐの場所に原画展の会場がありました。入ってみると、店舗の中に原画が飾られております。見ていると途中で何人かの巡礼者の方が実に来てました。最後にポスターとクリアファイルを買って会場を後にします。ポスターは家に帰って早速貼りました。部屋の入り口のドアに張ってます。毎朝神様を拝んで部屋を出ます。
そのうずしお橋から小学校へ移動。昨日撮れなかったアングルの場所を探し何とか見つけ最後の訪問地へ向かいます。唯一駅の西側にあるポイントです。
通称ガウディハウスといわれている建物です。この建物自体もポイントですが、撮影の為に立っているこの道事態もポイントになってます。
ガウディハウスを撮影したところから振り返るとこの写真になります。この階段の道をゆりえ様が駆け抜けてゆきます。
このポイント絡もう1箇所見たところで、天候が悪くなりぽつぽつと雨が降ってきました。傘を持ってきてないので、巡礼を終了し、宿に戻ります。駅前を通るので、ついでに夕食も済ませました。これで2日目は終了です。
全体的に見れば回りたいと思ったポイントはほとんど見ることが出来有意義に過ごせました。それに町の方々から声をかけていただいて親切にいろいろ教えてくださいました。この町の方々の暖かさには本当に感謝してます。
ただしかみちゅ巡礼は観光地から離れた一般住宅の中を歩き回る事が多いですので、巡礼を行いたい方は、マナーを守って巡礼しましょう。後、道がとっても狭いので大人数で巡礼するのは向いてないと思います。出来れば1〜3人ぐらいが丁度いいように思いました。
平成20年8月23日
移動行程 尾道→福山→総社→岡山→茶屋町→宇野→高松→岡山→姫路→名古屋
最終日です。この日は名古屋に帰るだけなのですが、最後の1枚を有意義に使うべく、あちらこちらの路線を周りながら帰る事にしてます。
宿で朝食後尾道駅から隣の福山駅まで移動、そこから井原鉄道(注釈10)に乗る為にしばらく待ちます。井原鉄道総社行きが到着し、乗り込み終点の総社に向かい移動開始です。ゆっくりと移動して総社に到着。此処から吉備線(注釈11)に乗って岡山に向かいます。山陽本線使えば1時間ちょっとで着く所を2時間半かけて岡山に着く予定だったのですが・・・
此処でまた大ポカをかまします。
それは総社駅での事です。井原鉄道の車両を写真取らなきゃと思って終点に近づくころに鞄からデジカメを取り出したのですが、それを車内に忘れてしまいました。列車を降りて5分後に気が付いて井原鉄道の改札まで走って行き改札係の方に聞いたら。デジカメは見つけたけど、先程出発した列車に乗せて隣の清音駅にもって行ったとの事。すぐさまJRで清音駅に移動しカメラを受け取りますが、総社に戻る列車は1時間後。予定の吉備線の列車はすでに出てしまって、次は30分後。清音からの列車を待っていたら、吉備線の列車を2本乗り過ごす事になります。岡山に向かうには吉備線よりの伯備線・山陽本線のほうが速いので、こうなるのは当然です。たった一駅移動するだけなので、仕方なくタクシーを呼んで総社駅まで移動しました。結構な出費でしたが少しでも予定どうりの行動をする為には仕方ありません。
タクシーのって事情を話すと、10分ぐらいで着くと言って裏道使って総社駅まで連れて行ってくれました。
井原鉄道です。タクシー降りて総社駅のホームからの撮影です。この時点ですでに30分以上のロスタイム・・・
でこちらが吉備線の列車です。これに乗りたいが為に苦労しました。
ようやく岡山到着。当然予定からは遅れています。岡山からは宇野線(注釈12)に乗る為に瀬戸大橋線に乗り換え途中の茶屋町まで移動。そこから宇野行きの列車に乗ります。予定の次の列車は連絡が悪く茶屋町で40分以上待たされる事になり、さらに予定から遅れます。本来なら此処ですぐに折り返して岡山に戻るのですが、このとき考えがちょっと変わってきました。
