白翁は以前より紫の色彩についてある疑問・拘泥を持ち続け研究を重ねておりました。それは紫 の色彩が色あせ長期間保てないという事実を知ったからです。顔料を漆に混ぜ紫漆を整え使用し た作品が、長期間で紫色がさめ易くなるという現実に触れ、如何にしてこれを乗り切るか探求し ておりました。漆自体は数千年の生命力があるのに比べ、中に入れる紫の顔料の変質で、色が飛 んでしまったり焼けた様な色になってしまう事に苦慮しておりました。
白翁の記に次なるものが残されております。
「古代から紫色の魅力は金、銀、ダイヤ、真珠、珊瑚と共に珍重された色であった。色彩の中で 朱、黄、青、紫と発掘品の中での主位は紫であるかと思います。日本画、油絵、漆物等に昔から 使用されて来ましたが、植物性から作られた顔料は美しいが、退色変色してその美を保つ事が短 命であります。
今までの紫の顔料を使用し、作品を完成してきましたが、五年〜十年で変化してしまいがっかり しました。そこである科学研究家と相談して、不変の顔料を得て最良の漆に混入して紫漆を完成 しました。
植物性のものは変化しやすい。鉱物性のものは変化しない。日光の直射にも変化する事なし。紫 漆の藝術的作品と共に不変であります。昭和五十年完成せり・・・」と記されてあります。
また他の記に「さて紫の件につき、私は創作作家の立場上色々と研究しました。紫の色は昔から 珍重され私も好きな色彩の一部であります。漆で紫漆をと思い三十年ほど以前、顔料で紫を色々 と求め漆に合わせ研究しておりましたが、良い色が出たものの五年〜十年位して変色し、中には 土色になってしまうのもある。
そこで鉱物性宝石の粉末にしたものを化学変化により得たのを使用せり」とあります。
亦、少し期間のずれた記述に「米国より帰国して六月、奈良の唐招提寺・森本長老に漆画の件で お話し申した折、紫のことに論争す。日本画、油絵、御衣にも紫が使用されているが、皆百年も 経つと変色をするという事実。今までの紫色は、植物性であった事を知った経路を参考までに申 し上げる。鉱物性の色素の中から紫色を抽出し、不変の紫を使用して紫漆を完成。それが私の紫 であると・・・」
また別の記に「天下を掴んだ王者は、全力を注いだ事は人間として当然の事なり。紫と金との配 合は王者の風格也。藝術品に愛用される事も当然の欲望である。そしてその不変の美でなければ ならない。昔は貝から取った紫、今は鉱物から不変なる紫色の色素を取る。植物から取ったもの は変化して土色に変わる。
独創の漆画の中で、新しく発見されたる紫漆の美しさを鑑賞あらん事を・・・極楽浄土は紫の色 ・・・」とあります。

考えてみますと白翁の持病である喘息は白根町時代から悪くなっても良くなる事無く持続されて おり、既に固着症状として頻繁に現れ苦しめられておりました。若き頃は入院まで行く事があま りありませんでしたが、年々年を重ねるにつれ入院の回数が増え始めておりました。それも喘息 発作より気管支炎から肺炎にまで移行する事も多くなっておりました。
しかし制作途中で入院を医師より勧告され、しかたなく入院しましても制作の事が気になり、医 師や看護婦の反対を押し切り中途退院をしてしまい、自宅アトリエで制作の続きに打ち込む事さ えもありました。妻はその都度、病院の担当医からの呼び出しで厳重に注意を受け、白翁との言 い争いになるのですが、制作に没頭する白翁には通じませんでした。
やがては連続の咳、そして痰が多くなり出し呼吸も荒々しくなり苦しい表情で制作を続けている のでした。その痰が詰まると、呼吸不可となり死に繋がってしまう事さえあると、担当医師より 注意されておりました。その為自宅には、その時に対処する医療呼吸器具を備え、制作に入る時 は顔面に付ける様にしておりました。それでも呼吸器官が狭ばまり苦しくなるので、医師より頂 いてある気管拡張剤の「ネオヒリン」や「リンゲロン」を症状の酷い時、服用しながら制作を続 行しておりました。
この薬を長期に亙り服用し続けると、骨が一部溶けてしまうとの副作用がありましたが、白翁の レントゲン写真には一部その兆候が既に現れておりました。その為肩が左右びっこに下がってお り、痩せた体で多量の硬いさび漆を用い漆画大作に挑む姿は、正に気迫に満ちた藝の鬼と化して いる様にも見えました。

昭和五十一年小康を得た後、昇仙峡に通い始めます。それは白翁乾漆硯では最大の長さ四十五p 、幅三十p、厚さ五pの大作に望むためでありました。
白翁の記に「蓬莱の里を求めて東奔西走 甲州の昇仙峡に遊ぶ 奇岩赤松多し 
谷川のほとりを歩き 仙蛾滝を経て覚円峰の頂上に坐す 太陽は燦然と輝き霊峰富士を望む 正 に蓬莱の里昇仙峡を愛す」とありますが、この全景を纏めて硯の表裏に乾漆へら芸の技術によっ て完成され、「蓬莱の里」と題されております。
昔から各方面の良き愛蔵者に作品を収めていた割には、貧乏生活が相も変わらず続いておりまし たが、それにはそれなりの理由が存在しておりました。
まず材料の高価なる多量の純日本漆(他国で取れた漆には混ぜ物が多いとの理由で絶対に使用し ませんでした)画材として使用する金・銀・青金・金銀箔・作品に見合った手作りの額装(白翁 とは長き心の通い合った達人芸の腕を持つ額職人が、白翁額装専属に付いておりました)等に多 くの経費が掛かりすぎました。
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