昔と言えばバイアスタイヤでしょ…ヨタハチに使うタイヤについての考察 その3

ちょっと待ってくれ…。雰囲気重視でラジアルタイヤ?冗談じゃねぇ、寝言は寝てから言え!とおっしゃる方もいると思う。やはり生産当時の雰囲気重視なら、バイアスタイヤでしょという方も当然いると思う。新車当時についていたタイヤは6.00-12。このタイヤ、実は今でも手に入る。ホワイトリボンでなければ嫌だとか、値段が割高になるのは解せない、などといわない限りはヨタハチにバイアスタイヤをつけることは少しも難しくない。

バイアスタイヤを使用するメリットとすると、転がり抵抗がラジアルタイヤに比べて少ないので、アクセルを開けている時間が短くても苦もなく前に進む。ということは必然的に燃費が向上する。タイヤの外径がラジアルタイヤに比べて大きいので、より新車時のたたずまいを再現できる。細かいかもしれないが、スピードメーターの誤差が少ないなどと、いろいろとある。

反面デメリットとしては、ブレーキが利かない。レーンチェンジがしずらい。タイヤの腰が弱いので挙動の変化に対して反応が大きくなる。チューブも買わなければならない場合もあるので価格が割高になる。置いたままにするとタイヤに変形癖がつきやすい、など、結構枚挙に暇がない。それでもなお、あるがままを受け入れるというのであればそれもいい。しかし現代の道路事情を考えると、やはりここはある程度の性能も押さえておかないと車が存在できない事態になるかもしれないと筆者は思う。
05/31/2006

スペアタイヤを収める!ヨタハチに使うタイヤについての考察 その2

サーフェイサーを吹いたもののかれこれ1年近くそのままにしていたスペアタイヤ用のホイールを塗ってタイヤを取り付けた。タイヤはSF248。筆者がヨタハチを買ったときに初めてつけたタイヤそのものである。もともとスペアタイヤとしてトランクの中に入れていたタイヤなので10年以上の時間が経過しているのにゴムの柔らかさはそのままである。ホイールは純正の鉄ホイール。ただし、現在補給されているホイールキャップを留めるみみのついているものではなく、新車当時のパブリカデラックス用、ヨタハチ用のホイールである。これをつや消しの黒に塗った上でタイヤを取り付けた。

筆者は昭和40年当時の風俗(性風俗ではない)のわかりそうなタイトルのついている本を見つけると、よく見てしまう。その中にはその当時の人がどのように車を使用していたかがよくわかる写真がある。これが非常に参考になる。例えば、商用車の屋号の書き込み方はどうなっているとか、パブリカによくつけられていたオプションのパーツはどんなものなのかとかがよくわかる。ちなみにこの際カタログの写真はあまり参考にならない。やはりそれように作った絵と実生活を切り取った画像とでは違うのである。経験から言うと、結構鉄道関係の書籍、特に路面電車の写真が有りそうなものに当たりが多い。

そういう写真をみると、ヨタハチは銀色の車体にホイールキャップなしでホイールは黒という姿が多い。これは当時のレースカーがこのような仕様にしていたため、レーシーにコーディネートするとなると、ホイールを黒にするというのは定番だったようだ。当時のホイールはグレーやシルバーに塗られた状態で出荷されているから、塗装しなければいけないという手間が発生する。ということは、オーナーのそうしたいという強い意志を感じるのである。アルミホイールもあるにはあったが、当時の価格をみると現在でもそのまま通用するようなお値段である。貨幣価値を考えると、当時はものすごい高価なものであろう。だとすれば、ホイールひとつ塗るのに一缶使ったとしてもそちらの方が安価でしかもレーシングカーの雰囲気が味わえるのでいい。