どうせ此処まできたら、瀬戸大橋渡りたいな・・・。などと思い時刻表とにらめっこ。宇高連絡船(注釈13)ではありませんが、フェリーは頻繁に出ているようなので、宇野駅からすぐそばのフェリー乗り場に移動して、高松行のフェリーに乗り込みます。
かつての四国への連絡駅宇野駅です。駅のすぐそばには港があって、高松行きのフェリーが頻繁に出ています。
で、すぐに高松行きのフェリーに乗り込んで、船上の人となります。揺られる事1時間、無事に高松到着です。
高松港のすぐそばに高松駅があります。四国には一度行った事ありますが、港から四国に上陸したのは初めてです。
高松駅から再び鉄乗り。前にも乗ったことありますが、ここからマリンライナー(注釈14)に乗って再び岡山に向かいます。岡山到着後は山陽本線に乗って相生・姫路と移動し、そのまま名古屋まで山陽本線・東海道本線と乗り継ぐ予定でしたが、予定外に高松まで移動したのと予定の列車から遅れたのが影響して名古屋に着くのがかなり遅くなると思ったので、姫路から新幹線に乗り換えて、名古屋まで移動しました。
高松駅に停車中の快速マリンライナーです。18切符で瀬戸大橋渡るにはこれに乗るのが基本です。
名古屋に着いたのは19:00過ぎでした。新幹線使った分予定より少しだけ早く帰る事が出来ました。走行距離から考えれば有意義に18切符は使えたかと思います。予定していた路線は全部乗ることが出来、訪問先も周ることができて久々に放浪を堪能した6日間でした。
TOPOの豆知識
注釈1「特急雷鳥」
大阪⇔金沢間を結ぶ特急である。関西方面からの北陸本線連絡用の特急として活躍中。サンダーバードと言う特急もあり同じ路線を走るが終着駅が違う。
注釈2「越美北線」
福井県内を走る地方交通線である。越前花堂〜九頭竜湖間をさす。基本的に列車は越前花堂のひとつ隣の福井駅発となっている。元々は越美南線(現 長良川鉄道)と繋げて越美線となる予定だったが、九頭竜湖から先の工事がとても難しいのに加え、越美南線が長良川鉄道に移管してしまった為に実現が不可能になってしまった。かつては国鉄バスが未開通路線の代わりとして走っていたがそれもすでに廃止となっており、九頭竜湖駅から先に移動するのはかなり難しい。
注釈3「盲腸線」
終点より先に接続路線が無い行き止まりの路線の事。越美北線や久留里線などがそう。他の鉄道で数分歩けば駅に着くような場合(日光線など)、は厳密には盲腸線と言わない。また、現在の利用者数が多いところも盲腸線と呼ばない場合もある。(体の盲腸のように役に立たない路線じゃないから。)
また越美北線や名松線などのように元々は繋がる予定の路線が建設中止等で、繋がらなくなってしまった場合も厳密には盲腸線と呼ばない。これらは未成線とも言う。
ただ私は終点で同会社の路線に接続してない路線は全部盲腸線と呼んでいる。(日光線も私から見れば盲腸線である。)
盲腸線はその形状より鉄乗りにはとてもつらい路線である。終点まで着いたらすぐさま折り返すか、路線バス等で移動する事になり18切符などが使えない。今回の放浪では、城端線ではバスに宇野線では船に乗り換えたが、大半の路線では駅で待ってすぐ帰りの列車(行きで乗ってきたのと同じ列車。)に乗るのが主である。
注釈4「城端線」
高岡〜城端を結ぶ地方交通線である。砺波平野を縦断するように路線が延びている。平野を走ってゆくので、城端まではほとんど田園風景の中を走ってゆく。終点の城端からは白川郷への路線バスがある。
注釈5「加能越バス」
加能越鉄道(株)が運行する路線バスである。加能越鉄道はその社名の通り鉄道事業も行っていたが、乗客の減少等もあって全ての路線を廃止もしくは譲渡して鉄道事業は廃止している。加賀・能登・越中を結ぶので加能越である。もちろん高速バスや貸切バス事業もやっている。
注釈6「大糸線」
