| アリオスとアンジェリークは宿屋をそっと抜け出して、或る場所へと向かっていた。 彼が、彼女に見せたいものがある、と誘ったのだ。 闇の薄い帷がゆるりと落ち始めている林の中に差し掛かる。 ―――すれ違う人は殆どいなかった。 ―――二人の間に何故か会話もなかった。 辺りの静寂に感覚が研ぎ澄まされてゆくのを、アンジェリークは感じる。 手首を軽く掴んでいる温かい手の、長くて骨ばっている指が冷たく感じられて…痛い。 だから、彼女は心が悲鳴を揚げる前に口を開く。何時も通りに少し微笑んで。 「何処、行くの、アリオス?」 立ち止まらずに彼は少し振り返って、何時も通りの薄笑いを彼女へ送る。 「見せたいものって、何?」 「お前が喜びそうなものだ」 「喜びそうな…あっ!」 「どうした?」 突然、アンジェリークが一声高く揚げたので、アリオスは驚いて身体を向けた。 翠玉の瞳に、視線を固定させ何かを仰ぎ見ている姿が映る。 「一番星!」 「……は?」 「アリオス、ほら、あの木の上に最初のお星サマ!!」 白い指先が指し示した先を辿ると、暗群青の中天で小さな星がひっそりと瞬いている。 「クッ、普段はぼやっとしてるクセに、よく、あんな…」 からかい口調が途中で止まる。 瞳を伏せ、少し俯いたアンジェリークが、何かを祈っているようだったからだ。 以前の彼女は一番星を見つけると、嬉しそうな笑顔ではしゃぐだけだった。 「…さっき、何か祈ってたのか? 前はしてなかったよな?」 再び歩き出して訊ねた彼に、彼女は曖昧な微笑みを浮かべてみせる。 「うん。最近、一番星にお願いしてるの」 「願い…それって、流れ星じゃねぇのか?」 「普通はそうみたい。けれど、私の故郷では一番星だったの。その夜、最初に瞬いた お星サマに願いをかけると叶うって言われてたわ」 「ふ…ん。ま、何にしろ、お前の事だから、『皆が無事に旅を続けられますように』とか 『女王様を早く助けられますように』とか願ってんだろ。図星か?」 「…ふふっ。ヒミツ」 アンジェリークは少し段差がある地面を気にして、足元を見ながら答える。 丁度、段差があって良かった、転ばないように気をつけていると思われるだろう。 アンジェリークがモタモタと段差を越えようとしていると、アリオスが彼女の手首を放した。 その手で、ひょいっ、と細い腰を抱え、軽々と段差を越えさせる。 「ありがとう…」 彼女は赤面しながら礼を陳べるが、彼は少し眉を寄せてその顔を見つめた。 立ち止まったままで、彼女の腰に回された手が離される気配はない。 自分の瞳に注がれた翠玉の瞳に、心の底を見透かされるような気がして、震える。 「…あ、あの、着いたの? ココ?」 アンジェリークは辺りを見回す為…振りをして視線を外し、訊ねる。 翠玉の瞳の代わりに、闇の帳にうっすらと包まれた木立と草花が映った。 「イヤ…もうすぐ、この道を登った所だ。暗くなってきたから、足元すっ転ばないように 気をつけろよ」 再び、温かく冷たい手に手首を捕らえられる。 この偽りの拘束が心からの拘束になってくれればと、何度彼女は願っただろう…。 小高い丘の上でアリオスは立ち止まると、瞳と顎で足元を示した。 「これ、だ。以前に此所を通った時に見つけた」 「わ…あ。カワイイ…」 二人の足元で、数本の白い小花が寄り添うように、小さな塊となって咲いている。 小さな星形の白い花は、闇が濃くなるにつれ開花してゆくようで、開花と共に微かな光を 発していた。 丁度、中天に瞬いていた、あの一番星のように…。 気付いてみると、所々に同じような微かな光が浮かんでいる。 「本当なら、真夜中頃が一番綺麗に光って咲くんだが、まさか、お前を真夜中に連れ出す 訳にはいかねぇだろ。あいつらが煩いからな」 今だって気付かれたら何て言われるか、とアリオスは肩を竦めてみせる。 