渋チンは駄目か…ミニエースのポンプから燃料漏れ発生

組みあがったフューエルポンプをいよいよミニエースに取り付けた。便所のフタのようなミニエースのサービスホールのカバーを取り払い、その上から燃料ポンプを取り外す。しかし、なんどやってもミニエースの整備はシンドイ。こんな状態でデスビなどの整備をしたのだから、我ながら恐れ入る。
ご存知のように、ミニエースの燃料ポンプはナットでクランクケースから出ているスタッドボルトに留められている。このナットを緩めてナットとその下のスプリングワッシャを取り外せばポンプは外れる。こうして文章で書くと至極簡単だが、いざ作業をしてみるとこう簡単にはいかない。まずナットをソケットレンチで回そうとすると、ソケットをレンチにつけた状態ではポンプの奥にあるナットは回らない。エクステンションをつけて回すわけだが、首を振るようになるエクステンションでないと回せない。狭いところでラチットを回すので、歯送りが少ない小さいラチェットでやるのは鉄則だ。緩んだら今度はナットを締めないといけないのだが、これがなかなか収まるところにナットを納めるのは容易でない。もっともこれは筆者の手が大きいからかもしれないが。

さあ、取り付けが終了してエンジンをかけてみる。するとミニエースは苦もなくエンジンがかかった。ポンプの具合をみるために軽くレーシングして様子を見る。エンジンは止まらないところを見ると燃料はちゃんと送られているようである。さあ、では近所を走ってみようと思った瞬間、いやな予感がして車の下を見た。すると、そこにはさっきまでなかった濡れた路面が出現していた。ポンプから燃料が漏れているのである。幸い音を立ててこぼれている状態ではないので、そのままの状態で近所を乗り回してみた。

アクセルベタ踏みの状態での挙動を調べてみたが、それまであったつっかえながら加速する症状はなくなった。ピーク回転時以外の回転数でも、ギリキリの状態で前に出ているという感じはなくなり、ややパワーを残した感じで回っていく。どうやらダイヤフラムが症状の原因であったことは間違えないらしいし、とりあえずは機能しているのはわかった。しかし、それにしても燃料漏れである。原因を究明するため、ポンプを外しにかかった。
05/01/2006

やはりプロは違う…フューエルポンプ仕上がる

以前に仲間のパブリカのフューエルポンプで、同じトラブルで止まると言ったことがある。トラブル、つまりダイヤフラムを動かすアームをポンプのロアボディに留めるピンが抜けるというトラブルである。くしくも同じトラブルで筆者のミニエースも首都高6号線で止まったのであるが、その原因の一端がわかりそうである。

ポンプを持っている方は見ていただくとわかるが、ボディに留まっているピンはその穴を数箇所カシメて留まっている。しかし、ピンを抜いてみるとわかるが意外と簡単に外れる。カシメているのにも関わらずだ。

今回、ポンプをオーバーホールするにあたって、いくつかあるポンプを引っ張り出してきて洗浄したところ、興味あるものがあった。新車当時から使われていたと思われる汚れ具合のポンプをみると、ピンの入っている穴のところにミッションケースのあわせ面に使われている新車当時に使用されていた銀色のシーラーが残っていたのである。つまり、カシメで留まっている上にシーラーでも固められていたということになる。こういった処置が現在流通しているポンプには施されていないのである。

これだけなら、誰かが洒落でつけたのではないかという懸念もあるが、昔のトヨタのメカニックはこういう処置を徹底してしていたようである。というのも、筆者が全幅の信頼を寄せている工場の社長にミニエースのポンプのピンをカシメてもらったところ、さも当然かのようにそうしていたからである。ちなみにその工場の社長は昔、東京トヨペットにいて1500人いるメカニックのうち年に10人ほどしか受けられない精密整備講習を受けられるメカニックに選ばれたほどである。まず、この講習を受けるにあたって選抜されるのにかなり腕が良くないと選ばれなかったらしい。ちなみに今のディーラーメカニックにこのような研修制度はない。
トヨタの車を見て、かつてのトヨタ自販社長であった神谷正太郎は、サービスが充実していないとトヨタの車は売れないと判断したという。その尖兵として働いた当時のメカニックは、育成にも相当なお金と時間が費やされている。結果、テクノロジーが進んだ現代の自動車にも通用しているのには恐れ入る。
04/30/2006

考えてみれば当然か…表紙用写真のロケハンに行く

毎月更新している表紙の写真のロケハンに行った。次の候補地は「飛び出せ!青春」(昭和47年/日本テレビ)より太陽学園高校であったのだが、その写真を撮るのは断念した。

作品中に出てくる太陽学園高校の舞台は山梨県上野原町にある日本大学明誠高校である。土地勘のない方にはわからないかもしれないが、ここも筆者の住む多摩地区からはさほど遠くないところにある。行きは買い物に出たついでに甲州街道を山梨方向に西進。多摩っ子のバイク乗りの聖地、大垂水峠を越えて上野原へ。太陽学園は甲州街道からわき道に入って少しのところにある。帰りはそこから山梨の県道33号を上って東京は桧原村を経由して五日市町へ行くルートである。

