2002年夏の放浪(別名、台風突入ツアー)

目標 日豊本線全線制覇・鹿児島県内のJR路線を全部乗る事・高千穂高原鉄道に乗る事・くま川鉄道に乗る事。とまあとにかく鉄道に乗る事が目標。


平成14年8月30日
 移動行程 自宅→名古屋→門司

 さてまたまたやってきました夏の放浪。毎年恒例になりつつあります。ありがたい事に今年の夏休みは8月31日から9月8日までの9日間!!ありがたい事です。

 で、いっそのこと北海道でもぶらぶらしようかとも思ったのですが、その前にまたまたとんでもない話を聞いた。「JR九州が日豊本線のうちの一部を第3セクター化するらしい。」との噂。本当なのかどうかは判らないが、確かにあの路線は赤字が恒常化しているようにも思える。これはマズイまたまた青春18切符が使えなくなりそうだ。早めに乗っておいたほうが良いだろう。と思って、九州はぶらつく事に決定しました。

 で、移動手段を考える。
 いつもなら「青春18切符」で普通電車乗りまくりツアーを考えるのだが、普通電車が極端に少ない。移動が思うようにいかなかった。

 そこで今年の放浪には贅沢にも「周遊券(九州ゾーン券)」(注釈1)を使用しての特急・普通電車の乗りまくりツアーを決行する事とした。

 知り合いの旅行会社に切符の手配をして、更にネットで旅館の手続きのも完了し、東北の時のようなアポ無しツアーとはならなくなり一安心。後は当日を待つだけとなった。

 ゾーン券を使用するには、「行き切符」で入口駅に移動する事が必要なので、休みの前日に「寝台特急さくら・はやぶさ」(注釈2)にて移動を開始。深夜に出発するので仕事が終ってから名古屋駅に移動し電車に乗りこむ。

 乗車してしばらくすると車掌さんが現れて、切符の検札を行なう。そこで恐ろしい一言が飛び出した。

 「台風の影響でひょっとすると広島辺りで電車が止まってしまうかもしれないよ。」がーん!!それでは全てが水の泡ではないか。

 宿はもうきちんと押さえてあるので、何がなんでもそこまでは行かなければならない、でないとキャンセル料を取られてしまう。もう不安でしょうがなかった。

 寝台車は順調に進んでいたのだが、広島を過ぎた辺りから、外の風がだんだんと強くなってきた。そしてもうすぐ「小郡駅」に到着するかと言う時に。
 「強風により架線にビニール袋が引っかかり排除作業の為しばらく停車します。。」
 30分待ちぼうけ。

 当然「門司」には、30分以上遅れて到着しました。しかも台風の影響はこれからもっとひどくなって行くのでした。(;_;)

平成14年8月31日
 移動行程 門司→小倉→大分→延岡

 「門司駅」につきました。ここからは周遊券で移動開始です。周遊券の良い所は特急も自由席なら乗り放題というところです。しかしながら九州方面の特急のほとんどは、「博多発」もしくは「小倉発」となってます。そこで小倉まで普通電車で移動して小倉から特急に乗って移動と言う行程を考えてましたが、
 台風の影響で普通電車がなかなか来ない。「門司港行き」は運休と言うありさま。30分以上まってようやく小倉へ。さあ特急乗り換えだ。と思っても今度は大分行きの特急がまたまた遅れる。40分以上遅れているそうです。博多発の特急は2種類あります。「特急ソニック」と「にちりん」(注釈3)です。予定ではとりあえず「ソニック」で大分へそこから「にちりん」で延岡まで移動しようと言う計画を立ててました。

 最初に乗ろうと思った特急は40分遅れ。強風の中ひたすら待ちます。案内聞いていると小倉発の特急が先に発車するとの事なので、とにかくそれ乗っていけるところまで行こうと思い乗りこみました。

 特急なので必ず検札を受けますがそこで車掌さんに大分から先の状況を聞きましたら、大分から先は台風の影響で運休だそうです。つまりこの後乗ろうと思った特急も大分で運休だそうです。

 旅館は延岡だからどうにかしてそこまで行かなきゃならないのに!!どうしよう?
仕方ないので大分で降りてそこで状況を聞く事にしました。

 駅に到着し改札を済ませて駅員さんに「延岡まで行きたいんですけど。」と聞いてみると。
 「電車は止まってしまって何時復旧するかわかりませんので、バスに乗ってください。延岡行きの急行バスがありますから。」と言われて時刻表をもらいました。
 助かった〜〜〜!!なんとかなりそうだ。切符が使えないというのがちょっと悔しいけど、移動出来ないよりかはまし。出発も1時間ちょっとで出発だった。危なかった。もし小倉で予定の特急を待っていたらと思うと冷や汗物でした。
 当然「日豊本線全線制覇」は水の泡と消えたのでした。

