それはやがて確信に…フューエルキャップに違い有り

なんとなく思っていたが、いくつも例をみるにつけやがて確信に変わった。気づいてしまった以上は書いておかないと気がすまないので書いてしまうことにした。

ヨタハチに使われているフューエルキャップだが、新車時の物と後補給のものではキーの形が違い、それに伴ってキーシリンダーも違うと書いたが、実はそれ以外にも違いがある。

まず、キャップ裏についている厚いゴムのパッキンが違う。新車時のものは完全に平らなのに対して、後補給のものは表面が波状になっている。それと、キーシリンダー周辺である。新車時のものはキーシリンダーの周りに何も無いのに、後補給のものはキーシリンダーの周りにOリングと真鍮製と思われるガスケットが二枚、Oリングを挟むような感じでついている。しかしどうしてなのだろう。

後補給のフューエルキャップは後年ハイエースのものとなって使われていたと書いたが、鍵はそこにあるのではないかと思う。

改められている点を考えると、その目指すところは燃料の気密を保持することのように思う。つまり、ガソリンが漏れ出さないようにするためである。しかし、よく考えてみると、ヨタハチのキャップはいつでも上を向いている。ここからガソリンが漏れ出すということは、GSのバイトの兄ちゃんが満タンだからといって親の仇でも取るような勢いで目いっぱいガソリンを入れた時ぐらいしか考えられない。
しかし、ハイエースに使われていたとなれば話は別だ。キャップは横向きに使用される訳である。つまり満タン時からしばらく経った後でもコーナリングの度にキャップのすぐ後ろまでガソリンが来る時が比較的ある位置なのだ。そのために気密性をあげるための処置であると思うが、どうだろう。
06/28/2006

長く持ちたいなら…ヨタハチに使うタイヤについての考察 最終回

チューニングと聞いて皆さんはどういうイメージを持つだろうか?チューニングとはその車が持てる車の能力、これをポテンシャルと仮に呼ぼう、を自分の求める性能に割振る行為ではないかと筆者は思っている。

わかりやすいのでエンジンを例に説明しよう。エンジンをチューニングするとは、出力にはこれくらい、耐久性にはこのくらい、経済性にはこれくらい…と限られた量のポテンシャルを自分が求める性能にそって割振ることである。ただし、総量が決まっているのでどこか一つが突出していれば、たちまち残りの性能が貧弱になる。お金がかかってもいいから出力が欲しいければいくらでも経済性を犠牲にすればいい。その人が望むならそれでいいのである。要はその人がエンジンに何を求めるかでやるべきことも決まってくる。逆に言うと、この何を求めるかを自分でもわかっていないと何をどうしていいかわからないはずなのだ。そういう人が、やれあんなにお金をかけたのに壊れただのと文句を言う。

タイヤとホイールもこれと同じである。何がいいか、というのはその人が何を求めるかで変わってくる。それで車が壊れようが、ホイールが千切れて勝手に走ってしまおうがその人がよければそれでいい。

ただ、筆者は現在の44ヨタは二十代に一つ、一生物の買い物をしようという決意の下買ったものなので、できれば恒久的に持っていたい。葬式の時はヨタハチに筆者の屍を乗せて、サイパンにあるバンザイクリフから筆者の屍もろとも落として欲しいくらいだ。そのときには参列された方には万歳三唱で送って欲しい。

すぐに壊れるのは嫌だ。だけども、少しは気持ちよく走る瞬間も味わいたいという、ちょっとわがままなバランスでいくなら、タイヤは155/80/12にアルミホイール。ホイールはきちんとオフセット値の合っているものを。タイヤはトレッドパターンがブロックパターンがいい。70扁平以上のタイヤだと耐久性を損ねるし、タイヤの重量増を考えると、さほど性能は上がらないように思う。その他にもガレージジャッキが入らない、などデメリットが多いので筆者はお勧めしない。

耐久性に性能を振るなら、純正の鉄ホイールに155/80/12のタイヤがいいと思う。アルミホイールを付けた時のあの、タイヤが路面の凹凸を吸い付くようにトレースする感覚を知ってしまうと物足りないが、その分運転者も無理をしようと思わないのは車の耐久性にはいい挙動である。

筆者の取り入れている組み合わせは鉄のホイールにうねうねパターンの155/80/12のタイヤ。耐久性にルックスをプラスしたチョイスである。ショルダーの丸いタイヤは限界も早いのでサスペンションの部品があまりがんばらないのがいい。初期のラジアルタイヤなので、制動力がバイアスよりもあるのに転がり抵抗があまりないので低燃費に貢献している。公道では十分な性能である。

