2004年冬の放浪リベンジツアー
目標 鹿児島本線・日豊本線・高千穂鉄道・南阿蘇鉄道・久大本線・豊肥本線に乗る事。あと、できるだけの郵便局めぐりをする事とできれば観光もする。
今回はちょっと画像が多いので、開くのに時間かかるかもしれません。気長に待ってね。
平成16年2月16日
移動行程 自宅→名古屋→博多
毎年ですと、夏に放浪するのですが今年は仕事の関係でお休みがもらえませんでした。何とか2月に連休頂きましたので、最後のチャンスとばかりにまたまた九州方面へ放浪してきました。
前回の九州放浪ではとんでもない勘違いと台風の影響による予定変更で心残りが多かったので、無条件でこちらを放浪する事になりました。
勘違いですが、「前回の2002年夏の放浪」の時点では「日豊本線が第3セクター化される」と思ってましたが、鹿児島本線の方だったんですよね。新幹線開業と同時に八代→西鹿児島(新幹線開業後は鹿児島中央駅に改称)間が「肥薩おれんじ鉄道」に変更になってしまいます。
よく考えればわかることなんですが、当時は全くボケてましたね。お恥ずかしい限りです。
台風によって予定変更になったところは、前の旅行記に書いてありますので、そちらを読んでください。
前置きが長くなりましたが、今回の放浪にはそれなりに計画立てていくことにしました。
今回の旅行でも使用した切符は前回と同じく「周遊券 九州ゾーン切符」です。普通が少ないので、やはりこの切符は重宝します。
まず行き券での移動です。この日はまた前回と同じく「寝台特急さくら・はやぶさ」にての移動です。いつもならB寝台で移動ですが、今回は贅沢にもB寝台個室を利用しました。値段が一緒な上に個室なので鍵までかけれて安心でした。もっと早く利用すればよかったな。
翌日に博多に到着、これで1日目は終了です。
平成16年2月17日
移動行程 博多→熊本→三角→熊本→西鹿児島
ここからが本格的な移動の始まりです。まずは博多から「特急つばめ」(注釈1)に乗って鹿児島まで移動して、鹿児島本線を制覇するのですが、熊本で降ります。そこから三角線に乗り換えて三角に向かいます。
前回の放浪で、三角に寄って記念に地元の郵便局に貯金をしたのですが、通帳に印鑑押してもらうの忘れていたのに去年気が付いたので、またそこへ行く事になりました。全くの無駄ですが、ついでなのでちょっと観光でもしようかと思ってます。前回ここを通った時の車窓の風景は結構綺麗でしたので。
三角に到着し早速郵便局まで移動して印鑑押してもらい近くの郵便局を聞く。近くにあるのだが、歩くとそうとう時間がかかるらしい。バスも無いようだし、タクシーに乗ろうか迷っていると、男の人が声をかけてきた。
タクシードライバーだそうで、車(もちろんタクシー)で、郵便局と近くの観光場所を案内してくれると言うので、次の列車の発射時間まで案内してもらいました。
まずは目的の郵便局へそこで貯金してから、郵便局の前にある三角西港公園に連れて行ってくれました。

