遠州旧車ミーティングやらまいCAR参加詳報 最終回

 時は過ぎ、イベントも終了。実は一番大変な帰り道である。さて、今回筆者が乗っていったミニエースは、多くのヨタハチ、パブリカファンの間はその存在を知ってはいても、その多くを知っている訳ではない。パブリカと同じエンジンが載っていると簡単に考えがちだが、いざ解体してみると意外と共通している部品は少なく、実際には捨てる部品の方が多いなんてこともよくある話である。ましてや、地上を走行できる状態の車に出くわすなんてことは皆無に等しい。帰り道、我がパブリカオーナーズクラブの一部会員に乗ってもらったが、パブリカとは異次元の体験であったようだ。逆に言うと、パブリカやトヨタスポーツ800の走りを期待してミニエースにてを出してしまうと痛い目に会う。更に言ってしまえば、トラックとバンでもそのフィールは変ってくるので、トラックに乗ったことのある人でも違和感を覚えるに違いない。
 当初一番人気で落伍すると思われていた我がミニエースのダニオくんであるが、かえって快調になり東京に帰ってきた。
11/26/2004

遠州旧車ミーティングやらまいCAR参加詳報 その3

 掛川ICを出ると直ぐのコンビニ以外にお店がないことは前回来たときと変らなかった。思えばここで買い物をして置けばよかったのに。今回の会場は入り口付近の駐車場での開催。風も余りなく、土ぼこりもあまりないいいコンディションでの開催である。所定の位置に車を止めるとミニエースの異様な姿が引き立つ。ヨタハチはご存知の通り低い車である。パブリカもそれほどではないにしても低い。なのにミニエース、今の軽自動車のバンよりは低いにしても比べれば車高はある。流石はフレームシャーシの車である。パブリカ、ヨタハチファンであればミニエースは部品取りというのは常識だが、知らない人が見たらなんでこんな車がパブリカとヨタハチの間にあるのか不思議であったに違いない。
 しかし、最近はこういう得たいの知れない商用車が流行っているのだろうか?ギャラリーの反応はヨタハチとは全然違う。暫くギャラリーウォッチングをしていたが、ギャラリーは驚いた顔の後に必ず笑っているのが印象的だった。
11/20/2004

遠州旧車ミーティングやらまいCAR参加詳報 その2

 御殿場ICを過ぎれば基本的には下り勾配が続く。ミニエースのダニオくんはメーター読み85キロをキープして走っていく。添加剤の反応もだいぶ進んだみたいで、フルフロー2Uエンジン特有のアクセルにリニアな感じがはっきりと現れる。メーター読みで85キロだったが、どうもこのメーター、やや渋く出ているようだ。並行して走ったエスティマに乗った仲間が教えてくれた。こちらは80キロ前後で走っているのに、「ミニエースって速いですね」と言われる始末だ。昭和48年からのミニエースのデフはパブリカのそれよりもローギアードのため、パブリカと同じスピードを出そうとするとエンジンの回転数はいきおい高くなってしまう。パブリカと同じように走っているこちらは結構ひやひやものである。
 富士川SAに着いてメンバーと合流。やや込み始めた東名高速道路を西に向かい相良牧之原SAに到着。実はこの相良牧之原SAの手前の坂が結構しんどいのであるが、ミニエースはスピードこそ落ちるものの楽に登って行くのは意外だった。
 予定の時刻よりやや遅れて到着。もとより遅れることを見越して予定を立てているので大丈夫である。ここから会場最寄のインターチェンジである掛川ICまでは10キロほどである。
 