今のタイヤが終わってしまったら145/80/12をタイヤにしようと思っている。こちらの方がバイアスタイヤの当時と同じくらいのトレッド幅の上に、ヨタハチのたよりなさげな走りを演出できそうである。
06/24/2006

大切なところはプロに!ステアリングギアボックスのオーバーホールを依頼

外したステアリングギアボックスを今日いつもの自動車修理工場に持ち込んでオーバーホールを依頼した。外したステアリングギアボックスは油うんこまみれだったので、中に入っていたギアオイルはとっくになくなっているものと思っていた。しかし、今日ミニエースの中においてあったステアリングギアボックスを見たら、シャフトの端とギアボックス上部からギアオイルが流れ出てミニエースの荷台を汚していた。

筆者は大切なところは仕事を任せるに値するプロに任せる主義である。失敗したときに取り返しが付かないという事情もあるが、訓練された人間の技術はなにものにも代えがたい。筆者が血道をあげるのはそういうプロを見つけ出すことにである。

いつもどおり、そんなに急がないからぼちぼちやってくれと言って新品部品とともにステアリングギアボックスを置いてきた。
06/23/2006

勉強になりました!ステアリングギアボックスを外す

今回の44ヨタハチ改修計画の一方の山、ステアリングギアボックスのオーバーホールについに着手した。その第一歩、ギアボックスを含むステアリングシャフトを取り外した。

44ヨタ購入以来ブッシュの交換から始まって、ダンパーの交換、アライメント調整などとステアリングに影響を及ぼすことの一切をやってみた。が、どうにもこうにもステアリングに遊びがあるのは修正できなかった。ステアリングギアボックス上にある調整のネジを締めてみても一向にステアが固くならないことから、内部のウォームギアとローラーが既に磨耗しているのだ。

まず修理書に従ってステアリングを外し、車内でステアリングシャフトを支持しているステーを外す。しかし、ここでいきなり予想外の事件が発生。なんと、ステアリングシャフトを支持する金具が2箇所あったのだ。ダッシュボード下に一箇所、リインフォースメント(ダッシュボード下で左右に渡っている棒)に一箇所である。作業に先立ってパーツリストも修理書も読んだ。確かこんなの無かったような…。しかし、躊躇している時間はない。既にサイは投げられているのだ。車内でシャフトを支持している金具を丁寧に外す。ここには位置を調整するためのシムが入っているので外した順がわかるように外した。

次にエンジンルーム側。修理書ではギアボックスからピットマンアームを外してステアリングシャフトを取るように書いているが、特別な工具もいらなそうなのでギアボックスにアームがついた状態で外すことにした。まずピットマンアーム下のキャッスルナットを外す。次に、ギアボックス本体をサブフレームにつけているボルトを外す。するとどうだろう、力なくステアリングシャフトが落ちたのである。ピットマンアームをステアリングリンケージから外し、エンジンルーム側にシャフトを引っ張る。以外にあっさりとステアリングギアボックスが取れた。余談になるが、筆者の44ヨタハチは既にエンジンが下りているので簡単だったが、修理書通りにエンジンや補機が載っている状態で外すとなるとちょっと難儀するかもしれない。作業開始から30分。初めてやる作業にしては早く終わった。買った工具での初めての作業だったが、その威力を実感する。

さて、問題は予想外だったステアリングシャフトの支持する箇所である。パーツリストをよく読んでも、金具が一箇所…と思ったがよくよく読んでみると、イラストでは確かに金具はひとつしかないのだが必要とする部品の数は2箇所分記入されていた。イラストの方が見やすいのだがそればかりを信じてしまったのであった。そうなると少なくとも、43年からの車は支持する箇所が2箇所になっている。では実際にどこから始まっているのか興味が沸いて来た。

実は当初、支持する場所が2箇所の車は44年からと早とちりして、方々のヨタハチオーナーにその人の車はどうなっているか電話で聞きまわった。その結果、面白いことがわかった。この変更は昭和42年から始まっているらしい。それも途中から。詳しく言うと昭和42年3月製造あたりから。42年を2台持っている方から情報で、車体番号の若い42年式は1箇所、番号が後の車は2箇所だったのだ。筆者が勝手に44年からと思っていたのは実は42年から始まっていたのだ。
06/21/2006