三角西港の石作りの水路です。運転手さんの説明では、明治の頃に作られてから、そのままの状態で現在まで変わらず使用されているそうです。
橋の上に写っている車が、今回説明してくれた運転手さんのタクシーです。
こんな感じで、石作りの岸壁がずっと続いています。開港当時の三角西港(当時の三角港)は日本3大港に数えられ、かなり賑やかだった様です。
その後、新三角港(現在の三角港)の開港や、福岡方面の港の活性化に伴いその役目を終えることになりましたが、開港当時の雰囲気町並みを現在まで残し今は公園として多くの観光客を迎えています。
写真では写ってませんが、この写真の反対側には天草へ続く橋が架かってます。運転手さんの話ではこの橋を渡る景色がまたいいのだそうです。今度はそっちも行ってみたいね。
三角港公園の中に残っている建物「浦島屋」です。
手前には「国指定重要文化財 三角西港」の石碑が建ってます。
この浦島屋以外にもこの公園内には多くの歴史的建物が残ってます。
予定の列車の発射時刻が近づいてきたので、駅に戻って近くの食堂で昼食。食堂のおかみさんが、おまけに蜜柑くれました。甘くておいしかったです。こういう親切を受けると、旅行してよかったなと心から思います。
予定通り列車が来たので、それに乗ってまた三角線を戻ります。
三角線の、赤瀬〜網田間の車窓の風景です。島原湾の干潟が一望できます。前に三角線を見に来たときにここの写真撮るの忘れていたので、今度はきちんと撮ろうと思ってカメラ構えて待ってました。
きちんと撮れてよかった。
無事熊本まで戻って今度は熊本市内をまわります。前回は熊本城見てきましたので、今度は16:00ごろまで、市内の郵便局回りしてました。あまり時間が無いから2局程度しかまわれませんでしたが、市電乗ってのんびりと市内を巡ってました。
16:20分発の「つばめ号」に乗って西鹿児島に向かいます。今日の予定はここまでです。最後に鹿児島本線を全線乗ることが出来ました。八代から先には、所々で九州新幹線の軌道が見えてました。このページがアップされている頃には、「もう新つばめ号がこの軌道上を走っているのだろう。」と思うと、なんか嬉しい様な寂しいようなそんな気持ちでした。(新幹線が走ると言う事は、今乗っている路線は第3セクター化されるということだもんね。)
18:53西鹿児島駅に到着。前回訪問した時とは駅前は大分変わってました。駅舎とかは同じですが、新幹線用の新しい駅ビルが建設されているし、駅前広場も工事中で様変わりの途中でした。
駅を出てホテルへ向かって、今日の行程は終了です。
平成16年2月18日
移動行程 西鹿児島→熊本→肥後大津→立野→高森→立野→宮地→豊後竹田→大分
2日目です。昨日までは前回の旅行の忘れ物を撮ってきただけです。今日からまだ見たこと無い地へと向かいます。
今日の目標は、「豊肥本線」(注釈2)「南阿蘇鉄道」(注釈3)全線制覇です。計画の段階では、南阿蘇鉄道の終点地からバスに乗り換えて、高千穂高原方面へ出かけるというのも一興だったのですが、この路線のバスはもう無い様なので、諦めました。(まだ走っているようでしたら今度乗りに行きます。誰か教えて。)
まずは鹿児島を脱出して熊本に戻ります。なんか熊本に戻ってばかりのような気もしますが、あまり深く考えずにすぐに乗り換え「豊肥本線」の普通列車に乗ってまずは途中の肥後大津に向かいます。
肥後大津からはまた乗り換えて今度は途中の立野駅まで。ここで「南阿蘇鉄道」に乗り換えです。

これが肥後大津まで運んでくれた、豊肥本線の肥後大津行きの列車。
ローカル線なので、ワンマン運転ですが、この日は車掌さんも乗ってました。

で、こっちが南阿蘇鉄道の列車です。こちらは完全ワンマン化されてましたね。結構乗客がいたので、びっくりでした。(高森駅にて撮影)