 大分駅からちょっと離れた所にあるバスの停留場からバスに乗りこみます。雨と風が強い中バスは延岡目指して出発しました。なんとなく外を眺めていると、バスの停留所で気になる地名が耳に入ってきました。「土々呂入口」という停留所を通過したのです。そうかここだったのか・・・九州と言う事はわかってたけど具体的には知らなかったので、ある意味ありがたかったです。どうせまた電車に乗りに来ないと行けないので、今度はここにも行ってみようかと思います。

 なんとか延岡までたどり着きました。予定ではここから高千穂高原鉄道(注釈4)に乗る予定だったのですが・・・
 こっちも台風で全面運休でした。
 どうしようもなかったので、諦めて宿屋に移動して今日は終わりました。高千穂高原鉄道に乗る夢も見事に砕けました。

 写真なんて撮る余裕ありませんでした・・・


平成14年9月1日
 移動行程 延岡→宮崎空港→日吉→志布志→宮崎→西鹿児島

 台風も通過してここからは予定どうりの移動が可能となりました。

 この日の予定は、西鹿児島に移動する事ですが、そのついでに「宮崎空港線」と「日南線」(注釈5)に乗っておく事です。日豊本線には宮崎空港までの「宮崎空港線」が新たに出来てます。また鹿児島県の志布志町まで延びている「日南線」が宮崎から延びてますので鹿児島県内路線を制覇するには当然乗っておかねばならないと思ったからです。

 延岡駅からは「宮崎空港駅」まで結構電車が走ってますので楽に移動できました。用も無いのに空港ビルに入って朝食食べてすぐさま折り返しの電車乗って「日吉駅」に移動します。路線図を見ていただくと判ると思いますが、ここから「志布志」へと路線が延びてます。

 小さな無人駅の「日吉駅」で15分ほど待って「志布志」へと移動します。

 「志布志駅」まで約2時間半のんびりとした普通列車の旅です。結構乗客が多かったのが印象的でした。

 「志布志駅」に着きましたが特にする事も無く折り返しの電車がすぐに出発するので、駅の近くで昼食を取ってすぐさま電車に乗って「宮崎」まで折り返しです。

 「宮崎駅」から先、「西鹿児島駅」までは、普通電車で移動すると到着が21:00過ぎてしまうので、周遊券の強みを利用して「特急きりしま」(注釈6)に乗って移動となりました。

 西鹿児島まで後少しというところで、車窓には綺麗な「桜島」が映ってました。あと、通過してしまったのですが、「プロジェクトX」でも紹介されていた「竜ヶ水駅」も見ました。ああここがあの現場なんだ。これは確かに立ち往生してしまうだろうな。と思いつつ外を眺めていました。

 電車も無事に西鹿児島に到着し、宿屋に向かい今日の日程は終了しました。

平成14年9月2日
 移動行程 西鹿児島→枕崎→西鹿児島→都城→吉松→隼人→西鹿児島

 鹿児島県内の路線は、全部で6つあります。そのうち「日南線」「日豊本線」は乗りました、後4つです。この日の予定はそのうち2つを乗る予定です。
 最初に乗ろうと思ったのは「指宿枕崎線」です。その後で「吉都線」「薩肥線」(注釈7)の南部に乗る予定です。最大の問題は「指宿枕崎線」と「薩肥線」の「吉松」〜「人吉」間です。とにかく電車が無い。「指宿枕崎線」に乗るために朝の5:00発の電車に乗る事になってしまいました。起きれ無いと思ったのですが、そこは根性出して間に合いました。
 まだ暗い西鹿児島駅で待っていると汽車がやってきました。

 まずは「指宿」まで移動して、そこから「枕崎」に向かいます。途中「青島駅」を過ぎ「内海駅」を出ると目の前に見事な海岸線が出現します。
 「鬼の洗濯板」といわれている海岸線とそっくりです。「鬼の洗濯板」は確か青島に有るはず。この辺も似たような地層なのでしょう。写真に撮ったのですが・・・
 残念な事にデジカメの操作間違えて消してしまいました。本当は前日の宮崎空港とか色々写真撮ってるのだけど、全部消えてしまった。

