
「先生、好きです!」 手を震わせながら、アンジェリークは数学教師アリオスに、告白と一緒に手紙を渡した。 アリオスはそれを見て、良くない微笑みを浮かべる。 「いらねえ」 「え?」 一瞬、彼女は耳を疑う。 「だから、いらねえ」 アリオスはそのまま踵を返して、すたすたと歩いていってしまう。 余りもの出来ごとに、アンジェリークはその場で呆然としてしまった。 嘘・・・。いつも告られて手紙を渡されても、無下にせず、ちゃんと断りをいれてくれる先生が、あんな扱いするなんて・・・。 余りにもショックで、アンジェリークはしばらくは動くことすら出来なかった。 すっかり力を落としたアンジェリークは、クラブが終わった後、カフェでレイチェルに慰めてもらっていた 「ゲームに負けたとは言え、内気なアナタが、あんなにガンバって告ったのに・・・。酷だった? この罰ゲーム」 アンジェリークは僅かに首を振る。 そもそも、ことの発端は、レイチェルとその恋人のエルンストとオセロをしたとき、そのままではつまらないからと、負けたら誰かの決めたことをすることになった。アンジェリークは、レイチェルに決められて「好きな人に告白」だった。 このメンバーだと、当然アンジェリークが負けてしまい、今日の告白に繋がったのだ。 「でもさ〜、アリオス先生もキツイよね。皆が見ている前で、あんなことをすることはないじゃん!」 そう大きな声でレイチェルが言ったとき、カフェのドアが開き、なんとアリオスが入ってきた。 しかも綺麗な女性を伴って。 「アンジェ、ヤバイよ! アリオス先生!」 「え!?」 こっそり椅子の隙間から覗くと、まさしく彼がいた。 「付き合ってる女性・・・、いたんだ」 顔色を無くしている親友に、レイチェルは切なそうに見つめる。 アリオスと一緒の女性が座ったのな、二人がいたふたつ手前のブース。見つからずに店を出るのは、大周りしかない。 「行こうか、アンジェ」 「うん」 二人は小声で話し、こそこそと席から出ていく。しかも、体を屈ませて、いかにも怪しい雰囲気である。 「アリオス先生じゃなくてもこうしなきゃね。うち制服のままじゃこういうとこ行ったらダメだもんね」 「うん」 二人はこそこそとレジに向かった。 当然よね・・・。アリオス先生は28で、大人の男の人で、彼女、いないほうがおかしいんだもん。 沈みながらレジに向かっていると、前を子供が通り過ぎた。その後を、温かい紅茶を運んでいる店員が、やってくる。子供が足下で、ちょこまかしている。 「あ!」 そのせいで、店員が身体のバランスを崩し、弾みで運んでいたトレーから手を放した。食器が床にぶつかる音がし、そのまま中身がぶちまけられた。 「アンジェ!」 アンジェリークは熱い飲み物類を全てかぶってしまい、制服がべっちょりなった。薄いベージュのせいか、すっかり染みになってしまっている。そのうえ熱かったせいか、足がほんのりと赤くなっている 「申し分けありません!」 深々と店員が頭を下げ、マネージャーや子供の母親まで出てくる。 「お客様! もう仕訳ございません! すぐに服をクリーニングさせていただきます! 代わりのお洋服もすぐご用意させていただきますので!」 と、マネージャーが切り出せば 「うちの子が悪いんです!」 と、子供の母親も詫びる。 大騒ぎになり、誰もが注目している。 「騒がしいな、何かあったのか?」 「ちょっと興味があるわね」 「やじ馬か? オリウ゛ィエが来るまでだから、あまり見えない・・・」 そこでアリオスは絶句してしまう。レジの奥の従業員用の扉に案内されているのは、彼の教え子、アンジェリークとレイチェル。しかもアンジェリークの制服は、紅茶染みが付いている。アリオスはすぐに立ち上がり、彼女たちの元に向かう。 「こうなったのも、アリオス先生のせいよね〜」 レイチェルがこっそりと囁けば、アンジェリークは少し辛そうに笑った。 「コレット!」 その魅力的に話すテノールに、アンジェリークは体をビクリとさせた。 「見つかったか〜」 レイチェルの声にも、今日ふられたばかりのアンジェリークはアリオスをまともに見ることは出来ない。 「火傷はしなかったか!?」 心配してくれるのは判るが、アンジェリークにはそれが苦しくて、顔を上げることが出来ない。 「大丈夫ですから」 目を合わせずに、彼女は答えると、そのまま奥へと向かおうとする。 「待て」 華奢な肩をぐいっとアリオスに掴まれ、彼女は怯む。 「俺は車だから家まで送ってやる」 「レイチェルがいますから、大丈夫です」 ほんの一瞬だけ、彼女は彼の顔を見た。 「いいから、着替えさせてもらって、制服が出来上がるまで待っておいてやるよ」 アリオスは引く気がなかった。 「いいです! 先生だってお連れの方がいるでしょ!? だから、その方のことも考えて下さい」 いつもの彼女と違ってその論旨にはどこか刺がある。 「あいつは俺の友人の恋人だ。二人で奴を待ってるんだ。俺がいなくなっても、困らないどころか歓迎するんじゃねえのか?」 アリオスはアンジェリークを送る気が満々だった。 そこに、少し派手目の青年が中に入ってくる。 「あー、アリオス!」 「よ、オリウ゛ィエ」 二人は親しそうに話し、顔を合わせる。 「オリウ゛ィエ、生徒がヤケドをしてな。送って行くから、ロザリアとライブに行ってこい」 「判ったよ」 言って、オリウ゛ィエはちらりとアンジェリークを見た。 