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夕暮れ


 冬休み中も、吹奏楽部は忙しい。
 コンクールを目指しているせいか、練習にも熱が籠っている。
 目下、1、2年で目指しているのは、春のMHKが主催するコンクール。
 もちろんも練習に余念がない。
 丁度、冬休みの前半のこの時期は、補習も重なる。
 氷室学級のスーパーエクセレントと呼ばれているにとっては、縁のないことだが、顧問の氷室にとっては、全く忙しい時期だ。
! クラブの後は頼んだ」
「はい、先生」
 後は頼んだ。
 それは音楽室の戸締まりのこと。
 が戸締まりをすれば、氷室と一緒に帰ることができるから。
 教室に行きかけて、氷室は振り返った。
、今日だが------」
 少し咳払いをした後、うわずった声が聞こえる。
「今日、ドライブの後、レモネードを飲みに行こう」
 嬉しかった。
 今日で氷室の補習授業の日々が終わるせいか、そのささやかな労いが出来るから。
 は嬉しそうに笑うと、コクリと頷く。
 花のような笑顔が愛らしくて、氷室もつられて笑った。
「五時に数学の補習が行われている、2Hの教室で待っている。
丁度、生徒たちが帰った後だ」
「はいっ! 先生、いってらっしゃい。後はちゃんとやっておきますから!」
「よろしい。頼んだ」
 眼鏡を通して見える、氷室の涼しい笑顔を、自慢げに見つめながら、は満足げに笑った。
 背中を向けた氷室の背筋はぴんとのびていて、思わず見とれてしまう。

 好き・・・。

 甘く囁くと、はほんの少し頬を赤らめた。


「お疲れ! 、後は任せたぜ?」
「うん! またね!」
 クラブメイトを全員見送り、はひとりぽつんと教室に戻った。
 幸せな気分で後片付けと戸締まりをする。
 コートも着て、帰る準備も完璧だ。
 後は、ご褒美のレモネードが待っている。
 逸る気持ちを押さえつつ、歩いていく。
 本当は走りたいのは山々だが、それをすると氷室に迷惑がかかるからやめる。
 2Hの教室をそっと覗いてみた。
「先生・・・?」
 声を掛けても、いつもの硬い声が聴こえなかった。
「先生…?」
 ほんの少しだけは不安になって、教室を見渡してみた。
「あっ・・・!」
 教室のパイプ椅子に腰を掛けて、居眠りしている氷室の姿が見えた。
「先生…」
 は、心配そうな複雑な笑みを浮かべると、起こさないようにとそっと氷室に近づいて行く。

 零一さん…。
 疲れてるんだ・・・。
 だって無理もないよね? 休みの時期も学校に出てきて、教えてるんだから…。

 初めて見た恋人で担任の寝顔。
 妙に無防備で、どこかしら艶かしかった。
 整ったシルエットは、目を閉じることによって、更に端麗さを増している。

 いつまでも眺めていたいな・・

 風邪をひいては行けないと、そっと、は自分のコートを脱いで氷室に掛けてやる。
 キャメル色のカシミア。
 アルカードでのアルバイト料が入り、奮発して買ったものである。
 選ぶのを手伝ってくれたのは恋人の氷室。
 それと同じカシミアの手袋とマフラーを、”クリスマスプレゼント”代わりと言って、プレゼントしてくれた。
 今はそれがあれば室内だから十分に暖かい。

 もう少し…。
 もう少しだけ、見つめさせてね…

「ん…」
 氷室の瞼が僅かに動き、ははっとする。
 ゆっくりと、愛してやまない、冷たさと温かさが交差した瞳がを捕らえた。
「…か…」
「零一さん…」
 彼は自分の躰に掛けられていたカシミアのコートをみて、ふと笑う。
「有難う」
「いいえ」
 ゆっくりと椅子から立ち上がると、氷室はカシミアのコートをに手渡した。
 その瞬間。
 ふたりの唇が僅かに触れ合う。
 ほんの一瞬だが、少し硬い唇の感触に、は真っ赤になってしまった。
 上目遣いで氷室を見つめると、彼も少しだけ赤くなっている。
「さあ、行くぞ。”社会見学”に、レモネードを飲みに行くぞ」
 わざと咳払いをする氷室が、は愛しかった。
「はい、先生!」
 大きな声でへんじをして、先を行く氷室に着いていく。

 もらったキスは大変甘かった。
 待っているレモネードよりもずっと・・・。
 

コメント

先生が疲れているスチルを見て、思いつきました。
氷室先生ご苦労様です

モドル