タイヤとホイールの組み合わせは雰囲気重視で行くなら鉄のホイールに155/80/12あるいは145/80/12のサイズのラジアルタイヤであろう。

まずは振り返ってみよう…ヨタハチに使うタイヤについての考察 その1

ヨタハチのオーナーになって今年の7月で11年になりなんとする。早いものである。その間使用していたタイヤをあるときふと振り返った。筆者がいつも出入りしているタイヤ屋さんがブリヂストンのタイヤ屋なので、メーカーは全てブリヂストン。ちなみにここはダンロップのついている車で行こうものなら追い返され、ハンコックなんかで行こうものなら出入り禁止になる。厳しいタイヤ屋さんである。筆者のカーライフ(旧車のみに限らないという意味である)に多大な影響を与えている。

最初に使ったタイヤはSF−248。当時はセダンスニーカーと称してスーパーフィラーラジアル系タイヤを売っていた。グリップが少なく、デパートの駐車場のような場所に行ってステアするたびにキュピキュピ鳴くのが印象的であった。サイズは155/80/12。今でもスペアタイヤとしてその当時使っていたタイヤが一本だけ残っている。性能的には十分だったがトレッドパターンの見栄えが良くない。ショルダー部が角ばっているなどが欠点だった。
その次はアルミホイールを使っていた関係からSF−270。サイズは165/70/12。このサイズのタイヤなら他にも色々とあるが、筆者はあえてその中でもグリップ力の少ないタイヤを選んだ。しかし、タイヤサイズからくる物理的なグリップ力の向上はヨタハチのキャパを超えていた。現在ホイールベアリングが駄目になった直接の原因がこれだ。タイヤ外径が小さくなったことで、走るのにずっとアクセルをあてていなければ走らないわ、ロードノイズが比較的大きくなるなどこのタイヤにしてひとつもいいことがない。70以上の低扁平率のタイヤをつけているヨタハチを見ると、正直大丈夫かいなと思う。

そして現在はRD−108。サイズは155/80/12。トレッドパターンが古い、ショルダー部が丸いというのがヨタハチにはベストマッチだと思っている。グリップは少ないが、ストレートを走っているときはどんなタイヤよりも速い。コーナーでの限界は早いが、そのグリップの無さがヨタハチのメカニズムに与える負荷が少ないのがいい。限界は早いのだが限界に至るまでの過程は長い。「すみませ〜ん、そろそろ限界かも。限界ですよ〜。限界でーす。…あっそれやばいっス、だからそこからは駄目だってば!」と限界までの猶予がある。現代の高性能なタイヤは「そんなの全然OKすよ」と言ったその舌の根も乾かないうちに「あっ、やっぱり駄目!」と言った感じである意味信用できないところがある。また、一瞬「ちょっと大丈夫かも」とやる気を出す瞬間がある。バイクのタイヤで言うとハイサイドを起こす。そのムラっ気があるのがいやだ。
05/24/2006

感度が劇的にあがる!ミニエースのラジオアンテナ交換 その3

いつものタイヤ屋さんに行って状況を相談する。要は針金のような形状を維持できる線を使って先を鍵型に曲げた状態にして上の穴から入れて鍵型の先を下の穴から出せばいい。その線に使ったのは演芸用の針金。なんでも、きゅうりなどのつる草系のものを育てる時に使うもののようである。適当に形も作れるし、これはうまいと思った。思ったものの、思った通りにはことが運ばず、最終的には上の穴からタイヤ屋さんのおじさんに針金をたらしてもらって、筆者が下に下がっている線をラジオペンチでつかんで受け取るという感じになった。たかだかアンテナ線を通すのに二人がかりである。

針金の先にアンテナ線をくくりつけて針金を下に引っ張る。めでたくアンテナ線がピラーの中を通った。もう作業の半分は終了…と思ったのだが、ことはそう簡単には運ばなかった。この新しいアンテナ、ハイエースと同じものになった年式と同じものとはいったとおりである。それがいけなかった。アンテナの根元、ピラーと留めるボルトを通す穴がなんと、径が小さかったのである。つまり、アンテナのキットについていたボルトよりもミニエースのピラーに空いていた穴のほうが大きかったのだ。いろいろ思案した挙句、ピラーに空いている穴と同じ径で長さが長いボルトを使ってアンテナの穴をボルト強制的に広げながらピラーに留めることにした。

