団員のひとりごと 第14回

小生の趣味の一つに、日本語と英語の共通語の研究がある。Soと「そう」は数少ない真の意味での日英共通語である。そして、これだけだと思っている人が多いのには実は驚いている。確かに、種子島にオランダ人が来るまで欧米との交流はなかったわけだから、日本語に英語が入っているわけはないと思うのは道理である。文字は全く異なるし、発音の多くは共通性を感じない。「あ」は日本語では一つであるが、英語では4種類ある。また、リズムも日本語の2拍子に対して、英語は3拍子である。

しかし、しかし、である。言葉は本質的に発音であるからし
て、発音がほとんど同じであれば、語源が同じである可能性は高い。例えば、富山県の海岸沿いの町では、女性も、自分のことを「わし」と言う。小生は目の前の可憐な女性が「わし、知らんがやっちゃ」と、の給うた時には、大変な土地に来たと思ったが、この、「わし」は中国語の「我是」[wo shi]であるのであろう。和歌の枕詞で、よく使われる「たらちねの(母)」の「ちね」は韓国語の「ちょね」(母乳が垂れる)からきているという。かくのごとく、日本語には多くの外国語が影を落としており、英語も意外な形で、日本語に同化しているのである。ここに二三の例をあげてみよう。

@    男と女

「男」と「女」は無論一対の“もの”であるが、男と女を「多くの違いをもつ同じ動物」と考えるか、「多くの
共通点を持つ異種の動物」と考えるかでだいぶ印象が違うようだ。そもそも、、、、おっとっと、今日は日英共通語の話でしたな。、、、、、「男は陽気で、女は陰気」と陰陽の世界では言うようであるが、実生活では、逆であることは庶民の共通の認識と思う。男は、些細なことに思い悩み、そして、自信を失い気が滅入るのある。じゃあ、女は、悩みがないとでも言うの? などと詰め寄らないでくださいよ。女性も悩むのは同じであるが、生来強いので、気が滅入らないのである。男は滅入るが、女は滅入らない。男は滅入る、女は非滅入る。そうです、男はmaleで,女はfemale.

A    ソリに載せる

その昔、山国は貧しかった。春から秋までは、農作物を作る。大部分は年貢として取られてしまうが、それでも作る物があるだけいいのである。そして、厳しい冬がやって来る。高価な鉄砲を持っていて猟が出来る人は、一部の金持ちであり、普通の人は手内職をして、何とか冬を乗り越えようと考える。わらを使って、笠や蓑など民芸品を作り、里の町に下りて売りに行く。売りに行くのは、村で一番力のある若者に決まっていたが、町にだって金が有り余っているわけではない。若者は、村人を落胆させまいと粘るが、結局、多くの物が売れ残ることになった。失意のうちに、後片付けを始めると、いつのまにか里の人たちが集まって来て、彼らもまた、無言で手伝うのである。降りしきる雪の中、売れ残った民芸品を、ソリに載せてやるという光景は、日本の昔でよく見られた風景であるのだ。「買ってやれなくてごめんな」と誰も声に出して言わない。言わなくてもわかるというのが、われわれ日本人なのである。「そりにのせる」ということが「買わなくてすみません」と同じ意味を持っていた。そりにのせる ⇒そりのせる⇒ そりーのーせーる。そうです、“Sorry,no sale“

上記のものは、小生の研究のホンの一部であり、未発表である。是を引用することを希望される言語学者諸兄は、必ず小生の承諾を得てからにして欲しい。そうでないと、あの少年を見たかい?(Do you see the boy?=ずうずうしいぜおい:『我輩は猫である』より)と言われますよ、ハイー。

日英共通語を考える

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担当: チェロ 大塚