ある時息子を連れ長野山中にスケッチに出かけた折、偶然きこりが白樺を切り出している場 面に出会いました。白翁が近づき次々と伐採する理由を聞き出し、「樹木には尊い生命が宿 り、年々成育を続けていく生命体をその様な理由で、必要以上伐採する事は可哀想だ・・・ 」と意見をしたものでした。
そして切り出してあった樹木の中より硯に使用できる樹木を選びだし、代金を支払って買い 取り幾種に亙り厚さサイズを指定し、それを輪切にして送って欲しい旨を伝えました。そし てきこりに「この白樺は幾歳月に渡り乾漆硯として再び現世で生命を与えて見せましょう」 と伝えたのでした。
当時の記に「白樺の丸太を切り、側面に白樺の木肌を生かして乾漆硯となす。表と裏は麻布 を漆で張り固めて、乾漆造りの技法にて完成す。〈白樺台乾漆硯〉と命名す・・・」とあり ます。

昭和五十三年に大観記念館の招きにより「不変の生命力を持つ漆の歴史と独創の漆画などに ついて」と題して講演を致しました。当日は、漆画の他に大小の乾漆硯を多数持参して実際 に墨を磨り、書画を描いて実演も致しました。
その講演の折、昭和六年白翁が美校三年の時に大観先生の愛蔵品として納めた、懐かしい乾 漆盆を実際に手にとり見せていただきました。
「当時お納めした時と全く変化のない美しさを保っている我が作品に、自身感慨深く無言で 鑑賞しつつ、又改め自信と誇りを持った・・・」という記述を残しております。

昭和五十七年、渋谷松涛美術館招待出品で漆画「赤富士」を出品。思えば有田八郎先生の別 荘が山中湖畔にあり、先生の生存中はよくそこで寝食を共にしておりましたが、晩夏から初 秋にかけての早朝、雲や霧と朝日との関係でそれは見事の赤富士が出現。その折、先生が明 け方早く白翁を起こし「今赤富士に成っておるから参考に見よ」との事で実に立派な赤富士 に幾度か遭遇し、その印象を漆画の「赤富士」として多数残しております。
松涛美術館での記述に「自然の風物を愛しこれと語る。わが故郷は日本、富士は日本人の心 の故郷、富士を愛す。富士山麓に通う事三十有余年、自然風物 巨木礼賛それを求めて東奔 西走。漆画に表現して久し」と記しました。
そこに記されてあります通り自然風物を愛した白翁の作品の中に、各地の景勝地やそこに点 在する巨木を表現した作品も数多く残されております。(銀杏・松・檜・藤・柏槙(ヒノキ科 のイブキの別名)・らくうしょう(ヌマスギの別名)・菩提樹・臥龍梅・白梅・紅梅・葡萄 ・柿・石榴・薄墨桜・神代桜)等があります。
巨木を扱った中には珊瑚をはめ込んだ作品もあります。
それは漆画三十号を始めとした各号数の「巨木礼賛」であります。
白翁の記に「巨木を求めて各地を巡る、数千年も生き抜きし柏槙の巨木あり。天を拂うが如 し。細かく観察スケッチに納む。長き歴史を生き抜いた巨木には霊気が漂う。心静かに樹と 語る。樹霊が現れ喜びと感謝、飛んだり跳ねたり幻想の世界。踊り舞う樹精を珊瑚で彫刻・ 漆画「柏槙の巨木」や「巨木礼讃」の中にはめ込んだ作品であります・・・」との書付けが あります。
また別の記に「藝術とはなにか 心に描く美しき夢の表現である。夢の中に素晴らしき感激 を求めて表現する。空想、理想、現実、夢とを織り交ぜて美化する。それが藝術の世界であ る。正しき思想と哲学・・・ 夢あり。大胆に独創の藝を主張す。日本画なるが故に、油絵 なるが故に、工藝なるが故にあらず。広き視野に立ち美術の世界に於いて心眼を開きて、心 静かに鑑賞すべきである」とあります。

瀬戸内海に浮かぶ小豆島にも巨木を求め行っております。宝生院の柏槙は根元の周囲が十六 、六メートル 地上一メートルのところで巨幹は三つの方向に分かれております。樹齢千五 百年以上経ち、巨幹には幾筋の窪みがあり、その窪みに沿う様に苔が青々と育ち、神格化さ れた老樹であります。柏槙はなかなか大きくならない。その樹が巨木と化するまで修行を積 むことこそ「禅」の本領とする事に白翁は共鳴したのかもしれません。  
鎌倉建長寺の柏槙(柏槙の古木が二列に植えられており全部で七本、樹齢六百五十年〜七百 年と伝えられております)も作品にしております。
また江戸川区東小岩の善養寺にある影向の松(ようごうのまつ)も数点大型作品にしており ます。東西の枝の長さ三十メートル、南北二十八メートルに及ぶこの這松は、繁茂面積では 日本一と言われ、樹齢は約六百年で東京都の天然記念物に指定されております。「影向」と は神仏が姿を現すと言う仏教語との事です。

この昭和五十七年四月 白翁七十八歳の折、アメリカパサデナ市 パシフィック・エージア 美術館に於いて長期漆画展を開催します。この期間は体調が比較的安定しておりましたので 医師より許可が得られました。
ロサンゼルスの羅府新報に白翁芸道記事が報ぜられ「火の玉のような人物であり、奇跡的で もある「漆画」であると称するも過言ではない。しかも豊かなる思想と哲学の持ち主であり 、風格ある作品を纏めて居られる事にいたく感激した」と絶賛されておりました。
また他紙報道(ロサンゼルス・共同 長崎新聞)では年齢七十八歳の童子と自称する白翁が、 自製の乾漆硯に七彩に変化するという墨を磨り、和紙に筆を振るうと取り巻いた人達の間か ら歓声が漏れる。
「極楽にお酒あるかと聞いてみた あるぞよそれは般若湯」などと書く文体を通訳する言葉 は外国人にとり、まるで判じものだがそれでも有難がって求める人達が多かった」と報ぜら れておりました。
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