16年目の夏休み。44ヨタハチ、板金修理に。

昨日、44ヨタハチを板金修理に出した。事故などではなく、徐々に進行していた錆のせいで浮き上がってしまった左のフロントフェンダーの下の部分をメインに、その他気になるところを修理することにした。16年目にして事故以外で板金修理するのは初めてである。

所有15年間でボディカバーをしていたとはいえ44ヨタハチを屋外保管したのは最初の4年間だけなのだが、錆は少しずつであるが進行していた、というか進行するきっかけを与えてしまった。その後ようやく屋内に保管できるようにはなったが、その進行を遅らせただけで根本的な解決にはならなかったようだ。

土曜日に工場まで持っていったのだが、暑くなる上に渋滞の可能性の高くなる時間を避けるため、筆者のガレージを午前4時半に出発。目的地には6時半についてしまった。工場の開く8時に行くという約束になっていたので実に1時間30分も早くついてしまった訳だが、だからと言って1時間30分遅れて出て行けば8時には着かないからこれはこれでいいのだ。

これから修理するところなので、左のフェンダーの下で浮き上がった塗装を手ではがしてみた。これと言った力も必要とせず塗料はボデイから剥がれたが、薄く乗っているサーフェイサーの下には錆が張り付いていた。やりたくても怖くてやれなかったがいざやってみると呆気なく赤黒くなった下地が表れた。

7月中に出したとはいえ、お盆を挟むからその前後はほぼ仕事が進むことはないだろう。となると、作業の完了は早くても8月末。古いクルマの板金は急ぎの仕事がないときにやるのがお約束なので、仕事の状況次第ではそれよりも伸びるものと思っていた方が仕事を受けてくれた職人さんにとっても仕事を出している筆者にとっても気が楽になる。15年間筆者の旧車趣味を支えてくれた44ヨタハチには、丁度いい夏休みになるだろう。
07/25/2010

毎度のことながら…。44ヨタハチ出番なし

自然のこととて仕方がないのだが、この季節は雨のせいでなかなか44ヨタハチに乗り出せない。今日は乗るぞ!と息巻いていると出る頃には雨が降り出し、仕事で忙しくて机から離れられないときに限って絶好の天候だったりする。

かといって、手をこまねいてばかりいる訳ではない。いや、むしろ忙しいくらいだ。現在、来るべき冬に向けて燃焼式ヒーターのフルオーバーホールをしている。約3基分の部品から2基の完全品を作り上げる。3基分の部品はあるのだが、いずれも長所短所がそれなりにある。それらのいいところを取って2基分のヒーターを作るわけだ。分解してみてわかったが、仮に燃焼式ヒーターを年式の考証も完璧にして組み上げるとなると、かなり勉強しないといけないことがわかった。一例を挙げれば、同じ昭和42年式でもフューエルレギュレータの形状が違うことがわかった。逆にいうと、アッセン交換すれば機能は不足なくする。時には暑いときもあるがそんな中、トーチで燃焼炉を炙っている姿は正気の沙汰とは思えない。

部品も相変わらずコンスタントに買っている。最近買ったものと言えばミニエースのキャブレターに使っているメインジェットやライセンスランプのレンズの下につく白いパッキン、前期型のブレーキリザーバータンクの蓋など。今日はショックアブソーバーの上下に着くブッシュがやっと来た。部品で言えば、この間買ったスペシャルパーツがどんな感じか、あててみたいと思う。どんなパーツなのかは後日。
07/16/2010

夏を迎えて…。オーバークール傾向のエンジン、本領を発揮

晴れていても、ましてや雨の時なら尚のこと湿度が増えるとヨタハチのエンジンは冷えない感じがする。理屈はおそらく科学的に説明できるのだろうが、話の本筋ではないので割愛する。

オーバーホールなって以来、44ヨタハチのみならずミニエースのエンジンもオーバークール傾向なのは何度かお話したが、暑くなった昨今でも油温計の針が真ん中より右に行くことはない。別の温度計で正確に測っても90度より上に行くことはない。それよりも困るのはカブリ傾向だ。例えば、渋滞の中少しずつしか前に進めない、なんて状況の中を30分もいれば、オイルの温度はそれほどでもないのに生のガスは出るはアクセルに遅れて出るはなんてことが起こる。この点に関していえばミニエースの方に軍配があがる。プラグの温度が高くなっているとかということも考えられるが、だからといってその状況に対処するためだけにわざわざ熱価の高いプラグに換えるのもどうかと思う。

走っている限りはエンジンは冷えて、ストレスなく走れた時間があれば、油温計の針は少しずつ左に行く。オーバーホール前は走ったとしても針が動かないだけだったが、左に行くというのはかなりの進歩だ。
07/09/2010

長かったのか短かったのか…。44ヨタハチ所有16年目に突入

筆者が現在の44ヨタハチを所有して満15年が経つ。殴ればどんなクルマでも車検が通る…でおなじみの横浜陸事で登録をして書類上筆者のものとなったのが15年前の昨日、7月5日だ。筆者が俵万智だったら、このタマがいいねとぼくが言ったから7月5日はヨタハチ記念日、と詠んでいたに違いない。今日から16年目に突入だ。

登録当時はナンバーがいやだった。なんだよ79って!と見る度に突っ込んでいた。いまではその7ナンバーをつけているクルマを路上で見ることもかなり少なくなって、昔の暫定5ナンバーのような感じでいまではだいぶ気に入っている。

表紙の画像をみても大して変わっていないように見えるが、細部を見ると相当よくなったなぁと、思うのはオーナーの贔屓目だろう。この画像はもとの状態を三面図的に撮影しておこうと思って撮った一枚である。まずは走りがきちんとできるように整備して、板金などは最後にやろうと、維持する方針を撮影しながらおもっていた。その方針は現在もブレずに継続されている。この15年の間にやった板金作業といえば、軽く追突されたときに直したライセンスランプのあたりの極めて小さい部分だけだ。だが流石にそろそろ本格的にやらなくては…と思う今日この頃だ。
07/06/2010