パーツ洗浄こそ命!エンジン解体合宿終了

ブローしたエンジンから使えるパーツを外す今回の合宿は終了した。結果から言うと、多分エンジンをオーバーホールする際にはまた合宿が必要だろう。

多分すごいだろうな、と思っていたブローしたエンジンはやっぱりすごかった。右のコンロッドは大端部でポッキリ折れ、クランクに残ったコンロッドがクランクケースの内部を削っていた。ピストン側に残ったコンロッドは飴の棒のように曲がっていた。両方のシリンダーのスカートは大きく欠け落ちている。このエンジン、某専門店で出されていたボアアップキットとそれに伴うシリンダーの加工をしているのだが、シリンダーのベース面を削り過ぎてしまっていたために、ピストンの頭にはバルブが当たった跡が無数に残り、バルブは折れ、一番上のピストンリングは粉々。左のピストンはそれに加えて異常燃焼でピストンは解け落ちていた。どうやら最初にエンジンを組んだ人の技術が未熟であったことがそもそもいけないが、本格的に壊れた直接の原因は点火時期が悪かったことと燃料が薄かったために異常燃焼でとどめを刺したようである。

そんなエンジンでも使えるパーツはいくつもあった。結果的にはシリンダー、ピストン、コンロッド、クランクケース以外は使える。ストリップダウンしたエンジンは、段ボール箱2つに入ってしまった。別途持って行ったクランクシャフトと、緩衝用に新聞紙をつめた状態でこれで収まってしまったからいかに少なくなったかがわかるだろう。

今回はエンジンの解体がメインだったのだが、実はパーツの洗浄の方にはるかに時間をかけた。

灯油で洗って落とせるパーツの汚れというのは軽度の汚れで洗ってすぐに組んで使うというパーツにとっては安価で簡単な洗浄方法である。しかし灯油には水が入っているので当面使用する当てもないのに洗うのは錆を発生させる土壌を自ら作ってやっているようなものなのでやらないほうがいいぐらいである。経験上部品取りにするようなエンジンはものすごい保存状態である。そんなエンジンが灯油程度のもので洗浄してもたいしてきれいにならない。飽きっぽい性格の人なら、この時点で投げ出すのがオチである。

それよりも洗浄力のあるものとなると軽油である。その上にはガソリン。すばやい仕事が要求される自動車修理工場ではトルエンとかシンナーを使うところもある。しかし、これら薬品は揮発性が強い分洗浄能力も高いが、においや火気に注意しなければいけない、使用した液の処理はどうするの?など、およそ筆者のようにそれを仕事にしていない人にとってはかなりリスクがある。

それと、エンジンパーツの洗浄と一口に言っても、見た目がきれいになればいいというものではない。オイルラインには残念ながら想像以上にスラッジがたまっている。筆者もこれにはびっくりした。これを除去するには、多少なりとも洗浄液に圧がかからないと洗い落とせない。実際にオイルラインの洗浄をしてみて、とめどなく出てくるスラッジ、それも大粒のものが出てくるのを見ていると背筋が寒くなる。パーツ洗浄するのにクランクケースごと灯油に漬けておけば大丈夫というセンスでは駄目であることがよくわかる。

エンジンをオーバーホールするのに何十万かかった…などという話を耳にする。それを生業にしていない人はものの価値を金額でみてしまう。しかし、実際に作業をしてみると、その金額では安いということが良くわかる。実際のエンジンオーバーホールの作業は、組む作業よりもその前段階の準備に時間がかかる。それは特別な技術はそれほどいらない代わりに、根気と時間が必要な非常に地味な作業である。そしてその努力は結構報われない場合の方が多い。

筆者が行ったところには洗浄力があってしかも比較的安全、使用後も錆が発生しずらいという素晴らしい洗浄液を使用した。なんでエンジンを分解するのに九州なのかはそれと技術があるからに他ならない。おかげでエンジン解体合宿も、実質2日間という短い時間でおえることが出来た。最後に、行った際にお会いしたみなさん、そしてご連絡をいただいた皆さんにはお礼をいいたい。
06/18/2006

ついに頭にくる!エンジン解体合宿を敢行

筆者をひいきにしてくれる方には大変ありがたく思っている。その中には「こんなのあるけどいる?」といって、手持ちの部品をいただける方がいる。筆者も捨てちゃうくらいなら、とありがたくいただくのである。根が貧乏性なのでもったいないから取っておこうと言ってガレージの一角において置くのだが、ついにそのキャパシティーも限界に近づいた。しかし、使う当てもないのにパーツを洗浄するのはかえって部品を錆びさせてしまうことになる。そこで、これは完全にいらないだろうというものは捨てて、使えるものだけ外してダウンサイジングして保管することにした。

