雨の日にアリオスに拾われた。 猫のおまけのようにして。 アリオスは、自力で自分の会社を起こし、この若さで主だ。会社も軌道に乗っており、今のところは順風満帆だ。 幼馴染みだけの間柄だったにも関わらず、家族を無くした彼女を引き取ってくれた。 ”婚約者”というかたちになってはいるが、きちんとした婚約の誓いを立てたわけではない。 その地位は砂の上に立ったような危ういものだ。 いつまでもアリオスのそばにいたくて、彼にそう思って貰いたくて、アンジェリークは一生懸命、細々としたところで働いていた。 「ほら、餌よ、たんとお食べ」 「うんにゃん!」 子猫の大好きな缶詰をやり、アンジェリークは目を細めて見ている。 拾ったときは痩せ細っていて、猫風邪まで引いていた子猫だが、アンジェリークがしっかりと看病したことで、今やすっかり元気で腕白ざかりになってしまった。 猫の面倒を見た後は、夕食の準備にかかる。 今日もアリオスは遅いと聞いているので、ひとりぼっちの夕食だ。 手早く食べられるじゃこめし、残りものの茸を使った味噌汁、いつも漬けているぬかみそ漬けに、残りものの鳥肉を使ったタンドリーチキン。 どれも手早く簡単なメニューだった。 猫がそばに座ってくれるので、寂しく思わない。 夕食を食べていると、インターフォンが鳴り、アンジェリークは慌てて出た。 「はい」 画面に出たのはアリオスで、アンジェリークの表情は、驚きと喜びに裏打ちされる。 「おかえりなさい」 驚いて、すぐにロックを解除して、アンジェリークは玄関先に迎えに行った。 「おかえりなさい」 「ただいま」 軽いキスを玄関先でした後、アリオスは自分の寝室に向かう。 「今日は会合が中止になったの?」 「会合は明日だ」 「嘘!!」 これにはアンジェリークはびっくりした。 ついつい今日だと思っていたのだ。 「ごめんなさい。今日だと思ってたの。あ、でも、すぐにごはんの支度は出来るから!」 アンジェリークはぱたぱたとキッチンに向かい、お弁当に残しておいたものをアリオスのタンドリーチキンにして焼き、味噌汁を温め直したりした。 15分後には簡単な夕食が湯気を立てて、アリオスの前に差し出される。 「ごめんね?」 「かまわねえよ。気にすんな」 栗色の髪をくしゃりと撫でられて、アンジェリークは胸が切なく締まるのを感じた。 「美味いぜ?」 「うん、有り難う」 簡単に作った夕食でも、アリオスが喜んで食べてくれるのが嬉しい。 「料理、上手くなったな」 さりげない一言であるが、アンジェリークは天にも上がる心地になった。 夕食後の後片付けは、アリオスが協力をしてくれてすぐに済む。 食器洗い乾燥機もあるので早い。 「今日、本当にごめんね?」 「ああ。構わねえよ」 謝ってくる彼女が可愛くて、アリオスはぎゅっと抱き締めてしまう。 「アリオスのスケジュール、ホワイトボードに書いたら忘れたり、間違えたりしないものね? 明日買ってくる」 「俺も書くようにするから」 「うん。有り難う」 ぎゅっとお互いに抱き合いながら、ふたりは甘い時間を過ごす。 このひとときが、お互いに最も大切な時間だった。 いつでもアリオスに恋をしているから、今の生活は最高に幸せだ。 ほわほわとしたぬくもりに包まれながら、アンジェリークは幸せを噛み締めていた。 翌日は、アリオスが遅いのが判っていたので、ぬかづけと鮭でお茶漬けをした。 万が一、アリオスがおなかを空かせて帰ってきた時の為に、夜食の用意をする。 いつも一生懸命働いてくれている彼の為に、細々と世話をしてあげたかった。 アリオスの帰宅は、11時を過ぎで、アンジェリークはパジャマのままで出迎えにいく。 「おかえりなさい」 「ただいま」 キスをした時、少し甘い匂いがした。はっとしてアリオスを見たが、彼の表情は一向に変わらない。 「お茶漬けの用意も出来るよ」 「今日はいい」 「そう。お風呂の用意も出来てるから入ってね」 アンジェリークは優しい笑顔でアリオスに言い、部屋に向かう。 「サンキュ。早く寝ろよ」 「うん、おやすみなさい」 アンジェリークはもう一度アリオスに愛らしい笑顔を浮かべてから、自室に戻った。 その後ろ姿を見つめて、アリオスはフッと溜め息を吐く。 別にやましいことは何もしてねえのに、こんなに後ろめたく感じる…。 あれは、不可抗力だったのにな・・・。 翌日、アリオスには珍しく、うっかり書類を忘れてしまい、アンジェリークに持ってきてもらうように頼んだ。 アリオスにお使いを頼まれたのが嬉しくて、アンジェリークはいそいそと持っていく。 ほんの少しだけお洒落をして。 