静まり返る礼拝堂。 緊張感溢れる張り詰めた空気と、そこにあるのは固唾を飲んで見守る人々のまなざしだけ。 先王が王冠と蒼のエリシアが埋め込まれた杖を大司教に返し、その後に王となる、まだあどけなさを残した少女が前に進み出る。 ドレスは白を基調とした豪華で、どこか威厳のある清楚なものを身に纏い、その背中には王者を表すマントがかけられている。 「アンジェリーク・コレット」 その名を呼ばれ、少女は跪く。 「神の御前で、そなたが第96代のアルカディア王国の王であることをここに宣言する!」 朗々たる声にアンジェリークは応える。 「はい。神の下で、私はアルカディアの民と国のために、尽力を尽くすことを誓います」 凛とした声で堂々と宣言しながらも、アンジェリークの意識はどこか遠くへきていた。 どうしたのかしら・・・。胸が悪い。 さっきまで何ともなかったのに気分が・・・。 美しく化粧をし、着飾っているせいか、誰も彼女の異変に気がつかない。 -----たったひとりを除いては。 アンジェの様子がおかしい・・・。 彼女を守護し、心から愛し合っているアルウ゛ィース大公レウ゛ィアスだけは、彼女の異変に敏感にも気がついていた。 大司教から王冠を受け、杖をしっかりと受け取る。 アンジェリークは気力をふり絞り、何とか立ち上がった。 新しい女王誕生の瞬間であった。 「ここに新しい王の誕生を宣言する」 大司教の宣言の瞬間、礼拝堂は拍手で沸き上がる。 アンジェリークはひきつった笑顔でそれに応える。 ゆっくりと彼女をエスコートするレウ゛ィアスがやって来て、誰にも判らないように気分の悪い彼女を支えて、赤絨毯の上を歩く。 アンジェリークは愛する男性の温もりにほっとしながら、何とか笑顔で控え室に帰ることができた。 控え室に戻るなり、彼は王冠と杖を取り、マントを取ってやる。 「アリオス・・・」 アンジェリークは安堵の溜め息を吐くとともに、彼に体を預けた。 ”アリオス”----その名は、アンジェリークにとってはとても大切な名前。 彼女は、彼の本名ではなく、彼のアメリカ時代の名前を、愛情たっぷりに呼ぶのだ。 「大丈夫か? 晩餐会まで時間があるから、少し休め」 「うん・・・」 ぎゅっと婚約者に甘える幼い女王に、女官長は微笑ましく見ていた。 「ご気分がまたお悪くなったらおっしゃって下さいませ。隣に控えておりますから」 「有り難う、女官長」 「すまねえな」 二人が深く愛し合い、また既に愛を交わし合っているのを知っている女官長は、気を利かせてくれたのだ。 二人きりになると、アンジェリークはアリオスに甘えた。 「大丈夫か?」 「ん・・・、ちょっと苦しい・・・」 彼の広い胸に顔を埋める。 「ドレス脱いだほうがいいんじゃねえか? 今日はパレードもねえし、時間もあるから休める」 大きく胸で息をしながら、アンジェリークは何とか頷く。 「アリオス、もう少しだけ、こうしていて?」 「判った。きっと緊張が続いてたからな、疲れたんだろう」 「うん」 まるで子供のように、アンジェリークはアリオスにぎゅっと抱き付いた。 「ごめんね…? 昨日の夜も我儘言って、一緒にいてもらったのに…」 「昨日の夜は俺も楽しかったぜ?」 ニヤリと微笑む彼だが、彼女はいつものように切り返す元気はなく、恥ずかしそうに俯くだけ。 「顔色悪いぜ? ワンピースに着替えて休め、女官長を呼んでやるから」 「いやっ! アリオスもそばにいて!」 不安げに彼に視線を送り、アンジェリークはしっかりとしがみつく。 「しょうがねえな」 ふっと笑って、彼は軽くキスをすると、アンジェリークを抱きながら電話を取った。 「女官長を呼ぶからな」 「うん」 「あ、女官長、俺だ。あ、来てくれねえか。アンジェリークのワンピースを持ってきてくれ」 彼はそこで電話を切ると、アンジェリークを軽く抱き締めて、額にキスをした。 「ほら女官長が来るからしっかりしろ?」 「うん・・・」 ようやく彼女はアリオスから離れたが、それでも手を離さないでいる。 そんな彼女が、彼には可愛くてたまらない。 