音の盲点?44ヨタハチのロッカーアームカバーを交換

鈑金屋さんにて修理中の44ヨタハチからロッカーアームカバーを外してあらたなロッカーアームカバーを取り付けて帰ってきた。もともと44ヨタハチに着いていたカバーは中古部品をやりくりして直したものだったのだが、新しいカバーはシャフトのみ新品に交換して組み立てなおしてもらったものだ。こんなことができるのも、カバーの上下に点くアルミ製の盲蓋を部品の供給があるときに大量に仕入れていたからで、今からやろうと思ってもおそらくできない。その辺は適当に作ってもらって…などと思っても意外とこういうものは作るのに難儀するし、できたとしても不出来は否めない。かつて、ここを変な蓋で直していたエンジンを見てきたことがあったが、オイルリークが止まらなかった経験がある。

バルブ周りから異音が出ているとき何が悪いのか考えると、第一にバルブリフター、第二にバルブとバルブシート周りと考えがちだが、意外とこのロッカーアームカバーから音が出ていることの方が多かったりする。部品も外しやすさから考えればこのロッカーアームカバー、バルブリフター、バルブの順に手を入れればより少ない手間で改善される可能性は高くなる。音の原因がプッシュロッドだった場合は過去に何かどえらいことが起きてそうなっているから、単にプッシュロッドだけの話ではなくなるのでここでは考えないことにする。シャフトを新品にしてもらったロッカーアームは手で動かしてみると大した力を入れることもなくアームが作動する。なるほど、これならアームを動かすためにエネルギーは使われずそのままバルブを動かす力になるだろうとイメージできる。

ヨタハチのエンジンでバルブ周りのチューニングというと、やれビートルのアルミのプッシュロッドを入れるだのバルブをバルブステムの細い他車種のものに換えるだの飛び道具を使いたがる。しかし、その前にやはり基本を踏まえてやるだけでもかなりの効果がある。つまり真っ直ぐなプッシュロッドを使い、苦も無く動くロッカーアームを組んでみるだけでも相当よくなる。少なくとも一般公道でたまに頑張るくらいならこの方がいい。そのための投資も低く抑えられるだろうからコストパフォーマンスは最高だ。

外したロッカーアームカバーが悪いのかといえばそうではない。実用には全く差し障りはないのだが、わざわざ新品のシャフトを入れたロッカーアームカバーを使いたいのは人情。実際に作動感もいいので試したい気持ちは理解できると思う。外したカバーは別のエンジンに使用する予定だ。
2012/12/9

間違えなくトップ当選。44ヨタハチと選挙の思い出

衆議院の総選挙が終った。選挙というと今でも忘れられない出来事がある。かれこれ10年以上前のとある選挙運動期間中の日曜日のこと、筆者はラグビーの試合に出る先輩を迎えに44ヨタハチで走っていた。先輩のうちは都内の私鉄駅の駅前ロータリーに面したマンションにあった。ロータリーについたら下にある公衆電話で呼び出し、先輩が降りてきたところで同じ車に乗っていくというのがいつものパターンだった。

その日もいつものごとく私鉄の駅前のロータリーに侵入したのだが、いつもとなんだか様子が違う。朝10時だというのにやたらと人がいる。そしてロータリーの中央には選挙用のハイエースが…。そう、その選挙の立候補者が駅前で演説しているところへ筆者の44ヨタハチが入っていったのだ。熱弁をふるう候補者の声をかき消すかのごとき、軽快なエンジン音。おそらく半分は動員をかけられたであろう聴衆の視線は候補者ではなく、筆者の44ヨタハチへと注がれる。「ああ、そうだった、選挙運動期間中だった」と思うも時すでに遅し。とはいえせっかく迎えに来ているのにぐるっと回ってどこかに行くこともできないので、マンション前にある公衆電話の傍らに筆者の44ヨタハチを置いた。

「先輩ですが、下に着きましたよ。…あの、今日はなるべく早くお願いします」いつも定時に迎えに行っても平気で30分くらい遅れてくるのでそう念押しして電話を切ったが、ロータリー前でどういう状況になっているか知らない先輩にとってみれば嫌味にしか聞こえなかったのだと、今思えば想像がつく。再び筆者が44ヨタハチにもどってみれば、候補者の演説そっちのけで筆者よりも年配のおじさんたちで黒山のひとだかりができていた。もとより率先して出てきた訳ではないので、聴衆にとってみれば格好のひまつぶしな訳だ。あとはお決まりのパターン。「懐かしいねェ」に始まり「昔は買えなかったんだよ」となり、エンジン見せてくれといわれればボンネットを開け。さすがに「44年式だねぇ」と声をかけてくる人はいなかったのだがただ、場所がいけない。演説の候補者にもはや注目する人はなく、聞かれた質問に申し訳なさそうに答える筆者とそんなのお構いなしのおじさんたちだ。