11/20/2004

遠州旧車ミーティングやらまいCAR参加詳報 その1

 イベントの日の朝は早い。当初は現地に前のりという案もあったのだが、結局当日移動となった。朝、というか夜の3時半に起床。3時50分にはエンジンをかけて移動を始めていた。ミニエースのダニオくんのエンジンは出発前日にオイルを交換。その際に筆者が絶大な信頼を寄せる添加剤を入れておいた。古い車、特にダニオくんのようにどんな扱いを受けていたかわからないような車には覿面に効果が出る。しかし、まだ反応が薄いのか体感できるほどの変化はない。もっとも、高速道路での移動のように同じ回転数で回りっぱなしになる状況を見込んで添加剤を入れているので今はいい。
 筆者のうちから八王子バイパスを経て橋本五叉路、129号線に入り途中のガソリンスタンドで給油。金田陸橋の交差点から国道246号線に入り厚木ICから東名高速に乗る。高速道路に入るとダニオくんのメーター読みで85キロをキープして走った。しかし、厚木から東名高速に乗るとダニオくんにとっていきなり難関が待ち構えている。秦野中井ICの間まではだらだらと続く緩い登り勾配がある。現代の車なら何も感じないが、旧車にはボディブローのように効いて、知らないうちにスピードが落ち、速度を取り戻そうとしてアクセルを踏んでも時既に遅し。だから入ったところでスピードを稼ぎ、坂を登るための運動エネルギーをつけておかないといけない。その願いもむなしく、秦野中井ICの出口付近では70キロに速度が低下。44ヨタよりも重い車体に更に非力なエンジンという組み合わせならよくやったと褒めるべきところなのだろう。
 中井PAで最初の待ち合わせ。鮎沢PAで我がパブリカオーナーズクラブの面々と待ち合わせた。次に目指すは富士川SAである。
11/18/2004

遠州旧車ミーティングやらまいCAR参加詳報 序章

 ミニエースのダニオくんにナンバーがついて初めてイベントに参加した。参加したイベントは今年で4回目になる遠州旧車ミーティング「やらまいCAR」である。筆者はこのイベントには今まで皆勤賞なので、絶対に外せないイベントである。ダニオくんのイベント参加は厳密にいうと二回目だが、今年のニューイヤーミーティングは言ってみれば参考出品だったので、これがデビューイベントとなる。今回も主催していただいたクラブSTING浜松の皆様にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。
 しかしこのイベント、我がパブリカオーナーズクラブにとっては鬼門のイベントである。当会のツーリングなどのイベントは故障や重大な事故がないという良い伝統を保ってきたのだが、このイベント参加に限ってはトラブルに巻き込まれる。4年前の第2回の時には会場に向かう途中の清水で一台がエンジントラブル。ポンプを留めるピンが外れることからデスビが飛び出すという通常ありえない故障に見舞われた。前回は行きは良かったのだが、筆者がその時に運転していた一台が富士川SAでエンジンが止まってしまった。途中の由比のあたりから異変に気が付いた。アクセルを戻したら絶対に止まってしまう…。スロットルの開度はやや開き気味にして一定に保ち、微妙なスピードコントロールはアクセルではなくクラッチワークで切り抜けた。だが富士川SAに入った時にはついに力尽きて止まってしまった。原因は燃料タンクの錆が回り、キャブレターが詰まってしまったこと。富士川SAでの会員の必死の作業によってなんとか帰ることができた。
 こんなことがあったので、今年の参加車両の中でトラブルを出すのはどの車かという話に勢いなってしまうのだが、一番確率が高いとの下馬評だったのは筆者のミニエースである。単勝オッズ3.6倍の一番人気。馬連ならダニオくんを軸に流すと言った展開である。客観的に見ても、筆者のミニエースが一番確率が高い。オーナーの筆者が言うのだから間違いない。
 まだ前の車から変更していなかった任意の保険を車両入れ替えして、ダッシュボードには賛美歌の本を忍ばせ、燃料を満タンにして次の日を待った。
11/16/2004

