「一度通してやってみろ。これが終わったらお開きにしてやる」 「うん」 いるものように切れのある魅力的な声が降りてきて、 は真剣にピアノの前に座って頷く。 ピアノを始めて7年------- いつもこの瞬間だけは緊張してしまう。 は背筋をぴんと伸ばして、ピアノに指を滑らせた。 アリオスは横の椅子にどかりと腰をおろし、長い足を投げ出して、目を閉じた。 いつも聴きに入る体勢。 は一生懸命譜面を読みながら、ピアノを弾いた。 アリオスからピアノを習い始めても7年------- 近所に住んで幼馴染だからという理由で、アリオスが大学生の頃から習っている。 彼も当時は、”割のいいバイト”と言って、教えてくれていた。 やがて彼が大学を出て、プロのピアニストとなり、プレイヤーとして全世界にその名を轟かせてからも、のレッスンは続けてくれた。 海外での仕事が多いにも拘らず、アリオスは海外に居を構えることをせず、彼はずっとアルカディア市を拠点として働いている。 昼間はレコーディングをして、夜はヘのレッスン。 レッスンは彼のマンションで行われる。 防音がしっかりとなされたマンション。 コンクリートの打ちっぱなしの、少しオシャレなマンション。 ここの無味乾燥さを、はいつか温かいものに変えてやろうと、心の中でもくろんでいる。 彼女は特に、音楽大学を目指しているわけではないが、アリオスのレッスンはずっと続けていた。 「今、ミスタッチ」 「…」 疲れて眠っているように見えても、アリオスはしっかりとの音を聴いている。 耳の鋭い彼は、ほんの少しのミスも見逃してはくれなかった。 演奏が終わって、大きく深呼吸をする。 いつも演奏が終わった瞬間、深い溜息を吐いてしまう。 「ミスタッチ、5回」 「う〜」 正確にミスの回数を冷酷に言う。 この瞬間がは一番イヤだった。 子供の頃から、ミスを指摘されたら口を尖らせるのは同じ。 小さな頃から変わらぬ仕草に、アリオスは苦笑した。 「おい、今日のレッスンはここまでだ」 「うん」 ぴょんと椅子から飛び降りて、教則本を鞄の中に直す。 その後は、丁寧に鍵盤に布を掛けた後、蓋を閉じる。 その様子を、アリオスは煙草に火を点けながら見つめていた。 「メシ食って帰るか?」 「うん!」 しっかりと頷いたのおなかは、ぐうッと既に音を立てている。 「おまえ、おもしれえな? 相変わらず」 喉を鳴らして笑う彼に、彼女は益々頬を膨らませる。 「いいじゃない…。今日は学校で、体育があったからおなかすいてるんだから!」 「そうか」 「そうよ!」 ピアノのレッスンが終われば、もう先生と生徒ではない。 幼馴染の兄と妹といったところだ。 友達以上で恋人未満。 この危うい関係が、今のには苦しい。 「最近涼しくなってきたからな? 中華なべだ」 「ホント! 嬉しい!!」 アリオスにさりげなくくっついて、も一緒にキッチンに向かった。 アリオスに家になぜかエプロンを置いている。 彼の時間が取れる限りは、ここから料理教室が始まる。 ピアノが上手いからなのか。 アリオスは料理の腕も抜群で、はそのアシスタントといったところだ。 アシスタントと言っても、彼女はもっぱら食べるのが専門で、アリオスを苦笑させている。 海老やら豚肉やらで作った手作りの作りおきの餃子、春雨とたっぷりの野菜。 下ごしらえ完璧で、いつも食べ易いように隠し包丁を、スープを本格的に鶏がらと野菜で取っている。 「どうだ、味見」 「うん」 アシスタントと言っても、はもっぱら”味見専門家”である。 「おいし〜〜! アリオスはやっぱり料理の天才よね!!」 「バカなこと言ってねえで、とっととテーブルのセッティングをしろ?」 「うん!!」 カセットコンロをテーブルの中央に置いて、ふたり分の皿、箸と蓮華。 もちろんの箸はマイ箸である。 「アリオス、準備できたよ〜!!」 「おし」 アリオスが下ごしらえした鍋を食卓に運んでくれる。 それをは、大きな瞳を輝かせて待ち構えていた。 「わ〜い!!」 カセットコンロの上に乗った鍋からは、とてもいい匂いがして、食欲をそそる。 はちょこんと座って、アリオスが取ってくれる鍋の具に舌鼓を打つ。 最初は、必ずアリオスが取ってくれる。 それがルールだった。 「おいし〜!!」 「だろ?」 の美味しそうな顔を見る。 これがアリオスには、とにかく一番幸せなことである。 餃子がだし汁にしみていて美味しい。 野菜類も美味しく、鶏がらスープも旨みが凝縮されていて美味しかった。 「後は、雑炊だな? 王道に」 「うん!!」 冷やご飯を入れて、そこにとき卵を落とし込む。 とってもいい匂いがして、はおなかがいっぱいだったのにも拘わらず、手が出てしまう。 「ほら」 「有難う」 ついでもらっては、嬉しそうに茶碗を持った。 もちろん茶碗も、アリオスに買ってもらったものだ。 傍からは確かに付き合っているように見えるかもしれない。 だが、キスすらしたことがない。 ただご飯を一緒に食べるだけの関係だ。 「おいし〜。料理が上手いって言うのは一種犯罪よね? だって、太っちゃうもん!!」 「しかし、おまえ上手そうに食うよな、いつも」 アリオスは楽しげに、の見事な食べっぷりを見ている。 「だって、アリオスがご飯作るのが上手だからいけないの!」 「そういうもんか?」 「そういうもんよ」 雑炊を食べて、フィニッシュはゆずのシャーベット。 アリオスはただ煙草を吸っていて、何も食べない。 「そうだ、来週のレッスンは休みだからな? 仕事が入った」 「何の?」 「夕方からホテルでの演奏。俺の友達が、盲腸でいけなくなっちまって、急遽ピンチヒッター」 「行きたい!!」 アリオスの言葉を取るような勢いで、は、身を乗り出す。 「ダメだ!」 「行きたいっ!! ねえ、どこのホテル!!」 さらに身を乗り出した彼女を、アリオスは苦笑して離れる。 「ヒミツ」 憎らしげな表情で言われて、は暴れだしたくなってしまう。 「、とにかく、おまえは未成年だからダメだ。以上!」 これ以上は質問も何も受け付けない。 そんな雰囲気がアリオスにはある。 「、送るから、とっととしたくしてしまえ」 「う〜」 何度悪態を吐いたって、頑固でクールなアリオスが折れてくれないのはわかっている。 は溜息を吐くと、肩を落として帰る準備を始める。 その様子が妙に可愛い。 アリオスはふっと柔らかな微笑を浮かべると、肩をぽんと叩いた。 結局はこの愛らしさに折れてしまう。 「プリンセスホテルのロビーで、7時から9時までだ。平服はだめだぜ? 制服もな?」 「うん!!!!!」 意地悪だけども優しい------ この天邪鬼な彼が、一等好きで堪らない。 は微笑むと、アリオスの腕を掴んで、ピョンピョン子供のように何度も飛び上がった----- |
コメント アリ×アンドリーム小説です。 やりたかったんです。 ははは。 |