平安つれづれ物語

求婚の始まり

「……」
 頭が痛い。
 どうしようも出来ない。
 どうしたらいいのか全く浮かばない。
 原因はわたしの後見人問題。
 どうして…わたしは東宮なんだろう。
 どうして女なのに東宮なんだろう。
「蘭姫さま大丈夫?…」
 わたしの遊び相手の女童の歩美が言う。
 彼女はわたしの乳母の娘である。
「心配してくれてありがとう、歩美ちゃん。でも、今の状況じゃどうにも出来ないのよ」
「蘭姫さまがかわいそう…」
 と歩美ちゃんは心配する。
「どうしたらいいのかな…」
「そうですね…。あ、阿笠博士に相談したらどうですか?」
 歩美ちゃんが親しくしている阿笠東宮博士の名前を出す。
 彼は東宮博士としてただいま助手の灰原の君と共に春宮坊にいる。
 わたしが東宮にたったことで苦労をかけてしまっている。
「中務卿宮様がコチラにお渡りになられます」
 先触れの女房がいいに来る。
 中務卿宮から参内すると朝、連絡があったのを思いだす。
「そう言えば、中務卿宮様はご存知なんでしょうか?蘭姫さまの後見人問題。中務卿宮様に相談すれば、いい知恵を出して下さるかもしれないですよ。しかも、中務卿宮様は、今上のご指南役…大丈夫ですよ、蘭姫さま」
「そうね…」
 歩美ちゃんに心配かけないようにわたしは彼女に微笑みかけた。
「ご機嫌いかがですか?東宮」
「最悪…です。中務卿宮」
「やはりですか」
 優雅に、やって来た中務卿宮を御簾の中に招き入れ、歩美ちゃん以外の人払いをする。
「しかし致し方ないことなのですよ。東宮」
「えぇ、それは十分に分かってます。だから、余計に…納得が行かないんですよ、中務卿宮」
「でしょうね」
 中務卿宮は優雅に微笑む。
「中務卿宮、この話しはいつからでたんですか?…今上の耳に入ったのは今年に入ってからだとは思うのだけど…」
「そうですね、公になってきたのは霜月の頃からでしょうか?」
「どうして、誰も言わなかったんです?」
「今上があなたのことを溺愛してらっしゃるからですよ。なかなか今上の耳には入れづらいことですからね。しかも、あなたは女東宮だ。だからこそ余計に神経を使ったんですよ」
 中務卿宮はため息をつく。
「中務卿宮様、不意に思ったんですけど。どうやって蘭姫さまの一の君を御決めになるんですか?やはり大臣達が相談して決めるのですか??」
「…まだ、分かりません。…前例がありませんからね。難しいですよ」
 歩美ちゃんの言葉に中務卿宮は応える。
「中務卿宮」
「なんですか?東宮」
 少しの沈黙の後、ふと浮かんだ考えをわたしは中務卿宮につげる。
「一の君の候補…それ、私が決めるのは可能ですか?」
 わたしの言葉に中務卿宮と歩美ちゃんは目を見開く。
「どうしたの?わたし、変なこと言った?」
「蘭姫さま、どうやって決めるんですか?蘭姫さまは公達とは御簾越しでしか御逢いになられないんですよ。まさか…文のやり取りをするって言うんじゃ……」
「まだ、そこまでは考えてないわよ。どうですか?中務卿宮。大臣が決定するんじゃなくって、わたしが自分の一の君を決めるんです」
「かぐや姫みたいにですか?」
「そうですね、それもいいかも」
 かぐや姫のように難題を出し、それに答えたもののみが女東宮であるわたしの一の君となる…。
「…大臣達がなんというか…」
「父帝に言えば何とかなります。すべて、父帝の言葉次第。そうですよね」
「おっしゃる通りです」
 と中務卿宮が呟いたときだった。
 物音が聞こえる。
 女房がこっちに渡ってきたらしい。
「行ってきます」
 女房見習いでもある歩美ちゃんが女房の方に向かう。
「何事かしら?」
「さぁ、どなたかが参内なさったんじゃないですか?」
「どなたって?ココによく参内する人なら女房が口に出すはずですよ」
「ここに参内しない人だったらどうしますか?」
 わたしの言葉に中務卿宮は微笑みながら言う。
 参内しない人?