オイルでこんなに違う?ミニエース、3回目のオイル交換

 本来なら車検をする前にするべきだったのであろうが、エンジンオイルを交換した。どうも、一、二速でアクセルを戻し気味にして走っている時につっかえる感じがした。踏んでもすぐにはエンジンが綺麗に回らない。
 何か気に入らないことがあれば先ずはこれという訳で、オイル交換である。レベルゲージに取った時はそんなに感じなかったが、いざドレーンプラグからオイルを抜いてみると結構黒くなっていた。考えてみたら今出したオイルは今年のニューイヤーミーティング前に入れたオイルである。そんなに走っていないが、もう既に10ヶ月経過している。その上、もともと少し墨になりかけていたオイルが入っていたエンジンである。その汚れが出ていても不思議ではない。と、いうか出てくるのを期待してオイルを入れているのである。今回はオイルのみ交換して、今週末にはもう一度オイルを交換する予定である。その際には筆者が絶大な信頼をおいている添加剤を混ぜて入れる心算である。
 ついでにフロント、リアのショックアブソーバの点検をした。リアがリーフリジット、フロントが横置きリーフスプリングとウィッシュボーンという形式のサスペンションのせいか、片方のタイヤの動きが少なからずもう一方のタイヤに影響を与えるようで、走りそれ自体は昔の商用車丸出しである。トヨタスポーツ800、パブリカの部品取りと言われるミニエースだが、その実使えるのはエンジンとミッションの半分である。ミニエースにパブリカとスポーツ800の走りを期待してはいけない。パブリカのエンジンとトランスミッションが載った別の車というのが正しい認識である。乗って走ってみると嫌というほどそれがわかる。でも少しでもそれを改善しようと思いすぐに手を入れられるショックアブソーバから手をつけたのだが、結果から言うとショックアブソーバそれ自体は抜けてはいなかった。その上下を繋ぐブッシュも千切れてはいたがやわらかさを失ってはいなかった。あてが外れた訳だが、外したついでにブッシュを交換してショックアブソーバを元に戻した。
 さて、エンジンオイルを交換したあとのミニエースのダニオくんであるが、つっかえる感じはなくなった。エンジンオイルを換えるだけでこうも違いが出るものだろうか?44ヨタでもこんなにあからさまにフィーリングが変った経験がないので何か腑に落ちないところが残る。
11/09/2004

21年1カ月の眠りから覚める!ミニエース、遂に復活

 かねてよりナンバー取得に向けて動いていたミニエースのダニオくんが遂に公道に復帰した。実に21年と1ヶ月ぶりである。ナンバーは既報の通り32−15。ミニエース、ゴー!である。しかし、このナンバー、他にも意味がある。私ごとで恐縮だが、先日勤めていた会社を辞め新たな仕事に向けて歩み始めた筆者に、そう、矢が解き放たれるかのような勢いのあるナンバーが欲しかった。つまりカウントダウンは嫌なことを我慢に我慢を重ねていた時の心情を表わし、そして満を持して飛び出してやるという意味も込めている。だから、321のミニエースでは駄目だったのだ。尻すぼみになる。と同時に、新たに車を持つ事で不退転の決意を見える形にする意味も込められている。
 ええ、この場をお借りして、もし書き物、調べ物の仕事があれば、是非ご連絡ください。締め切り厳守。誠心誠意やらせていただきます。今までの作品なども御覧に入れますので是非ご相談ください。なお、このホームページでも能力の一端はご理解いただけると思いますので、参考になさってください。
 今考えると見なければ良かったとも思うのだが、ダニオくんの抹消登録された日付が筆者の誕生日だったことから今回のミニエースの復活は端を発している。筆者が初めて見たときのうら寂しいたたずまいは今でも忘れられない。よせばいいのに、そんな時に限って雨なんか降っていたりしていた。思い出を連ねればきりがないので省略するが、サンバーくん亡き後やや実用に振った旧車ということで、乗って行きたいと思っている。ただし、こちらは44ヨタとは違う方向で楽しんで行こうと思う。
 尚、今回登録できたのも筆者を支えてくれた人たちの尽力の賜物である。お礼申し上げたい。
11/07/2004