そうこうしているうちに先輩が降りてきた。いつもよりはすこし早いがそれでも15分は経過している。状況を見て、筆者がなんで早く来てくれと言ったのかの意図を理解したらしく、人をかき分け慌ててやってきた。先輩の荷物を載せようとトランクを開ければ「それ、アルミでできてるんだろ?」と言われ、乗り込めば「意外と広いんだねェ」と声をかけられる。筆者は失礼なきよう聴衆のみなさんに会釈をしてエンジンをスタート。当然と言えば当然だが、一発でエンジンがかかり見た目よりも猛々しいエキゾーストノートが轟くと期せずして聴衆から拍手が湧き上がった。こうなるともうこの人たちがどの聴衆かわからなくなる。ロータリーを一周してアクセルを開けると聴衆の視線は全て筆者の44ヨタハチに注がれていたのをルームミラー越に見ていた。選挙というと必ず思い出す。

後日、投票が行われたのだがロータリーで演説していた候補者は落選していた。
2012/12/17

そろそろとどめが…。ブレーキマスターシリンダーのインナーキットが補給打切

先日のこと、筆者の信頼できる筋から信じられない情報が寄せられた。なんとヨタハチ、パプリカのブレーキマスターシリンダーのインナーキットが信じられない値段になっているという。聞くと1万円に近い金額だ。在庫はあるが、実質的には手が出ない金額。筆者が信頼する筋なので信用はするが、自分自身でも裏をとらないとホームページに載せられないので、本日試しに発注してみた。

いつも行く近所の東京トヨペットで注文すると、お値段は870円、部品番号も存在しているという。なんだ、ガセネタか…だが、こういうガセナタなら歓迎だ。来たついでなので、2つ頼んで東京トヨペットを後にした。ところがである、10分ほどしたらその東京トヨペットから電話があった。なんと、実際に発注してみたら補給打切になっているという。在庫がないのではない、注文されても補給しないというのである。「これは、サイドマーカーパターンだ!」補給状況を確認はするものの買わないでいたら、実際に注文してみると補給していないといわれる、かつての筆者の痛恨パターンだ。

筆者は幸運というか日頃の心掛けがいいというか、44ヨタハチ一台を維持するならマスターシリンダーのインナーキットは一生分大丈夫であろうと思うストックがあるのでいいが、これからヨタハチを買おうという人、レストアにかかろうとしているが車はそのまま持っているだけの人、乗り出したはいいけれども部品は持っていないという人にはものすごい破壊力を持つ事実だ。乗って少年の時の気持ちを思い出そうが、買ってすぐに再生を始めざるをえなかろうが、それらヨタハチにまつわるあらゆるファンタジーなど一挙に吹き飛ばし、否応なく現実に引き戻される。走らない車も困るが、止まれない車はもっと困る。

純正での補給がないなら社外で…と考えるところだが、値段が高いうえに耐久性が低い品物に果たして身銭が切れるだろうか?いつでも買えると思って逆にずっと買わないでいるということになるかもしれない。その隙に社外の品物もなくなり二度とブレーキは治らない…という事態になることは目に見えている。また、ヨタハチ、パプリカの修理を請け負ってくれるところでも、今後は部品に関してはシビアになるだろう。必要な部品は全てオーナーの持ち込みが基本という時代の幕開けだ。

インナーキットを持っていない方はいまから共販に走っても無駄である。持っている方はいまついているブレーキ部品を生かすために、置いたままにせず定期的に走ることをお勧めする。そのうえでストックは大切に使おう。
2012/12/22

共販へ急げ!ブレーキマスターシリンダーアッセンブリーが価格高騰

筆者に一部事実誤認があったので、それを修正しつつ更にわかったことをお知らせしようと思う。どえらい値段になっていたのはブレーキマスターシリンダーのアッセンプリーであって、そのインナーキットではなかった。筆者が知る限りでは8000円前後だったマスターシリンダーアッセンブリーがなんと現在12000円ほどの値段になっている。しかし安心できるのは補給はしているとのことだ。そして、インナーキット自体はその前に補給が打ち切られていたのである。これもちょっとショックであるが、現在いわゆるトヨタ共販マジック状態にブレーキマスターシリンダーはある。トヨタ共販マジック…、オーバーサイズのピストンは出るのにピストンリングは出ない。タイミングギアカバーのフロントのオイルシールが単品では出ないのにガスケットキットの中にはある、というトヨタお得意のパターンだ。ブレーキマスターシリンダーは出るがインナーキットは出ないのである。

