初めての2プラトン体制。2008年、44ヨタハチ総括 最終回

ミニエースと44ヨタハチ、2台の古い車を持ってはいたが2台ともいつでも乗れる状態になったのはもうすぐ20年になりなんとする筆者の旧車キャリアの中でも実は初めてである。ミニエースとヨタハチ、同じく空冷2気筒エンジンを搭載する車ではあるが、そのキャラクターは全く違う。ミニエースにはヨタハチのドライブフィールは全くないし、ヨタハチにはミニエースのように沢山荷物を積めない。ヨタハチは乗ることが目的になる車だがミニエースは乗った時は必ず目的がある車だ。

翻って考えると、筆者の場合これくらいキャラクターが違わないと二台持つ理由がない。ミニエースはヨタハチのサービスカーとして目的を果たしているときが一番存在感がある。2プラトン体制が整った今、ようやく筆者の理想に近づいた。
01/01/2009

予定通り…。2008年、44ヨタハチ総括 その1

いよいよあと2日で2008年も終る。実感としては早く過ぎたと思うのだが、振り返ってみるとこの一年でも相当いろいろなことが起きて、意外と厚みのある一年だったと感じる。

今年は何しろ44ヨタハチの路上に復帰することが目標だった。本当は7月には復活させて夏の夜中を44ヨタハチで流したかったのだがそううまくは行かなかった。10月に車検を取ってようやく大手を振って乗ることができるようになった。結果的にはその時期に仕上がってよかったと思っている。外気の温度を気にしながら慣らし運転をすることがなかったからである。向こう2年はいつでも走ることができる。

もう1つ、今年の目標だったガレージの整理も相当進んだ。しかし、スペースができると何か置けると思ってしまうのはいけない。一時期エンジンが4基もあったことを考えるとものが入れ替わっているだけで結局ものの総量はかわらないのかもしれない。
12/30/2008

パブリカとコロナハードトップ…。トヨタ1600GTに乗る

トヨタが1960年代にトヨタの名前だけを冠した車が3台ある。トヨタスポーツ800、トヨタ2000GT、そしてトヨタ1600GTである。このネーミングのセンスは悪くないが起源は古い。近いところでは旧日本海軍の戦艦「大和」。古いものとはいえ、国の名前を冠するというのはその国家の命運をも賭けるというただならぬ決意が感じられる。それこそ大和の沈没は日本の沈没を意味する。逆に言うと、コケてしまっては困る訳なのだ。この3台は名車になることを宿命づけられていたのかもしれない。

ヨタハチは市販される前に愛称が募集されていたが結局使われなかった経緯がある。仮にパブリカの愛称の募集の際に候補に挙がった「トヨポピー」とか「トヨトップ」なんて名前だったとしたら、現在まで持ち続けている人はぐっと少なくなるのではないだろうか。どんなにいい車でも「何乗ってるんですか?」と聞かれて「トヨポピーだよ」とは、答えたくない。

ヨタハチは専用のボディを持っているのにも関わらず「いやぁ懐かしいねぇ、パブリカ」などといわれてしまう。パブリカスポーツなんて言われればまだいいほうだ。トヨタ2000GTを見て「いやぁ懐かしいねぇ、オペル1900GT」という奴がいたら相当ウケを狙っているかケンカを売っているかのどっちかだが、1600GTを見て「いやぁ懐かしいねぇ、コロナハードトップ」と言われてしまうのは情状酌量の余地がある。既存のボディを使っていることはこれ、紛れもない事実だ。

だが、そんな戯言は乗ってしまうとどうでもよくなる。40年前の車であるにも関わらず、走りは現代の車となんら遜色がない。不躾というと悪口だが、飼いならされていないドライブフィール。アクセルを踏むたびに未来への可能性を感じてしまう。室内はヨタハチ、2000GTとは違いスペースに余裕がある。ヨタハチ、2000GTに乗るとドライブそれ以外に何もできないという縛りがあるが、ドライブするための最適な空間を提供されているか或いはそれを強要されていると感じるかの振り幅は相当大きい。その点1600GTはその中庸を行くようで、乗ってみると心地がいい。ヨタハチで渋滞の中を行くのは結構辛いが、1600GTだったらまぁ、仕方がないか…と自分の気持ちに折り合いがつけられそうだ。ヨタハチで走行中、ペットボトルのキャップを開け閉めするのも緊張感を伴うが、1600GTならハンバーガー片手に走っても大丈夫のような寛容さを感じる。

今回1600GTでもGT4とGT5を乗り比べてみたが、まるで別の車だと思った方がいい。見た目は一緒でもTPOで使い分けられるくらい違いがある。
12/27/2008