いろいろ四苦八苦した挙句、ラジオアンテナの取り付けは終了。ラジオの電源を入れてみると、交換前と同じボリュームなのに音量が上がった。外したアンテナを試しにばらしてみると、アンテナと線が接するところがアルミ系の白い錆がいっぱいついていた。これでは感度が落ちる訳である。
05/17/2006

思いのほか難儀する。ミニエースのラジオアンテナ交換 その2

最初にピラーについているサイドマーカーを外す。ここを外すとアンテナ線を通すのにやりやすい。ちなみにこの部品、未だに一部を除いて新品が出る。つまり、レンズ、ガスケット、メッキのリムなどである。KP39パブリカトラックやRT40コロナの一部年式と同一の部品である。昭和の終わりまで作っていたパブリカトラックのおかげだろう。
ミニエースのアンテナは車体と二箇所で留められている。アンテナの基部となる下と、アンテナを安定させる上部である。実は以前に一度アンテナを換えようとした時があった。その際、最初に上部のネジを外そうとしたら嫌な手ごたえ。ネジか回らずナメてしまいそうな感じがしたのでその時は外すのをやめたのだ。今回はやめるわけにはいかない。外すだいぶ前から潤滑剤を吹いては置き、置いては吹くなどした結果支柱を留めているスクリューは苦もなく回った。幸先のいいスタート、この調子でいけばいいなぁ願った。と思ったのもつかの間、ミニエースのアンテナを交換する際の最初の難関に出くわす。

ミニエースのアンテナ線は、助手席側のBピラーの中を通って助手席の横にグロメットを介して車内を通り、シートの脇を這ってラジオ本体にアンテナ線が通る。このグロメットにアンテナ線を通すのに難儀した記憶が蘇った。しかし一度通しているのだしという油断があったのか、その場の勢いで「ええいままよ!」とシャア少佐よろしくアンテナ線を外してしまった。気持ちはよかったがこれがまずかった。

アンテナ本体を外して新しいアンテナの線をピラーに入れる。入れるがなかなかこれが決まらない。以前通したときはどうしたかというと、アンテナ線の先にタコ糸をくくりつけその先にはボルトをくくりつけた。ボルトをアンテナ線の入る穴に通して下で待ち構えるドライバに向かってタコ糸にくくりつけたボルトをたらす。ドライバーに接近したボルトはドライバーの磁力で引き寄せられドライバーの先にくっつく。ドライバーを慎重に引っ張るとボルトは穴から出てめでたくタコ糸がピラーの中を通る。通ったタコ糸を引っ張ると、くくりつけたアンテナ線が穴から出てくるといった仕組みだ。…仕組みなんだけど、今回は何故か難儀した。なかなかドライバーがボルトにくっついてくれないのだ。いやもっと簡単で確実に作業をできる方法があるはずだ…と、格闘すること20分、辺りは暗くなりいまにも雨が落ちてきそう。こういうときは先人の知恵を借りるしかない!ということで、多摩っ子旧車乗りの聖地、いつものタイヤ屋さんに行った。すぐに作業が出来なければならないので外したサイドマーカーをつけることなくミニエースを走らせた。とりあえず法規違反である。
05/15/2006

簡単なはずなのに…ミニエースのラジオアンテナ交換 その1

今日ミニエースのラジオアンテナを交換した。ミニエースの泣き所のひとつであるラジオアンテナ。ほとんどの車がこのアンテナを折った状態になっている。乗ってみる前まではなんでこうなるのかよくわからなかったが、乗ってみるとなるほど折るわけである。

