違うんだねぇ…。ヨタハチ用のラジオステーを入手

別の用事で九州まで行って帰ってきた。夏休みの冒険には丁度よかった。行った先には大きいお土産を持っていったのだが、それと引き換えに小さいが貴重なものを手に入れて帰ってきた。ヨタハチ用のラジオのステーだ。

筆者の車は購入当初から純正のラジオがついていなかった。中にはあっても別のものを着けるからと、残っているのにわざわざ外した人もいるだろう。パブリカのステーは見たことがあるのでまあ、同じものだろうと思っていたが、いざ目の当たりにしたら全然違うものだった。こういうものを何も言わず譲ってくれた仲間に感謝したい。
08/26/2008

可愛そうなヨタハチ…。なぜヨタハチなのか、思い出を語る その2

次のヨタハチにまつわる思い出というと小学校4年生頃の記憶だ。当時は空前のスーパーカーブーム。第三京浜の玉川に日曜の朝に行くとポルシェが走ってくると聞けばいつ来るとも知らぬポルシェを撮りに行く子供たちが出たりする異常なブームだった。ランボルギーニ カウンタックを頂点としてイタリア製でV型12気筒でなければ車ではないといった感じで今考えると実に偏った自動車観を当時の少年たちは植えつけられたと思う。何しろ「サーキットの狼」に出ていてキャラクターの性格付けに一役買っている車=スーパーカーという図式が成立していたようである。当時の筆者には週刊のマンガ誌を買うという習慣がなかったのでその出典すら知らずに友達との話をあわせるためだけにブームに乗ったように思う。

当時は近郊の遊園地で週末になるとスーパーカーショーと題して何台かのいわゆるスーパーカーが展示されていた。現在では信じられないが、遊園地の入場料にプラスして会場の入場料を払わないと見にいけなかったような記憶がある。そんな中、筆者の住んでいる東京は多摩地区のチビっ子たちにはおなじみ、サマーランドでスーパーカーショーがあるというのでいとこと一緒に見に行った。

スーパーカーショーにいくと必ずアトラクションの1つとして「きみもスーパーカーに乗ろう!」などとして車の助手席に同乗して会場を軽く走るコーナーが設けられていた。これも有料。確か一回500円くらいだったと思う。昭和50年代で500円はべらぼうな金額だが、それでも大人気コーナーだった。ポルシェ911とかマセラティ メラクなど、この時の同乗できるスーパーカーの中になぜかヨタハチが1台入っていた。筆者よりも年長の子供たちには「ヨタハチってスーパーカーかよ!」とか「ぜってー乗りたくねぇ!」などとヨタハチは罵声を浴びせられていた。乗りたい車のチョイスは一切なし。遊園地のゴーカートよろしく順番で並んでいて目の前に来た車に乗らなければならない。その時ヨタハチはババ呼ばわりされていた。いくらチビっ子相手の商売だからと言ってもこれは今考えても酷い。現代で考えるとフェラーリF50やランボルギーニガヤルトスパイダーに乗れると釣っておいていざ乗ることになったら目の前にホンダ ビートやスズキ カプチーノ(両車オーナーの方すみません…)に乗せられる。ガヤルドでもカプチーノでも500円。はっきり言って詐欺だ。でもそれがまかり通るようなブームだったのだ。

筆者はこの時、ババをひいた。目の前に止まったのは赤いヨタハチだった。筆者はスーパーカーといわれるものが何になるのかという概念がなかったので来た車にそのまま乗った気がする。走り出すとその車のオーナーと思われる青年がなんだか申し訳なさそうに運転していたのを今でも覚えている。

ところで「サーキットの狼」といいつつ、マンガに出てくる車がサーキットを走った記憶がないのはなぜ?
08/19/2008

まだ沢山あるなぁ…。44ヨタハチ改修計画進捗状況を確認

仮ナンバーを取得してエンジンの慣らしもかねて期間限定で路上に出た訳だが、その結果まだまだ手を入れないといけないところがいくつも出て来た。

羅列するとキリがないので大掛かりなところだけ挙げると、フロントロアアームブッシュの交換、リアリーフスプリングブッシュ交換、あとは必要があればだがタイロッドエンドの交換などが挙げられる。中でもフロントロアアームブッシュの交換はメカニックにとってはパブリカ系車両やりたくない作業ベスト3である。できればやらないでおきたいところだが、購入以来一度も交換していないので既に看過できないレベルに達している。