南阿蘇鉄道の車窓からは阿蘇外輪山の山々がずっと見え続けています。時々観光バスが外輪山の道路を走っているのが判ります。
南阿蘇鉄道の終点「高森駅」に到着しました、ここで折り返しなのですが、列車1本乗り過ごして高森の街中を散策します。とりあえず、町の郵便局だけ行ってその後街中を歩いた後駅に戻って駅に隣接していた喫茶店で昼食です。「BAFUNおにぎり」なるものを頂きました。何かと思って聞いたら、おにぎりを焼肉で巻いたものでした。これが結構おいしかったです。
列車の時間が来たので、復路になります。本当ならそのまま立野までまっすぐ戻るのですが、今回は途中の「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」で途中下車。往路でこの駅に着いたとき駅の中に温泉があるとのアナウンスがあった、時間を計算すると余裕があったので、途中下車して入ってみようかと思ったからです。
途中下車した、阿蘇下田城ふれあい温泉駅です。
右手の奥の方に温泉があります。入泉料さえ払えばどなたでも入れます。町民の方だと安く入れるようで、私が利用した時は、町民の方だけでした。
40分ほど温泉につかって、また列車に乗って移動開始です。立野駅まで戻って、またそこから豊肥本線に乗り換えて大分方面に向かいます。今度は南阿蘇鉄道と反対側に阿蘇山を望みながら、列車は宮地駅に向かいます。
宮地駅について今度は豊後竹田行きの列車に乗り換え、更に大分方面へ。
で、また寄り道します。豊後竹田駅に到着すると駅のホームに「荒城の月」が流れてます。何故荒城の月なのか考える・・・ふと思いだす。そういえば荒城の月は九州にある城跡で歌われた歌だって事。
ひょっとするとここ?
じゃあ降りて見学しなきゃ。時刻表見ると予定の列車の1本後の特急に乗って帰れば間に合うので、駅を降りて市内見学に切り替えました。
滝廉太郎縁の地とだけあって、市内には色々と観光スポットがありました。
滝廉太郎記念館前の石碑です。「記念館」ってあるのに中は見学できずでした。民家があるのですが、表札も有るし人が住んでいそうなので、とてもではありませんが入る勇気がありませんでした。(時間も遅かったですしね。)
滝廉太郎記念館のすぐそばにある錬太郎トンネルです。中に入って歩くと彼の作曲した曲が流れてきます。
観光案内を見ると、荒城の月のモデルとなった岡城址があるのですが、そこまでいけるところまで歩いてみようと思って、この後岡城址の方へと歩いてみました。
しばらく歩くと目の前に神社が見えてきました。何神社かなと思って近寄ってみると、そこには「広瀬神社」と書かれ銅像があります。
廣瀬神社・・・ここにあったのか。知り合いから話には聞いていたのですが、詳しい場所は知らなかったので、見つけたときはびっくりして早速参拝に向かいました。
本当は写真も撮影しているのですが、なぜかサーバが受け付けないので、文字だけです。ごめんなさい。
予定の列車の到着時間が近づいたので、大急ぎで駅に戻ります。
何とか間に合いました。特急「阿蘇」(注釈4)に乗って最終目標の大分に向かいます。
無事に大分に到着。そのままホテルに向かって今日の日程は終了しました。予定以外の寄り道が多かったのですが、どれも充実した1日になりました。
平成16年2月18日
移動行程 大分→延岡→高千穂→延岡
この日は移動は少ないです。メインの目的は高千穂高原鉄道に乗ることと、高千穂の町を散策をするということです。つまり高千穂に集中した1日です。
まずは高千穂鉄道の始発駅延岡に向かいます。大分より「にちりん」に乗って延岡に向かいます。前回の旅行では、この路線が台風で乗れなかったので、今回でようやく日豊本線も全線乗ることが出来ました。
延岡駅に着きここで高千穂高原鉄道に乗ります。

高千穂高原鉄道の列車です。
観光シーズンになるとトロッコ列車も運行しますよ。シーズンオフなのが悔しい。
ゆっくりと列車は走り出します。最初の方は街中を走ってますが、山の方に進むにつれて、いやもう絶景。素晴らしい景色が眼下に広がります。

こんな感じ。(写真は、天岩戸駅の近くにある高千穂橋からの景色です。)向こう側に見える橋は、国道218号の雲海橋です。
お昼ごろに列車は高千穂に到着。この後はここ高千穂をゆっくり回る予定です。旅行前に事前にネットで調べていたので、行きたいところいっぱいです。ただし時間制限もあるから、どれだけ回れるか不安でした。
とりあえず食事しようと思って駅近くの食堂入って昼食です。食堂の店員さんに郵便局の場所とバスセンターの事聞いていたら、なんでも定期観光バスがあってそれに乗れば、主な観光場所を回ってくれるとの事。なるほどそれなら効率よく回れる。
と言う事で、昼食後郵便局経由でバスセンターへ。
バスセンターに入って、受付の人に観光バスについて質問すると、ちょうどこの後出発との事。更にガイドも付いて神社では神主さんが案内してくれる。これは便利だ。値段も1660円とお手ごろ。で、早速申し込み出発を待つ。チケットには1番のところに印が。
? 1番?出発までもう10分も無いのに、私が最初?
バスが到着して乗り込むと、乗客は私一人。たった一人で観光バスに乗ってガイドさんと運転手さんそれぞれ1名づつ付いて高千穂観光に出発です。
それでもさすがプロ、ガイドさんしっかりとガイド口調でガイド始めました。バスに乗っている間に、パンフレットに載っていた民謡も3曲も歌ってくれました。もちろん聞いてるの私だけ。
この観光バスは、雲海橋→天岩戸神社→一旦バスセンターに戻る→高千穂峡→国見が丘→神楽宿→高千穂神社と回ります。
雲海橋は車窓観光で、最初に降りた目的地は天岩戸神社です。ここでは神主さんが神社内を案内してくれます。その名の通り天岩戸を案内してくれました。(神主さんが案内しないと見れません。一般の参拝でも社務所でお願いすれば案内してくれるそうです。)写真は天岩戸神社の入り口です。この神社は東本宮と西本宮があり西本宮に天岩戸があります。