そんな彼の様子に微笑みを誘われながら、アンジェリークは素直に礼を陳べた。 「アリオス、素敵なお花を見せてくれてありがとう。こんなお花初めて見たわ。何て名前の お花なの?」 「さぁな。花の名前は知らねぇが、お前の好きそうなおまじないなら知ってるぜ」 「え、おまじない? 教えて」 「俺の故郷にもこの花があってな、以前に…或る人から教えて貰ったんだ」 「……」 再び花を見るように俯いたアンジェリークの沈黙を、話の続きの催促だと受け取り、 アリオスは話し続ける。 「この花は星の光を集めて咲くんだと。数本がこういう風に小さな塊になって咲くのが 普通だが、中には塊にならずに、小さな輪を描く様に咲く場合もあるらしい…その状態を 『地の星冠』と呼ぶそうだ」 「…お星サマの冠なの?」 「そう。で、満月の晩に地の星冠の内側で口付けを交わしたカップルは、永遠に結ばれる っておまじないだ」 お前が好きそうだろ、と薄く笑う残酷な男に、肯定する為の微笑みを返す。 ふと、アリオスが眉を寄せた。 「さっきから思ってたんだが…どこか調子でも悪ィのか?」 「え? 私はいつも元気よ!」 そう明るく元気に、何時も自分に言い聞かせている呪文を唱えてみせる。 だが、彼は不審な顔をし続ける。 「…何かヘンな顔だぞ、お前」 「そんなこと…」 「ほらな。普段なら其処でヘンなんて失礼だとくって掛かるのに、全然張合いがねぇ」 「そんなの、アリオスがそう思っているだけで…」 「ジュリアスあたりにでも、何か言われたのか?」 「ジュリアス様は何も仰らないわ」 「じゃ、誰だ?」 あなた、よ… 自分を傷つけている当人の心配そうな声に、思わず張り詰めている感情が弾ける。 「アリオス…っ」 「何だ?」 「おまじない…教えてくれた人とキスしたの!?」 普通に訊ねようとしたのに、自分でも驚く程口調がキツくなっていた。 アリオスは一瞬呆然としたようだが、次の瞬間、前のめりになって爆笑した。 「笑わないで!!」 「―――クッ…悪ィ…ッ…何だ、お前、妬いてたのか」 「妬いてなんかないもんっっ!!」 からかう口調に涙が出そうになる。 からかうのは、本心を明かしたくないから。 突然背を向けた少女が逃げ出してしまいそうで、彼は慌ててその腕の中へ閉じ込める。 びくり、と華奢な身体が震えるのは、男に慣れていないからだ、と彼は思っている。 「気付いていたか? 此所、『地の星冠』の内側だぜ?」 アリオスは、アンジェリークの耳元で、甘く囁く。 その言葉に足元を見回して見れば、先程より濃さを増した暗群青の闇の中、白い光の輪 がぼんやりと浮かび上がっているのに気付く。 「今夜は満月じゃねぇが…どうする?」 敏感な白い首筋に冷たい唇を落としながら、彼は何時ものように笑みを含んだ声で問い からかうように彼女の反応を見ようとする。 その言葉が心を凍えさせ、その拘束が身体を凍えさせ、痛くて、苦しくて……哀しくて…。 「キスして」 冷静な声で、彼が望むままに言ってしまう。 熱い口付けで、凍えてしまっている自分の全てを溶かして欲しいから。 言葉を受けて、アリオスの腕が華奢な身体を抱き締めたままで正面へと向かせる。 翠玉の瞳が碧水色の瞳を見つめ、唇が重ねられる。 熱く濡れた舌がゆるりと侵入してきて、待っていた少女のと、お互いの欲求のままに強く 激しく絡まり合い、溢れる唾液が交わされ合う。 唇を喘ぎも洩らせぬ程ぴたりと塞がれ、口腔の粘膜を舐めまわす蕩けそうな熱い感触に アンジェリークの素直な身体は溶かされてゆく。 けれど、彼女の心は溶けない。 生命の熱さと、心の熱さは違う、と分かったから。 彼の熱い手からも熱い唇からも、愛情という熱が感じられないから。 