 新たに撮り出したのがここから先なので、これからは写真も掲載しようかと思います。

最初に撮りなおしたのが、この写真。「薩摩富士」と言われている開聞岳です。
本当はもっと近くまで移動するのですが、電車の車窓カラの撮影なので上手く撮れてません。この写真は、帰りに撮影してますので、枕崎駅の写真は無いのです。

枕崎まで移動するのに2時間30分。学生さんとかが沢山乗ってました。

 枕崎駅に到着しましたが、電車は10分程度しか止まってないので、泣く泣く駅の売店で朝食のサンドイッチだけ買って折り返しです。

 

さて、西鹿児島に帰ってきたので、今度は「都城」に移動です。ここから「吉都線」に乗ります。
 また「日豊本線」乗ったので、車窓からの桜島も写真に収めました。














車窓からの桜島です。白く噴煙が上がってます。

 特急乗って移動しているので、早く都城に到着しました。ここで、いったん降りて街中に移動して近くの郵便局へ移動します。
 一応平日の移動の時は、降りた先で貯金してここへ来たという後を残してますので。
 近くの郵便局で貯金した後、「吉都線」の列車に乗ります。

 えびの高原をゆっくりと走って行きます。結構トンネルとかが少ないのが印象的でしたね。










吉都線の列車です。今回乗ったローカル線はほとんどこのタイプの列車でした。

「吉松駅」に到着しました。ここで今度は「肥薩線」に乗りかえるために「隼人」行きの列車を待ちますが、40分待ちです。というわけで、郵便局を探してここでも貯金しておく事にしました。

 隼人行きの列車が着ましたので、それに乗りこんで、隼人→鹿児島と移動しました。ここからわざと鹿児島市営電鉄(路面電車)に乗って西鹿児島駅に向かい、宿屋に帰りました。
 さて、宿屋に戻ったのが16:30頃でした。せっかく鹿児島に来たのになにも観光してません。列車に乗れればいいのでそれでもいいのですが、せっかく時間も余っているので、桜島でも見に行こうと思って、デジカメ片手に桜島まで出かけてきました。ただ途中で真っ暗になってしまったのであまり写真も撮れませんでした。











桜島フェリーです。なんと24時間就航しています。このときは約10分おきに出航していました。運賃も人だけなら150円ととっても安かったです。











船の上からの桜島です。もう夕暮れなので、暗くなってます。一番上の赤い物は、フェリーに付いている電球です。間違えて入っちゃいました。










これが桜島の溶岩です。本当は自然溶岩地帯の写真も撮ったのですが、辺りが暗くって綺麗な写真が撮れませんでした。これは駐車場の入口に物ですが、近くで撮れたので唯一綺麗に撮れた写真です。













桜島からの帰りに乗った鹿児島市営電鉄です。やっぱ市電は良いね。この後訪問した熊本にも市電はあります。

平成14年9月3日
 移動行程 西鹿児島→隼人→吉松→人吉→湯前→人吉→熊本

 この日の予定は「肥薩線」に乗る予定です。これだけで今日の予定は潰れます。何故なら、「吉松〜人吉」間は、1日に動く列車の数はわずかに4本。乗ろうと思うのにかなりの計画が無いと駄目になります。

 予定はきちんと立ててたんだけど、朝寝坊してしまって電車を1本乗り過ごす!きちんと起きるつもりだったのにホテルの目覚し時計がきちんと鳴らなかった!!

 慌てて駅に移動するも電車はすでに出ていってしまった後。急きょ計画を変更し後続の電車で移動できるよう計画を練り直す。

 「隼人」へ移動し、ここから「吉松」へ。ここで本来なら15分ほどで上手く乗り換え出来る予定だったのですが、見事に乗り遅れて次の電車は2時間後。はあ・・・駅で暇潰してました。

暇だったので、吉松駅の周りをぶらぶらしてました。暑い中街中を歩きまわったので、駅に帰って来た時には汗でびっしょりでした。












吉松駅の側にあったSLの胴体保存です。かつて吉松駅は汽車の機関区になってたときがあり、昔の賑やかさがしのばれます。

2時間待ってようやく列車が到着しました。中に乗り出発を待ってますと、運転手の方が、「吉松〜人吉」の観光ガイドを配ってくださいました。
 開設の歴史から見所など細かく書いてありました。

