団員のひとりごと 第8回

担当: チェロ 大塚

 「小生が作曲について書くなんてことがあるのかしら? 今、実際に書いているじゃないか。」斯様な気持ちで、この題名を書いています。実際の話、小生は「作曲」という作業からは、能力の点から考えて、遠い存在であります。対極に位置していると言っても過言ではない気がする。音楽に関していえば、小生の能力は、非常に微々たる物で、いつも女房にからかわれています。女房は合唱をやっていますが、その団体を指揮しているのは、テレビにも時々出演する、二期会会員でテナーの大野光彦先生です。いわゆる「本物の音楽」に常々接しているし、女房自身の音楽性も小生より遥かに上です。その女房でさえしない作曲を小生がしようというのですから、驚きなのです。
 
 以前から、歌は何曲か作りましたが、楽譜が出来上がっても、彼女は見ようともしません。まして、歌って見ようなんて考えたこともないようです。今まで作ってみた曲(歌)の題名は、「バレーボール(コンパ用)」、「バレーボール」、「○○病院野球部の歌」、「野球部応援歌」、「みんなのシャッセ」、などです。小生にすら世に出ない歌が数曲あるわけですから、いったいこの世に何曲の歌があるのでしょう?想像もつきません。この世がうめきに満ちているのはこのためなのでしょうか? 無名の歌が一斉に噴出すハーモニーはおぞましい気がします。

 小生は楽譜が読めない部類に入ります。楽譜を見ただけで旋律が頭の中に浮かぶ、ということは決してありません。楽器で弾いてみない限りそれがわからないのです。また、楽譜通りに弾けていないことがシバシバあり、赤面することが多々あります。そういう人間がどうして曲が作れるのか、また、どのように曲を作るのか、と興味をお持ちでしょう。フムフム。実は小生も自分自身に興味を持ちます。不思議ですから。オリンピックに時々場違いの選手が出ていますよね。受け狙いのような。あれを見ているような心持になります。飲み会の2次会などで、自作の歌を歌ってみますが、誉められたことは一度も有りません。「今の何?」という怪訝な顔をされます。しかし、出来は悪くても、自分の曲というのは愛着があっていいものです。本屋に行くと作曲の方法についての本が何冊も有って驚きます。立ち読みしてみますが、全くピンと来ません。たぶん著者の方たちは、楽譜を見ただけで曲がわかり、頭に浮かんだ旋律を楽器使わずに写譜できる人たちなのでしょう。私は言いたい、楽器を使わなければ音符にならない人達にも曲を作る権利がある!!、と。

 小生がどのように曲(と言っても単旋律の歌ですが)を作っているか、分析してみました。「バレーボールの歌」の場合を書きます。まず、取り敢えず、「バレーボールの歌がないな」と飲み会のたびに寂しく思いました。そこで作ってみようと思い立つわけです。すぐメロデイーは浮かびません。バレーボールをしていて一番印象深いシーンを思い浮かべながら、旋律を模索します。負ければ是が最後という試合の場面、白いボールがスローモーションで天井の照明の中を上がっていく。18枚張りのボールが、やがて、茶色のコートを目指して、自分たちがぼんやりと映る中を落ちていく。物悲しくも力強い旋律で、高い音から低い音に向けてと、念じながら車の運転中(一人だし、どんな声を出しても安全な場所ですから)モゴモゴやっていると、だんだんメロデイーらしきものが出来てきます。

 この過程をゆっくり考えてみると、「場面」をメロデイーに変換しようとしています。旋律が気に食わなければ、「別の場面」を思い浮かべてメロデイーを練る訳です。例えばベートーベンの田園を聴くと情景が浮かびますが、その逆をやっているわけです。次に、これが既存の曲でないことを確認する必要があります。結構、何かの練習曲の旋律であったりすることがあるので、ゆっくりと繰り返して試します。この過程に最低3か月ほど要します。このくらい掛ければ、メロデイーを楽器に載せている最中に旋律が変わったり、跡形もなくなってしまうということが避けられると思います。取り敢えず、楽譜に移しておいて、半年から1年してから、歌い直して見て、自分が耐えられるならば初めて自分の曲として認めるということになり、一人喜びます。

 現在、楽器紹介の曲(仮題)を作っている最中です。弦楽四重奏ですから各パートを一人づつ紹介するというものです。楽譜にするのに1年かかりました。しかし、悲しいかな、単旋律しか思い浮かばないので、これを四重奏にすることがまことに難しい。当楽団の他のメンバーにだいぶ直していただいたわけですが、まだまだ自分のイメージと異なるので、校正中です。自分のイメージ通りの曲が出来たらすばらしいな、と思いつつ過ごしています。

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