燃焼式ヒーターのオーバーホールもしなければいけないし、まだまだ手を入れるところはある。
08/17/2008

問題先送り…。マフラーの干渉、解消を断念

走り出してみるとトラブルは出る。それを当て込んで今回自賠責を取って仮ナンバーで走ってみたのだ。思惑は当り、トラブルは出てそれぞれ直すことに成功。フェンダーミラーを換えることもできてなかり進んだ感じだ。

しかし、1つだけ問題を解消できなかった。マフラーとフロアの干渉である。走っているといろいろな音がするので、それをいちいち原因を当てはめていると気が狂いそうになる。まっさきに解消したかったのだが、今回はやめた。当面はこれ以上路上を走らないからだ。昨日12日で仮ナンバーの有効期限が切れ、今日ナンバーを返してきた。おそらく設備のあるところで直した方が早いし正確に作業ができると思う。車検を取る際の整備の時に同時にお願いすることとした。
08/14/2008

永年の悲願なる!フェンダーミラーを交換

購入以来つけていたベレGミラーを廃し、本日ようやくカローラSL用のミラーに付け替えた。永年の悲願であったフェンダーミラーの交換を成し遂げた。

いわゆる後期型のヨタハチ、しかも43年でも後半からにおいてはなぜかオリジナルのミラーではなくカローラSLのミラーをつけている例が多い。新車当時、在庫してしまったヨタハチを販売店がなんとか売ろうとしてミラーはオーナーになる人の希望でデリバリーされる前に既に換えてしまった例が実はいくつもある。一部地域では販売店のオプショナルパーツとしてラインナップされていたという話も聞くが、こちらはまだ完全にうらが取れていない。

どこかで書いたかもしれないが、44ヨタハチを仕上げていく上での筆者のコンセプトは「みゆき族仕様」であるということだ。銀座のみゆき通りに集った当時の若者たちがやっていた感じにしたい。寸分たがわず完全オリジナルを目指す訳ではなく適度に使用感がある感じだ。具体的に言えばつや消しの黒にしてあるオリジナルのホイールや、当時のレーシングメイトで出していたヒールアンドトゥがしやすい(実際はそうしやすいものではないが)アクセルペダルなどがそうだ。昔の文献を調べてみると、車体にストライプが入ったものやダッシュボードにラジオを埋め込んだヨタハチも見かけるが、こちらは趣味ではない。オリジナルに戻すときに大掛かりな作業が必要になるものは採用できない。最初のオーナーが購入してから2年目の最初の車検(昔は現在のように新車3年車検ではなく2年ごとに車検があった)を受けるまでの使用感が目標。その意味でもオリジナルがどうなっていたかの追求は必要なのだ。外し技はもとを知らないとハズレ技になる。

そういった意味でもベレGミラーはアリなのだが、ひとつ困ったことがある。ミラーのステーが短いために運転席の着座位置から左のミラーが見ずらいのだ。というか、ほぼ見えないに近い。幸い、ヨタハチは後方視界がいいのでさほど苦労はしないが、それでも安全上改善の余地はある。その点オリジナルのミラーは良く出来ていて、パブリカのミラーよりもステーの長さがあるために視線の先に自然とミラーが存在する感じだ。パブリカのミラーに比べると径が小さくて厚さが薄いだけのように思われているが、あのミラーの肝はステーの長さにある。

そんなに言うなら、オリジナルのミラーがいいんじゃない?と思う。ところがご存知のようにオリジナルのミラーは入手が困難だ。不完全なレプリカ品は論外。となると、行き着いた結論が後期型には多いこのカローラSL用のミラーという訳だ。とはいえこのカローラSL用のミラーとて入手が簡単かというとそうではなかったが、筆者の信頼できる筋の協力もあり今年になってやっと入手できたのだ。

さて、交換なったミラーを運転席から見てみると、以前のミラーに比べて視界は改善された。外から見た感じもなかなかいい。暫くはこれでいい。
08/13/2008

こんなに違うのかね?ミッション、デフオイルを交換

今日はミッションとデフのオイルをトヨタデイーラーで交換した。それまで入っていたミッションオイルはカー用品屋さんで買ったBPのミッションオイルである。好きだから買った訳ではない。それしか売っていなかったから買っただけ。改修中は走り回ったりしないから油分がなくなるよりマシなので入れているだけだ。

