団員のひとりごと 第2回

担当 : チェロ 大塚

砲丸投げ

音楽に関係ない話で恐縮ですが、たまには斯様な話も面白いのではないでしょうか。砲丸投げは、中学生の時、体育の授業でやっただけで、その時にも、まともな「お手本」の投げ方などないものでした。

7年前(38歳)、市民運動会の年代別砲丸投げの、地区代表になってくれとの依頼がありました。たぶん体格を見ただけの決定だったと思います。面白そうなのでやってみようということになりました。投げ方もルールも何にも知らないので、まず、本屋に行きました。ところが、砲丸投げの本などありません。陸上競技の本の中に3頁、書いてあるだけで、具体的なイメージは湧きませんでした。では、ということで、オリンピックの男子砲丸投げを見たら、くるくる回るやつで、2〜3回真似してみたら、目が回って、とても駄目でした。女子の方は、後ろ向きから180度グルリと前を向いて、投げるやつだったので、これはできそうということでやって見ました。ところが、これも難しい。

砲丸は、高校男子用のもので、5.4kgですが、是を持つと重心がずれます。で、回転する時に、エネルギーを使い果たして、残りカスで投げるものだから、ピョコンとしか飛びません。「その場投げ」で投げるのと距離がほとんど同じでした。そこで、半身の姿勢からside stepして、えいやっと投げる一番シンプルなやつで投げることに決めました。(本番では、代表7選手の内、6人までが、この方法でした。一人だけ、3/4回転(270度)方式で、ほかの競技者から感動のため息が出ました。)

ところで、砲丸投げの競技そのものは、非常に地味で、オーケストラでいえば、シロホンのようなもので、少しも目立ちません。フィールドの片隅で、笛もスタータ・ピストルもなく、「指名焼香」みたいに、名前を呼ばれたら黙って投げて帰ってくる、というものです。

最初の年に、10m94cm投げて、思いがけなく2位になれました。39歳の時、10m77cmで優勝。40歳になり、40歳台になりました。これからずーっと、優勝できるのかなと思っていたら、何と12m32cmを投げる怪物がいました。しかも、49歳。もう、仰天です。その人は、県大会でも3位に入ったのだそうです。こっちは、意気消沈で、記録も10m22cm(2位)でした。次の年は10m15cm(4位)、その翌年も10m35cm(4位)と2年連続4位で振るいません。更に、それまで大会プログラムの裏表紙に載っていた種目別・歴代・優勝者のページが変更になり、種目別・最高記録者しか掲載されなくなりました。過去の一回だけ在った小生の名前は消えてしまいました。

ここで、初めて、まじめに砲丸投げを考えてみようと思いました。どうしたら、12m32cmを超えられるか。体格では完全に負けています。そうなると筋力アップしかない。そう決心して筋トレをしたら、左肩を壊してしまい、2年経った現在でも、治っていません。この2年間の大部分は、痛みで夜はあまり眠れず、バイオリンは弾けず、ランニングもバレーボールもできず、と全くの役立たずになってしまいました。怪我の功名で、チェロを始められたのですが、もう体は鍛えることができない年齢になったことを知りました。そうなると、投げ方とか技術面で少しやってみる以外にない。本当なら誰かに教えを請わなければいけないのでしょうが、そんな「ずく」は、ありません。

一昨年の大会の時、人が投げるのを見ていると、砲丸をあたかも普通のボールを投げるように、投げている人がいました。是はルール違反で、砲丸は投げるまで、頬に付けるか、または、非常に近いところに置き、肩の線から後方に行ってはいけません。「なにやってんかなあ・・・」と、つぶやいた瞬間、閃きました。それまでは、push upという英語に引きづられて、砲丸を単に押し出していたのです。ならば、砲丸が頬から離れた瞬間、前腕から先全体を鞭のように思いっきり振って投げれば、いいんじゃないか?試合の最終投の前に気付きました。そして、それをやってみたら11m33cmの自己ベストが出ました。久しぶりの優勝。その日の慰労会のビールは、ぬるかったけど美酒でした。

去年は雨で大会が中止になりました。大会は例年体育の日で10月10日だったのに、体育の日が第二月曜日になった途端、中止です。「体育の日」を勝手に変えるな!今年の大会も、一週間後にせまりました。筋力は更に落ちていますが、何となく楽しみです。今年も、何かいいことが閃くかもしれません。
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