ミニエースのアンテナ自体の長さはパブリカやヨタハチについているものと変わらない。ただ、ついている位置が高いのと真っ直ぐ上にのびているために、例えば高さ制限2メートルなんてところを通るとポッキリ折れてしまう。また、パプリカやヨタハチとは違い、運転中は視界にアンテナがないのがいけない。ラジオをつけているのにその存在を忘れやすい。高さのないところを通ってなんだか助手席側からバキバキ音がするなぁ…なんて思ったらアンテナが折れていたなんてことはままある。先日も、二階が客室というファミリーレストランに入ったところ、ラジオアンテナを天井に摺っていた。こういうことはままあるのだが、この日は事情が違った。スピードが出ていたためか、引きずった勢いでアンテナが根元から外れたのだ。これにてかねてから持っていた新品のアンテナに換えることにしたのである。

新品のアンテナがあるならさっさとそれに換えればいいじゃん、という声が聞こえてきそうだがことは簡単にはいかなかったのだ。実は比較的手に入りやすいミニエースの社外品アンテナがある。ミニエースとハイエースのラジオアンテナが同じものになっている年式があるのだが、そのアンテナである。社外とはいえ、それはトヨタの袋に入っているか入っていないかの違いで純正品と変わりがない。しかし、その年式のアンテナと筆者の年式のラジオアンテナは違うのである。つまり、すすんでノンオリジナルにしたくはなかったわけである。事ここに至り、そんなことも言っていられなくなったのである。
05/12/2006

予想はしていたとはいえ…ミニエースのタイヤ補給打ち切り

昨年8月に無理をして買っておいてよかった。先日、いつものタイヤ屋さん(ここはあるトヨタ車オーナーにとっては聖地なのであるが)に行ったときのこと、洒落でミニエースが現在はいているタイヤがラインナップされているか調べてみたら、見事にカタログ落ちしていた。

現在ミニエースにつけているタイヤは135/95/12インチというタイヤである。95、80よりも高扁平率のタイヤである。正面からみると割り箸の上にミニエースの車体が載っているような感じ。ちょうどお盆飾りで作ったナスのような印象を与えるには必須のアイテムである。これがもう手に入らない。こんなタイヤ、どんな車に使われていたかというと以前筆者が乗っていた550cc時代のサンバーの5速の車に使われていた。最近まで残っていた理由は赤帽仕様のサンバーには必ず使っていたからである。ちなみに同じタイヤで10インチのタイヤがあるが、これも同じく550cc時代のサンバーの4速の車に使われていたのだ。他にはパブリカ系商用車にもこのタイヤを使うと当時っぽい雰囲気が出る。

バン用タイヤということから古いトレッドパターンそのまま残っていたのがそもそも奇跡に近いが、いざ本当になくなる寂しいものである。ミシュランやダンロップにはビンテージタイヤとして古い車に使われていたタイヤが残されているが、我が日本のトップメーカーであるブリヂストンにはそういったものがない。いちユーザーの立場としては、メーカーに作れ!とか車に対する文化が違う!というのは簡単であるが、現在のタイヤの流通事情を知るとそうも言えない。
機会があったら見るといいが、売れ線サイズのタイヤには結構インドネシア製やシンガポール製のタイヤが多いことに気がつく。流通のコストを考えても、海外で生産したタイヤを国内に流した方が安く補給できるというのがわかる。一方、我がミニエースのタイヤは現在使用する車種が少ないために当然生産する数量も少ない。そういったタイヤは逆に国内で生産される。その結果、国内で生産したタイヤよりも海外で生産したタイヤの方が安くなるということになる。性能は低いのにわざわざ高くなったタイヤを好んでつける人はそういない。そしていつの間にか生産しなくなるというしかけだ。今ミニエースについている5本のタイヤを上手に使っていくしかない。
05/11/2006

かなりレアケース?フューエルポンプ故障の原因を探る

フューエルポンプの修理をするついでに、首都高で止まった時に使用していたポンプを精査した。あわよくば、それもダイヤフラムを新しくして使おうと思っていたのだが、どうやらそれは出来ないようだ。ダイヤフラムを動かすアームをボディに留めるピン、それが入る穴が広がっていたのである。強烈な力がかかったようで、ピンを中側に引っ張ったかのごとく、ピンの入る穴が楕円形に広がっていた。