 って誰よ?
 思い浮かばないわっ。
「東宮様に申し上げます」
「歩美ちゃん、いつもの通りでいいわ。何があったの?」
「はい、右大将智明様が蘭姫さまに御目通りを願ってます」
 右大将?どうして、右大将が?
 右大将といえば、一応はいる父様の政敵左大臣の息子じゃなかったっけ…。
 それがどうして、娘である女東宮のわたしの所にくるの?
「先手必勝ですよ」
「……わたしに取り入ろうって言う?」
 その言葉に中務卿宮は頷く。
「どうなさいますか?蘭姫さま」
「どうするって…通してもいいわ。歩美ちゃん、女房に言って戻っていらっしゃい」
 わたしの言葉に歩美ちゃんは頷き先導の女房の所に向かう。
「あなたの考え正しいかもしれませんね」
「選ぶということですか?」
 呟くように言った言葉に中務卿宮は微笑む。
 ホントは選ぶというのは正しくない。
 わたしがホントにしたいのは探すということ…。
「蘭姫さま、今、右大将智明様がこちらに参ります」
 歩美ちゃんが御簾に入った後に言葉を紡ぐ。
 そして衣擦れの音とともに先導の女房、そして右大将がやって来た。
「女東宮様にはご機嫌麗しゅう」
「花の香りを携えていらっしゃるとは珍しいですね、右大将」
 不意に言葉をかけた中務卿宮に右大将は驚く。
「中務卿宮様もいらっしゃったのですか?」
「えぇ、東宮とは話し相手ですのでね」
 優雅でありながらお腹の中を探りあう政治家同士の会話が始まる。
 わたしも帝になったらこういう会話しなくっちゃならないのかしら……。
 不安よね…。
 話しも盛り上がってきたころわたしは右大将に聞く。
「さて、政治的な話しは置いておいて、右大将、あなたがココに来るなんて初めてですね。どうなさったのですか?」
「はい、実は、後宮に蔓延している噂の確認に参りました」
 姿勢を正して言う言葉に武官らしさが見える。
 彼も確か女房の噂になってるわよね。
 人当たりのいい右大将って。
 優雅な物腰は武官に見えないって。
 たしか…先の中務卿宮の妹姫が左大臣の北の方だっけ…。
「それは、物の怪の事ですか?物の怪のことは頭中将から報告を受けています。ここ梨壺では何も起きていません。被害があるのは中宮がおはす弘徽殿と聞いてます」
「ですが、東宮、あなたの御身も心配です」
「ありがとうございます、右大将」
 とわたしは右大将に向かってニッコリと微笑む。
 まさしく、先手をうってきたのね。
 左大臣の布石ってわけか…。
 ため息つきたくなっちゃう。
 わたしには好きな人がいるのよっ。
「東宮様に申し上げます、頭中将新一様が参内され、至急東宮様に御目通りを願っておられます」
 急に女房がやってくる。
 ふぅ、毎度のごとく参内者が多いわね。
「分かったわ、少し御待ちいただいて。歩美ちゃん、頭中将に御話を聞いてきて、何事なのかって」
「はい、分かりました」
 わたしの言葉を受け、歩美ちゃんは先触れの女房と共に頭中将の方へと向かう。
「慌ただしくて申し訳ありません。右大将、ご用と言うのはそれだけですか?それだけならば、御下がり頂きたいのですが…頭中将が至急目通りを願うというのは尋常ではないので」
「かしこまりました。では、また参ります」
 そう言って右大将は下がっていく。
「……中務卿宮、わたしには逢いたい人がいるんです…」
 衣擦れが聞こえなくなると同時に呟いた言葉に中務卿宮はわたしを見る。
「そう言えば、昔おしゃってましたね。藤壷であった若君のことが忘れられない…と。あれから、御逢いになられましたか?」
「…逢ってないです…。中務卿宮は誰だか知ってるんでしょう?」
「残念ながら……私には心当たりがありませんので」
 と表情の全く読めない顔で中務卿宮は微笑んだ。

「……頭中将様っ」
 控えの間で待っていると東宮がかわいがっている歩美がやって来た。
「歩美、どうしたんだよ」
「どうしたんだよじゃないよ。女東宮様に頼まれたの。何があったの?」
 歩美は年上のオレに敬語を使わない。
 妹の様に可愛がってるからな…。
「新一君っ」
「あのなぁ、宮中では新一君って言うんじゃねぇって言ってんだろっ」
「ごめんなさい…。で、頭中将様、何があったの?東宮御所に急に参内したって事はそれなりの理由があるんでしょう?女東宮様驚いてるよ」
 と歩美はオレに理由を聞いてくる。
 理由?
