これがないと死んだ顔?シールドビームについて考える その1

自動車の部品で進歩が著しいのは灯火である。やれハロゲンだHIDだキセノンだバイキセノンだといわれても、何がどれなのかいまいちよくわかっていない。ことヨタハチのルックスだけで言うならば、使用するライトはシールドビームで決まりである。

このシールドビーム、調べてみると日本での起源は結構最近である。シールドビームは鉄道車両に使われたのが最初。昭和33年、東海道線が全線電化された時に特急列車「こだま」号が新設された。これに使用された151系車両の前照灯に使われたのがこのシールドビームである。それまでの鉄道車両に使っていたライトとは格段に小さくなってしかも明度はあがっている。ただし、当時は品質が安定せず鉄道車両への採用にあたっては慎重な意見もあったようである。鉄道車両をみると、この頃採用された機構がそのまま使われていたり、あるいはベースになっている技術が多い。昭和30年代前半の自動車とスタイリングだけを比べてみても、この頃は鉄道車両の進歩の方が進んでいたことがわかる。

その流れがあるのかもしれないが、ヨタハチ、パブリカのシールドビームを注意深く見ると気がつくことがある。生産時に使用されていたシールドビームには東芝製の物と小糸製の物があるということを。東芝…鉄道車両ではお馴染のメーカー。新製された電気機関車を見に武蔵野線の北府中駅に行っていた筆者からするとなじみは深いのでうっかりしていたが、実は東芝は自動車の灯火のメーカーとしては認知度は低い。

個人的にはこの東芝製のシールドビームが非常に欲しい。東芝製ならなんでもいいのかというとそうではない。東芝のロゴが昔のもの、東芝のTの字の上が長くなっているあれ。東芝日曜劇場のオープニングの最後に出てきたあのロゴである。この東芝のロゴ、正確な時期はわかっていないが現在はデザイン感のないロゴに変わってしまっている。

余談だが、ロゴで昔の方が完成度が高いなぁと思っているのは放送局のTBSのロゴである。筆記体ぽく連なったあのロゴの完成度は秀逸である。デザインしなおせばしなおすほど駄目になるくらいならいっそのこと、昔のロゴに戻して欲しい。

明るさのことを考えなければ、ちらっとこの東芝のロゴが入っているシールドビームが付いていたりするとなかなかできる旧車乗りだと筆者は思う。いや、買ったときのままだよというのもそれはそれでありである。やはり古さを演出するならば、こういったところに配慮したいものである。そして残念なことに、現在自動車用に東芝はシールドビームを作っていないというところも筆者の琴線に触れるものがある。

セカンドベストは小糸製のシールドビームである。まず、新車時から小糸製のシールドビームは使用されていたことが第一。そして現在でも容易に手が入る。ただし、この小糸製のシールドビームにもロゴが違うものがある。
丸いベースに小さく「koito」と書かれているシールドビームが存在し、そのものの方が実は古いのである。ただ、この小さい丸の小糸製シールドビームを着けたヨタハチを筆者は一度も見たことがない。

尚、市光製シールドビーム(レンズ面にIKIと入っている)は残念ながら論外としている。まず、新車時に使用されていなかったこと、そして市光製のシールドビームは安く手に入るため、小糸製のシールドビームがあるにも関わらずわざわざそちらを買ったという例が少なくない。見る人がみれば「ああ、安かったからかったんだ」と、足元をみられかねないものである。筆者がスバルサンバーに乗っているときに、片方は市光、片方は小糸のシールドビームを使っていた時があったが、寿命は圧倒的に市光製が劣っていた。やはり安いものにはそれなりの理由があるのである。
08/31/2006