同じオイルを実はミニエースには入れているがこちらは何ともないのに、ヨタハチの方はなんだか気に入らない音がする。それがマフラーが干渉して発生している音なのかミッション、デフの音なのかがよくわからないが、スピードが出る上に工作精度がいまいち甘いヨタハチのデフにはいいものをおごってあげよう。ということで、筆者の信頼できる筋に相談し、ミッションには現在一番ポピュラーな75W−95というミッションオイル。デフには85W-95のハイポイドギアオイル(だがちょっとひねり有り)を入れることにした。どちらもトヨタ純正である。

ところが、この両方を常備しているトヨタのディーラーが意外と少ない。この二つがあるかどうか数件聞いた。最後は仕方がないから自分で入れられるように4リットル缶で買うことにして近所のトヨペット店で注文しようとした。その時にダメでもともと、その二つがあるかどうか聞いたところ意外や意外あるという。ハイエースも扱っているから?クラウンがあるから?まあいいや、何しろあるというので数日おいた今日実作業をしてもらった。

作業を待つこと30分。ガレージまでの道のりの走り出しからなんだか感じが変わっていた。フィーリングがなんだかかっちりした感じがする。エンジンのオイルをいい加減にしておくと発進時にザラついたフィーリングが出るが、そのフィーリングに前のオイルは似ている。入れなおしてわかったが、音も静かになっている。早めに交換してよかった。ミニエースも早く換えよう。
08/12/2008

トラブルシュートというよりシェイクダウン。着々と実用に向けて修正

この週末の夜は、傍らに19ミリのソケットを点けたスピナーハンドルを置いて近所を走った。直進で走っている状態でのステアリングの位置を見て、走っては止まってステアリングを付け直し、再び走ってはステアリングを外して…という作業を繰り返した。地味だがこれが一番いい方法だ。

肝心のエンジンの方は好調。同じ回転数でも少しずつ当りが出てきている。少し気を許すと回転計の針が四千回転付近にいってしまうから気が許せない。こちらのほうは通り一遍の慣らしでいい感じになるだろう。

問題はマフラーとリアのフロアの干渉だ。エンジンの始動時と停止時にごとごというのはわかっていたが、走っているときにもやはり音がするのがわかった。今日はガレージでウマにかけて、フロアとマフラーの干渉ぐあいを見てみた。

フロア下にもぐってマフラーの上面を触ってみる。どこも適当にクリアランスがあって干渉していない感じだ。ところがである、リアアクスルをまたぐ部分を触ってみると、ほんの少しだがフロアと当たっている部分があった。当たっているならもっとべったりくっついているのかとも思ったのだが、意外と点当りしかしていない。ほんの少しだけど、これであれだけ音がするのか。どこまで有効かわからないが、マフラーサポートナンバー3とパイプを留めるボルトにワッシャを数枚かませてフロアまでのクリアランスを稼げるようにした。触ってみると、少しは稼げたなと思ったのだが、試運転に出てその目論見はつぶれることになる。少しは改善できたが、傾向は変わらない。根本的な解決をしないといけないだろう。

実はこのマフラーとフロアの干渉があるために、ある回転数にくるとこの度取り付けたラジオが共鳴してびびる音が発生している。触ってみると結構な振動。ここにETCも取り付けることになっているため、ラジオともども動作を正確にするためにも解決しなければいけない。

仮ナンバーがついてから走行150キロ。本来こういう使い方はしてはいけないが、言い訳できるように書類上に書いておいた整備移動のための経路上でのエンジンの慣らしは続く。
08/11/2008

期間限定!44ヨタハチ、公道に復帰

エンジンオーバーホール等改修計画が終了して初めて、筆者の44ヨタハチが公道で自走した。なんと、5年6カ月振りである。板金修理のために自走で行きたいのとエンジンオーバーホールもそうだが、久しぶりに動かすこととなるトランスミッション、デフなど駆動系部品の慣らしを行いたいために一ヶ月の自賠責を取って仮ナンバーで我が44ヨタハチを走らせることにしたのだ。

しかし、自動車というのは走らせてなんぼだとつくづく思った。ガレージでエンジンをかけているだけでは出てこない小さいトラブルがあるために思うように走れないのだ。仮ナンバーをつけていよいよ合法的に公道に出た最初のトラブルはタイヤである。空気が抜けて圧が落ちている。よく考えてみればバルブの中に入っているムシも5年前に取り付けたものである。どうせ空気をいれるなら窒素にしてしまおう。ついでにムシも交換すればより空気は抜けにくい。そこで5キロほど先のタイヤ屋さんに行くことにした。

