Rain2


 雨の日にアリオスに拾われた。
 猫のおまけのようにして。
 アリオスは、自力で自分の会社を起こし、この若さで主だ。会社も軌道に乗っており、今のところは順風満帆だ。
 幼馴染みだけの間柄だったにも関わらず、家族を無くした彼女を引き取ってくれた。
 ”婚約者”というかたちになってはいるが、きちんとした婚約の誓いを立てたわけではない。
 その地位は砂の上に立ったような危ういものだ。
 いつまでもアリオスのそばにいたくて、彼にそう思って貰いたくて、アンジェリークは一生懸命、細々としたところで働いていた。
「ほら、餌よ、たんとお食べ」
「うんにゃん!」
 子猫の大好きな缶詰をやり、アンジェリークは目を細めて見ている。
 拾ったときは痩せ細っていて、猫風邪まで引いていた子猫だが、アンジェリークがしっかりと看病したことで、今やすっかり元気で腕白ざかりになってしまった。
 猫の面倒を見た後は、夕食の準備にかかる。
 今日もアリオスは遅いと聞いているので、ひとりぼっちの夕食だ。
 手早く食べられるじゃこめし、残りものの茸を使った味噌汁、いつも漬けているぬかみそ漬けに、残りものの鳥肉を使ったタンドリーチキン。
 どれも手早く簡単なメニューだった。
 猫がそばに座ってくれるので、寂しく思わない。
 夕食を食べていると、インターフォンが鳴り、アンジェリークは慌てて出た。
「はい」
 画面に出たのはアリオスで、アンジェリークの表情は、驚きと喜びに裏打ちされる。
「おかえりなさい」
 驚いて、すぐにロックを解除して、アンジェリークは玄関先に迎えに行った。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 軽いキスを玄関先でした後、アリオスは自分の寝室に向かう。
「今日は会合が中止になったの?」
「会合は明日だ」
「嘘!!」
 これにはアンジェリークはびっくりした。
 ついつい今日だと思っていたのだ。
「ごめんなさい。今日だと思ってたの。あ、でも、すぐにごはんの支度は出来るから!」
 アンジェリークはぱたぱたとキッチンに向かい、お弁当に残しておいたものをアリオスのタンドリーチキンにして焼き、味噌汁を温め直したりした。
 15分後には簡単な夕食が湯気を立てて、アリオスの前に差し出される。
「ごめんね?」
「かまわねえよ。気にすんな」
 栗色の髪をくしゃりと撫でられて、アンジェリークは胸が切なく締まるのを感じた。
「美味いぜ?」
「うん、有り難う」
 簡単に作った夕食でも、アリオスが喜んで食べてくれるのが嬉しい。
「料理、上手くなったな」
 さりげない一言であるが、アンジェリークは天にも上がる心地になった。

 夕食後の後片付けは、アリオスが協力をしてくれてすぐに済む。
 食器洗い乾燥機もあるので早い。
「今日、本当にごめんね?」
「ああ。構わねえよ」
 謝ってくる彼女が可愛くて、アリオスはぎゅっと抱き締めてしまう。
「アリオスのスケジュール、ホワイトボードに書いたら忘れたり、間違えたりしないものね? 明日買ってくる」
「俺も書くようにするから」
「うん。有り難う」
 ぎゅっとお互いに抱き合いながら、ふたりは甘い時間を過ごす。
 このひとときが、お互いに最も大切な時間だった。
 いつでもアリオスに恋をしているから、今の生活は最高に幸せだ。
 ほわほわとしたぬくもりに包まれながら、アンジェリークは幸せを噛み締めていた。

 翌日は、アリオスが遅いのが判っていたので、ぬかづけと鮭でお茶漬けをした。
 万が一、アリオスがおなかを空かせて帰ってきた時の為に、夜食の用意をする。
 いつも一生懸命働いてくれている彼の為に、細々と世話をしてあげたかった。
 アリオスの帰宅は、11時を過ぎで、アンジェリークはパジャマのままで出迎えにいく。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 キスをした時、少し甘い匂いがした。はっとしてアリオスを見たが、彼の表情は一向に変わらない。
「お茶漬けの用意も出来るよ」
「今日はいい」
「そう。お風呂の用意も出来てるから入ってね」
 アンジェリークは優しい笑顔でアリオスに言い、部屋に向かう。
「サンキュ。早く寝ろよ」
「うん、おやすみなさい」
 アンジェリークはもう一度アリオスに愛らしい笑顔を浮かべてから、自室に戻った。
 その後ろ姿を見つめて、アリオスはフッと溜め息を吐く。

 別にやましいことは何もしてねえのに、こんなに後ろめたく感じる…。
 あれは、不可抗力だったのにな・・・。


 翌日、アリオスには珍しく、うっかり書類を忘れてしまい、アンジェリークに持ってきてもらうように頼んだ。
 アリオスにお使いを頼まれたのが嬉しくて、アンジェリークはいそいそと持っていく。
 ほんの少しだけお洒落をして。
 アリオスのオフィスに入ると、社員らしい者たちが休憩がてら話していた。
「しかしなあ、社長がアルカディア銀行頭取の娘と昨日のパーティで見合いをしたとはなあ」

 えっ・・・!?