ドライビングの…というか生活の必需品!めがねを購入

めがねを買った。中央高速でヨタハチの走行写真を撮るために屋根を取ってフロントガラスから上に首を出したところ、かけていためがねを飛ばしてしまった。その出来事からもう5年くらいたつ。じゃあ、その間あんたどうやって運転してたのよ!とツッコミが入りそうなのでいうが、昼間運転するときは度付のサングラス、夜間運転するときはうちのじいさんの形見のめがねをしていた。このめがね、製造から70年ほど経つもので折りたためるクラフトマンシップあふれる逸品である。だが逸品過ぎて扱いに躊躇していた。でも、つけないと見えないし…で5年が経過してしまった。

5年という時間はめがねを取り巻く事情を一変させていた。少し前までは1つめがねを作るのにフレームが1万5千円、レンズが更にその倍だった。フレームの値段が全部の値段だと思って大散財した覚えがある。しかし最近はレンズまでセットで一番安くて3980円なんていうめがねを扱うめがね屋さんが東京では増えている。昨今のめがねっ子ブームを下支えしているのは実はこういっためがね屋さんではないかと思っている。

初めて行ったが、いやなかなかいいかもしれない。たとえここで洒落で買っためがねがあとからかけてみたらなんだか変でも、この値段だったら怒る奴はいない。筆者はそこで新しいめがねを2本と、もとから持っていた70年代のものと思われるフレーム2本に新しくレンズを入れてもらった。ここで一挙に4本のめがね持ちになった。もう3つほど買って、日替わりで使おうかと思っている。

視力の検査をしてかけて見ると、まあ良く見えること。今まで、何してたんだっていうぐらい。とみにコンピュータのモニターがまた見やすい。前かがみにならなくてもきちんと見えるので、知らないうちに姿勢が悪くなっていたことがわかった。運転していても前よりもはっきり見える。
08/17/2006

考えるのもいいけれど…運転席側内張り取り付け完了

いざ作業をしてみると早いものである。作業前はあーでもないこーでもないと考えをめぐらせるが、それが杞憂になることもある。ただし、旧車の場合は圧倒的にその逆のパターンが多い。ちょっと塗装の剥げているところを捲ったらパテがてんこ盛り、そこだけ板金するつもりが気がついたらフルレストアもどき…なんて話はざらにある。

今回の作業はまさに杞憂に終わった。新しい縁のゴムを取り付けた内張を通してビスをどう取り付けるかでちょっと悩んだ。タッピングビスと同じ径の穴を開けて通せばいいか?じゃあ何で穴をあける?ピンバイスにドリルの刃をつけてあければいい。いやまてよ、素材が固くないから綺麗に穴なんか空かないんじゃないか?…といろいろ考えた挙句、採用した方法は金物屋さんで売っていた千枚通しでタッピングビスの通り道を作ってやることだった。タッピングビスそのものをゴムに穴をあける道具として使うとすると、余計な力がかかって最悪は折角綺麗に張り付いたゴムを取ってしまうことになるかもしれない。ところが、千枚通しで一度通り道を作ってやると、ビスは一番抵抗の少ないところをめがけて通ろうとするので、割といい加減にビスをゴムにたてても勝手に穴に通ろうとする。ゴムも柔らかいので入れば適当に広がってくれる。

そんなことで、あっと言う間に内張りは運転席のドアに取り付け完了。レギュレータハンドルとオープナーのハンドルをインスカッションと共に取り付けて作業は終了。この間約1時間だった。前回シリコングリスをくれてやったのでガラスの昇降もスムースである。さあ、次は何をやろうか?正直なところ、後は筆者が思いつきで始めると泣きを見そうなところばかり残っているのだ。
08/15/2006

昔はこんなに柔らかかった?運転席側内張り修復

助手席の内張りの取り付けが終了して、現在は運転席側の内張りの修復をしている。筆者の44ヨタの運転席側の内張りの縁には購入当時からどこから持ってきたのかわからない粗悪なゴムがついていたのである。見るたびに何とかしたいなぁと思っていた。しかし、このような部品は目立つ部品ではない。補給部品でも頼む人は少なかっただろうから半ばあきらめていた。しかし部品の神様にお願いすること数年、この縁のゴムの純正新品を手に入れたのだ。昨年の話である。中のトリムバランスゴムもつけなければならないことはわかっていたのでこの時とばかりにこの縁のゴムを取り付けた。