崩れてしまいそうな身体と震える首筋に、冷たい枷 一番冷たい枷は、凍える唇へ 二つの熱の絶望的な隔たりが、熱いキスに溶かされながら可笑しくて、冷たいキスに凍え ながら涙となる。 こんなに長く一緒に旅をしてきて多くの時間を共有し、何度も抱き締められ、何度も口付け を交わしてしまえば、見えてくるものがある。 彼の瞳に映り続ける、何か…誰か、の存在…。 彼は時々ふとした拍子に、近寄り難い程遠く哀しい瞳をしているから。 思い出、に囚われているのが分かった。 それは、現在が決して超えることの出来ない、甘美な存在。 時が経てば経つほど狂おしい甘さを増してゆく、そんな存在。 「おい…」 アリオスは口付けから解放されたアンジェリークが泣いているのに気付いて呆然とする。 力の抜けた身体を彼に預け熱い息をつく彼女は、彼の後方の闇を無表情に見つめ続け、 碧水色の瞳から、ただぼんやりと涙を流し続けている。 呼吸が整い、その咽喉をついたのは嗚咽でなく、抑えている気持ちの代償。 「…アリオス、私のこと、好き?」 短い静寂の後、苛立った様子の真剣な顔で、少し困ったように低く呟かれる言葉。 「…嫌いな女とキスなんかする訳ねぇだろ」 「ふふっ、そうね…」 自分がした愚かな質問と予想通りの彼の答えに、涙を流しながら微笑む。 彼の言葉に偽りはないと分かるが、欲しいのはそんな言葉ではない。 キスしてくれるけれど… 抱き締めてくれるけれど… 好きだとは言ってくれない、ましてや… 涙が溢れるアンジェリークの瞳に、夜空に溢れている星々が滲む。 先程願いをかけた一番星を探そうとしても、見つからない。 「……もう、どれが一番星だか分かんなくなっちゃった…」 溢れて止まらない涙を、優しい唇が拭ってくれる。 あやすように再び唇を重ねられて、軽く触れるだけのキスを繰り返し落とされる。 力を増した腕に人形のように抱き締められるまま、翠玉の瞳の奥に微かな悔恨の色を 見つけてしまい、瞳を閉じる。 もう、何も見なくて良い、分からなくて良い。何も見たくない、分かりたくない。 ―――触れる温かさで偽っている、凍った心に気付いてしまったから。 それでも、軽いキスを受けながら、彼を逃がさないようにその首に両腕を絡め、縋り付く。 触れてきた唇の中へ潜り込もうとぎこちなく舌を使うと、容易く侵入を許される。 再び、目眩を感じる程の熱い感覚に飲み込まれ、意識が優しく殺められてゆく…。 彼の心を溶かしてくれるのなら、星にでも花にでも願い続ける 統べる宇宙の平和と発展、全ての人の健康と幸せだけが願いだった、お幸せな新宇宙の 女王陛下は、もう何処にも存在しない 私は、もう皆が思っているような、天使なんかじゃ、ない… |
| 二重に記念すべき1122キリ番を踏んで下さったtink様のリクエストは、 『天空設定。白亜宮の惑星で夜空を見ながら、甘く切ない二人』でした。 …い、如何でしょうか? 一番星探し競争で書けませんでした、スミマセン。 時間的には宝玉探しの辺りだと思って下さいませ。 ウチで未だ完結していない某創作後のお話です(苦笑) 天空アリオスがあれほどエリスに囚われていれば、トロいアンジェでも絶対に 気付くよなぁ、と思うことがあり、丁度キリリク受けてこんな話になりました。 しかし、微妙にリクエストと違いますよね…ハハ…場所説明してなかったし。 切ないというよりは暗いし、新年早々…。 tink様、こんな暗いのヤダと思われたら、遠慮なくボツってやって下さい(泣) from tink with love エリィ様、とっても切ない有難うございました。 文章に惚れ惚れします。 アンジェとアリオスの気持ちを考えると、切なくて、 胸の奥が苦しくなります。 本当に、こんな切ない創作を下さいまして、 有難うございました。 |