Scene 2


「先生、好きです!」
 手を震わせながら、アンジェリークは数学教師アリオスに、告白と一緒に手紙を渡した。
 アリオスはそれを見て、良くない微笑みを浮かべる。
「いらねえ」
「え?」
 一瞬、彼女は耳を疑う。
「だから、いらねえ」
 アリオスはそのまま踵を返して、すたすたと歩いていってしまう。
 余りもの出来ごとに、アンジェリークはその場で呆然としてしまった。

 嘘・・・。いつも告られて手紙を渡されても、無下にせず、ちゃんと断りをいれてくれる先生が、あんな扱いするなんて・・・。

 余りにもショックで、アンジェリークはしばらくは動くことすら出来なかった。


 すっかり力を落としたアンジェリークは、クラブが終わった後、カフェでレイチェルに慰めてもらっていた
「ゲームに負けたとは言え、内気なアナタが、あんなにガンバって告ったのに・・・。酷だった? この罰ゲーム」
 アンジェリークは僅かに首を振る。
 そもそも、ことの発端は、レイチェルとその恋人のエルンストとオセロをしたとき、そのままではつまらないからと、負けたら誰かの決めたことをすることになった。アンジェリークは、レイチェルに決められて「好きな人に告白」だった。
 このメンバーだと、当然アンジェリークが負けてしまい、今日の告白に繋がったのだ。
「でもさ〜、アリオス先生もキツイよね。皆が見ている前で、あんなことをすることはないじゃん!」
 そう大きな声でレイチェルが言ったとき、カフェのドアが開き、なんとアリオスが入ってきた。
 しかも綺麗な女性を伴って。
「アンジェ、ヤバイよ! アリオス先生!」
「え!?」
 こっそり椅子の隙間から覗くと、まさしく彼がいた。
「付き合ってる女性・・・、いたんだ」
 顔色を無くしている親友に、レイチェルは切なそうに見つめる。
 アリオスと一緒の女性が座ったのな、二人がいたふたつ手前のブース。見つからずに店を出るのは、大周りしかない。
「行こうか、アンジェ」
「うん」
 二人は小声で話し、こそこそと席から出ていく。しかも、体を屈ませて、いかにも怪しい雰囲気である。
「アリオス先生じゃなくてもこうしなきゃね。うち制服のままじゃこういうとこ行ったらダメだもんね」
「うん」
 二人はこそこそとレジに向かった。