アリオスのオフィスに入ると、社員らしい者たちが休憩がてら話していた。 「しかしなあ、社長がアルカディア銀行頭取の娘と昨日のパーティで見合いをしたとはなあ」 えっ・・・!? アンジェリークの表情は一瞬凍り付いた。 そんな・・・!! 本当に事実かどうか確かめる為、アンジェリークは耳を峙てる。 「上手くいけばうちの会社も更に大きくなるなあ」 「社長はかなりカッコいいからなあ。でも、何だ、身寄りのない子を引き取って育てているって噂だろ? 実際のところどうなんだ?」 「やっぱり拙いんじゃないの? 足手まといになるんじゃないの?」 これにはアンジェリークは流石に辛くなる。 ずっと自分は、アリオスのフィアンセだと思っていた。 だが、現実はそうじゃないのかもしれない。その証拠に、彼女はアリオスとキス以上の行為はしていない。 アリオス・・・。 俯いたまま、アンジェリークはオフィスに入っていった。 眼差しは暗く、心はどんよりと重い。 「アンジェリークではありませんか!」 名前を呼ばれて顔を上げると、そこにはアリオスの優秀な部下であるカインがいた。 「どうしましたか? ご気分がお悪いようですが」 「大丈夫です、カインさん。あ、これをアリオスに渡してください」 おずおずと渡すと、カインは笑顔でそれを受け取ってくれる。 「判りました。お渡ししておきます」 「ねぇ、カインさん」 思い詰めたような瞳を向けるアンジェリークに、カインは包み込むような瞳を向ける。 「何でしょう? アンジェリーク」 「アリオスって、銀行のひとと結婚するの?」 これには、カインの顔色が僅かに変わる。 「アンジェリーク・・・」 「・・・私はお荷物なのかな・・・」 ぽつりとアンジェリークは呟いた後、陰りのある表情になる。 「アンジェリーク!?」 「じゃあね。カインさん・・・」 「アンジェリーク!! 待ってください!!」 カインが呼び止めるのも聞かず、アンジェリークは行ってしまう。 カインは、アリオスが帰ってくるまで待ち、報告することにした。 アンジェリークは切なくて泣きそうになりながら、一端、家に帰る。 すぐに夕食の支度を手早く行い、それがすめば荷物をまとめ始めた。 泣きながらそれらを済ませると、アンジェリークは子猫を抱き上げる。 「行こうか?」 「にゃおん」 アンジェリークはぎゅと猫を抱きしめて、幸せだった暖かな場所から出ていく。 さよなら…。 アリオス…。 外に出ると、雨がぽつぽつと降り始めいた------- カインから報告を貰うなり、アリオスは家に直行する。 嫌か予感がする------ その予感が、やはり当たっていた。 息を乱して部屋に戻り、インターフォンを何度も押すが反応がない。 慌てて部屋にはいると、もぬけの殻だった。 アンジェ…!!!! 彼の脳裏には、アンジェリークの笑顔が浮かぶ。 子猫と戯れる愛らしい彼女の姿に、彼は胸を締め付けられた。 ダイニングを見ると、今夜の夕食が、一人分だけ用意されている。 まだ温かいので、遠くに行っては居ないはずだ。 アリオスは、アンジェリークを求めて、外に飛び出した。 「ねえ、どこに行こうか…」 猫とふたり、アンジェリークは雨に濡れながら、とぼとぼと歩いている。 見つけた-------- 外を出て暫く探すと、華奢な後ろ姿を見つけた。 アリオスは傘を差して、ゆっくりと近付く。 「アンジェ」 低い大好きな声に、アンジェリークははっとして振り返る。 そこには、大好きでたまらない、男性が僅かに微笑みを湛えて立っている。 「アリオス…」 「また、おまえと猫を拾いに来た」 彼は甘く言うと、アンジェリークにいきなり近付いて抱きしめてしまった。 逃げる余裕なんてなかった。 ただ、息が出来ないほど抱きしめられる。 「何を吹き込まれたか白根絵が、俺はおまえ以外の女と一緒になる気はねえから。俺の隣はおまえの指定席だ」 アリオスはただそれだけを言うと抱きしめ、唇を奪った。 アリオス…!!!! 幸せが唇から伝わってくる。 「冷たいな…。いっぱい、温めてやるよ? 覚悟しておけよ?」 「…ううん。今日の雨はもう冷たくないよ…」 「部屋に帰ろう。温めて、温めまくってやるから…」 「アリオス…」 大好きな男性の傘に入って、ゆっくり我が家に戻っていく。 その後は、勿論アリオスの腕の中で、アンジェリークは女としての、最高の幸せが刻み込まれる。 春の雨はこんなに温かいって、知らなかった…。 アンジェリークはつくづくそう感じずにはられなかった。 |
| コメント Rainの続編です 楽しんで下さると嬉しいです。 |