バスセンターに戻った後最初に訪れた高千穂峡にある玉垂の滝です。ここからガイドさんと二人っきりで、高千穂峡を歩いて観光です。
ガイドさんと色々とおしゃべりしながら楽しく回れました。(仕事の事とか、地域のこととか色々おしゃべりしながら歩いてました。)

高千穂峡です。写真とかで見たことはあるのですが、実物見たの初めてで感動しました。
(もちろんガイドさんがガイドしてくれます。)

しばらく歩いていると高千穂峡に架かる橋の上に来ます。ここの水深は家一軒が簡単に入ってしまうほどの深さだそうです。自然が長年にわたって作った自然の美しさです。

高千穂峡の最後に撮った写真がこの三重橋です。
上から「高千穂大橋」「大橋」「神橋」です(多分)ちゃんとガイドさんに教えてもらったんだけど、ちょっと自信が無い。
この後写真の左の方に写っている売店に行って「カッポ酒」を頂きました。竹に入れて竹を火であぶって暖めたお酒です。竹の香りがしみこんでおいしいお酒でした。(普段は下戸なんですが、三杯も飲んでしまった。)

高千穂峡を後にして、次に向かったのが国見ヶ丘です。
神武天皇の御孫・建磐竜命が、国見(自分の国を見下ろして様子を見る)を行ったと言う伝説の場所です。
高千穂の町が一望できる絶景ポイントです。

国見ヶ丘から高千穂の町を一望します。あいにく曇りの天候ですが、阿蘇外輪山まで綺麗に見えました。

国見ヶ丘の頂上に建立されている国見の様子の像です。こんな感じで見てたのでしょうかね?

国見ヶ丘を後にして次に訪れたのがここ神楽宿です。
高千穂では夜神楽がここで行われます。予約すれば見れるそうですが、今回は夜まで居られないので、見るのは諦めです。

上の写真のすぐ横に立てられている建物に神楽衣装が収められてました。横の立て札に「願い事は一つまで」書かれていたので、一つだけお願いしてきました。
この神楽宿の下には売店があって、「カッポ茶」を頂来ました。「カッポ酒」の元々がお茶らしくって、売店でゆっくりくつろぎながら、お茶してました。
祖のあとちょこっとお土産も買いました。