程なくノックの音がして、アリオスは背筋を正した。 「大公様、フランソワーズです」 「入ってくれ」 アリオスはソファから立ち上がって、ドアを開けた。 「サンキュ、着替えさせてやってくれ。俺もここにいるが気にせずやってくれ」 「はい」 女官長は、柔らかな微笑みを浮かべながら頷き、アンジェリークの側についた。 「陛下、さあお着替え致しましょう。この後、大公様と宮殿でお休みになって下さいましね」 気分が優れぬアンジェリークは力なく頷くだけ。 彼女は子供のように立たされてドレスを脱がされる。 自分で出来るところはなんとかやって、コルセットなども外した。 ワンピースに着替えた彼女は、ようやく深呼吸をした。 「気分は?」 「ちょっとましかな? 何か食べたくなってきた」 笑った彼女に、アリオスは安心したように髪を撫でた。 警備された車で、ふたりはこっそりと宮殿に戻り、新しく主となったアンジェリークは、改装したてのリビングでくつろぐことにした。 先程気分が悪いと言っていたとは信じられないほど、彼女は用意してもらったサンドウィッチを美味しそうに頬張る。 「もう大丈夫みてえだな? さっき真っ青な顔をしていたとは信じられねえぜ」 「そうでしょ? 自分でもよく分からないの」 小首をかしげる彼女に、女官長は勘が働く。 ひょっとして陛下は・・・。 そう考えると、女官長は微笑まずに入られない。 さったらこれほどおめでたいことはありませんねえ…。 ただし…。 大公様は、愛しいあまりに陛下をお守りにならなかったのは、どうでしょうかね… 「・・・んっ!」 急にアンジェリークは口を押さえて、立ち上がると、ばたばたと洗面所に向う。 「アンジェ!」 心配のあまり、アリオスもその後につ好き、女官長もこれにまた続く。 洗面所でアンジェリークはそれこそ苦しそうに吐き、アリオスは彼女の華奢な背中を擦っている。 「おい、女官長! 医者だ! 医者を呼べ!」 慌てる彼に、女官長は落ち着いて答えると、直ぐに医者に連絡をした。 その時に、万が一のために、懐妊検査薬を持参するようにということを付け加えた。 寝室に運ばれたアンジェリークは、駆けつけた医者の診察を直ぐに受けた。 診察の際、アリオスは立ち会いたかったのだが、医者から女官長以外の立会いを認めてもらえず、彼は苛々と外で待っていた。 アンジェ…! 一体何がおまえに起こったんだ!? 何本も煙草を吸って、彼はアンジェリークを待ちつづけた。 そして---- 「大公様、どうぞお入りになってくださいませ」 招き入れられて、アリオスが中に入ると、ベッドに体を起こしたアンジェリークが、頬を染めてアリオスを待ち構えている。 「…アリオス…、赤ちゃんが…」 アリオスは、珍しく目を見開いた。 「本当か…?」 彼女は嬉しそうに頷いて見せる。 その瞬間、アリオスはアンジェリークの華奢な身体をぎゅっと抱きしめていた。 「嬉しい?」 「あたりまえじゃねえか」 「私も凄く嬉しい…」 二人が余りにも甘い雰囲気を出すものだから、女官長と医師は当てられてしまい、苦笑いをしている。 「大公様、女王陛下はご懐妊されています。現在、妊娠3ヶ月目に入っておられます。偶然にも、予定日は、お子様のお父様であらせられるあなた様の誕生日です」 さらにアリオスは嬉しさがこみ上げてくるのが判る。 「アンジェ…、おまえはやっぱり最高だ」 二人だけの時間を楽しませてやろうと、医師と女官長はそっと退室をする。 懐妊発表をどのタイミングでするかを考えながら。 サンキュ…、二人とも…。 二人っきりになって、甘いキスを先ずは交わして喜びを分かち合う。 「----これから、女王、妻、母と、忙しくなるが、ずっとおまえを守り抜く、ずっとおまえを助けると誓うぜ?」 「アリオス…!!!」 アンジェリークは嬉しくて仕方がなくて、彼にさらに強くしがみつく。 「離れないでね…ずっと…」 「ああ、離さねえよ…」 二人は再び唇を重ねる。 明日は二人の結婚式。 ようやく一緒になれる。 その喜びを、おなかに芽生えた新しい命が助長してくれるような気が、ふたりはしていた---- |