今回対象になったのはブローしてクランクケースの頭に大穴が開いてしまったヨタハチ用の2Uエンジンと、ケースから外したはいいが、リアのベアリングケースから外せないままであったクランクシャフトである。いずれも、現在は補給されていないリアのクランクシャフトベアリングが欲しいだけなのである。とはいうものの、くず部品でも集めてみれば一基エンジンを組立てるくらいの部品は残りそうである。

たまっていたJALマイレージを消化する意味もあって、今回九州にあるパブリカ、ヨタハチのオーソリティの指導の下、エンジン解体合宿を敢行することにした。明日行ってから3日間はエンジンのバラシ以外のことはしない。
06/15/2006

何とも言えない幸福感…工具セットを購入

過去の記録を何気なく読んでいた。旧車といわれるものに乗り出して15年近くたつが、なかなか思うようには行かないものである。しかし、読んでいるうちにふと思うことがあった。「こんなの、工具さえきちんとしてれば防げたんじゃないの?」と。筆者のこのトピックスにはよく「ねじ切った」だの「ナメた」だの「折れた」だのという単語が出てくることに気がついてしまったのである。工具が良ければ作業の不必要な遅延がなかったところもあったに違いない。そういえば筆者が鉄道模型をやっているときもそうだった。本当はそれなりの工具が必要なのだが、ほとんど道具を使わなかった。切る作業はほとんど全てをカッターナイフでやってきたように思う。じゃあ、なんで道具を揃えなかったのか言えば、今も昔も道具にかけるお金が無かったからである。しかし、道具が無いかために起った損失は金額にすると結構な額になるかもしれない。ステアリングギアボックスを外す作業を前にして、きちんとした工具を手に入れようと考えた。

結果購入したのは日本が誇る世界の工具、KTCの工具セットである。ラチェットレンチやめがねレンチなど普段頻繁に使うであろう工具66点がチェストに入っているタイプである。走る工具箱と化しているミニエースへの車載も考えて、チェストは閉めればロックが利いて引き出しが開かないタイプのものを選んだ。定価は10万円オーバーのところをヤフオクで手に入れて4万円(税、送料込み)で買った。筆者のように、仕事で使わない人にはこのくらいでも過ぎた品である。

旧車や或いはバイクをやる人の中には、自ら工具を握っていじっている間にバイクや車そのものよりも工具にのめりこむ方がいる。やれスナップオンは妖しいまでに美しいだの、ドカティやフェラーリをやるならベータじゃなければ駄目だの、スタビレーのドライバーはすげぇだ…などという人を、筆者は正直言って軽蔑していたのだ。しかし、いざ手元に工具のセットが届いてみると、その気持ちがよくわかる。作業するのが気持ちいい。ボルトを回すことに何ともいえない幸福感を感じる。4万円のKTCでこんなに気持ちいいんだから、スナップオンの工具を何百万もするキャビネットなんかで買ったら、使う自分を想像するだけで脳内モルヒネが出てきそうである。工具にはまる人の気持ちがやっとわかった。

その一方で、筆者がお世話になっている修理工場の親父なんかは、かつて車載工具であっただろう「TOYOTA MOTOR」なんて入っている口ががたがたに開いてたスパナ(実はこれ、昔から出所はKTCなのだが)を使っていたりなんかする。工具は商売道具の一つであろう整備士なんだから、それこそスナップオンの工具をキャビネット入りで買っても長い目でみれば安い買い物であると思う。しかし、親父曰く「工具に拘るメカに腕のいい奴はいねぇ」。言い換えれば「弘法筆を選ばず」って事なのだろう。専用工具以外はそこらにあるスパナを拾って作業を続ける姿をみると、さもありなんというところだ。

いい工具は腕の悪さはカバーできないが腕の良さはより引き立つように出来ているように思う。
06/14/2006

感動の完結!ドア、イグニッションキー一本化計画 最終回

部品取りのフューエルキャップから外したキーシリンダーは永年の使用で錆とも泥ともつかない茶色の粘土のようなもので粘着されていた。プレートの一部は固着し、プレートの穴にはガソリンのガムベースが詰まっていた。潤滑と洗浄をかねてCRC556で洗うのだが、何度やっても茶色い液体がウエスを汚す。シリンダーにこべりついた汚れを空研ぎペーパーで磨きなんとか使えそうなレベルまでキレイにする。

一方で現在使っているフューエルキャップのほうである。筆者の信頼できる筋からキャップについているスライドキャップを外すことなくキーシリンダー外す方法を実践して、キーシリンダーを外した。これ、やってみるとわかるが、出来そうでできない。が、そこはなんとかしてキーシリンダーを交換した後、キャップ裏の部品を組立てて完成である。