次のトラブルはその道すがら出た。エンジンが温まるにつれてアイドル回転がアップ。悪いことにこの夏初めての猛暑日を記録したこの日だから無理もないが、最高で2200回転でアイドルするようになってしまった。これはよろしくない。幸い、いつも行く修理屋さんはそのタイヤ屋の目と鼻の先なのですぐに駆け込める。

精神的安定をいくらか取り戻した頃、突然チャージランプが点灯。何かがおかしい。アンメーターはプラスに振れているのにチャージランプが点いている。その代わりチャージランプが点くと回転数が下がった。プラグコードに行く電圧が変化しているのか?次から次へとトラブルが出る。まだ何一つとして解決はされていない。

最初のトラブルタイヤの空気圧だが、当然ながらタイヤ屋さんに駆け込めば解決した。ムシを換えて空気の抜けたタイヤに窒素を入れて終了。これでなかなか抜けずらくなるに違いない。二つ目がチャージランプ。タイヤの空気を入れる作業をした後、エンジンをスタートさせたらこちらはとりあえずランプが消えて解決した。チャージランプがついた原因はわからないまま解決したので根本的な問題の解決にはなっていないが、当座はこのまま使用して様子を見よう。最後はアイドリング。いつもの修理屋さんに行ってキャブレター調整をしてなんとか解決した。

その間乗っていてもなんだか以前は聞かなかった音がして非常に気になる。ステアリングも直進状態でスポークが回転計の前に行ってしまい全く計器が見えない。前途は多難であるようだ。
08/10/2008

所有14年目突入記念。なぜヨタハチなのか、思い出を語る その1

筆者が44ヨタハチを手に入れて、実は先月の5日を持って満13年になる。20代のうちに1つだけ一生ものになってもいい買い物をしたい…。ヨタハチを買った動機の一番大きいものはたったこれだけである。では、何故ヨタハチになったのか、結論に至る端緒は一体なんだったのか記憶を辿っていく機会が最近あった。

筆者がヨタハチを一番最初に意識したのはおそらく五歳頃だったと思う。ある雨の降る日のこと、東京の練馬から親戚が住んでいた横須賀の田浦まで行ったときのことだ。当時のうちの車は新車で買ったスバルR2である。R2というと、走り終えて帰ってくるとエンジンフードが触れないほど熱くなっていて、それはその前に乗っていたスバル360よりも酷かったのが印象に残っている。

雨の日に車に乗るとき、助手席に座る筆者の仕事は信号待ちの間にフロントガラスを拭く事だ。デフロスターらしきものはあったが利きは悪く、R2に人間が二人も乗ればあっという間に窓は曇る。窓を拭くことで運転の手伝いをしているようで、筆者は少し大人になった気分だった。

国道16号線を走り、いよいよ田浦に着こうかという時だ。それまでの道程と同じく信号待ちをするや筆者はとっさに窓を拭く。そのときである、取り去った曇りの向こうから現れた車がヨタハチだったのだ。ボディカラーは赤、灰色や茶色が未だ支配していた街の風景の中、ヨタハチの赤色は幼い筆者の網膜に焼きついた。

当然、その時はあの車がトヨタスポーツ800であることも知らず、単に赤いスポーツカーぐらいの認識だった。後から理屈づけをするならば田浦はトヨタスポーツ800を作っていた関東自動車の田浦工場がある土地で、不意にヨタハチに遭遇する可能性も高かったのだろう。

信号が変わり、走り出した赤いヨタハチ。運転席側の曇った窓ガラス越しにもその赤色は映えて、やがて視界から消えていった。その時は「あの車に乗ってみたい」とか「かっこいいな」なんて感情は全くなかった。白く曇った窓を拭いたら現れた赤い車、その色のコントラストの印象しか覚えていない。

後年、ヨタハチを本気で欲しいと思った時、真っ先に思い描いた色が赤だったのはこの時の記憶が意識の底にあったからだろうと思う。もうひとつ言うなら、空冷エンジンに全く抵抗がなかったのはスバルに乗っていたおかげだろう。空冷だから良くオーバーヒートするなんていわれるが、エンジンフードが触れないほど熱くなっても、それでも車は走ることを経験的に知っていた。
08/08/2008