デスビについているカムでポンプロッドは動かされる。ロッドの動く量は変わらないはずである。しかし、この傷跡を見ると、ポンプロッドが本来動く量よりもたくさん動かないとこんな壊れ方はしないと思う。或いは、ポンプロッドが動いてしまった理由が何かあるのだろうか。
05/08/2006

最初からそうすればよかった…ミニエースのフューエルポンプ修理終わる

ミニエースのフューエルポンプの修理が終った。結局新品のポンプを奢る事になった。やっぱり出し渋るのはいけないのである。

予感はその前からあった。ベースになっていたポンプは一番状態が悪かった。ボディは油汚れでまっ黒。まあ、これは洗えば済むことだからいいのだが、最悪だったのは中のバルブが張り付いていたことだった。この辺で使用をやめておけばよかったのだ。アッパーボディとロアボディを止めているビスを外してもなかなか外れないし、外すのにドライバーでこじったらボディに傷がついた。

燃料漏れを起こしたポンプはこれをベースにダイヤフラムを交換したのだ。今日になってこのポンプを外して燃料漏れの原因を調べたら一発でわかった。ダイヤフラムとアッパーボディが接しているところが丁度ダイヤフラムがボディすれすれの寸法しかない上にドライバーでつけた傷がその上に来ていたのである。燃圧が低く、動く量が少ない間は漏れは無いが圧がかかるとその傷(本当に少しの傷である)から燃料が漏れるという仕組みだ。

結局新品のヨタハチ、パブリカ用の燃料ポンプを持ってきて、アッパーボディを外す。ロアボディは一緒なのでロアボディとダイヤフラムはその新品のまま、アッパーボディをミニエースのものに付け替えた。これで組んだミニエースのポンプをミニエースのエンジンに取り付けて始動する。アイドル状態のままミニエースの床下をずっとのぞいてみたが、一滴たりともガソリンは落ちてこなかった。これにてミニエースのフューエルポンプの修理は完了である。本格的なテストはしなかったが、買い物ついでに走った感じでは特に問題はない。

残ったミニエースのポンプのロアボディと社外品だが新品のダイヤフラムはヨタハチパブリカ用のポンプアッパーボディにつけてひとつのポンプにした。ミニエースのアッパーボディには合わなかったが、ヨタハチパブリカ用のアッパーボディにはばっちり合った。やはりそれように作ったダイヤフラムには合った部品を使うようになっているのだと思う。
05/04/2006

残っているとホッとする?今月の一枚解説

今までは時間の経過とともに姿を変えてしまって撮影を断念…という話ばかりしてきたが、今回は30年以上経過してもそのまま残っているという話である。

今回の「今月の一枚」は「雑居時代」(昭和48年 日本テレビ/ユニオン映画)より稲葉勇作フォートスタジオである。まず、「雑居時代」を知らない人も少しはいるかも知れないのでそこから解説しよう。「雑居時代」は「パパと呼ばないで」など石立鉄男が主演のユニオン映画制作のテレビドラマシリーズのひとつである。石立鉄男は川崎敬三扮する山岳写真家、稲葉勇作のアシスタント。石立の家に両親の友人である大坂志郎の一家が引っ越してくるというところから話は始まる。その一家には大坂志郎以下、娘役として富士真奈美、大原麗子、山口いづみ、川口晶、杉田かおるなどがいるという、現在から考えると豪華なキャストである。
石立鉄男の勤め先というか、川崎敬三のスタジオがこのマンションの地下にあることになっている。場所は東京の渋谷区。公園通りを上がっていってNHK前の交差点の近くにあるマンションである。ここの壁に使われている赤いタイルのデザインが当時と同じまま残っている。作品制作当時は画面上手にガソリンスタンドがあったのだが、バブル時代になくなり今はファッションビルになっている。その他にも、作品を見ていると渋谷界隈で撮影しているシーンがいくつもある。その姿は意外と今と同じだったりするところを見ると、街にもまだ良心はあるように感じる。
05/03/2006