さて、試しにイグニッションキーでフューエルキャップのキーシリンダーを動かす。するとキャップ裏のプレートが動いた。完成である。ヨタハチを所有して10年あまり、購入当初から改良したかった箇所をやっとオリジナルに戻したのだ。

翌日、車体にフューエルキャップを戻す。馬鹿なことだが、キーを入れては回し、回しては外して…。同じ事をなんどもやって一人で満足感に浸っていた。
06/13/2006

期待以上の成果!ドア、イグニッションキー一本化計画 その4

頼もうとしたもうひとつの仕事、それはフューエルタンクキャップのキーシリンダーの組み替えである。筆者の44ヨタハチのタンクキャップは筆者が入手した以前から両面キーのキーシリンダーがついたキャップに換えられていたらしい。比較的最近の物なので、メッキなどはキレイなのであるが唯一不満だったのはイグニッションキーと同じ鍵が使えないことであった。後年補給品として出ていたタンクキャップはハイエースに使われていたものと同じになってしまっていた。それには両面キーに対応したキーシリンダーが使用されていたため純正補給部品でありながら従来の鍵が使えないという事態になっていたのである。ただ、キーシリンダーのサイズは変わらないので交換さえできれば、新車当時の鍵が使えることはわかっていた。

筆者はこんなこともあろうかと、部品取りとしてフューエルキャップをひとつ持っていたのだ。そのキャップについているキーシリンダーは新車当時に使われていた鍵が入るもの。シリンダーのプレートをイグニッションキーに合わせて組み替えれば、ドア、イグニッション、フューエルキャップがひとつのキーで使えるようになる。部品取りのキャップのスライドするキャップを止めているかしめをつぶしてキャップを取る。キーシリンダーは鍵がなくなり、ロックしたままになっていたのを中村浩美に動くようにしてもらった。すっかり錆びついてびくりともしなかったシリンダーに流動性の高いグリスをやったり、シリンダーの後ろを叩いたりと、飴と鞭をくれてやった結果、キーシリンダーが外れた。外したキーシリンダーのプレートを入れ替えると、先ほど削ってもらったイグニッションキーでプレートが動くようになる。ここでは簡単に書いているが、メインの用事できてもらったイグニッションスイッチからシリンダーを外すのとは比べ物にならないほど時間がかかっている。結果から言えば、その分の料金を中村浩美はとっていない。見上げたものである。

このキーシリンダーを今使っているキャップに組みなおせば、夢のキー一本化は完了する。
06/11/2006

災い転ず。ドア、イグニッションキー一本化計画 その3

抜けて途中で止まってしまったキーシリンダー。これはもうプロレベルの仕事になってしまった。そこできっぱり自分でやることをあきらめて、この一連の作業をしてくれる鍵やさんを探すことにした。しかし、古い鍵のこと、なかなかやってくれる職人さんがいないということを以前から耳にしていた。そうは言っても作業をしてくれる人を一人探し出せばいいだけである。タウンページで探した鍵屋さん、そしてネットでホームページのある多摩地区の鍵屋さん数件にあたりをつけて電話で話しをしてみた。

結果は5件に連絡して4件はやんわりとお断りをされた。残る1件は「それくらいだったら簡単でしょうね」、と唯一前向きな回答をよこしてくれた。お店は持たず、出張で鍵のトラブルをしてくれるところのようだった。所在は相模原。一応筆者の住む昭島市もその出張範囲に入っていた。多少お金はかかるが、もうプロに任そうと決心したのでここでケチるようなことはしない。しばらく考えた後、来てもらうことにした。

電話をかけたのが午後3時半、午後5時前には鍵屋さんが到着した。仕事用にしているタウンエースの後ろには、ブランクキーがぎっしり詰まっており、鍵の山を切り出す機械が並んでいる。年の頃は筆者と同じくらいの人だった。見た感じは少し長い髪をオールバックにした、航空評論家の中村浩美といった風情だ。とりあえず、キーシリンダーが途中で止まってしまったイグニッションキーを見せる。中村浩美は「ああ、これなら簡単ですよ」と、道具がたくさん入っているかばんから工具をとりだしてさくさくさくっと作業をする。待つこと数分、シリンダーはイグニッションスイッチからきれいに外れた。

そこで、本来筆者がしたかった作業、新しいイグニッションスイッチにもともとのキーシリンダーを入れる作業を頼む。しかし中村浩美が作業をしても、古いシリンダーを新しいスイッチに入れると、鍵が動かなかった。が、そこからが違う。入れていた鍵をみると、「プレートが動ききっていないのかなぁ。古いスイッチの中、傷が入っていません?」という。筆者が見ると確かに猫が深く爪を立てたような傷がいくつもあった。要はその傷で半端に引っ込んだプレートが逃げて回っているだけだったのだ。ブランクキー代わりにするトヨタマークのキーをプレートの上がり具合を鑑みて適宜削る。その鍵を使って回すと、さっきまでびくりともしなかったシリンダーがするする回るようになった。こいつはすごい!

