この昭和八年には、中野江古田にありました白翁のアトリエに、有田先生が護衛を数人伴い、白 翁の新作が完成する度奥様と共に鑑賞に通って来られておりました。その当時の写真類が残され ておりますが、完成された新作の前に着物姿の有田先生と、その左側に奥様と長男の圭輔氏そし て白翁とが座る写真が残されております。この頃、白翁の藝術意欲は最高を極め、更に探究心を 深めていっております。
有田八郎氏の肝入りで白翁作品頒布会を持った時、米内光政、竹越与三郎、石橋湛山、渋沢敬三 、石坂泰三、各氏の政財界そうそうたるメンバーが名を連らねました。
白翁の「書」に関する事も記さねばなりません。専門の先生についた経験はないのですが、暇在 る毎に硯に向かい墨を磨り、姿勢を正し書や墨絵を黙々と和紙に書き続けている姿を、私は小さ い時より絶えず見ておりましたが、その数たるや膨大に上がり、全て次期制作に入る白翁作品の 原点ともなっていくのでした。書体は規格が決められた書家の文字でなく、自由奔放の洒脱で伸 び伸びとした書であり、愛好家に書や墨絵の作品の数々が多く収まって行きました。

全てを自らの手により完成させる事を常とする白翁は、この頃遂に筆作り(漆で絵模様などを描 き、金・銀などの金属粉や色粉を撒きつけて付着させ磨く、所謂蒔絵に使用する筆)に着手する 事となります。粘着力の強い漆で細く絵模様や線を描いていくには、市販されている筆ではどう しても、白翁の納得のいく作品が出来ませんでした。粘りのある漆を使用する為、筆を下ろした 時に一時的にも筆先が、寝てしまう筆が多くそれら全て処分し、ぴんと元へ筆先の跳ね返るネズ ミの鼻ひげに着目します。自宅にてネズミを飼いその鼻ひげを用いて、目的の作品に合わせ筆を 作ろうと考え始めるのでした。勿論妻からの抗議はあるものの、白翁の耳には全くの素通りでし た。(野ネズミを捕獲しても餌を絶えず漁っていたので、髭先が二つに分かれている場合が多く 、筆には使用出来ぬとの事で餌を捕獲する必要のない自宅飼いとして、餌は十分に与え髭先の良 きものから筆を制作してみた)と聞いた事があります。

古代から現代に至る漆藝術の名作を学び、研究を重ねこれを踏まえ、新しい白翁藝術へと築いて いこうとするその意欲が、昭和九年朝鮮楽浪文化研究・楽浪発掘調査の為に渡鮮となります。
二千年以前の漆藝術品の秀れた数々が、不変の姿で発見された奏漢時代の遺品、楽浪の発掘及び 古代漆藝の研究にと着手が始まりました。
「発掘物の中で変化のなかったものが、金と漆のみであったという事実に強く心が動かされた。 二千年以上も地下に埋もれ、地熱に耐え廃退する事なく漆工藝品は尚不変の美しさを保つ、その 漆の生命力に新たに感動、そして漆でなければ出来ないもの、白翁でなければ出来ないものを漆 藝術に求めて自らの天命と知る。
楽浪の古墳より発掘されたる漆藝の不変なる漆に対し感激、更なる古典を研究続け、長い伝統の 歴史の中で育んできた漆藝術を広く学び体得す」との白翁の記述がその当時の感激を表しており ます。
この頃は乾漆の特技を生かし、金胎象嵌蒔絵の作品が多く制作されました。

この九年十一月に平壌・京城に研究作品個展を開催し、当地で大いなる好評を得まして自信を高 めたのでした。
昭和十年、上野美術協会展に乾漆壺を出品、見事入賞を果たします。その折、貞明皇后のお目に とまり宝石箪笥・乾漆香炉・平棗が大宮御所に納入されます。また同年、新興美術家協会展覧会 に乾漆による「風呂先屏風」が出品されました。白色や紅色の花をつけたコスモスが屏風一杯に 咲き乱れている図で、斬新さが話題になり東京の医師が家宝として所蔵されました。古代漆藝研 究も進む中、乾漆の特技と金胎象嵌蒔絵の制作にも新たなる苦心を重ね出します。
昭和十一年文展に「双鳥文漆手筥」を出品し入選を取ります。
昭和十二年大宮御所に香炉を納品、紀元二千六百年奉祝美術展に手許箪笥「漆仙果文飾筥」を出 品入賞。第二回聖徳太子奉賛展出品し入選す。
昭和十二年十二月に山本悌二郎氏逝去。 一時白翁意気消沈すれど長年受けさせて頂いた恩義に 報いる為にも、究極の藝術を極めていく事を心に誓ったと申します。この年藝道精進の発願、人 間修行の為、般若心経を一日一巻写経を始めます。(のち写経を続け三十年、昭和四二年に壱萬 巻を達成しております)

白翁は幼き頃より母の遺伝を大いに受け、気管支炎そして喘息症状を持ち合わせており激しい咳 や痰も多く、すぐ息苦しくなり幼き頃より無理な運動をしたり、或いは精神的に過重なる負担が 続いたりしますと、喘息発作も激しくなる等の負荷を背負っておりました。            
                               
苦学している当時から白翁自らの座右訓として

一、 菩薩と我は一
一、 藝道と我は一
一、 新しき創意創作に感謝
一、 藝道に霊感を生かす
一、 常に万全の努力 悔いなき人生に誇りを持つ
一、 刻々病魔との闘争に勝つ
一、 自然法則を悟り人生の何たるかを知る 迷いあるときは一喝
との格言を持っておりました。
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