当然よね・・・。アリオス先生は28で、大人の男の人で、彼女、いないほうがおかしいんだもん。

 沈みながらレジに向かっていると、前を子供が通り過ぎた。その後を、温かい紅茶を運んでいる店員が、やってくる。子供が足下で、ちょこまかしている。
「あ!」
 そのせいで、店員が身体のバランスを崩し、弾みで運んでいたトレーから手を放した。食器が床にぶつかる音がし、そのまま中身がぶちまけられた。
「アンジェ!」
 アンジェリークは熱い飲み物類を全てかぶってしまい、制服がべっちょりなった。薄いベージュのせいか、すっかり染みになってしまっている。そのうえ熱かったせいか、足がほんのりと赤くなっている
「申し分けありません!」
 深々と店員が頭を下げ、マネージャーや子供の母親まで出てくる。
「お客様! もう仕訳ございません! すぐに服をクリーニングさせていただきます! 代わりのお洋服もすぐご用意させていただきますので!」
 と、マネージャーが切り出せば
「うちの子が悪いんです!」
 と、子供の母親も詫びる。
 大騒ぎになり、誰もが注目している。
「騒がしいな、何かあったのか?」
「ちょっと興味があるわね」
「やじ馬か? オリウ゛ィエが来るまでだから、あまり見えない・・・」
 そこでアリオスは絶句してしまう。レジの奥の従業員用の扉に案内されているのは、彼の教え子、アンジェリークとレイチェル。しかもアンジェリークの制服は、紅茶染みが付いている。アリオスはすぐに立ち上がり、彼女たちの元に向かう。
「こうなったのも、アリオス先生のせいよね〜」
 レイチェルがこっそりと囁けば、アンジェリークは少し辛そうに笑った。
「コレット!」
 その魅力的に話すテノールに、アンジェリークは体をビクリとさせた。
「見つかったか〜」
 レイチェルの声にも、今日ふられたばかりのアンジェリークはアリオスをまともに見ることは出来ない。
「火傷はしなかったか!?」
 心配してくれるのは判るが、アンジェリークにはそれが苦しくて、顔を上げることが出来ない。
「大丈夫ですから」
 目を合わせずに、彼女は答えると、そのまま奥へと向かおうとする。
「待て」
 華奢な肩をぐいっとアリオスに掴まれ、彼女は怯む。
「俺は車だから家まで送ってやる」
「レイチェルがいますから、大丈夫です」
 ほんの一瞬だけ、彼女は彼の顔を見た。
「いいから、着替えさせてもらって、制服が出来上がるまで待っておいてやるよ」
 アリオスは引く気がなかった。
「いいです! 先生だってお連れの方がいるでしょ!? だから、その方のことも考えて下さい」
 いつもの彼女と違ってその論旨にはどこか刺がある。
「あいつは俺の友人の恋人だ。二人で奴を待ってるんだ。俺がいなくなっても、困らないどころか歓迎するんじゃねえのか?」
 アリオスはアンジェリークを送る気が満々だった。
 そこに、少し派手目の青年が中に入ってくる。
「あー、アリオス!」
「よ、オリウ゛ィエ」
 二人は親しそうに話し、顔を合わせる。
「オリウ゛ィエ、生徒がヤケドをしてな。送って行くから、ロザリアとライブに行ってこい」
「判ったよ」
 言って、オリウ゛ィエはちらりとアンジェリークを見た。
「あのこ、あんたが言ってた教え子は?」
 楽しそうに彼は耳打ちをし、オリウ゛ィエはさも判っているような、笑みを浮かべる。
「いいから、行け!」
「はーい」
 ロザリアが待つ席へと向かったオリウ゛ィエを尻目に、アリオスはアンジェリークを見る。
「ほら一緒に行くぜ?」
 ぐいっと腕を力強く掴まれて、アンジェリークはその男らしさにくらっと来た。三人で中に入り、まずはアンジェリークの足をタオルで冷やし応急手当てをする。
「俺がやる」
 と、アリオスは自ら進んで買って出た。

 ひょっとしてアリオス先生は・・・。

 レイチェルはそう色めき立つ。だが、アリオスに足を冷やされ手当てをされてるアンジェリークは、気が気でない。

 やだ・・・、物凄く恥ずかしい・・・

 彼に足を触れられるだけで、それこそ顔から火が出そうだ。
「大したことなくてよかったな?」
「・・・はい」
 その行為が余りにも羞恥なもので、彼女ははにかんだままだった。最後に念のためにと、軽く薬が塗られる。
「ワンピースのご用意が出来ましたわ」
「はい」
 アンジェリークはその声に心底ほっとした。
 スタッフに連れられてアンジェリークが行為汁に消えたと同時に、レイチェルは口を開いた。
「先生! これはどういうこと!?」

 レイチェルは咎めるように言い、アリオスをにらみ付ける。
「俺が、コレットに手紙を突き返したことか?」
「そうです! 先生が”アンジェを振ったこと”です! あのこ、凄く傷ついたんだから・・・。ずっと先生のこと、好きだったんだから・・・」
 物凄い勢いで話すレイチェルが、本当に親友思いなのが、痛いほどよく判る。
「あのな、あんなだれが見てるか判らない場所で、告られて、ああしないわけにはいかないだろう」
「アリオス先生」