なんでも、中村浩美は古いアメ車をやっていて、筆者の考えていることは中村浩美にも理解されていたのである。こういう時はやはり同好の士、これでトヨタマークのキーでイグニッションとドアが操作できるようになった。あてずっぽうにしては人の巡りがいいのが、筆者の旧車趣味で恵まれているところである。こういう機会はそうそうない。筆者はもうひとつ仕事を頼むことにした。
06/10/2006

万事休す…ドア、イグニッションキー一本化計画 その2

ドアとイグニッションキーをひとつの鍵にする…。そもそも筆者は何をしたかったのだろう、と今までの鍵にまつわる経緯を思い返してみた。イグニッションとドアを違う鍵にしたのは筆者である。その前は一本の鍵でイグニッションとドアは操作できたのである。ただ、トヨタのマークがついていない鍵がいやだったので、新品で手に入るイグニッションスイッチは換えたのである。つまり一本の鍵にするというよりも、一本のトヨタマークの鍵で操作できるようになれば筆者の目標は達するのだ。

そこで考えた。そもそもドアとイグニッションは同じ鍵、同じキーシリンダーであるから、イグニッションスイッチを元のものに換えればいい。いや、そもそもイグニッションスイッチを換えたのはキーのこともあるが、中のバネが弱くなっていてスタートの時に時折スタート位置のままになるときがあったからである。ということは、イグニッションスイッチ本体は今のままでキーシリンダーは元のものを使って組みなおす。こうすれば、ドアとイグニッションは同じでスイッチも新しいものになる。

しかし、このままでは元のマークのない鍵を使うことになる。困った。どうしたらいいんだ。しかし窮すると色々なことを考えるものである。今まで使っていたトヨタマークの鍵をブランクキー代わりに使えないだろうか…。要は元の鍵よりもトヨタマークの鍵の山が高くなっていればそれをブランクキーとして使える。筆者は2本の鍵を恐る恐る重ねてみた。結果は、トヨタマークの鍵の山のほうがマークなしの鍵よりも高かった。使える!今まで使っていたトヨタマークの鍵を切ることで元のキーシリンダーでも使えることになった。

さあ、それではそのための第一歩、イグニッションスイッチのキーシリンダーを新旧二つのスイッチの間で入れ替える作業である。筆者の信頼できる筋にキーシリンダーを外してもらい、取り付け方のレクチャーを受けて入れ替え作業をした。古いキーシリンダーを新しいスイッチ本体に入れる。作業自体は簡単に終わったが、悲劇はここからだった。キーが全く回らないのである。取り付け不良かと思い、キーシリンダーをもう一度外し始めた。ちなみにこのキーシリンダー、キーをシリンダーに入れて中のプレートが引っ込んだ状態でないと外せない。シリンダーにキーを入れて抜き始める。ところがである、キーシリンダーが半分抜けたとき、不意にキーが抜けてしまったのだ。再びキーを入れてもこのキーが中に入らない。中のプレートが出っ張っているので力ずくで出そうとしても抜けない。…全てが終わった。キーシリンダーがイグニッションスイッチから半分出た状態でどうにもならなくなってしまったのだ。
06/09/2006

再び永年の懸案解消へ。ドア、イグニッションキー一本化計画 その1

トヨタスポーツ800はドア、イグニッション、フューエルキャップが同じ鍵で、トランクリッドとグローブボックスが同じキーで計2本の鍵で操作できることになっている。しかし、筆者の44年式の鍵はというと、ドアで1本、イグニッションで1本、フューエルリッドで1本。トランクとグローブボックスで1本となんと4本必要になってしまっている。そのうち、トヨタのマークが入っている鍵はというと、イグニッションの1本だけ。これとて後からイグニッションスイッチこど交換したからトヨタマークのキーになったというだけで新車当時からの鍵ではない。フューエルリッドの鍵は確かにトヨタのロゴは入っているがカローラなどに使われている両面キーになっている。新車当時と同じように、トヨタのマークが入ったキー2本の体制に直したい…。これは筆者がヨタハチを買った当時からの夢だった。しかし、キーの形が全く違うフューエルリッドの方は同じにすることは出来ない。少なくともドアとイグニッションキーは一緒にしたいと、この度新計画を始動した。