この隠れ家を見に来ている方なら判っているとは思うけど、松本〜糸魚川を結ぶ地方交通線である。路線は全体に大きく分けてJR東日本が管轄の松本〜南小谷とJR西日本が管轄する南小谷〜糸魚川間に分かれる。東日本管轄は電化され特急列車も運行されているが、西日本管轄は非電化で特急列車の運行は無い。また東日本側が田園風景が多い(ただし信濃大町を過ぎると山間部に入る。)のに対し西日本管轄はかなり険しく列車もゆっくりと運行される。
注釈7「可部線」
広島市内の広島〜可部を結ぶ地方交通線である。かつては可部〜三段峡まで路線が延びていたが廃止された。広島〜可部間は電化路線で廃止された可部〜三段峡は非電化路線であった。
廃線となった路線の脇には国鉄の2万キロ標(此処が完成した時に国鉄の路線延長が2万キロになった記念碑)が残されている。
注釈8「芸備線」
広島〜備中神代を結ぶ地方交通線である。途中の三次駅から三江線、塩町から福塩線、備後落合からは木次線、備中神代からは伯備線・姫新線と接続されており、山陽と山陰を結ぶ路線の一つであったが、道路網の整備が進みローカル化が進んでいる。前述した各路線は運行本数がとても少なく、今回の放浪でも出雲行を断念したのはひとえにこの路線の運行本数が少ないからである。
注釈9「福塩線」
福山〜塩町を結ぶ地方交通線である。列車は塩町発ではなく三次発となっている。塩町〜府中間は非電化路線で、府中〜福山間は電化路線である。府中福山間は都市近郊と言うことも有って運行本数もそれなりに多いが、塩町府中間は山間部を走る為本数とてもが少ない。
注釈10「井原鉄道」
岡山県・広島県を始めとする沿線の自治体が出資する第3セクター鉄道会社。神辺〜総社間を運行する。ただし清音〜総社間の一区間だけはJRの伯備線と同じ路線を走る。また神辺発の列車のほかにも福山から直接乗り入れ運行する列車もある。かつては吉備線の延長路線の予定で建設が進んでいたが、国鉄赤字再建の為に工事は凍結、結局国鉄ではなく第3セクターとして運行する事になった路線です。
注釈11「吉備線」
総社〜岡山を結ぶ地方交通線である。途中有名な吉備津神社があるので、観光客としての乗車が結構多いが、非電化路線で単線のために総社から岡山へ移動するには、伯備線から山陽本線を乗った方が速い。
注釈12「宇野線」
岡山〜宇野を結ぶ幹線である。かつては本州から四国へ渡るための宇高連絡船の港として栄えた路線であるが、瀬戸大橋が完成し主な列車は岡山から児島を通り瀬戸大橋を渡って四国へと移動する路線になった。茶屋町〜宇野間は都市間連絡路線として運行されている。宇野駅の前には宇野港があり今でも高松とを結ぶフェリーが運航され、強風などで瀬戸大橋が使用できないときなどの振替輸送路線として活躍する事もある。
注釈13「宇高連絡線」
宇野港〜高松港を結んでいた国鉄運営の航路。かつて国鉄は日本中を結ぶ為に日本の各地に航路での運行も行っていた。有名なのが、本州と九州を結ぶ関門連絡船、本州と北海道を結ぶ青函連絡船、そして本州と四国を結ぶ宇高連絡船などである。ただし現在では関門・青函両トンネル、瀬戸大橋などのトンネルや鉄橋の完成による鉄道網の成立、利用客の減少などもあって廃止となった航路がほとんどで、現在は宮島口〜宮島を結ぶ宮島航路だけが残っている。もちろん18切符で乗船する事ができる。
宇高連絡船は船の内部に鉄道軌道を設置して列車を輸送できる船もあった。また、ホバークラフトが運行された航路としても有名であった。
注釈14「マリンライナー」
瀬戸大橋線(正式名称は本四備讃線)が開通したときに運行されるようになった快速列車。岡山⇔高松を運行する。瀬戸大橋を渡る関係上、強風などで通行制限がかかると、行き先が宇野行になることもある。
今回の豆知識はウィキペディアに頼る所が多かった。さらに詳しいことは各自ウィキペディアを見てください。多分正しいはずだから。