司法研修の帰り、アリオスは、ふと小さなケーキ屋さんが目に止まった。

 ケーキ買って行ったら、あいつ喜ぶだろうな。
 最近全然構ってやってねえからな・・・。

 彼は優しげに微笑むと、ケーキ屋さんに入ってゆく。
 アリオスが小さな少女を雨の日に引き取ってから半年。
 少女は、いつの間にか、彼にはなくてはならない存在になっていた。
 不思議な縁(えにし)で出逢った少女は、彼にとってかけがえのない”家族”に今やなっている。
 少女の笑顔と存在が、彼を癒してくれる。

 あいつ、どんなケーキが好きなんだろうか?
 俺は甘いものが苦手だから、どれが美味しいか全く判らねえが…。

 彼の脳裏には今、大切な少女の笑顔しかない。
『有難う! アリオス叔父さん!』
 愛する女性(ひと)の面差しを持つ、幸せにしようと決めた彼女のものしか。
 お店の中をきょろきょろしていると、彼の視界に、ポスターが飛び込んできた。
 それを見たアリオスは、思わず苦虫を噛み潰したような表情になる。

 忘れてた・・・。
 明日雛祭りじゃねえか…。

 そこには、”ヒナケーキの予約受付今夕限り!”と書かれた販促用のポスターが貼られていた。
 アリオスは、その辺のクッキーを適当に手にとると、レジへとそれを持ってゆく。
「すみません。ヒナケーキの予約間に合いますか?」
「ええ。こちらにお電話番号を書いてください。明日の夕方には出来てますから」
 気のよさそうな中年の女性に予約表を差し出されて、アリオスはそれに素早く書き込んだ。
「どうも有り難うございます。こちらのクッキーが三百円です」
「ケーキのお金も一緒に入れておいていいですか?」
「ええ。では3300円です」
 女性はニコニコと笑いながら、予約表に代金済みと書いたものを渡してくれる。
 とても感じのよい女性だ。
「有難うございます」
 アリオスは、それを受け取ると店を後にした。

 アンジェ、喜んでくれるかな…

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「あ! アリオス叔父さんお帰りなさい!」
 家に入るなり、少女は嬉しそうに玄関に駆け寄ってきた。
 栗色の髪を揺らし、大きな瞳には喜色を湛えて。
「おい、お土産だ!」
 差し出されたクッキーに、少女は飛び上がって喜び、本当に嬉しそうにぎゅっとその包みを握り締めた。
「有難う!! とっても嬉しいよ!」
 その明るい声と表情に、アリオスは疲れが総て癒されるような気がする。
「そうか。じゃあ、メシ作るの手伝ってくれよ?」
「うん!」
 少女は肩まで切り揃えられた栗色の髪をふわりと揺らして頷くと、スキップをしながら彼の後を着いていった。


 キッチンで二人が作ったのは、簡単なコンソメスープと、シーフードがたっぷり入ったピラフだった。
 ご飯は予めアンジェリークが炊いていたものを使った。
 彼女は文句ひとつ零さず、手伝いをしっかりとしてくれることを、アリオスは感謝していた。
 そして同時に、我儘を言うことを知らないこの少女が、不憫にも思う。
「叔父さん、おいしいね」
「ああ。おまえが一緒に手伝ってくれたからな」
 少女は少し恥ずかしそうに、彼に微笑を向けた。
「なあ、ところで明日は”雛祭り”だろ?」
「うん! お母さんに作ってもらったお雛様の人形を飾ったよ」
「----へえ、だったら、俺にも見せてくれねえか?」
 その言葉に、少女は戸惑ったように俯く。
「アンジェ?」
 急に元気がなくなった彼女に、アリオスは心配そうに顔を寄せ、彼女を覗き込んだ。
「笑わない?」
「どうして笑うんだよ?」
「----だって、そのお雛様見せたら、前の学校で、笑う子がいたんだもん…」
 しゅんとして肩を落とす彼女がいじらしくて、彼は胸が痛む。
「笑うわけねーだろ? おまえが大事にしているもんなんだからな」
 その言葉に、彼女の表情も徐々に晴れ渡っていった。
 明るく、いつものそれに戻る。
「うん。じゃあ、ご飯の後、見せてあげるね?」
「ああ、頼んだ」
 二人は、小学校のことなどを話題にしながら、夕食を終えた。


 夕食後、アリオスは滅多に入ることのないアンジェリークの部屋に招かれ、入った。
「これなの」
 彼女は少し自慢げに、机の上を指差す。
 机の上に飾られているのは確かに雛人形だった。
 ダンボールや、折り紙で作られた、素朴な人形。
 きっと、母親が、人形も買ってやれない彼女のために、一生懸命作ったのだろう。
 それは、彼の心を切なくさせる。

 おまえにとっては世界で一番大事な人形なんだろうな。

「いい人形だな」
 少し憂いのある微笑を浮かべ、、アリオスは噛み締めるように言葉を囁く。
「でしょ! 私にとっては世界一の雛人形なの!」
 屈託なく言う彼女が、これほど愛しい存在だと思ったことはなかった。
 彼女の優しい心根を垣間見て、彼は初めてそう思った。