こんな時のために、ドアのキーシリンダーの新品を取って置いてよかった。ドアのキーシリンダーを交換して、そのキーに合わせてイグニッションキーのキーシリンダーのプレートを組み替えようと考えたのだ。リハーサルは十分。壊れたパブリカのドアロックアッセンを分解して構造を勉強し、分解と組立ての練習を積んできた。さあ、やるぞ!と、筆者の44ヨタのドアロックアッセンを取り外すべくドアの内張りを外した。が、その勢いはドアの内部をみた瞬間に挫かれた。ドアロックアッセンはガラスランの向こう側にあったのだ。…これでは外せない。いや、外すことは可能ではある。ドアガラスを外して、リアのガラスランを外す。いやまてよ、ガラスを外すにはレギュレーターも外して、そうなるとフロントのガラスランも外す…ということになるるそうなるとドア全部直すことになる。しかもこのガラスランの下部はレストアをはじめた車を見ると必ずと言っていいほど朽ちている場所である。不用意にガラスランを外そうとすれば、下を止めているネジを二度とつけることはできない。ドアの中身を見ながら考えること二十分、後のことの方が大変なのでドアロックアッセンを外すのは断念した。最初から作戦を考え直さなくてはいけない。
06/09/2006

なぞ解明の糸口?打刻に関する傍証を披露

ヨタハチはボンネットフード、デタッチャブルトップ、そしてトランクフードになにやら数字が打刻されているとは、どこかで聞いたことがあるものと思う。筆者は自分の車を見て、そして数多くの44年式を見て、この打刻された数字が車体番号の下三桁を打刻しているものだと思ってきた。例外としては例えばUP15‐13002という車体番号の車があるとすればゼロは省かれて2だけが打刻されているという違いはある。

しかしこの打刻、前期と後期とでは数字の意味するところが違うかもしれない。曰く、前期は関東自動車の号車番号で後期は車体番号という違いである。

言うまでもなく、ヨタハチの左のインナーフェンダーにはトヨタのコーションプレートと一緒に関東自動車の号車番号をあらわすプレートが付いている。前期の最初の方はこの号車番号が車体番号と一緒であるから、号車番号=車体番号=フード類の打刻の番号、である。ところが途中からこの号車番号と車体番号が、号車番号<車体番号、という関係になっている。変化があるのは左ハンドル車が出るようになってからだが、なぜそうなったのかということはわかっていない。

そうなると同じ前期でも昭和42年頃の車にはこの号車番号と車体番号数字の開きが大きくなっている。で、この頃の車を見ると、打刻の番号=号車番号<車体番号、という関係になっている。先日見たマイナーチェンジ後の43年式を見ると、打刻の番号=車体番号>号車番号、となっていてそれは筆者の44ヨタハチに至っても変わっていない。

これら証拠から仮説を立てるなら、フード類の打刻の番号が車体番号になったのは昭和43年のマイナーチェンジからではないだろうか。なぜそうしたのか、合理的な理由は今のところ思いつかない。
06/08/2006

アルミはいいのか?ヨタハチに使うタイヤについての考察 その4

タイヤとは切っても切れない縁があるのがホイールである。大雑把に分ければ、使うならアルミホイールか純正の鉄ホイールがいいのかという話である。

アルミホイールの利点は、仮に同じサイズであるとして、鉄のものよりも重量が少なくてすむということである。つまり、バネ下重量の軽減ができるということ。バネ下の1キロの軽減はバネ上の15キロに理論上相当するとのことであるから、仮にホイール単体で1キロ重量が少なければ、大人が二人のっていても一人分の重量は相殺されることになる。それだけ重量が違えば車の走行中の挙動にも影響を与えるのは火を見るよりもあきらかだ。ホイールはアルミ。これで決まりである。

しかし、それは正しく使っていればの話である。一部例外を除いてトヨタスポーツ800用に作ったアルミホイールなど存在しないから、使用できそうなものを見つけてきてそれを使うわけである。ところが、これを結構ないがしろにしている例が多い。PCDと取り付け穴数が違えばすぐには使用できないのでその数値にはこだわるが、意外とオフセット値についてはいいかげんだったりする。このオフセット値、割とシビアなもので、合っていないホイールを使用すると走行に影響を与えるのはもちろん、最悪はサスペンション類を破壊することにもなりかねないので十分注意が必要である。

しかし、しかたない部分もある。純正ホイールのオフセット値を知っている人は少ないからだ。筆者がいつも行くタイヤ屋さん曰く、当時のトヨタ車にはオフセット値が二種類しかなかったとのことである。+27と+35.パブリカ、ヨタハチ系は前者であるとのことだ。実際に取り付けるタイヤのサイズにもよるので、それらを含めて正確に計算しないといけないそうだが、目安として適正なオフセット値の許容範囲はその値の+−5と言っていた。

