数日してその乾燥を確認して表面を布やすりで平らにならしていきます。
漆は上等で新しいものに限るとの事で、乾燥が実に大きく違ってきてしまいます。
さていよいよ制作の準備が出来ますと、再度さび漆を今度は分厚く制作する作品によって一p 〜三、五pの厚さにへらで渡していきます。漆を延べる事により下絵は一切使えず、作者の頭 の中に描く構図のみを頼りに、一気に漆の生の内に刷毛・筆に頼る事なく、一本の竹べらにて 切り込み、掻き取り、盛り上げながら絵画・紋様・文字と目的の作品へと完成していく。
風通しの良い場所で数日かけて乾燥を待ち、一旦固めたる後に、表面を砥石・金やすり・紙や すり等で滑らかに整える。(完全に乾燥固まった漆は刃物もとぶ程の硬さになっております)
その行程が終わりますと絵画の表面、裏、小口全てに朱合漆を塗り乾燥させます。そしていよ いよ絵画の彩色でありますが、色彩漆(白翁独自調整による色彩漆)を自らの指頭にて構図に合 わせ調和を計りながら完成していく。漆画の特徴として従来の筆・刷毛類は一切不要とし一本 の竹べらに勝負を賭けた画期的の手法であり、《乾漆へら芸・指頭画による「漆画」》と名付 けられております。
先ほど述べたように漆による彩色には筆や刷毛を一切使用せぬ為、作者の指頭のみで彩色する 関係で大作が完成される時には、指の指紋が擦り切れ見えなくなっているのが常でした。作品 説明の折にコレクターに指紋の見えなくなっている部分を見せながら、漆画制作苦心談をして いた白翁の姿が思い出されます。

多量の重いさび漆を使用してのぶっつけ本番の制作には、呼吸器の病を持つ白翁にはとても堪 えがたい作業でした。(中途で休憩をとることは絶対に出来ません。それは表面に薄皮が張りだ す事によりへらの動きが円滑に行かなくなり制作不能となるからです) 
制作に入る前、その心境を次の様に語っておりました。
「私が作業制作に入る事は、戦いを前にした昔の武士の心境と同じであり一度刀を抜いたら(さ び漆に向かい一度へらを持ったら) やり直しの利かぬ、やるかやられるかの真剣勝負だ・・・ 」と。
この「漆画」創案後暫くして「漆絵版画」手法も発表いたしました。
『「漆絵版画」とは従来の木版・銅板・石版とは違い乾漆板の上にさび漆で、目的の絵画や文 様等をへらの切込みで表現して固め、版画原版として制作。その上に純日本漆の色彩漆を延べ て刷り上げ完成する手法で、漆の持つ独特の味わいを生かしての芸術であり、不変の色彩漆と デザインの妙とが相俟って、漆絵版画たる特徴を生かしたもの・・・』と語っておりました。
この手法は漆画制作工程と同じく乾漆板の上に漆さびを分厚く延べます。
しかし漆画手法と同方法でありますが、あくまで漆絵版画原版としての制作ですので、さび漆 全体を一、五p〜二、〇p位の厚さに大べらで平に延ばしていきます。その生の内に幾種の小 べらで目的の絵画の構図をさび漆に切り込んで、細かく原版へと完成させていきます。漆画制 作と同じく下絵は漆を厚く延ばす事により一切使えず、作者の脳裏に描く素描のままぶっつけ 本番で、版画原版となるべきものをより正確に早く制作していきます。しかし版画の為、逆さ 絵制作となりますので漆画手法にない苦労も重なっております。
素材が難しい漆なるが故に、作品号数が大きくなればなる程、やはり困難なる問題が出てまい ります。(制作中表面に皮が張り、へらの動きが出来なくなる事も漆画制作時同様であります) 制作画面を等分か三等分に考え、その部分部分を一つの面が完成する度すぐ次の部分を制作し ていかねばなりません。一つの画面にその構図をより良く繋げ纏めながら完成させていく事は 、実に難儀なる作業でありました。
数日後、完全の乾燥を見まして表面を平らに砥石や紙・布やすりで整え、その原版の上に朱合 漆で凸凹全ての部分を塗り固め完全なる版画原版として完成させていきます。原版上に大小の ローラーを駆使して色彩漆で色分けして延ばし、麻布や絹地、和紙等を当てて特性ばれんにて 摺りあげます。

ばれんは全て白翁の手作りであります。細めの柔らかい或いは硬い糸を、数種巧みにねじり縒 り合わせ、渦巻状平らになる様芯を作っていき、竹の皮で包み凧糸(麻)でしっかり結びを縛り 完成させる。数種混ぜてある糸の種類により、漆による版画が実に細部に渡るまで克明に表現 出来、このばれん作りも秘伝の一つでありました。
漆絵版画は非常に強い力で押しながら摺りあげますので、原版がひび割れしたり、原画が割れ 抜け落ちたりしますので、多くても八枚〜十枚が限度となります。作品により純金箔や青金(十 八金)・純銀箔などを漆に打ち込んだ幻想的で優美なる作品も多く発表していきました。漆絵版 画作品の中で、光沢ある〈烏の濡れ羽色〉と表現されている黒漆は、その中に煙突の煤から精 製した油煙を混ぜ練ったものを使用しており、これも秘伝の内の一つでした。使用する漆はど の作品に関しても些少なるごみ、塵を除くため絶えず吉野紙(こうぞを原料とした薄手の和紙) で濾しておりました。
この漆絵版画を、当時の立正大学教授で文博であります楢崎宗重氏(後の日本浮世絵協会理事) が「鏤線(ろうせん)が直に生きていて直情的流動的な点で、木版画より純粋であり、へらを使 い込んで自由にその切れ味を発揮する版式は見事である」と賛辞をおくっております。
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