意外と映えた!ミニエースを刷毛で塗る

 東京では30度を越えた今日、予てからの懸案だったミニエースのボディの塗装をすることにした。塗料は既に作っておいて貰ったのでいつでも使える状態だった。ただ、やる気があればの話である。前から、リアゲートのところのイヌの足跡みたいな錆は嫌だとか、屋根の色が違っていてツートンに見えるという周囲からの声もありやるのは時間の問題だった。そして今日塗装に踏み切ったのは、まず塗料が乾くのに時間がかからないであろうということ。そしてカーショップで買い物をする機会があったからである。ただこれだけ。他の買い物と一緒にサーフェイサーを買ったのである。
 さて、先ずは錆が表に出ているところを空研ぎペーパーで研ぐ。具体的に研いだのはリアゲートの一部と屋根の右側半分である。研いだところをサーフェイサーで吹く。天気がいいので吹いたその端から乾いていく。屋根の左半分は前のオーナーの手によってPOR15の銀色が塗られている。これを研ぐのは一苦労なので、表面を洗って乾いたあとそのまま塗料を塗ることにした。サーフェイサーが乾いた後はいよいよ塗料を塗る。塗るのは近くのカインズホームで買った刷毛である。一本50円くらいと格安のものである。
 刷毛に塗料を取って車体に塗っていく。天気がいいので多めに取って塗らないと刷毛を返す頃には半乾きになって刷毛が進みずらくなる。そんなことをしながら、リアゲート、屋根全部を刷毛で塗る。何年ぶりかで筆者のミニエースは似たような色一色になったのだが、これが意外と映える。遠くから見るとなんだか20万円くらい高くなった感じに見える。ダニオブルーという地味な色なのだが、新しい塗料の発色はなかなか派手に見えるる新車当時もこんな感じだったのだろうか。しかし、そこはそれ、刷毛で塗った車体である。近くで見ると、古い色と新しく塗った色の違いがありすぎてちょっとした迷彩色のようである。
07/31/2005

古いタイヤを捨てる!純正鉄ホイールに関する考察

 今日、延び延びにしていたミニエースのスペアタイヤを購入した。今まではヨタハチに積んでいたタイヤを乗せていたのだが、乗用車のタイヤではいざという時に使えない。そのついでに古いタイヤの付いていた当時ものの鉄ホイールが4本あったのでホイールからタイヤを外してタイヤは捨ててもらうことにした。このホイールをサンドブラストした上で塗装して44ヨタハチのスペアタイヤをつけるホイールにしようという目論見だ。
 さて、ヨタハチのホイールは奇跡的にというべきか、純正のものが出る事で有名である。非常にありがたいことである。しかし、パーツリストの品番で頼んでもその代替品番がついているホイールが来ることに一体どれだけの人が気が付いているだろう?また、何故代替品番なのか?実は、現在出るホイールの品番はまさしく筆者のミニエースに使われているホイールと同じものである。今出るトヨタスポーツ800のホイールはみんなミニエースのものである。じゃあ肝心のトヨタスポーツ800のパーツリストに載っている品番のホイールとミニエースのホイールの具体的な違いは何かというと、形状の違いである。この形状の違い、機能上の違いもあるのだが、今回はそれはさしおいて見た目上の違いにだけ焦点を絞って話すことにする。
 ミニエースのホイールにはハーフホイールキャップを取り付ける都合上、ホイールナットを止めるところのちょっと外側に三箇所、耳が出ている。トヨタスポーツ800の当時もの純正にはこれがないのである。もっと深く追求すれば、この耳のないホイールはパブリカのデラックスとトヨタスポーツ800に使用されるものである。800ccのパブリカのスタンダード、後に出るスペシャル用のホイールはこれらとはまた別の形状をしている。という訳で、細部までオリジナリティを追求するにはこの耳なしの鉄ホイールを使用することになる。ところが、これが意外とない代物なのである。後年、当時出たホイールに替えられたり、また、アルミホイールなどに替えられてしまった例が多く、当時もの純正のホイールを残している例は少ない。鉄のホイールをつけていて4本とも耳なしのホイールという車をあまり見たことがない。
 筆者の44ヨタハチは以前にこれを譲り受けとりあえず今ついているホイールはこの耳なしのホイールになっている。しかし、どうしてもスペアタイヤ用には見つけられなかったのだ。しかし最近、仲間でタイヤもホイールも捨てるという人がいてこのタイヤとホイールを見たら耳なしだったのである。これでやっとスペアタイヤも耳なしにできる。元からあったスペアタイヤについていたホイールが最悪なことにトピー工業製だったのである。だから、どうしても44ヨタハチには使いたくなかったのである。
 さて、ここでまた新しい言葉が出てきたので、解説しよう。当時のトヨタのクルマに使われていた鉄のホイールは中央精機製が大勢を占めていて、トピー工業製は少数派だったらしい。ホイールに中央精機のマークがよく見ると入っているので気になる人はよく見てみるといい。「中」という字を少しデフォルメしたマークがどこかにある。トピー工業製は社外パーツとして流通していたというタイヤ屋さんもいる。もちろんこれらの情報はもう少し精査する必要はあるがほぼこの傾向は間違いがないであろうというところまで来ている。耳なしホイールで中央精機製。最近譲ってもらったホイールはこの要件を満たしていたのだ。
 そして、気になるのが色である。どうも、トヨタスポーツ800の出ている時期で言えば、前期の方はグレー、後期になるに従って銀色。生産が終了してアフターパーツとして出回っている時のものがガンメタリック。そして、現代になるに従ってパスターの黒色という感じのようである。ただ、時期とその順番はまだ正確には特定していない。
 筆者の場合は、耳なしの鉄ホイールに色はつや消しの黒という感じにしている。これは当時若者だったおじさんが、このような色にして乗っていたといういくつかの証言を元にして筆者もそれに倣うことにしたのである。ヨタハチの場合はホイールキャップを外してホイールはつや消しの黒にスプレーで塗装。この元は、当時のレースに出ていた車がそうだったからという。なるほど、トヨタスポーツ800のデビューレースとなった船橋サーキットでのレースのフィルムを見ると確かに鉄のホイールに黒色だ。どうもレース用の車と言うと例のワークスホイールが印象的だが、文献を紐解いてみると意外と鉄のホイールで出ている時期はある。そして、初期のレース車というと、銀色のボディをベースにストライブの入った車が殆んどである。銀色のボディには黒でつや消しのホイールというスタイルが当時の若者には最高にスポーティでかっこいいカラーレイアウトだったようだ。
 