数値が合わなければそれに合うようにスペーサーをかますという方法もある。しかし、これナンセンスであるように思う。ホイール以外に重量を増す結果になってしまうので、本来の目的とは方向性が反対である。ルックス重視というなら何も言わないが、そのためにかけるコストと発生するデメリットを考えるとそれでもルックスを取れるだろうか。既に痛い目に遭っている筆者は取れない。
06/08/2006

多摩地区は松任谷由美ゆかりの地?今月の一枚解説

今月は少し趣向を変えて、歌に出てくる土地を紹介しよう。松任谷由美といえば、日本国民誰でも知っているだろう。しかし多摩地区にゆかりのある歌がいくつかあるということはそれほどよく知られていない。有名なところでは「中央フリーフェイ」あたりだが、そこはそれあまりにベタすぎて面白くないし、左にビール工場右には競馬場が見えるところにミニエースを止めて写真を…というわけには行かない。

とはいえ、八王子生まれの彼女のこと、多摩地区での影響は大きい。実は筆者の住む町は松任谷由美の歌に出てくるところがいくつかある。「雨のステイション」という歌に出てくるふたえき行ってもフェンスばかりが続いているところは、立川駅から青梅線に乗って進行方向右側をみるとある旧米軍立川基地を囲むフェンスのことを言っている。その当時は歌詞にあるとおり、別の国だったのだ。ひとつ行った西立川には同曲の歌碑があるので、見てみたい人は休日に行くといいだろう。

さて、今月の一枚は「laundry-gateの思い出」に出てくるランドリーゲートそのものである。昭和53年にリリースしたアルバム「紅雀」の中の一曲である。当時彼女は米軍基地である立川基地の中にお友達がいたようで、そこに通うために通ったのが立川基地の西側にあるこのランドリーゲートである。そこでアメリカでヒットしているレコードを仕入れていたようだ。HMVもタワーレコードもなかった当時、最新の歌を仕入れるには身近な外国である米軍基地で入手するしか方法がなかったのだろう。

フェンスひとつ向こうは外国という感覚は一般の方にはなかなか理解できないかもしれない。アメリカのいいなりになる政治は独立国家である日本のあるべき姿ではない、というような議論をマスコミはする。しかし生まれてこの方、近くに米軍の基地がある土地で育った筆者にとっては、ナンセンスな話だ。日本は未だアメリカに占領されている。少なくとも占領されたままでも文句は言えない立場だったことは覚えておかなければいけない。政治のみならず、経済も文化もアメリカなしでは考えられない。ちなみにここから一番近くの横田基地の中では、アメリカのカリフォルニア州の州法が適用されている。横田基地でスピード違反で捕まった時、切られた切符に書かれていた「あなたは米国カリフォルニア州の法律によって処罰されます」という文句を見て、強くそう思った。僕たちは被占領国の子供なのだ。

昭和53年当時で既に「思い出」になっていたので、もしかすると60年代だったかもしれないということで今回採用した。写真を見るとゲートなんてないじゃん、と思うだろうが、現在あるフェンスができる前まで中に出入りするためのゲートがあったのである。ちょうどミニエースが置いてあるところがゲートの正面だったと記憶している。実はこのゲート、筆者のうちから北に二百メートルほど行ったところにあるのである。

ランドリーゲートの名前の由来は、米軍に接収される前である旧陸軍航空工廠時代からクリーニングの工場があったところからそういわれるようになったそうだ。もっともらしい名前もあっただろうが、この周辺に住む人も当時基地にいた米軍の人にも愛着のあった名前である。現在、ランドリーゲートという名前は写真の後ろに小さく見えるバス停にかすかに残っている。かすかに…というのは、もともとランドリーゲートという名前の書いてある上にシールで現在のバス停の名前に張りかえられているからだ。現在のバス停の名前は「富士見通り」という何の面白みもない名前になっている。

今回、この写真を撮るにあたり、松任谷由美のファンサイトやブログ等をいくつもよんだ。中には地方から筆者の住む町に来ている方もいて、ファンの熱心さには頭が下がる。が、そのどれもがランドリーゲートがあったのがこのバス停のところであると勘違いされている。ここで改めて言おう、筆者のミニエースがあるところがランドリーゲートであったと。その証拠が写真にも写っている横断歩道だ。この横断歩道の位置はランドリーゲートがあった当時から変わっていないのである。
06/04/2006