本当は早い時期にロケハンに行きたかったところであるが、標高の高いこのあたりは冬季には雪が多く、土地勘のある多摩地区の走り屋たちは冬には決して行かないルートである。道が閉鎖されていることも多い。よしんば通れたとしても融雪剤がまき散らかされていて、しかし尚且つ路面には凍った雪があるなどして旧車のツーリングなどには最悪のコースとなる。もし筆者がツーリングを企画する立場なら絶対に考えないコースだ。事故が起きたときには「お前がこんなコース考えたからだ!」といわれるのは必至だ。ツーリング中の事故は自己責任とはいうものの、環境は考えてあげる必要はある。

さて、太陽学園にいってみるとその特徴である円形の教室は健在だった。この校舎をバックに写真をひとつ…などと思っていると、門の前の坂道に看板が。そこには「関係者以外立ち入り禁止」となっていた。そう、考えてみれば当然である。昨今、学校が舞台になった犯罪が多発する中、セキュリティーの強化は当然だろう。これで筆者が一人で行って門の前で写真を撮るくらいならいいが、見たこともないボロの商用車が校門の前に堂々としていては怪しさ満点である。ここでの撮影は断念した。

この近所には他にもロケで使われたところがいくつもある。相模湖にあるラブホテルに通じる橋もその隣に新しい橋がかけられて今ある橋はなくなるようである。まだ髪がたくさんあった時の石橋正次や穂積ぺぺがここを走ったのかと思うと懐かしく思う。

ここで、ワンポイントアドバイス。「飛び出せ!青春」を見るにはその前でも後でもいいから「八月の濡れた砂」(藤田敏八監督)を見ると面白い。どちらも主人公が村野武則で、それ以外にもキャストがかぶっている。「飛び出せ!青春」では不良の生徒役をやっている剛たつひとが「八月の濡れた砂」ではガリ勉タイプの優等生役をやっていて、しかも村野武則と同級生になっている。「飛び出せ!青春」の制作前にキャストが集まったことがあったというが、その席で村野と剛が「今度は俺が先生役なんだよ」と会話を交わしたとある。この会話はこの顛末がわかっているといっそう面白い話である。なお、旧車ファンの視線から見ると、「八月の濡れた砂」はハコスカファンは必ず見ておくべき映画である。
04/25/2006

始めれば早いのに…ミニエースのフューエルポンプ修理完了

作業始めれば早い。ミニエースのフューエルポンプのオーバーホール(というほど大げさな作業ではない)がすぐに完了した。

油と埃にまみれたポンプをガラクタの中から探し出し、軽く灯油で洗ってみる。すると、見た目からは想像できないほどキレイになった。ビスの類も錆は全くなく、洗ってみたポンプはそのまま新車時の輝きである。しかしそこはそれ、いくら綺麗でもガラクタの中にあったフューエルポンプである。ばらしてみれば、ダイヤフラムは固くなっているは、ひびが入っているはで大変だった。既に使えなくなっているダイヤフラムを外し、新しいダイヤフラムに付け替えて組み付ける。その間わずか20分。これぐらいの時間でできるのだから、はやくやればいいのにと自分でも思う。後は組立てる前にダイヤフラムを引っ張るアームを止めるピンの周りをかしめれば修理完了だ。
04/25/2006

致し方ない…ミニエースのフューエルポンプ修理開始

ミニエースのフューエルポンプをひとつきちんとオーバーホールすることにした。今日は数あるガラクタ部品の中からミニエースのフューエルポンプアッセンを取り出し、洗浄後分解した。ダイヤフラムを交換して組みなおすつもりである。

昨年、首都高6号線で鼓動を止めてしまった我がミニエースのダニオくん。それをとりあえず復活させるために、やっぱり数あるガラクタの中から取り出してつけたのが今ミニエースについているフューエルポンプである。いくつかあったポンプの中でそのポンプを選んだ理由が「外見が一番きれいだったから」という、機能とはあまり関係のない理由で選んでしまったものであったからか、いくつかポンプが原因と思われる故障とはいえないがなんだかフィーリングが悪い症状が散見するようになった。

そのひとつがアクセルを全開にすると加速の途中で失速する感じがするという症状だ。燃圧が少ないのか、吐出量が少ないのか、原因はよくわからない。エンジンがストールするというほどではないが加速の途中で失速するという笑うに笑えない症状が出ている。しかし完全に失速しそうになった時はアクセルを戻してやると止まってしまいそうなフィーリングはなくなるのである。

もうひとつが高速道路を走っているときに今にも止まるんじゃないかという感じでつっかえながら走る感じがする症状だ。前述した症状とあわせて考えると、ハーフスロットル以上開けたときに症状が出ているという共通点がある。走る度に「今日は多分向かい風が強いから」とか「視覚ではわからないけど、きっとこの道は緩く上っているに違いない」などと理由をつけて自分の本当の気持ちに言い訳を見つけながら走っていたがそれにも最近は疲れてきた。自分の本当の気持ち…つまり「部品を使うのもったいない」という気持ちである。