44ヨタハチオーナーに朗報。ライトスイッチノブ補給を確認

筆者の44ヨタハチのライトスイッチノブを留めるいもねじがなんだかくるくる緩んでくるので、ストックしているライトスイッチノブを使うことにした。だが、在庫をみると1つしかない。カンバン方式を取っているのでなくなったら補充する。ダメでもともとノブを発注してみた。

44年式のスイッチノブは43年式とも違う。筆者が始めた頃には43年の品番で頼むと44年のもので来たり、43年のものできたりと不安定な時期だったが、結果から言うと現在は43年の品番でも44年の品物が届く。ことスイッチノブだけでいえば44年式は暫く安泰だ。使う品物の予備の予備まで買ってしまうのは国産旧車オーナーの悪い癖だ。当座使いもしないのに新しいのノブを3つ購入した。
12/22/2008

ここからがスタート。慣らし運転終了

遂に再始動から走行3千km走りきった。これにて慣らし運転は終了だ。正確に言うと、あと100キロほどはおとなしく走ろうとは思っているが、これからは回転計に目を釘付けにしなくてもいい。というか、積極的に5千回転前後を使うようにしようと思う。
12/20/2008

大して違わないと思うのだけど…。ヒーターを修理

本日、ヒーターの修理をした。修理と言ってもたいしたことはない。ヒーターは正常に作動しているのだが、少し前のようにものすごく暑くない。こういう時はノズルが怪しい。フューエルレギュレーターから出ているフューエルパイプを外してノズルを外す。外したノズルを陽にかざして見ると穴は開いている。これでなんともないじゃん、と言って元にもどすのは素人だ。たとえ穴があいていてもその径がなんらかの理由で小さくなっていたりする場合がある。キャブクリーナーを吹いて液が飛び出すのを確認したあと、エアを吹いて仕上げをする。ためしに陽にかざしてみるとさっきよりも明るさが増している。やっぱり穴が詰まりかけていたのだ。

タダでさえ径が小さい上に供給されるガソリンの重さだけでノズルからガソリンが滴出しているといういまひとつ信頼しきれないメカニズム。そこへ持ってきてノズルが詰まりかけると、ガソリンの持つ微弱な表面張力でもガソリンの供給が滞ってしまうのではないかと考えている。

ノズルが詰まる原因は、どうやらガソリン内にあるゴミではないような気がする。ガソリンの中に含まれているガム質が空気と熱気で固形化するのが原因ではないかと思っている。そうでなければキャブクリーナーで溶けたりはしないのではないだろうか。作業自体は簡単なので、ヨタハチ冬の定番メンテナンスに入れておけば苦にはならないだろう。
12/19/2008

もう少し様子見!ステアリングの修正は終了

慣らしの途中で出た問題点を今日は修正した。ステアリングの遊びはいつも行っている自動車屋さんの社長の手によって遊びの修正をした。作業時間は程なく終了。試運転中に一度修正を加えて帰ってきた。これによりステアリングはかちっと決まり。動き出しまでの遊びも少なくなって、誰がハンドルを握ってもするする走るようなレベルになった。

フロントの車高は暫く様子見。やはり車高を上げるとホイールアライメントが変わってしまうので、すぐにはやれないという。今後よほど気に入らなくなったらやることにしよう、ということになる。

デフももう少し様子を見てくれということになる。仮に音がするようならどんな速度域でも音がする。そうではなかったら他の要因も考えられるのでもう暫く様子をみようということになる。

シュラウドのボルトはあっさり終る。下のナットをメガネで押さえてもらって上をドライバーで回せば終了。ただ、リフトの上に乗って作業したのはちょっと怖かった。
12/15/2008

少しずつは出ます。慣らし運転最終局面に

あとおよそ300kmぐらいで慣らし運転も終る。いままで乗っている間に少し気になるところがいくつか出てきたので列記しておきたいと思う。

まず最初はステアリングの遊び増大。44ヨタハチ改修計画のメインはこのステアリングギアボックスのオーバーホールだった。内部のベアリング類など可能な限り部品を換えたのだが、最初から遊びを少なめにするのではなくてやや大雑把に調整していた。というのも新しい部品が使用しているうちに慣れると最初決めていたところからはどうしても変わってきてしまうため。慣らしが終った段階で調整することは織り込み済みなのでたいしたことではない。むしろステアリングギアボックスが慣れたことを喜ぶべきだろう。

次にフロントの車高の変更。現在の高さよりも10ミリから15ミリ上げたいと思っている。アライメント調整をして直進性をよくする方向にしているのでステアリングのフィーリングはやや重めなのだが、それにしてもちょっと重い感じがする。フロントサスペンションはもう少しストロークを稼げればショックの収まりも少しよくなりそうだ。

