団員のひとりごと 第3回

担当: ビオラ 小川
ひとりごとへ戻る
写真は本文とは関係ありません。.
旅行に行った友人のお土産。
先日、実家で飼っていたネコが死んだ。推定20歳だった。ネコで20歳というのはかなりの高齢らしい。人間で言えば100歳以上だという。それでも死ぬ少し前までは、本当に元気であったようだ。

そのネコは私が高校2年生の頃、我が家にやって来た。動物好きの家族達は、最初は庭先に餌を求めてやってくるネコをかわいがっている程度であった。しかし、冬になってひどいカゼをひいてこじらせてしまった。大量の鼻水をたらし苦しそうにしている様子を見て、このままでは死んでしまうのではないかと思った家族は、家の中に入れてホットカーペットを敷いて休ませた。徐々に回復したネコは、その後いつしか家族の一員となっていた。

家族が帰宅すると、いつでもネコは待っていた。外で遊んでいても、帰宅がわかるとすぐに戻ってくる。そんなネコの顔を見ると心が和んだものである。犬であれば、大はしゃぎで迎えてくれるのであろうが、ネコの場合、決して嬉しそうな表情は見せない。しかし、喉をゴロゴロと鳴らしてすり寄って来る仕草からは、内心は喜んでいる様子がうかがえた。そんな素直ではないところが余計にかわいかった。

まもなく私は、大学進学のため家を離れた。結局、実際にネコと一緒に住んだのは2年たらずであったが、その後も帰省するとネコはいつも変わらずにいた。社会人になるとほとんど帰省できなくなり、仕事を始めてしばらくは親不孝なことに3年間も帰らない時期もあった。しかし3年ぶりに帰った時も、やっぱりネコは同じように待っていた。人見知りの非常に強かったそのネコは、見ず知らずの人が来ると体を低くして逃げ回っていたものだったが、私に対してはたとえ3年ぶりであっても、まるで毎日一緒に暮らしている家族のように接してくれた。こうして、たまに帰省してネコと再会すると高校生の頃が懐かしく思い出され、社会人となり仕事に追われている自分の心が和んでいくのが感じられた。

近年、動物介在療法という言葉を耳にする。動物を飼ったり日常的に触れ合うことで、ストレスを和らげ身体と心に良い影響を与えることが多くの研究で明らかになっている。これらの効果を医療や福祉の場に活用したものを「動物介在療法」(AAT アニマル アシステッド セラピー)と呼ぶ。欧米を中心に盛んに行われつつあるが、日本でも医師の指示のもと、痴呆老人を始めとした患者さんの心身のケアを目的とし、補助療法として取り入れている病院もあるという。  

我が家もネコがいたおかげで、家族はずいぶんと楽しい時を過ごすことができたと思う。動物介在療法というわけではないが、ただ単に精神的に落ち込んだ時でも、ネコを抱っこして撫でているだけで心が落ち着くことが少なくなかった。その後、弟も家を離れ両親だけになった実家では、ネコを娘のようにかわいがっていたようだ。だいぶ前のテレビ番組で、ペットを飼う一人暮らしの若い人やお年寄りが増えていると紹介していた。登場していた人たちは、皆、同じようなことを言っていた。一人で家に帰るとペットが待っていてくれる。ペットに話しかける。言葉は通じなくても心が癒されていく。かくして、最近ではそうした動物のことをペット(愛玩動物)ではなく、コンパニオンアニマル(家族の一員としての動物)という。

しかし、これを人間のエゴだとする考えもあるかも知れない。人間の都合の良いように飼っているだけではないのか?果たして動物自身は幸せなのか?答えは動物に聞いてみなければわからないが、人間がかわいがっている気持ちはきっと理解してくれていると思う。我が家のネコの場合、昼間は好き勝手に外で遊んでいても、夕方には人間が帰宅するのと全く同様に、ただいまという感じで家に帰ってきた。周囲にはろくに餌も食べることのできないようなやせこけた野良ネコが多数いたが、そんな他のネコたちの視線をよそに、自分だけスッと家に上がりこんでは餌をねだっていた。他のネコが餌を求めて寄ってこようものなら、家の中からものすごい剣幕で追い払っていたのを思い出す。それは、「ここは自分の家なんだ」ということを周りに知らしめている感じであり、ネコ自身も家族の一員のつもりであったのだと思う。

ネコの死に際には立ち会えなかった。その後、まだ実家には帰っていないが、そのうち帰省した時には、またあのネコが出迎えてくれるような気がしてならない。本当に今までありがとうという気持ちでいっぱいだ。どうか天国で安らかに眠って欲しい。

コンパニオンアニマル