 理由ってなんだっけ…。
 まずい…、突然都中を駆け巡った話題に動転してやって来たとはとてもじゃないけど…。
 言えねぇ……。
「頭中将様も、女東宮様に求婚を申し込みにきたの?」
「そんなんじゃねぇよ…って歩美、オレもって事は、もう誰かきたのか?」
 オレの言葉に歩美は頷く。
「誰だよ」
「右大将智明様だよ」
 歩美の言葉にオレはため息をつく。
 今上が帝になってから一度も寄りつかなかった奴が女東宮の後見人問題が勃発した途端参内するとは…思いもよらなかった。
「で、新一君は女東宮様のこと好きなの?」
「いきなり何言うんだよ」
「いきなりじゃないよ。ずっとわたし思ってたんだもん。新一君が蘭姫さまのこと好きで蘭姫さまも新一君の事好きだったら、わたし蘭姫さまともいられるし、新一君にも遊んで貰えるんだもん…」
 泣き出しそうな歩美にオレは言葉を継げる。
「いいか、歩美女東宮の後見人問題って言うのは今後の政事を占う大事なものなんだ。これは好きだ嫌いだって決められる問題じゃねぇんだよ」
「分かってるよ…」
「さ、案内してくれねぇか。中務卿宮もいるんだろ?父さんに頼まれたものももってきてあるからさ」
 オレは一つの巻き物を見せる。
 参内するときに渡せと頼まれた巻き物を無意識ながらつかんでいたらしい。
 これで、いい口実になった。
 ……。
 やっぱ…オレ気になってるよな。
 女東宮のこと。
 快斗のやつが
「女東宮のことどう思ってるんだ」
 何て言うから意識しちまう。
 新年の行事で宮中に参内したときも妙に女東宮が気になるし……。
 オレが思ってんのはっ藤の姫だけなんだよっ。
「でも、女東宮とちゃうん?」
 そう言う服部の言葉が思いだす。
 確かに…オレ達が後宮にいたころの姫宮と言えば、式部卿宮の姫の和葉姫と女東宮しかおられない。
 ……、オレ期待してる。
 藤の姫宮が女東宮だって期待してる。
 期待してるからココまで突発できちまったのかな?