デフのバックラッシュ調整。別段悪い訳ではないが100キロぐらいのスピードで走っていて。アクセルオフからオンにした瞬間に「カッ」とか「コッ」という感じの音がデフの辺りからする。アクセルを抜いても少し踏んでいればこの音はしない。それよりも低い速度域では感じないが、もしかするとデフのバックラッシュやプレロードの調整が必要なのかもしれない。

最後はシュラウドのボルト締め。エンジンが掛かっているときに小さい音だが「パラララララ」という音がたまに聞こえている。この原因は何?と探っている過程でみつけたのが左のシュラウドを貫通している長いボルトが緩んでいるところ。多分これが揺れてシュラウドを叩いているのだろう。ところがこのボルト、シュラウドの下面でナットを介して留まっているのだが、このナットが緩んでネジ山を降りてきているらしい。一人では作業ができない。他にもシュラウドを留めるボルト、ナットの類を点検する必要はありそうだ。
12/14/2008

覿面に違う!クーリングダクトの実験

燃焼式ヒーターを使用するときに大切なことがひとつある。クーリングダクトを閉じることである。もとより、ヒーターをつけるくらいだからクーリングダクトは閉めなければいけない。そうでなければエンジンがなかなか温まらず、下手をすると過冷却となってエンジンは勝手に止まってしまうだろう。

筆者が手をいれたヒーターに、走行中に使用すると温風が途絶えてしまうのだがかといってパイロットランプが薄暗く付いて再びガソリンに点火するわけでもないという不可解な症状を抱えるものがある。種火となる燃焼炉内の火炎はあるのに温風がこないということは、エンジンルーム内の空気の温度が低いとヒーターを通ってくる空気の温度も下がり、尚且つ炉も冷やすことになるので温風が来なくなるのではという仮説を立てた。もっとも、燃焼炉内の火の勢いが再点火するほどではないが下火になってしまうということの方が問題ありだが。

一方の原因と仮説を立てた、エンジンルーム内の空気の温度と燃焼炉を通って室内に入ってくる空気の温度に相関関係が本当にあるのか?を調べるために筆者の44ヨタハチで実験した。ヒーターを安定燃焼に入った状態で走り回り、途中クーリングダクトを開閉してみて足元にあたる空気の温度が変化するのかどうかという実験だ。結果から言えばエンジンルーム内の空気の温度の変化で出てくる空気の温度に変化が出る。それも覿面に。筆者の44ヨタハチの例でいえばクーリングダクトを閉めた瞬間から温度が変わる。正確を期すために温度計を用意していたが、靴の上からでもその変化がわかるほどだった。

正常にヒーターを使用するためにはクーリングダクトを閉めなければいけない。逆にいうと、閉めているにも関わらず変化があるということは、走行中どこからか空気の流入があるということだ。
12/08/2008

やっぱりそうですよね?44ヨタハチのエンジン、更に静かに

今日も今日とて44ヨタハチの慣らし運転である。それだけではつまらないので何事か用事をくっつけて走り回っている。やっぱり実用の下において走ってこそ本当の調子が出る。

同じくヨタハチも持っている方のもとに部品を届けに行った。筆者のヨタハチが着いて、顔を合わせたときに開口一番言われたのが「静かになりましたよねぇ」だった。実は筆者も静かになったのかな?という思いはあったが、いつも手元にあるので正直実感はなかった。オーナー特有、自分の車のひいきの引き倒しぐらいにしか思っていなかった。ところが、他の方の印象はかなり有力だ。よく考えると、この方の元には慣らし運転を始めて間もなくの頃にも行っているのでその時の印象と比較はしやすい。

運転しているとエンジンの音よりもマフラーの後から聞こえてくる音の方が大きくて、それまでの筆者のヨタハチ観が大きく変わっている。ヨタハチは前から後から結構音がするもの。それがなんだか後からしか大きい音がしないから、安心を一周半してむしろ不安に思っている。
12/07/2008

あと少し…。 慣らし運転中間報告

慣らしの最終段階もあと400キロ弱で終了しようとしている。リミット4000回転であれば、高速道路も100キロオーバーで走れるし、発進加速も申し分ない。最近では少し目を離すと4000回転を勝手にオーバーしようとする感じになっているので気持ちが緩んでいるところ注意が必要である。

一方でちょっともの足りなさも感じている。だんだんやるべきことが少なくなってきているので、正直つまらない。ただし、こんなことを考えていると車の方が洒落を利かせて面白くしてやろうとトラブルを用意するようになるので気は抜けない。

ヨタハチの慣らしが済んだらミニエースに手をいれようと思う。こちらはぼつぼつやるべきことが出てきている。
12/06/2008