 出発の時間になり列車がどんどん山を昇って行きます。さすが30‰の急斜面。物凄い登りです。

 途中2度のスイッチバックに1つのループがあり、その都度、運転手さんが解説してくださいました。

 途中からは下りになりますが、急斜面を下るのでまるでジェットコースターです。崖から落っこちるんではないかと恐怖でした。

 吉松〜人吉間を走った列車です。「しんぺい号」と書かれていました。中の座席の一部が茣蓙じきになっていてあぐらをかいてのんびりと見ながら移動しました。

 「人吉駅」に付きました。ここから「くま川鉄道」(注釈8)に乗り換えます。
 すぐに出発なので、列車に乗って終点の「湯川駅」に向かいます。

 学生さんたちと一緒にのんびりと揺られながら球磨川の横を走って行きます。「湯川駅」に着きましており返しの列車が発車するまでの間、「湯川」の駅周辺を散策します。

 郵便局も見つけ、駅近くの物産会場を見た後、またまた「人吉」に向かって列車に乗ります。

 「人吉」に着いて昼食。その後「急行くまがわ」(注釈9)に乗って熊本駅に向かい、この日の行程を終了しました。

平成14年9月4日
 移動行程 熊本→三角→熊本→小倉→名古屋

最後の日になりました。今日は帰るだけです。予定も早く名古屋に帰って寝ようと思って、なにも入れてないのが実情です。そこで午前中に熊本市内の観光をして、午後に「三角線」(注釈10)に乗って帰る事にしました。

 と言うわけで早速熊本城に移動します。熊本駅から熊本市電に乗って熊本城前に移動します。入口で入場券を買って入ろうとしますと、入口の所に無料でガイドさんが案内してくれるとの看板がありましたので、頼んで案内してもらいました。

本三大名城の「熊本城」です。本物は西南戦争の際に焼けてしまっているので、これは復元です。

 三大名城となったのは、江戸時代の事だそうで、美しさよりもいかに防御しやすいかなどの城本来の機能が果たせてるかが、名城となった理由だそうです。

 西南戦争の際も迫ってくる薩摩軍を相手に50日あまりも篭城して見事守り抜いたという名実共にまさに名城だったようです。


ガイドさんに一通り案内してもらってから、一人で見て回りました。ただ現在は、大規模な修復工事が行なわれていまして、一部立ち入り禁止の部分とかがあったり、していたのがちょっと残念でした。
















天守閣からの風景。下に見える水色の部分が、現在発掘して復元している部分です。数年後にはここに地下通路と、武家屋敷が復元するそうです。









熊本城は別名「銀杏城」とも言われてるそうです。その由来となったのがこの銀杏の樹だそうです。
 加藤清正自身で植えたらしくて、伝説では天守閣と同じ高さまであったと、言われてたそうですが、実際はそこまでは無かったらしいです。













熊本場内に残されている昔の石段だそうです。火災に合った時に高温にさらされているので、石が割れてしまっている所があるそうです。(私も確認できました。)













西南戦争の際の火災で唯一焼け残った宇土櫓です。戦前戦後に2度の改修工事を受けて現在に至ってます。熊本城には本来これ以外にも多くの櫓が合ったのですが、ほとんどが焼けて、現在いくつかが復旧作業中です。


 熊本城見物を終了して、今度は最後の鉄道旅行の「三角線」に乗るために、「熊本駅」に向かいます。
三角線は熊本駅より直通列車が出ているので、それに乗って三角へ移動します。ここで最後の貯金をしてそのまま熊本駅に戻り、特急に乗って「小倉」まで移動します。

 周遊券の出口駅が「小倉」なので「小倉」まで移動して、そこから「のぞみ」にのって名古屋へ帰る事になりました。

 振り返って見ると。高千穂鉄道には乗れず、鹿児島県内の全路線にも乗れず、日豊本線全線にも乗れずと、その目的は達成してないです。乗れなかった路線は今後の課題と言う事で、近いうちに制覇しに行きたいです。

TOPOの豆知識

注釈1 「周遊券」
 ゾーン券とも言う。JR各社が決めたゾーン以内であれば、有効期限内で特急列車の自由席・普通列車・JRバスに乗り放題になる切符。ただし、各ゾーンには入口・出口駅が定められておりこの駅までの「行き券」「帰り券」が必要でありこれらがセットになって始めて有効となる切符。以前の周遊券の方が便利だったとの声も聞こえる。