ヨタハチオーナーであり洒落でミニエースに乗っている、ミニエースはミニエースでもバンで色が珍しいから乗っている、というスタンスの筆者としてはミニエースごときにヨタハチに使うためにストックしている部品を使うのはちょっとした苦痛である。だが、その苦痛と走っていてフィーリングが悪い苦痛とを天秤にかけたとき、最近は後者が重くなってきているのである。

そんなある時、部品の整理をしていたら素晴らしい妥協点を見つけた。昔の社外部品のダイヤフラムがあるのを発見したのだ。これを使えばいい。社外部品と言っても素性はいい。純正のポンプのメーカーである京三製の部品である。これを使ってしまう分には少しも惜しくない。

ポンプと言えば、まだヨタハチのポンプならアッセンブリーででるでしょ?という方もいると思う。確かにおっしゃるとおり。ミニエースのポンプとヨタハチのポンプではアッパーボディが違うだけで、ダイヤフラムを含むロアボディとミニエースのポンプのアッパーボディを使えばとりあえず新品に近いミニエースのフューエルポンプができあがる。筆者は部品共販から部品が補給されていたときのポンプのオーバーホールキットもあり、尚且つヨタハチ用のポンプに至っては新品を二個持っている。にも関わらずそれらを使わないのは、それだけもったいないと思っているからに他ならない。、
04/23/2006

何が出ても不思議ではない…ワイパーモーターとリンクの交換終了

予告どおり、本日ワイパーリンクとワイパーモーターの交換作業をした。作業をする前はああでもないこうでもないと作業をシミュレーションしたが、いざ作業をしてみると簡単に終わってしまった。十年来の懸案がものの2時間で終了してしまった。これで元の通り、二速のワイパーになった。

しかし我が44ヨタ、何が飛び出すかわからない。伏魔殿とはまさにこのことだ。結果からいえば、我が44ヨタのワイパーリンクは一度換えられていたことがわかった。というのも、パーツリストをみるとある筈のないステーというかリンクがワイパーリンクにご丁寧に溶接されていたのだ。
しかし、あまりにもぴったりしているので、単純にステーを追加したようには思えない。ワイパーモーターが一速であることから、もしかしたら部品取りしたワイパーリンクが初期型のヨタハチであって、その車にはこのリンクが使われていた…なんてこともあるかもしれない。今の時点では何の根拠もない仮説であるが、かつてのオーナーが追加したにしては気が利きすぎている。

失敗もあった。リンクを取り外すのに右側の吹き出し口を外さなければならなかったのだが、外すときに留まっているナットでネジをねじ切ってしまったのだ。しばらくやらないうちに少し腕が鈍ったと実感する。
04/16/2006

内装の作業開始へヒーターオーバーホール再開か?

作業開始、と言っても筆者の44ヨタハチではない。ヒーターのオーバーホールのページで直しているヒーターが載るべき41年式のヨタハチである。諸般の事情により内装を取り付ける作業が止まっていたのであるが、作業開始の目途がたちつつある。これに伴ってヒーターのオーバーホールのページも進行しそうである。というのも、ヒーターを搭載する前に内装の作業をやっていてもらわないとヒーター本体はともかくその周辺の器機の取り付けは内装が終わっていないとできないものばかりである。内装の作業に出した頃にハーネスの制作などをしようかと思う。
04/12/2006

動作を確認!ワイパー交換開始へ

筆者の信頼できる筋にワイパーモーターの動作確認が済んで帰ってきた。動かなければそのまま修理を頼む予定だったが、その必要はなく少しほっとしている。これでワイパーリンクとワイパーモーターを交換する準備は整った。あとは実作業をするのみである。購入以来の懸案だったワイパーモーターの二速化がこれで実現する。しかし、なぜわざわざ一速にしたのかその意味がわからない。今付いている部品を外してみたらその理由がわかるかもしれない。
04/11/2006

街の姿は変わる…今月の一枚解説

今月の一枚は松田優作主演でおなじみの「探偵物語」(昭和54年/日本テレビ)よりモナリザのいた街角である。このタイトルは筆者が勝手に考えたものであるので、作品中にそのようにタイトルをつけられて出てくるものではない。さて、ではどこで出てくるかというと、各話のエンディングである。松田優作がよりかかってアイスクリーム(ソフトクリームか?)を食べている変圧器と思われる箱があるが、その変圧器の箱が画像の中央にあるものである。一見すると全く別の形になっているが、実はこれ変圧器にかぶせられたカバーなのである。この内部には当時と同じものが納まっているのを筆者は見逃さなかった。場所は渋谷の公園通り。バックにGAPのお店があるからわかる人にはどこであるかすぐにわかるであろう。かつてはここに壁があって、そこにはモナリザの絵が描かれていたのであるが今はない。

この他にも渋谷には探偵物語、いや同時期に作られた「蘇る金狼」とか遊戯シリーズなどでロケ地になったところが多い。撮影したのは朝の5時頃。普段の喧騒から一時休息をとっているかのように静まった街にいると、工藤ちゃんがべスパに乗って走って来たり、鳴海昌平が走って来そうな錯覚を覚える。
04/01/2006