07/31/2005

スーパーカー世代の憧れ ディーノ246GTに乗る

 スーパーカー世代の憧れとも言うべき、ディーノ246GTに乗る機会を得た。近くにいた人たちは、恐れ多くて乗れない風情だったが、そこはそれ、他の人の車に乗るのが大好きな筆者はそういう機会には目がない。早速、オーナーの許しを得て、乗り込んでみた。
 まず座った感じ。古いとはいえ流石にフェラーリである。本皮のシートは吸い付くようだ。キャビンの中は意外と広い感じだ。スバル360と同じシフトパターンだから、通常1速のところがリバースになること以外は何ら変りがない。スイッチ類の質感もなかなか上質。これを当時の国産車と比べてしまうと見劣りするのは無理はない。早速走り出す。クラッチべダルはその流麗なスタイルに似合わずかなりの踏力を必要とする。アクセルペダルも思いのほか重い。しかし、レスポンスは良くて軽く踏むだけで雄たけびをあげる。クラッチを繋いだ感じもなかなかナチュラルである。繋いでからは、そこはフェラーリ、高回転まで回すように出来ている。ここは回してあげないとかえってオーナーに失礼である。帰ってきたらプラグがカブって火が飛ばないなんてことになろうものなら、ヨタハチとはいえスポーツカー乗りとして恥ずかしい。結局、神宮絵画館周辺を一周したが、3速以上にシフトアップする機会はなかった。
 乗ってみた感想は、正直なところわからないというところだ。なかりのポテンシャルは感じたが、それを発揮するには少ない距離だし、発揮する立場にない。オーナーの日頃のケアに敬意を表するしかない。
07/27/2005

夏だ!梅雨明けだ!アフターアイドルキャンペーン宣言

 本日、関東地方も梅雨明けを宣言したついでに、筆者も一つ宣言することにしよう。夏を迎えるに当って、旧い車を動かして目的地に着いた時には、一分間でいいので到着後もアイドリングをするようにしようというキャンペーンを張ろうと思っている。
 むやみに長い暖気運転やクーラーにあたらんがためにアイドリングしたままにするのは東京都条例上許しがたい行為である。クーラーを殆んどの車が搭載していない旧車に於いては、そんなことをしない代わりに目的地到着後一分間は焼きつき防止のためにアイドリングをしようではないか。
 夏の旧車の使用環境でいいことは一つもない。ましてやそもそも多少のトラブルの元を抱えている旧車にとっては致命傷になりかねない。そこで、エンジンオイルがエンジン各部を回ってオイルパンに戻るまでに要すると言われている一分間はオイルを行き渡らせるのがいい。何も必ずアイドリングしようというのではない。寸前まで渋滞の中にいればずっとアイドル状態であろうからすぐに切ってもいい。ようはエンジンを切る前の一分間は一番回転数が弱い状態でオイルを安定的に流し、油膜切れしやすいこの季節、適切に油膜ができるように心がけたい。もっとも、旧い車に乗る際には目的地ですぐにエンジンを切らないように余裕を持った運行を心がけようという意味も込めているのである。
07/19/2005