 先生は何を考えてるんだろうか・・・ 

 用意された白い可愛らしいワンピースに袖を通しながら、アンジェリークは複雑な思いにかられていた。
「本当に、申し分けありません」
「いいえ。こんな可愛らしいワンピースを貸して頂いて・・・」
 まんざらでもなさそうに、アンジェリークは答えた。
「とっても可愛らしいですわ。こちらはうちの謝罪の気持ちですから、どうぞそのまま着て帰って下さいね!」
「そんな、申し訳ないです・・・」
「いいえ。制服を汚してしまったから、当然です。さ、お連れ様がお待ちですよ」
 流石、接客のプロだけあって、スタッフの扱いは洗練されている。スタッフにドアを開けてもらい、更衣室を出た。「アンジェ」
 なぜか機嫌が良くなっているレイチェルが、駆け寄ってくる。
「レイチェル!」
「アンジェ、ごめん!」
 レイチェルは本当に済まなさそうな顔をし、手を合わせた。アンジェリークは一抹の不安を感じる。
「まさか?」
「そ、ごめん。ちょっと急いで家に帰らなきゃならなくなっちゃって、一緒に待てないの」
 予感的中だとアンジェリークは思う。
「とにかく、アリオス先生が送ってくれるって言ってるから、送ってもらって」
「あのね」
 反論しようとしてアンジェリークは口が開くが、レイチェルに阻まれる。
「とにかく、そういうことだから!」
 それだけを言うと、レイチェルはその場を逃げるように立ち去る。
「あ、レイチェル!」
 アンジェリークが止めても、止まらないレイチェルなのであった。

がんばってね? アンジェ。きっとうまくいくから!

 残されたアンジェリークは、切なげに溜め息を吐いた。
「おい、俺といるのが嫌か?」
 テノールが響いて、アンジェリークは怯えるように体を震わせる。
「いいえ」
「手紙のこと…、気にしてるのか…?」
 真を疲れて彼女ははっとした。
 潤んだ瞳で彼を見つめることが、全てを語っている。
「-----あのな、コレット。俺がああしたのはちゃんと理由があるんだぜ?」
「理由?」
彼女は彼が何をいっているか判らず、首をかしげた。
「誰がくる判らん場所でいきなり言われてみろ?
 おれとおまえは教師だぞ? 良くない噂が飛んでおまえにも迷惑がかかるだろうが」
 アンジェリークは驚いて思わずアリオスの顔を見た。
「ちゃんと返事を聞かなかった罰だ…」
「え・・・?」
 心の準備が出来ぬまま、アンジェリークは、まるで羽根のようなキスを唇にされた。
「…先生っ!」
 彼女は真っ赤になって、潤んだ瞳で彼を見つめることしか出来ない。
「罰はまだすんでないぜ?」
 良くない微笑を浮かべられて、彼女はドギマキする。
「これは俺に冷たくした罰」
「これは俺を見なかった罰」
「これは人前で俺に告った罰」
「これは俺を睨んだ罰…」
 そういいながら、アリオスは一回一回羽のようなキスを落としていった。
 何度も何度も口付けられて、アンジェリークは頭がぼんやりとしてくる。
「これは…」
 そう言って、彼は彼女の頬を両手で包み込むと、情熱的な眼差しを彼女に落とした。
「----愛してる…」
 深く唇が重ねられた。
 先ほどのものよりも深く、甘いキス。
 何度も唇を据われて、舌で遊ばれて。
 アンジェリークは夢見ごごちな気分になる。
 ようやく唇が離されたとき、彼女は潤んだ瞳で見つめ、彼に告げた。
「愛しています…」
「アンジェ…、二人はしっかりと抱き合う。


「制服がクリーニングから上がったことは、もう少し後から言いましょうか…」
「そうですね…」
 二人の様子を見つめていたスタッフたちが、幸せな気分になって微笑んだ。

 ひょっとして、自分たちがふたりのキューピットかも…?

 



コメント

軽いキスを何度もする…。
なんかそういうのを書きたかったんですが、役不足。
すいません…