最後に訪問したのが、ここ高千穂神社です。
写真に写っている本殿の両脇に回廊があってここに鉄製の狛犬(重要文化財)が一対安置されています。

境内には、大きな杉が沢山ありました。これは「秩父杉」といわれ、源頼朝の代理である、畠山重忠が手植えした杉です。(樹齢800年)
ざっとこんな感じで高千穂の町を見て周りました。ガイドさんの解説があるので、一人出回るよりも色々と判ったし、一人観光では決して味わえないオプションもあり充実した観光になりました。
バスセンターに戻る途中、ガイドさんと運転手さんとお話して帰りの事になりました、延岡に宿とってあるのでそこまで戻るのですが、予定ではまた高千穂高原鉄道に乗るつもりでしたが、延岡までバスも走っていて、鉄道とはまた違った景色が見れるとのお話になって、バスに乗って帰ることにしました。
バスセンターでそのままバス待って乗り込みます。
路線バスですが、高千穂から延岡まで下りばかりですので、バスはどんどん飛ばしてゆきます。道もすいてますし、乗客も少ないので予定通り延岡に到着してそのまま宿屋へ直行。
充実した1日でした。
平成16年2月19日
移動行程 延岡→大分→湯布院→博多→南博多→福岡
今度は久大本線に乗るのが目的です。久大本線(注釈5)の途中には、湯布院があります。
どうせ湯布院通過するなら、温泉入らないと損だ。と思って、予定の段階で湯布院にしばらく滞在してから博多に向かう計画を立てました。
まず延岡から大分まで「にちりん」に乗って大分まで移動、そこから久大本線の由布院行きに乗って湯布院へ。で、無事に到着。
さすが湯布院、平日だというのに観光客の多いこと。
駅で観光マップもらって、まずは駅前で昼食。(到着したら、もうお昼なんです。)その後で温泉施設を目指します。
宿泊客でなくても旅館の温泉には入れるらしいのですが、出発の時間は2時間後なので(由布院の後の博多も結構異動しないといけない所が多いので。)、とりあえずマップに書かれていた湯布院町の施設のクアージュ由布院へ向かいます。

由布院駅です。この日も観光客でいっぱい。駅前から観光用の馬車が出ていましたが、時間がないからパスです。
駅の構内には足湯の施設があります。料金は忘れちゃったけど、駅のホームは足湯につかりに来た人でにぎわってました。

湯布院町立の温泉施設「クアージュ湯布院」の外側からの撮影です。
町民とかではなくても利用できます。
中には温泉を使用したプールと内風呂があります。もちろんプールは水着着用です。その後で温泉はいります。
結構立派な施設ですが、私は来たときは地元の人しかいなかったな。
クアージュ由布院でゆっくり温泉浸かって、駅に戻ります。
特急「ゆふ」(注釈6)に乗って一路博多へ。今回の旅行の最後の宿泊地です。が、このまままっすぐに宿屋には向かいません。
博多駅に到着したら、まず新幹線乗り場へ向かいます。ここで切符を買って新幹線乗り場へ。南博多線に乗って南博多駅(注釈7)へ向かいます。この路線は周遊券使えないので切符買って新幹線に乗ります。
ゆっくりと走り新幹線は南博多駅へ。新幹線車庫と言うだけあって新幹線でいっぱい。ある意味すごい。
駅を出て考えます。このまま戻ってもいいのだけど、それではつまらないので、駅前のバス乗り場に向かい適当なバスに乗り込みます。西鉄の駅に向かえば、西鉄から天神駅に向かいそこから地下鉄で帰れますので、バスに乗って移動しようと思ってバスに乗り込みます。
バス・西鉄・地下鉄と乗り継いで博多に到着し宿屋へ向かいました。ホテルに到着してフロントの方に屋台について質問。天神の地図を頂きます。友人が、おいしい屋台があるとの事でその場所を探すためです。最初なかなか見つからなかったのですが、最後は無事に見つかりました。美味しかったです。
平成16年2月20日
移動行程 博多→西戸崎→宇美→篠栗→桂川→原田→博多→名古屋
最終日です。この日はもう帰るだけなのですが、最後に福岡県内の路線を乗ってから帰ろうと思ってました。
全線普通列車でのんびりした移動です。移動したのは上にも書いてあります。終わったら16:00回ってました。結構タイムロスでしたね。(食事しようと思って駅出たら、何もないって所が多くって苦労した。普通の住宅地や休み中の公園とがばかりだったので。)
最初が、西戸崎。ここでご飯食べようと思って駅を出たら何もない・・・電車も折り返しが出ちゃってどうしようもないので、

