私の子供の頃に憬れていたファッションは土方スタイル。
家が土建屋なこともあり、それは大人の象徴のスタイルでもあった。
おとんもそうだが、当時ファンだった月亭可朝も着ていたから。
全身がとにもかくにも決まっている。
青いとっくり(土方用語*タートルネックのことです)を覗かせた作業着には、バッチリうちの名前がかかれている。
作業ズボンのニッカポッカはまるでモモンガみたいに素敵だし、広がるところも堪らない。
そして、腹につけた腹巻からお金を出すカッコよさといったら、サイコーだ。
足元を彩るは地下足袋「力王足袋」。
キャッチフレーズは、「はきよい、強い、かっこいい」
何て素敵な響き----
これこそ真の大人のスタイル。
おかんに土方ファッションのメッカ「丸源」に連れて行ってもらって、そこで土方スタイルをバッチリ決めよう!!
----とは思ったものの、大人の土方専門店「丸源」に子供用のものがあるわけではなく、泣きついたら、おかんがコーディネートしてくれた。
白いとっくりはおかん特製の手編み、その上からは色彩感覚のまるでないおかん特製手編みのオレンジ色のチョッキ(土方用語)、ガレージセールで200円で買った赤いぶかぶかのズボンがニッカポッカの代わり。お手製の腹巻をズボンの上から履いて、足は子供用足袋。そして頭は阿倍王子神社で貰った豆絞りをきゅっとのせる。まるで「ど根性がエル」の梅さんみたいで、うっとり。
これでおとんや月亭可朝と一緒で、大満足!!
腹巻には子供銀行券を入れて、足袋じゃ汚れるから、きゅきゅのつっかでおかんと買い物に行って、商店街を闊歩しよう。
すっかり度方ファッションが気に入った私は毎日この格好で町内を練り歩いていた。
もちろん、子供用とんかちを持って、決めることも忘れない。
ある日、町内でみかん狩りに行くことになり、私はもちろん、お気に入りで、いっちょらの「土方ファッション」でびしっと決めて参加した。
晴れの舞台なこともあり、いつも町内の皆様に日ごろお世話になっているからと、子供用ギターも」忘れない。
しかし、皆は「可愛い大工さん」といって私をもてはやしてくれたが、約二名はそうではなかった。
当時小三の姉と幼稚園年長の姉である。
もちろん、この素晴らしいファッションを姉たちが理解するはずはない。
バスも離れて座られ、私は少し困惑。
だがそこは持ち前の場違いなパワーで乗り切ろうと、ギター片手にオンステージをかました。
「♪ボインは赤ちゃんのもんやないんやで〜!!」
三歳の恥知らずの子供の私は、意味もわからず月亭可朝の「嘆きのボイン」を大熱唱。
当然大受け。
二人を除いては----
もちろん姉たちである。
その後もたいそうご立腹で、お弁当も一緒に食べてくれず、私は近所の電気屋のおばちゃんと一緒に食べた。
土方スタイルに、もちろん白いシャツをチラリと見せている。
う〜ん、カッコいい。
当時の私は真剣に思っていた(アホ極まりなし)
結局、帰りも口を聞いてもらえず、姉たちの無視は一週間続いた。
どうしてあんなにカっコいいスタイルを認めてもらえないんだろうと悩んでいたとき、テレビにとても綺麗な男の人が映っていった。
何てカッコいい、これやったら月亭可朝なんて目じゃない!!
その人の名は沢田研二----
その瞬間から、「土方ファッション」をあっさりと捨てた----
終わり〜
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コメント
ちんくのバカエッセイ第二弾(笑)
これもまたノンフィクション(笑)
友人に評判が良かった(大爆笑を買った?)メール小説からの再録。
そうです、わたしはこんなもんを友人に送りつけてました(笑)
ちなみにジュリーは当時、もうソロだったし、嘆きのボインはその当時で昔のヒット曲だったよ。
ですが、まあ、歳バレかの〜、すみません、2X歳です。(謝るな〜)
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