これで謎も解明か?オートカラー見本をまもなく入手

筆者の信頼できる筋からある日情報がもたらされた。ヨタハチのボディカラーの見本があるのだけどという。詳細を聞くと昭和44年当時の関西ペイントが出した色見本で、その当時現役だった車のほとんどは網羅しているようである。ただ、詳細は自分の目で見ないとわからない。お値段もそれなりにする。でも、六本木ヒルズの52階から飛び降りる覚悟で買うことにした。討ち死にするかもしれないが、いままで謎とされていた色の配合がわかるという目が出るかもしれない。特に、これが関西ペイントというところがみそ。ヨタハチの新車解説書をみると、アメジストシルバーは関西ペイント製である。マイナーチェンジ後の新車解説書には特別な記述がないので生産終了までそれが続いたと考えていいと思う。

ヨタハチが何台か集まるところに行くと奇妙な現象が起こる。既にオリジナルでない塗色のものは別として、オリジナルで存在した赤、銀、青でも車によって全く違う色になっていて、1台として同じ色がないなんてことがある。新車時から数年でテキトーな色に塗られてしまった車が多く、いざレストアしようと塗装を剥くと何層も色が出てくるなんて車がざらにあるヨタハチ。そんな車にあってはそもそもオリジナルのペイントがどうの…なんていうことの方がナンセンスなのかもしれないが、オーナーが納得のできない色の車に乗るのは結構苦痛だ。レストアする機会があったら是非ともオリジナルの塗色に戻したいという人がきっといると思う。

塗装についてはいろいろと説がある。その1つはヨタハチの前期と後期では同じ色でも見た感じが違うというものだ。昭和40年代前半だと、塗料の品質も飛躍的に向上している時期だけにその可能性はある。特に赤は下地の処理によっても見え方が違うし、顔料によっては発色も違う。

その2は見ている色は所詮経年変化しているものであること。特に銀色は、元は相当赤かったようだが、当時の赤色は退色しやすいので、大して時間が経過していなくても黒っぽくなってしまう。燻した銀色のイメージがあるのはそのせいなのかもしれない。リアルタイムで新車のヨタハチを見たことの無い筆者が見ているものは所詮退色した色だということだ。一方で新車時の色だからと言っていつまでも赤い銀色というのも、筆者が持っているイメージから外れているような気がする。

その3は現代の塗料では当時の発色を再現するのは不可能だということ。確かに現在よく使われているウレタンは当時使われていたものとは材質が違うし、今では使ってはいけない薬品が当時はたくさん使われていた。塗装屋さんに聞くと、六価クロムを使えた時の黄色は病的に綺麗で、あの質感は出せないとよく言う。

ただ、これら様々な話も実のところ同じ土俵では語られていない。話し合うべきテーブルがないというか、ベースとなる色の配合に関する客観的な資料がない状態で語られているのが現状だ。いや、多分そういう資料はあるのかもしれないが、少なくとも誰もが少し調べれば知ることができるようにはなっていない。今回手に入る資料がそれになればいいと思っている。その上で、経年変化で退色した感じがだしたければそれでいいし、新車時の発色まで再現したい人はそうすればいい。
08/07/2008

さてどうしよう…キーケースのお手入れ

この時のために使うことにした当時物のキーケースだが、当時物というものは雰囲気は満点だが傷みも満点だ。久しぶりに出したキーケースは折れているところがこのままだと切れてしまうでしょ?というコンディションだった。要は革のお手入れをしないといけないのだが、これをどうしようか悩んだ。

いろいろ考えた挙句行き着いた結論は野球のグローブを磨くときに使う固形のオイルを使うことにした。それも沢山使うと手触りがべたべたするし臭いがつくし、なによりあまりきれいにして当時物の雰囲気を損なっては意味がない。そこで、このオイルをウェスに少量とってできるかぎり薄くのばして使った。

ところがもとより潤いがなくなっていた革製品、つけた端からオイルの潤いを吸収して思ったように薄くのびない。色にムラが出てしまうのを防ぐために、ウェスでのばすのをやめてところどころにオイルを点載せして、吸収が始まらないうちにオイルを載せている点を辿るようにウェスで拭いてオイルをのばした。これがうまくいった。オイルを吸ったムラができることなく、全体にオイルを薄くのばすことに成功。作業前に段ボールのように固かったキーケースがやや柔らかくなった。肝心の雰囲気はそのままだ。

日を置いてもう一度くらい手入れしようと思う。後は持っている際に手に握るようにしよう。手の表面の油分は結構いい風合いを出す。
08/03/2008