 きっとおまえは、なんにでも優しくなれるんだろうな…

「この人形、リヴィングに飾ろう」
「いいの!?」
 彼女の声が嬉しさで上ずってひっくり返り、胸がいっぱいになる。
「いいに決まってるだろ? これから毎年リヴィングのサイドボードの上に飾れ。判ったか?」
「うん!」
 大きな青緑の瞳は彼を見つめ、彼女は力強く頷いた。
「じゃあ飾ろうか」
「うん」
 アリオスが人形を持ち上げると、それを一回のリヴィングまでで早速運んで行く。
 アンジェリークもその後ろをおたおたとついていった。
 アリオスは、リヴィングのサイドボードに、そっと紙の雛人形を置く。
 その場所は、リヴィングの総てを見渡せる、いい位置にある。
「これでよし」
「ありがと! アリオス叔父さん」
 頬を染めて少女は礼を言うと、嬉しそうにサイドボードの上の雛人形を見つめる。
「ねえ、お雛様も嬉しそう!」
「ああ。そうだな」
 優しい穏やかな眼差しを彼女に向け、彼は心が浄化するような気がした。
「嬉しいね…」
「アンジェ、明日はちゃんと”雛祭り”してやるからな。待ってろ?」
「うん! うん!!」
 栗色の髪を何度も揺らしながら、アンジェリークは何度もアリオスの腕を掴み、嬉しそうに飛び跳ねていた----

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 翌日、アリオスは、折角の紙の雛人形の為に、それを入れるための立派なガラスケースを買い求めた。
 研修が早めに終わったことを利用して、何軒か古道具屋さん等を廻り、ようやく人形の大きさにあった、アンティークなケースを見つけた。
 さらにミニチュアを扱っている店で、立派な金屏風と、台を買い求めた。
 二つを買い終わるともう夕方近くになっていて、彼は慌てて、デパートで二人分の散し寿司を買い、ケーキを受け取り、家路に急いだ。
 玄関のインターフォンを押し、アンジェリークが出たことを確認すると、彼は彼女に玄関まで荷物を取りに来てくれるように促した。
 元気な足音が聞え始め、元気よくドアを開けるなり、彼女は感嘆の声を上げる。
「どうしたの! その荷物!」
「ああ。おまえは、この散し寿司とケーキを持ってテーブルをセッティングしてくれ? 俺はちょっとやることがあるからな」
「うん」
 少女は寿司とケーキの箱を嬉しそうに受け取ると、そのままキッチンへと走ってゆく。
 その姿に苦笑しながら、彼も彼女の後を追って、家の中に入っていった。


 アンジェリークが散し寿司とケーキをテーブルの上に、鼻歌交じりに楽しそうにセッティングしている間、アリオスはリヴィングのサイドボードに乗せていた雛人形を降ろし、そっと壊さないように屏風と台を立てたケースの中に収納した。
「完璧だな」
 満足そうに呟くと、彼は雛人形を入れたケースごと、サイドボードに乗せた。
「----叔父さん、セッティング出来たよ? …あっ!」
 立派なケースに入った紙の雛人形の姿に、アンジェリークは息を飲み、アリオスに近付いた。
 嬉しくて堪らなくて、泣けてくるのは何故だろう。
 彼女はこのとき初めて、うれし泣きというものを経験した。
「有難う…、これで、本当に、皆に自慢が出来るよ」
 涙ぐむ小さな少女の髪を、クシャリと撫で、アリオスは優しい眼差しで彼女を包み込む。
「こんなにいいお雛様なんだ。飾ってやらなきゃ、悪いだろ?」
「アリオス叔父さん大好き!!」
 少女は無意識に彼に抱きつき、その身体に顔を埋めた。
「お祝いしてやるって約束しただろ? ほら、泣いてねえで、寿司食うぞ?」
「うん、うん!!」
 少女は何度もなきながら頷いていた----

 神様、今年は最高のお雛様です。

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 七年後----
 少女は、未だに、紙で出来た雛人形を、雛祭りになると飾っていた。
 その雛祭りも昨日で終わり、アンジェリークはガラスケースの雛人形を直そうとしていた。
「アンジェ、もう仕舞うのか?」
「うん、叔父さん」
「今年は、もう少し置いておかねーか?」
 アリオスの意外な言葉に、彼女は大きな瞳を見開く。
「どうして?」
「見ていたいんだ、もう少しな?」
 優しく囁かれ、アンジェリークもそっと頷いた。
 雛人形にジンクスを彼女は知らない。
 早く直せば早く花嫁になれ、遅く直せば花嫁になるのが遅くなる。
 それはアリオスの願い。
 いつの間にか彼の心に大きく占めていった彼女への愛が込められている。

 二人の運命の歯車が動き出すのは、もうそこまで来ている。  

Spring Festival

























































































































































































コメント
「WHERE DO WE GO FROM HERE?」の設定で、雛祭りです。
この二人ならではのお話になったと思います。
今週に入ってからメールを頂いた方にお礼を兼ねた創作もこの設定だし、
なんだか、「WHERE〜」の二人を最近書きすぎのような(笑)