注釈2 「寝台特急さくら・はやぶさ」
 言わずと知れた寝台特急の代表格の列車。「さくら」は東京〜長崎間を結ぶ。「はやぶさ」は東京〜熊本を結ぶ。元々はそれぞれ独立して運行されていた。「さくら号」は東京〜長崎と東京〜佐世保の2種類を結んでいたのだが・・・
 やはり需要が少なくなったのだろう寝台特急もどんどんリストラされてしまっている。かつては「1番列車」の栄光も持っていた列車だったのに。(現在の1番列車は「富士」)

 ちなみにわたしは「さくら号」には幼稚園の頃から乗っているので、とっても愛着がある。

注釈3 特急「ソニック」「にちりん」
 JR九州が運行する特急列車。日豊本線を走っている。「ソニック」は博多〜大分を結び、「にちりん」は博多〜宮崎・宮崎空港を結んでいる。「ソニック」は最近になって登場した特急である。この辺は「ひゅうが」・「きりしま」と同じである。
 「にちりん」は昔から運行されており、昔は博多〜西鹿児島を結んでいた。
 やはりリストラされてしまったのだろう運行区間が短くなってしまった。

注釈4 高千穂高原鉄道
 旧国鉄高千穂線が赤字廃線となって第3セクターとして運行開始した鉄道会社。延岡〜高千穂を結んでいる。

注釈5 宮崎空港線・日南線
 宮崎空港線は宮崎空港までのアクセスとして最近開設された路線。特急列車も数多く止まり大変便利になっている。単線だが電化されているので、結構早い。
 日南線は南宮崎〜志布志を結んでいる単線非電化のローカル線。開業は大正12年。民間鉄道会社からのスタートでした。現在の形になったのは昭和38年ごろの事です。

注釈6 特急きりしま
 JR九州が運行する特急列車。宮崎〜西鹿児島を結んでいる。1995年から運行された。にちりんが縮小されたのでその代用と思えば良いのかもしれない。ちなみに「特急ひゅうが」と全く同じ列車を利用している。
 この車両、どこかで見たこと有るなと思ってたら、車内の扉の所に「ハウステンボス」と書かれていた。かつては特急「ハウステンボス」だったのね。

注釈7 「指宿枕崎線」「吉都線」「肥薩線」
 「指宿枕崎線」は西鹿児島〜枕崎を結ぶ単線非電化路線。日本で一番南と西の端を走る路線。最初の開通は昭和5年。だんだん延長して行き現在の路線になったのは昭和38年です。途中の山川駅まではかなりの本数が走ってますが、山川から先は列車の数が急に激減します。今回の旅行でも本当に苦労した路線の一つです。

 「吉都線」は延岡〜吉松を結ぶ単線非電化のローカル線。「えびの高原線」という愛称もつけられてます。大正元年解説と歴史も古く。かつては日豊本線の一部としても使われていた。終点の吉松駅はかつての機関区もありかなり賑やかだったのですが、現在はさびしくなってます。

 「肥薩線」は隼人〜八代を結ぶ単線非電化のローカル線。明治29年に最初の路線が開通し、明治42年になって完成したというとっても歴史のある路線。特に吉松〜人吉間の勾配は大変急であり、当時のSLが登れる限界の30‰(1000m走って30m登る)になるように2箇所のスイッチバックと1箇所のループを使用している。途中の眺めは「日本一の車窓」と言ってるだけあって、大変長めがいい所です。電車が少ないのが欠点ですが、是非一度観光で乗ってもらいたいと思います。

注釈8 くま川鉄道
 旧国鉄「湯前線」が赤字廃線により発足した第3セクター鉄道会社。単線非電化路線。人吉〜湯前を結ぶ。大正13年開通と歴史も古くかつては貨物輸送も盛んらったらしい。
 終点の湯前駅には「マンガ博物館」も合ったので、見学もしたかったのですが、さすがに時間がなくて出来ませんでした。またゆっくりと見に行きたいです。
 くま川鉄道というように球磨川の横を走っている路線です。

注釈9 急行くまがわ
 熊本〜人吉間を結ぶ急行列車。非電化路線を結ぶので当然ディーゼル車である。ブルーの車体が美しい。
 この路線は球磨川の真横を走っているので、車窓からの眺めは綺麗です。

注釈10 三角線
 宇土〜三角を結ぶ単線非電化路線。開業は明治32年と歴史は古い。当時、終点の三角駅は特別輸出港があり国策として重要視されていた路線です。現在の三角は、天草・島原方面のフェリー乗り場として活躍しています。

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