 アンジェリークの表情は一瞬凍り付いた。

 そんな・・・!!

 本当に事実かどうか確かめる為、アンジェリークは耳を峙てる。
「上手くいけばうちの会社も更に大きくなるなあ」
「社長はかなりカッコいいからなあ。でも、何だ、身寄りのない子を引き取って育てているって噂だろ? 実際のところどうなんだ?」
「やっぱり拙いんじゃないの? 足手まといになるんじゃないの?」
 これにはアンジェリークは流石に辛くなる。
 ずっと自分は、アリオスのフィアンセだと思っていた。
 だが、現実はそうじゃないのかもしれない。その証拠に、彼女はアリオスとキス以上の行為はしていない。

 アリオス・・・。

 俯いたまま、アンジェリークはオフィスに入っていった。
 眼差しは暗く、心はどんよりと重い。
「アンジェリークではありませんか!」
 名前を呼ばれて顔を上げると、そこにはアリオスの優秀な部下であるカインがいた。
「どうしましたか? ご気分がお悪いようですが」
「大丈夫です、カインさん。あ、これをアリオスに渡してください」
 おずおずと渡すと、カインは笑顔でそれを受け取ってくれる。
「判りました。お渡ししておきます」
「ねぇ、カインさん」
 思い詰めたような瞳を向けるアンジェリークに、カインは包み込むような瞳を向ける。
「何でしょう? アンジェリーク」
「アリオスって、銀行のひとと結婚するの?」
 これには、カインの顔色が僅かに変わる。
「アンジェリーク・・・」
「・・・私はお荷物なのかな・・・」
 ぽつりとアンジェリークは呟いた後、陰りのある表情になる。
「アンジェリーク!?」
「じゃあね。カインさん・・・」
「アンジェリーク!! 待ってください!!」
 カインが呼び止めるのも聞かず、アンジェリークは行ってしまう。
 カインは、アリオスが帰ってくるまで待ち、報告することにした。

 アンジェリークは切なくて泣きそうになりながら、一端、家に帰る。
 すぐに夕食の支度を手早く行い、それがすめば荷物をまとめ始めた。
 泣きながらそれらを済ませると、アンジェリークは子猫を抱き上げる。
「行こうか?」
「にゃおん」
 アンジェリークはぎゅと猫を抱きしめて、幸せだった暖かな場所から出ていく。

 さよなら…。
 アリオス…。

 外に出ると、雨がぽつぽつと降り始めいた-------


 カインから報告を貰うなり、アリオスは家に直行する。
 嫌か予感がする------
 その予感が、やはり当たっていた。
 息を乱して部屋に戻り、インターフォンを何度も押すが反応がない。
 慌てて部屋にはいると、もぬけの殻だった。

 アンジェ…!!!!

 彼の脳裏には、アンジェリークの笑顔が浮かぶ。
 子猫と戯れる愛らしい彼女の姿に、彼は胸を締め付けられた。
 ダイニングを見ると、今夜の夕食が、一人分だけ用意されている。
 まだ温かいので、遠くに行っては居ないはずだ。
 アリオスは、アンジェリークを求めて、外に飛び出した。

「ねえ、どこに行こうか…」
 猫とふたり、アンジェリークは雨に濡れながら、とぼとぼと歩いている。

 見つけた--------

 外を出て暫く探すと、華奢な後ろ姿を見つけた。
 アリオスは傘を差して、ゆっくりと近付く。
「アンジェ」
 低い大好きな声に、アンジェリークははっとして振り返る。
 そこには、大好きでたまらない、男性が僅かに微笑みを湛えて立っている。
「アリオス…」
「また、おまえと猫を拾いに来た」
 彼は甘く言うと、アンジェリークにいきなり近付いて抱きしめてしまった。
 逃げる余裕なんてなかった。
 ただ、息が出来ないほど抱きしめられる。
「何を吹き込まれたか白根絵が、俺はおまえ以外の女と一緒になる気はねえから。俺の隣はおまえの指定席だ」
 アリオスはただそれだけを言うと抱きしめ、唇を奪った。

 アリオス…!!!!

 幸せが唇から伝わってくる。
「冷たいな…。いっぱい、温めてやるよ? 覚悟しておけよ?」
「…ううん。今日の雨はもう冷たくないよ…」
「部屋に帰ろう。温めて、温めまくってやるから…」
「アリオス…」
 大好きな男性の傘に入って、ゆっくり我が家に戻っていく。
 その後は、勿論アリオスの腕の中で、アンジェリークは女としての、最高の幸せが刻み込まれる。

 春の雨はこんなに温かいって、知らなかった…。

 アンジェリークはつくづくそう感じずにはられなかった。     
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Rainの続編です
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モドル