海ノ中道駅まで歩いてしまいました。ここの公園も休みだった。

次に立ち寄ったのがここ。
途中すれ違いの列車で、緊急事態があってなかなか列車が進まなかった。

で、いったんここまで乗り継いで。

ここまで移動。唯一駅の構内に立ち食いそばがあった。

ここまで戻って、1時間近く次の列車を待ちます。
原田までの路線は列車が極端に少ないんです。
で、原田に戻って、そこから博多へ。博多に着いたらそのまま帰り県ののぞみに乗って、名古屋に戻りました。
今回もいろいろと移動しました。天候もよく、予定の路線は全部乗れましたし、他にもいろいろと観光できたり郵便局回りできて本当に充実した放浪でした。
さて次回はどうしようかな・・・
鉄道の写真あまり撮らなかったな。
TOPOの豆知識
注釈1「特急つばめ」
JR九州が誇る特急列車。このたび開設される九州新幹線の列車の名前も「つばめ」になります。新幹線開業後は、在来線の特急つばめは「リレーつばめ」と名前を変えて、八代⇔博多間を結ぶようになります。
つばめという特急は元々、東京⇔神戸間を結ぶ特急列車でした。昭和5年に運転を開始し始めました。(当時は漢字で「燕」と書かれていた。)その後戦争の激化で運行を中止しましたが戦後にまた復帰しました。その後、東海道新幹線の開通とともに、大阪⇔博多間の特急に変更となりましたが、山陽新幹線の開通とともに廃止となりました。
長いことこの名称は使われてなかったのですが、JR九州が復活させ現在に至ってます。
国鉄のシンボルマークが燕である(現在もJRバスの車体には燕の絵が描かれてます。)ところからも判る様にこの「燕」という名称には大変な格式があるんです。
注釈2「豊肥本線」
単線非電化の路線。本線と書いてあるがローカル線です。熊本大分間を結ぶ。
大正3年から少しづつ路線が延びてゆき全線開通したのは昭和3年です。SL特急「阿蘇ぼーい」が有名ですね。阿蘇外輪山の北側をゆっくりと走ってゆきます。
注釈3「南阿蘇鉄道」
名前のとおり阿蘇外輪山の南側を走ってゆきます。豊肥本線の立野駅から高森駅までを結んでます。季節限定ですがトロッコ列車も運行されてます。
本来の計画では高千穂線(現在の高千穂高原鉄道)と結んで立野⇔延岡間を結ぶ路線と計画されてましたが、高千穂⇔高森間が中止となり赤字のために第3セクター化され現在の路線となり、国鉄「高森線」として運行されました。しかしその後も赤字が続き昭和61年に第3セクター化され現在に至ってます。
乗っていて思ったのですが、やたら長い駅名の駅が多い路線です。
注釈4「特急あそ」
豊肥本線の欄に書いてある「阿蘇ボーイ」とは違う列車なので注意。
熊本⇔大分・別府間を結ぶ。こちらは普通の特急列車です。やはり地方路線が多いので、観光用特急列車が多くこの特急阿蘇もそのひとつです。
阿蘇ボーイもこの阿蘇とまったく同じ路線を走ります。
注釈5「久大本線」
久留米⇔大分間を結ぶ単線非電化路線です。本線ですが、豊肥本線と同じくローカル線です。
元々は大分側から路線の開通が始まり、大湯鉄道から始まり、それから国鉄大湯線として路線が延びてゆき、久留米側の久大線とつながって現在の久大本線になりました。途中由布院という最大の観光地を抱えているだけあって、この路線の列車は多くの乗客がいたのを覚えてます。やはり地方路線が生き残るには観光地は必須なのでしょうか?
注釈6「特急ゆふ」
博多⇔湯布院・大分・別府を結ぶ特急列車。「特急ゆふいんの森」というまったく同じ路線を走る特急もある。
やはり観光用の特急列車で、「あそ」が豊肥本線で、「ゆふ」が久大本線を走るのです。
注釈7「南博多駅」
時刻表を見ていただくと判ります。山陽新幹線の博多駅からまっすぐ伸びている路線が。
これが南博多線です。本当は新幹線車庫へ続く業務用の運行路線なのですが、地元からの要望が多かったらしく、博多から車庫に向かう一部の列車を南博多行きとして運行してます。元々車庫に向かうだけの列車ですので、従来の新幹線のように飛ばしたりはしません。ゆっくりと南博多まで移動します。
駅の隣はそれはもうたくさんの新幹線が止まってます。