「急の参内申し訳ありません」
「どうかしたのかな?頭中将」
 東宮の御前にでたときにクソオヤジの中務卿宮は御簾の中にいた。
 何で、このオヤジは女東宮と一緒の御簾の中にいるんだよっ。
 あ゛ー口悪くなってる。
 父さんとまともに付き合うと性格悪くなるのが分かるよ…。
 母さんはよく平気だよな。
「頭中将?そう言えば、巻き物は持ってきたのかな?」
 返答に困っているオレに中務卿宮は話しを換えてくる。
「巻き物と言うとなんですか?中務卿宮。もしかして、前に約束して下さっていた、物語のことですか?」
 女東宮の言葉にオレは父さんが答えるよりも先に、答える。
「はい、父宮が、東宮様のために書いた物語にございます。挿し絵は、当代随一の絵師にかかせました」
「ありがとうございます。中務卿宮」
「御約束でしたからね」
 相変わらず、父さんは優雅に微笑む。
「それより、頭中将、あなたに聞きたいことがあるの」
「なんでしょうか?」
「左中将と頭弁のこと…」
 ……来たっ。
 女東宮の後見人問題。
 後見人候補としてたくさんの公達の名前が挙がった。
 その中にはオレも入ったし、服部や、快斗の名前も上がった。
 女東宮はオレから仲のいい二人のことを聞き出そうとしているのだ。
「彼等何か言ってますか?突然、私の後見人候補となってしまって戸惑っていらっしゃると思います。あなたも…同じね。頭弁や左中将には筒井筒の姫君がいらっしゃいます。しかも、その姫君はわたしの友人。彼等のことは…わたしからどうにか出来ないかと頼んでいるのだけど……」
 予想していたのと違った。
 そうだ…。
 あいつらの幼なじみは…東宮の友達でもあったんだ…。
 その友達のことを東宮がないがしろにされるはずがないよな。
「ご安心下さい。確かに戸惑ってはいるようですが、東宮様がご心配なさるほどのことじゃありませんので」
 そう言うと女東宮はニッコリと微笑まれた。

「どういうこと?蘭」
「…わたしも聞きたい」
「何でこんなことになったん?」
「…青子聞いて驚いたよ」
 宮中の新年の宴が落ち着きを見せたころ、いつもの友人達が参内してきた。
 わたしは宴の合間を縫って和葉ちゃんと青子ちゃんに文を送った。
 そして、園子にも。
 さすがにいくら東宮であるわたしと親しくしてるからって簡単には参内できるはずもなく、日を見つけてようやく参内したのが梅の花が香り始めた今日だった。
「平次が蘭ちゃんの後見人候補になったって聞いたときはめっちゃ驚いたわ……。」
「…わたしも、その話しを聞いて驚いたわ。でも、父様の話じゃ、流れでそうなったって言ってたから、安心って言えば安心なんじゃないの?二人とも」
「そうだね。…でも、まだ白紙じゃないんでしょう?それだったら安心なんて言えないよ…」
 青子ちゃんの言葉にわたしは頷く。
「うん…父帝にもそのことは言ったわ。でも、大丈夫よ、和葉ちゃん、青子ちゃん。服部君と快斗君のことは後見人候補にはしないって父帝が言ったから安心して」
 わたしの言葉に和葉ちゃんと青子ちゃんは頷く。
「帝のに話しが言ったのなら安心やわ。帝の言葉は絶対やってオトンが言うてはったしなんなら青子ちゃん、強行突破って言う手もあるで」
「強行突破って…」
「強行突破って言うたら強行突破に決まっとるやんか。既成事実つくってまって無理矢理後見人候補にならへんにするんよ」
 和葉ちゃんの言葉に私達は驚く。
 それって…ちょっと問題があるわよ。
「まぁ、そのことは今上帝が何とかしてくれるって言うことを願って、問題は蘭の方よね。どうやって乗り越えるの後見人候補」
 園子は焦りながらも話しをわたしの方に転換する。
「まだ…考えてない。わたしが決めるって父帝には一応言ったけど……。…どうなるか分からないの……」
「それだったら…いい考えがあるわよ蘭」
 わたしの言葉を受け、園子が言う。
「いい考えって何?」
「いい考えよっ。青子ちゃんや、和葉ちゃんやそれから歩美ちゃんにも協力してもらわないとそれから」
 園子が言葉を止めた瞬間、いいところでで、佐藤内侍と灰原の君がやってきた。
「美和子さん、哀ちゃんどうしたの?」
「私達も協力しに来たのよ。太政大臣の園子姫の文を御読みしてね」
「えぇ、蘭姫さまの為にね」
 そう言って佐藤内侍と灰原の君は和葉ちゃんの招きで御簾の内に入る。
「…園子…何考えてるの?」
「何っていいことよっ蘭。みんな、近くによってっ」
 そう言った園子の考えは前代未聞のことで…、わたしは不安になったのだけれど、みんなが協力してくれるって言うのなら…大丈夫かななんて思ったのだ。