さあ、ではブレーキのマスターシリンダーが出るからと言って安穏としていられるかというと、それはどうだろう。在庫数を調べてもらったら30個以上あるという。この状態を見て焦った方は相当な手練れだ。普通に供給している部品でもこんなにたくさん在庫することはない。よく、共販で在庫を調べてもらったらラスト1個だったので買ったと自慢する方がいるが経験上それは誤りである。いつ出るかわからない部品故、なるべく在庫数を抑えておきたいのがメーカーだ。在庫数を上回るオーダーがきたらすぐに作る、という体制ができている部品についてはこの「ラスト1個」の状態が一番いい。すなわちそれは補給の体制を維持しているという証だ。それを覆して大量在庫ということ、値段が急に上がっていること、そしてもし発注した時に複数のオーダーは受けられない生産困難部品のカテゴリーに入っていたら、現在在庫しているものをもって補給終了、というメーカーからのメッセージである。これを読んだ方で部品に不安がある方は是非とも早く発注してほしい。一万円オーバーのお金をケチって止まらない車を作るか、例え使うことはなくともいつでも新品に換えられる安心を得るかはあなた次第である。

筆者に於いて言えば現在補給されているマスターシリンダーアッセンブリーにはさほど興味はない。既に車についているのがそうであるし、むしろ古いマスターシリンダーに換えたい方だからだ。古いマスターシリンダー、ブレーキフールドのレベルを保つために碁石のようなフロートが入っているタイプでタンクが短いものだ。品質もフィーリングも昔の品物の方がいいように思う。現在補給されている品物はリザーバタンク内にレベル維持とゴミの侵入防止のための間仕切りが入っているので古い品物との区別はたやすい。
2012/12/23

新たな深み?ヨタハチのカタログを暫定的にコンプリート

特に力を入れて収集していた訳ではないが、ようやくヨタハチのカタログを暫定的ではあるがコンプリートした。細部、特に発行された時期違いでまた更なるバリエーションがあるかもしれないが、一応完成だ。

今さら言うほどのことではないが、ヨタハチのカタログには大きく分けて3種類とその亜種としてもう1種類、計4種類ある。一番最初はフェリーの腹から出てくる赤いヨタハチが表紙のもの。次がいわゆるチェッカーフラッグ柄といわれる昭和42年のもの。次が飛行機のノーズ下にブルーメタリックの後期型が映っている昭和43年のもの。これに亜種として44年式の一枚もののカタログというよりはリーフレットと言った方がよさそうなものがある。銀色の44年式が表のものだ。この44年式を亜種としているのは、43年までのカタログに一枚挟み込まれていたものという情報もある一方で、トヨタ車の他車種の状況を考えると、モデルの途中から始まったモデルはそれが収録された簡易カタログから始まるという発行形態が多いので、それを考えると挟み込まれなければならないものではないかもしれないというところから現在のところ亜種としている。

00年代に入る前は情報量も少なかったこともありコンディションがよければお値段は3万円からという時代があったが、現在ではもう少し値はこなれている。入手のしずらさでいうと、昭和42年のものと昭和44年のものがいい勝負だ。しかし、ないとはいうものの前者は存在することは知られているのに対して昭和44年のものはその存在すらうっすら覚えられるかな?という感じのせいか、筆者は昭和44年のものを方を早く手に入れていたのだ。ここに来てようやく昭和42年のカタログを入手できたのだ。

昭和42年のカタログを自分の目で見て新たにわかったことがある。出版物からチェッカーフラッグ柄に赤いヨタハチで映っていることはもとよりわかっていたのであるが、このヨタハチが走っているのが砂浜だったのだ。これにチェッカーフラッグの絵がオーバーラップされていたのだ。

このレアなカタログを手に入れて喜ぶもの束の間、知らなければよかった事実があった。カタログ収集に強い筆者の信頼できる筋とカタログコンプリートに際してお互いのコレクションを突き合わせて細部で違いがないのか検討した。するとなんと昭和43年のカタログに二種類あることがわかった。とはいうもののそれは単純に発行された時期が違うだけでそれ以外は全て同じなのは確認できた。気になるのはその後期のカタログに昭和44年1月というものがあり、もしかするとこれが昭和44年のリーフレットが挟まっていたカタログなのか?という疑念を持つに十分な傍証となるかもしれない。

今回新たに仕入れた昭和42年のカタログも果たしてこれ一つだけなのか?という話に及んだ。同系車のパプリカのカタログの場合、昭和42年から始まったメーターガラスの防眩対策のために昭和42年でも真ん中頃から発行されたものには(写真は旧タイプ)という但し書きが増えているだけであとはなにも変わっていないカタログが存在している。防眩対策といえばヨタハチも例外ではないので、(写真は旧タイプ)という但し書きが入っている42年のヨタハチのカタログが存在していてもいいのではないかという結論に達した。
2012/12/27