団員のひとりごと 第11回

 小生が囲碁を初めてやったのは、高校生の時でバレーの合宿の最中であった。ルールも何にも知らないから、2回ぐらいやったが、囲碁の面白さは到底わかりません。大学生になって、囲碁にハマッた友人の相手を何度かしたが、少しも興味が湧かなかった。最終学年の時に運動も何も出来ず、暇つぶしに囲碁を30局ぐらい打って見て、少し面白さがわかってきた。職場に入り上司で囲碁の好きな人がいて、結構打った。だんだん好きになり、だんだん囲碁の奥深さがわかってきた。「碁を知らなければ、人生の楽しみの半分を捨てている。」などと言えるようになった。この言葉は、小生の発明かと思ったら、先人は皆、同じようなことを言っているし、全く同じ言葉をある小説の中で見たので、普遍性の有るもののようである。

 「碁盤(19×19路)の中は無限の広さを持っている。」 これは、依田名人が言っていたが、他にも、藤沢秀行や坂田栄男など錚々たるプロ棋士が言っているのだから間違い有るまい。それにしても、プロの棋士の頭はどういう構造になっているのだろうか。瞬時に、50手も100手も前の場面を再現したり、20年も前の他人の碁を再現できるのだから恐れ入ってしまう。小生も、プロの高林6段と6面打ちの指導碁をして頂いたが、終わってから、勝負どころを瞬時に再現して見せたねー。恐れ入っちゃうよ。他の人とも5面打っているのに、小生は自分の碁も再生できないのに、それを易々としてしまうのだから、同じ人間とは思えない。そのプロが、碁盤を評して無限の宇宙と言う。小生はこの言葉を聞いて、絶句しました。梶原8段が、ある若手が打った手を見て、ぜんぜん駄目だ、出直して来い!と言ったそうだが、本手との差はたった2〜3目だという。信じられないよ。小生なんか、20〜30目も損する手を平気で打っているよ。ある人曰く、アマは5〜6段でもヘボ。アマ2段の小生は、この言葉に勇気付けられました。プロでも広いと言うのだから、アマの小生なんかは、どう打ってもいいのじゃないかという気になってしまう。でも、勝ちたいという欲が邪魔して、思ったようには自由に打てないのも、また、碁なのである。

 年配の方でも強い人はいくらでもいるもんで、86歳の佐藤さんは、老人ホームから、やって来て、2段の小生に黒(弱いほうが持つ石)を持たせて、しかも勝ってしまうのだから恐れ入ります。石を持った骨と皮の腕がプルプルと震えて、やっと石をポンと盤上に置くのだが、升目(の交点)に正しく置けない。これは視力が衰えているからであり、若輩の小生は、ここで宜しいでしょうかと、石を正しく升目に置きなおすことも、再三である。それが、どうして、小生に勝てるの? ウーン、たぬきめ!と、こう思ってしまうが、本気でやってもやっぱり負けてしまうのです。こういう相手には負けても少しも悔しくない。小生も、年をとったら、若いやつを相手に、プルプルと震える腕でやっとこさ石を置いて、すまんね、盤が良く見えないのでね、とかいって、若手に石を置きなおさせて、しかも勝ってみたい。

 「囲碁のどこが一体不思議なんですか?早く教えてください!」皆様の斯様なリクエストが聞こえる気がします。では、お答えします。 @ 「実利」と「厚み」の価値判断が難しい。実利とは石で囲んだ陣地の升目数(升目の交点数)であり、1,2,3、と数えれば良いから割合理解しやすい。難しいのは「厚み」の価値判断である。厚みとは石の壁のことであり、今は陣地として囲ってないが、将来、そこが陣地になって実利になると言うことである。他のたとえでいうと、初心者がアイネクライネ・ナハトムジークを弾こうと考えた時に、旋律を一つ一つ練習していくのが「実利」、音階/ハイポジションを練習し、指が早く回るように重音の練習をして、それが出来てから、弾こうと考えるのが「厚み」。要するに厚みは、最初その価値が未知数である。それが、将来どのくらいになるのか判断するのが難しいのである。というのは、黒が実利を得れば白は厚みを得る、という具合にどちらかに別れるからであり、両者とも実利、両者とも厚み、と言うことはないのである。そして時には、実利を取ったほうも、厚みを取ったほうも自分が得したと思っていることがある。そういう時には、二人とも上機嫌で碁を打っている。逆に、双方とも損したと思っている時には、お互いに一言も喋らず、眉間にしわ寄せて打っている。碁会所を見回すとあちこちでこんな様子が見られ、とっても面白い光景が広がっている。アレ!碁会所ってところは誤解所なのかい!? A 「勝負が最後まで判らないことがある。」 厚みが陣地になると、後は数えるだけだから、碁を打っている当人は、勝負が判っているだろうと思う人がいるかもしれない。大差の時はそうであるが、10目ぐらいの差では、5番に2番は両者とも勝っていると思い込んでいたり、負けていると思っていることがある。そして、10番に1番くらいは、逆になることがある。打ち終わって、陣地を整理して数える前に、お互い感想を述べる。「ここん所でお宅は損されましたが、これがなければ、私がずーっと悪かったでしょうね」などと勝ったと思っている方が得意気な顔で先に喋りだす。負けたと思っている方は、「そこは、こんな具合に打てばよかったんですかね?」と悔しさを出すまいと考えながら相槌を打つ。そして、陣地の整理を始める。勝ったと思っている方が尚も喋り続けているが、アレレ、敵の陣地も結構有るわいな、と気が付いてくると、口数が減りだす。片や、相手の陣地が意外に少ないなと、気づくと、元気が出てきて喋りだす。そして、結果は反対であったと判明すると、負けたと思っていたほうが、相手に「お悔やみ」を言い出す。こんなことは、他の分野では滅多にないのではないでしょうか? B 男女・老若の差がない。ボケさえなければいつまでも打てる。以下略。

 という具合で、碁会所にいそいそと行って打っています。時には午後2時頃から打って、夕食も食べずに、午後9時ごろまで打ったこともある。大の大人が、小さな盤を挟んで、二人でやっている姿は、まさに「不思議な世界」です。

囲碁!不思議な世界

担当: チェロ 大塚
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