「あのこ、あんたが言ってた教え子は?」 楽しそうに彼は耳打ちをし、オリウ゛ィエはさも判っているような、笑みを浮かべる。 「いいから、行け!」 「はーい」 ロザリアが待つ席へと向かったオリウ゛ィエを尻目に、アリオスはアンジェリークを見る。 「ほら一緒に行くぜ?」 ぐいっと腕を力強く掴まれて、アンジェリークはその男らしさにくらっと来た。三人で中に入り、まずはアンジェリークの足をタオルで冷やし応急手当てをする。 「俺がやる」 と、アリオスは自ら進んで買って出た。 ひょっとしてアリオス先生は・・・。 レイチェルはそう色めき立つ。だが、アリオスに足を冷やされ手当てをされてるアンジェリークは、気が気でない。 やだ・・・、物凄く恥ずかしい・・・ 彼に足を触れられるだけで、それこそ顔から火が出そうだ。 「大したことなくてよかったな?」 「・・・はい」 その行為が余りにも羞恥なもので、彼女ははにかんだままだった。最後に念のためにと、軽く薬が塗られる。 「ワンピースのご用意が出来ましたわ」 「はい」 アンジェリークはその声に心底ほっとした。 スタッフに連れられてアンジェリークが行為汁に消えたと同時に、レイチェルは口を開いた。 「先生! これはどういうこと!?」 レイチェルは咎めるように言い、アリオスをにらみ付ける。 「俺が、コレットに手紙を突き返したことか?」 「そうです! 先生が”アンジェを振ったこと”です! あのこ、凄く傷ついたんだから・・・。ずっと先生のこと、好きだったんだから・・・」 物凄い勢いで話すレイチェルが、本当に親友思いなのが、痛いほどよく判る。 「あのな、あんなだれが見てるか判らない場所で、告られて、ああしないわけにはいかないだろう」 「アリオス先生」 先生は何を考えてるんだろうか・・・ 用意された白い可愛らしいワンピースに袖を通しながら、アンジェリークは複雑な思いにかられていた。 「本当に、申し分けありません」 「いいえ。こんな可愛らしいワンピースを貸して頂いて・・・」 まんざらでもなさそうに、アンジェリークは答えた。 「とっても可愛らしいですわ。こちらはうちの謝罪の気持ちですから、どうぞそのまま着て帰って下さいね!」 「そんな、申し訳ないです・・・」 「いいえ。制服を汚してしまったから、当然です。さ、お連れ様がお待ちですよ」 流石、接客のプロだけあって、スタッフの扱いは洗練されている。スタッフにドアを開けてもらい、更衣室を出た。「アンジェ」 なぜか機嫌が良くなっているレイチェルが、駆け寄ってくる。 「レイチェル!」 「アンジェ、ごめん!」 レイチェルは本当に済まなさそうな顔をし、手を合わせた。アンジェリークは一抹の不安を感じる。 「まさか?」 「そ、ごめん。ちょっと急いで家に帰らなきゃならなくなっちゃって、一緒に待てないの」 予感的中だとアンジェリークは思う。 「とにかく、アリオス先生が送ってくれるって言ってるから、送ってもらって」 「あのね」 反論しようとしてアンジェリークは口が開くが、レイチェルに阻まれる。 「とにかく、そういうことだから!」 それだけを言うと、レイチェルはその場を逃げるように立ち去る。 「あ、レイチェル!」 アンジェリークが止めても、止まらないレイチェルなのであった。 がんばってね? アンジェ。きっとうまくいくから! 残されたアンジェリークは、切なげに溜め息を吐いた。 「おい、俺といるのが嫌か?」 テノールが響いて、アンジェリークは怯えるように体を震わせる。 「いいえ」 「手紙のこと…、気にしてるのか…?」 真を疲れて彼女ははっとした。 潤んだ瞳で彼を見つめることが、全てを語っている。 「-----あのな、コレット。俺がああしたのはちゃんと理由があるんだぜ?」 「理由?」 彼女は彼が何をいっているか判らず、首をかしげた。 「誰がくる判らん場所でいきなり言われてみろ? おれとおまえは教師だぞ? 良くない噂が飛んでおまえにも迷惑がかかるだろうが」 アンジェリークは驚いて思わずアリオスの顔を見た。 「ちゃんと返事を聞かなかった罰だ…」 「え・・・?」 心の準備が出来ぬまま、アンジェリークは、まるで羽根のようなキスを唇にされた。 「…先生っ!」 彼女は真っ赤になって、潤んだ瞳で彼を見つめることしか出来ない。 「罰はまだすんでないぜ?」 良くない微笑を浮かべられて、彼女はドギマキする。 「これは俺に冷たくした罰」 「これは俺を見なかった罰」 「これは人前で俺に告った罰」 「これは俺を睨んだ罰…」 そういいながら、アリオスは一回一回羽のようなキスを落としていった。 何度も何度も口付けられて、アンジェリークは頭がぼんやりとしてくる。 「これは…」 そう言って、彼は彼女の頬を両手で包み込むと、情熱的な眼差しを彼女に落とした。 「----愛してる…」 深く唇が重ねられた。 先ほどのものよりも深く、甘いキス。 何度も唇を据われて、舌で遊ばれて。 アンジェリークは夢見ごごちな気分になる。 ようやく唇が離されたとき、彼女は潤んだ瞳で見つめ、彼に告げた。 「愛しています…」 「アンジェ…、二人はしっかりと抱き合う。 「制服がクリーニングから上がったことは、もう少し後から言いましょうか…」 「そうですね…」 二人の様子を見つめていたスタッフたちが、幸せな気分になって微笑んだ。 ひょっとして、自分たちがふたりのキューピットかも…? |