一度でもドアの内張りを交換したことのある人ならわかると思うが、内張りを留めているビスはこの縁のゴムの下に隠れている。ところがこの縁のゴム、新車当時から着いているものは固くなっていて、ビスを回そうにもこの縁のゴムを剥くのに難儀する。やりすぎれば切れるし、取り付けた後めくれたままになってしまったり見栄えもよくない。しかし、この新品のゴムは違う。非常に柔らかいのである。なるほど、これならめくっても苦もなく元に戻る。今回入手したゴムは荷物の姿から察するに70年代の後半か80年代でもかなり前半くらいのものである。だとすれば新品といいつつ20余年の時間が経過しているのだが、保存環境が良かったのかゴムが十分に弾力を残している。

通称鼻くそボンドを使用するのはやめて、最近流通している黒いゴム系の接着剤を使用した。接着面同士に塗布したあと暫く乾かしてから貼り付けるのであるが、夏ということもあって規定時間の下限である5分で張り付く粘度になる。おかげで乾く時間も含めて1時間で取り付け終了。さらに2、3日乾かせば車体に取り付けられるだろう。
08/11/2006

岡崎友紀離婚記念?今月の一枚解説

今月の一枚は「おくさまは18歳」(昭和46年 大映テレビ/TBS)より聖蹟桜ヶ丘いろは坂通りである。「おくさまは18歳」からの出典はこれで二度目。このロケ地となった聖蹟桜ヶ丘は一回で終わらせるには実にもったいないところである。

この写真を見る限りではとても都内の風景とは思えない感じであるが、この撮影場所は京王線聖蹟桜ヶ丘から何百メートルも走らないで着くところにある。作品中では、岡崎友紀扮する飛鳥が友達と連れ立って走ったりするシーンによく出てくる。当時は交通量も少なく映画撮影のロケ地としても何の届けも出さないで撮影できただろうが、現在はこのような写真を撮るのに暫く待たなければならなかった。現在は整備されて遊歩道のようになっているが、作品の撮影当時はこれほど路面がきれいにされていなかったので単なる田舎道にしかみえない。作品と見比べても同じところとはにわかには信じがたい。

大映テレビ作品というと、同時期の赤いシリーズなどが有名である。もっと時代が進むと「スクール・ウオーズ」とか「スチュワーデス物語」である。大映テレビの不思議な作品世界、宇宙意思が働いたとしか思えないワンダーワールドが展開しているのはそちらである。いわば大映テレビの本流といえるだろう。しかし、この岡崎友紀出演のシリーズも大映テレビを語るときに必要な世界であると筆者は思う。「おくさまは18歳」の流れを汲む後年の作品としては「噂の刑事 トミーとマツ」などがある。

では、この二つの流れの違いは何かというと、前者はシリアスドラマを目指しているが後者はコメディである点である。両者とも大映テレビのワンダーワールドが展開している点では共通しているのだが、シリアスにやっていて結果的笑える前者に対して笑わそうと思って笑える後者は大映テレビファンには評価が低い。同じ甘いものでも羊羹と飴くらいの違いがある。笑いの深みが違うのである。同じ「高校生」が「奥さんになる」ということで比較するならば、「高校聖夫婦」があるが、こちらは十分前者の流れを汲むのはわかるだろう。

タイミングがいいのか悪いのか、岡崎友紀が二度目の離婚をした。岡崎友紀は作品中のキャラクターと自身のキャラクターのギャップに若い頃は苦しんでいたようだ。苦しんで当然だろう。大映テレビの世界を何の疑いもなく受け入れたのは後にも先にも宇津井健だけである。堀ちえみ、伊藤かずえ、松村雄基、いとうまいこ…大映テレビの世界を継承すると思われる才能がいくつも出たが、宇津井健ほどの器ではなかったのかもしれない。
08/07/2006