アリオスに言われた通りに、次の週もアンジェリークはアリオスのアトリエに顔を出す。 もちろん、タテマエでは「メイクを教えてもらう」ためだが、その実、アリオスに逢いたいのが本音なのである。 少し夏の装いというわけで、淡いみずいろワンピースを身に纏い、アリオスに先週習ったメイク方法で肌と唇だけを念入りにしている。 だが、不安がないわけではない。 アリオスがメイクを担当するのには、自分と同じぐらいのモデルもいて、みんなの大人っぽさにアンジェリークはほんの少し切なくなる。 アリオスに指定された時間にアトリエに行くと、何やら忙しい雰囲気になっていた。 ぱたばたと動き回るスタッフを見ながら、拙い時間に来たのではないかと思ってしまう。 「あっ、アンジェちゃん」 不安そうにしているとスタッフのひとりが声を掛けてくれた。 「あ、こんにちは」 「もうすぐ、先生は仕事が終わるから。急きょ撮影用のメイクが入っちゃってね」 「あ、じゃあ出直して・・・」 「ダメダメ、先生が待ってるようにって言ってたから、先生のオフィスで待ってて!」 それだけを言うと、スタッフはまた走ってどこかに行ってしまった。 「誰のメイクをしてるんだろ?」 元来の好奇心から、アンジェリークは少しアトリエを覗いてみることにした。 「たくさん」 ちらりと覗くと、そこには有名なモデルたちが五人座り、アリオスにメイクをしてもらっている。 どの顔も艶やかに輝いていて美しい。 そこにいるモデルは誰もが若く、アンジェリークと同じ世代だ。 みんな綺麗・・・。 アリオスも凄く素敵・・・。真剣に仕事する彼はなんてかっこいいんだろ・・・。 このドアひとつ向こうと私は、なんて世界が違うんだろう・・・。 何だか寂しいな・・・。
胸の奥が、切なく痛い。 「ほら邪魔あなた!」 「あ、すみません」 モデル事務所のマネージャーらしき者が、強く言ってきたので、アンジェリークは思わず身体を小さくした。
邪魔だものね、アリオスの部屋に行っておこう・・・。
アンジェリークはしょんぼりとして、アリオスの部屋に入った。 そこは彼の城。 色々なメイクアップ用品もあり、触りはしないものの、眺めるだけでも楽しかった。 「コレがアリオスの魔法の道具なんだ…」 幸せな気分に浸りながら、彼女はアリオスの使っているゆったりとした革の椅子に腰を掛けてみる。 「なんだかえらくなった気分だわ〜!!」 楽しげに彼女はぐるぐると椅子のキャスターで回りながら歓声を上げる。 「これからアトリエAの会議を行う! なんてね〜。…目回りすぎて気分悪いわ…」
「本当に今日はごめんなさいね」 モデル事務所の社長であるロザリアが、申し訳なさそうな眉根を下げる。 「あんたんとこはお得意様だからな。 こっちこそ、わがまま聞いて貰ったからな。ベースを俺がして、直しを他のスタッフにってな。 俺が他のメイク抱えてるから」 「それは構わないわ。みんな技術は凄いし・・・」 ロザリアはふっと優しげに笑うと、メイク中のアリオスを横目で見る。 「ねえ、この後超VIPのメイクでもするの?」 一瞬アリオスの指が止まる。 彼は優しげな微笑みをそっと浮かべると、再び指を動かし始めた。 「俺にとってはな?」 今までに見たことのない表情をする彼がロザリアには魅力的に映る。
大切な人なのね・・・?
