PT横浜が終わりました。
自分にもジャッジとして声がかかったのですが、さすがに足の問題に無理があったので断念。
でも…
これとか
この昼ご飯の話とかを見ると無理してでも行けばよかったって思いますよね。
さて、PT横浜のサイドイベント(って言い方は都合が悪いか?)でジャッジ試験が行われてますね。
受かった人もいれば
落ちた人もいるようで
その話を見ていたら、自分のジャッジ試験を思い出しました。
〜以下、回想〜
その頃、岩手からジャッジがいなくなっていたのでした。
学校を卒業したのーり君は岩手を離れ、水沢出身の
ささきゆうすけも活動拠点が仙台に移っていたのです。
自分はというと一関、水沢、花巻、盛岡などで隙あらば主催を手伝ってジャッジをやっていました。
ジャッジ資格なんか無くてもジャッジをやってたんですよね。
ジャッジ資格なんてただの飾りだと思っていました。いや、今もか。
でも結局、ジャッジ試験を受ける事にしました。なぜか。
それは、心輝浪の事を知らない人間にとって、その方が良いと思ったためです。
さて、試験。今から約2年前の2001/8/26。GPT静岡の仙台予選でした。
結局これは受かりました。(だからこそ、こんな事を書いているのですね)
筆記は…意外と簡単だった記憶しかないのですが、その場で試験を受けた4人中トップの成績だった事と
90点までは行かなかったことは覚えています。
個人的には、プレーヤーとして知って欲しいレベルのルールを知っていれば合格圏内なのだと思ってました。
(もちろん、昔の試験が簡単だった可能性がありますし、想像です)
実技に関しては、経験は積んでいるつもりだったので、問題無しだったと思います。
うん、実技は経験値ですね。これは自信がありました。
そして面接。
いろいろと質問がありましたが、
「なぜジャッジになりたいのか」と問われ、
「箔を付けるためです」と答えたのはしっかりと覚えています。
これは、自分の価値を高めたいから、という意味ではなく、
プレーヤーにとって、ジャッジ資格を持った人と、もっていない人でどっちのことを信用するかって問題です。
大会のジャッジに必要なのはその発言の信用度であって、正確性ではないと思うのです。
かなり言いすぎですが、ジャッジのレベルは信用度を高めるだけの物に過ぎないと思います。
いきなり「箔をつけるため」といわれた試験官だったSさんは面食らったかもしれませんが、
上で述べたことを説明し、そして晴れて自分はジャッジとなることが出来たのでした。
今でも思うのは、ジャッジ資格なんてただの飾りだということです。
そりゃもちろん、プレミアイベントではレベルが無いとジャッジが出来ないことが多いですが、
ジャッジ資格が無くても大会は出来るんですよね。
たとえジャッジ資格を失っても、ジャッジとして頼られる存在になれれば良いなと、
ちょっと思ったりしました。