心の中が温まる。 そんな気分だった。
やっぱり帰ろうかな・・・。
一時間ほど待ってみたのだが、アリオスが来る気配は一向になくて、アンジェリークはもう何もすることがなくて、退屈と切なさの責めぎあいになる。 時間も三時過ぎになり、アンジェリークは退屈の余りあくびが出る。
アリオスが悪いんだからね・・・。
そんなことを思いながら、うとうとしていたが、いつしか眠りに落ちていた-----
「アンジェ、済まねえ・・・」 ドアを開けながら謝ると、そこにはひだまりの中で眠るアンジェリークの姿があった。 まだあどけない寝顔はまるで天使のように見える。 「アンジェ・・・」 余りにも可愛すぎて、アリオスはアンジェリークの手前に腰を下ろす。
ったく可愛い顔してやがるな・・・。 ホントにこのままだと俺はおまえを奪ってしまうぜ?
アンジェリークにしか見せない柔らかな表情で、アリオスは彼女を包み込んだ。 頬に指先を延ばしてみる。 柔らかな繊細な絹のような肌に、アリオスは吸い寄せられていた。 「んっ・・・」 アンジェリークの瞼が僅かに動き、長い睫で縁取られた青緑の瞳が開かれる。 「アリ・・・オス」 「こら、起きろ」 「うん・・・」 うっとりと瞳を開ける姿は、本当に天使のような愛らしさだ。 「目、はれてるぜ? メイクには大敵だ」 「こうさせちゃったのは誰よ」 お互いにわざと怒ったふりをしたりからかって見せる。 「そうだな…俺だ」 クッ」と喉を鳴らして笑いながら、アリオスはアンジェリークの頬を突っついた。 「メイク直してやるから、ちゃんと背筋伸ばして座れよ?」 「うん」 姿勢を正して座れば、アリオスがメイク道具を準備してくれる。 「ちょっと目をつぶれ」 「うん」 目を閉じた瞬間、気持ちのよいミストが顔全体に広がってくる。 それが終わると軽くティッシュでオフしてくれた後、パルガルトンの粉をはたいてくれる。 「よし、綺麗になった、目を開けろ」 「うん」 彼女が目をあけると今度は眉を直し、チークを頬にうっすらと入れてくれた。 「目を少し伏せ目がちに閉じろ」 「うん・・・」 今度は睫の際のところにアイライナーを入れてくれる。 「ほら目を開けろ?」 瞳を開けた瞬間、アリオスが鏡を見せてくれた。 輝くような濡れた眼差しに、アンジェリークははっとする。 大きな瞳は更に大きく見え、愛らしいというよりは美しくなっている。 「シャドウと、後は、マスカラだが、それは次回だな…。 仕上げは、リップだ。 コレも未発売のこの間と同じシリーズのものだ」 「うん」 アリオスは、パッケージからリップを取り出すと、それを紅筆にたっぷりとつける。 「少し口を開けろ」 「うん」 アリオスに言われるがままに口を開けると、彼は丁寧にリップを塗ってくれた。
やっぱりアリオスにリップ塗られるのは、ドキドキしちゃうなあ…
少しばかりの緊張と甘いときめき。 アンジェリークは息を詰まらせ、身体を僅かに震わせながらリップを塗ってもらった。 「オッケ。鏡を見ろよ」 目の前に映し出された自分は、本当に自分ではないように思えた。 前回よりも更に色が濃くなったリップを塗られ、とても大人っぽく見える。 メイクの魔法だ。 「アリオス…、魔法使いみたい…」 アリオスはふっと笑うと、鏡をどけて、じっと彼女を見つめた。 「------ちょっと口紅が濃いな? オフするぜ?」 「うん」 アリオスは、横にあるティッシュをとるふりをして、アンジェリークに顔を近づけてくる。
え!?
顔が近づく余りに、アンジェリークは息を乱してしまう。
えっ!!!!
「コレがおまえ限定、俺龍の口紅のオフの仕方」 「あっ…」 次の瞬間------ 息も呑む間もなく唇が重なっていた------
アリオス…。 私を大人と認めてくれるの?
アンジェ…。 おまえは俺のVIPだぜ? 一番のな…。
越す目の魔法が二人を幸せにするのは、もう一つのエッセンスをまだ必要としていた------- |
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