意外とわからなかったことも!パブリカ大辞典編纂中

 ヨタハチオーナーでありながらパブリカオーナーズクラブ会員、パブリカオーナーズクラブ会員でありながらミニエースとヨタハチのオーナーという変な人を地で行く筆者であるのは、このページを見ている方は既にご承知のことと思う。そんな筆者が、現在書き進めているのがENCYCLOPEDIA of PUBLICAつまりパブリカ大事典(仮称)である。書くに当っては今までの筆者の経験や足で稼いだ情報、或いは仮説をもとにそれを証明する手立てとして様々な資料を参考にして書いている。現在のところ、10系パブリカの原稿は全て書きあがった。10系パブリカ、つまりセダン、バン、コンバーチブル、トラック、パネルバンである。あとは画像を入れてレイアウトを考えれば出来上がる。
 しかし、やってみると意外としんどい作業だった。それまで当たり前に思っていたところが調べてみると意外と違っていたり、全く新しい事実もいくつか判明している。では、ここでその調べたことを元にしてパブリカに関するクイズをいくつか。

Q1 パブリカコンバーチブルのボディカラーにリビエラ・ブルーが加わったのは何時から?
Q2 パブリカパネルバン(UP16V−B)を作っていたところはどこ?
Q3 パブリカトラックに角メーターのものは存在する?
Q4 パブリカにフェンダーミラーが標準でついたのは何時から?またどういう理由で変ったか20字以内でできるだけ詳しく答えてください。
Q5 パブリカバンにデラックスが加わったのは何時から?
Q6 セダンのデラックスには標準でヒーターとラジオがついている?
Q7 パブリカのヒーターに熱交換式のヒーターが加わったのは何時から?

 と、こんな感じで出されるとパブリカオーナーズクラブ会員でありながら意外とわからないことがある。なお、この質問の中で一番簡単なのはQ5である。特に昭和36年の発売直後から昭和38年7月、デラックスが発売されるまでのものは情報も少なかったが、実物もそんなに見たことがなかったので大変だった。出来上がった暁には、何かの機会にお目にかけられるといいと思う。 
10/30/2004

行く末を憂う!メカニックってどんな人?

 今月の異常な気象は、我がカーホビーライフにも大きい影を落としていた。雨が続いていては金属部品のサンディングもままならない。錆を落として綺麗にしても、塗装ができないのであれば湿気と酸素に食わせてやるようなものだ。下手に塗装や錆を剥かない方がいい。台風23号が去った次の日から作業を再開した。何しろ、このクーリングダクトを完成させないとエンジンの洗浄はおろか、トランスミッションのスピードメータードライブギアの交換を済ませても車に乗せる訳にはいかない。
 一方で既に作業が終了しているパーツもある、燃料タンクだ。既に作業が終っているのに車に載せられない。既報の通り、古いネジが腐って捻じ切れてしまったからだ。そこでネジの類を発注するついでにガレージ近くにある某トヨタディーラーのメカに残ってしまっているネジをドリルでもんでくれるか相談に行った。しかし、返ってきた返事は「ねじ側を傷つけるといけないので…」ということで、作業を断られた。まあ、もとより色よい返事は期待していなかったのでどうこう言う心算はないが、何か間違っていないだろうか?筆者のガレージで電気が使えれば筆者が一人でやっているところだが、そんな作業すらやりたがらないってのは技術云々の問題ではない。ネジは発注したが、多分もう行かない。勉強する気がないところではこちらの士気も落ちてしまう。とりあえず、燃料タンクはまだ筆者の部屋にある。
10/26/2004

ナンバー取得に向けて!作業大詰めに

 昨日と今日はミニエースのナンバー取得に向けて大詰めの作業をした。先ずは移動するために必要な仮ナンバーを取得する。今回ついたナンバーは20−92。特にこれと言った語呂は思いつかない。
 次にそのナンバープレートを持ってミニエースを預けている工場に行き車検に必要な整備をする。地味であるがウォッシャー液が出ないと車検には通らない。正面のトヨタマークの下にウォッシャー液の通るチューブが通っているのだが、その下にチューブを繋ぐL字型のジョイントがある。が、これが大抵折れている。実はこれミニエースの鬼門で、ご多分に漏れず筆者のミニエースも折れていた。古いジョイントを削るようにして外して新しいジョイントを取り付ける。新しいチューブをノズルの根本に取り付け、実際にウォッシャー液が出るのを確認した。
 次も車検に必要なタイヤの交換だ。タイヤなんてなんでもいいと思いがちだが、商用車にはバン・トラック用のタイヤがついていないと車検に通らない。継続ならまだ甘いかもしれないが、今回は抹消登録された車を起こすので余計なところで落ちる訳にはいかない。実際にタイヤがついてみると、これがなかなか良い!ブリヂストンの古いキーストーンマークは付いているし、ロゴも古い。トレッド面が細くてなかなかカッコイイ!走り出してみるとステアリングも軽くなり走りも軽快になった。
 車庫に帰るとこれも車検対応でターンシグナルとテールランプのレンズを交換した。ターンシグナルは中古のものを、テールランプは新品に交換した。テールランプのレンズはKP39パブリカトラックと一緒。これは今でも出るので安心だ。変えてみると…なんだか生気が宿ったかの如く、いきいきと見えてくるから不思議だ。復活の兆し、そんな言葉が浮かんでくる。
 そして、今日は朝早くから走り出した。関東地方は通勤時間帯から雨という予報。雨に降られる前に千葉までの移動を完了しなければならない。朝4時に出発。中央高速、首都高4号線から湾岸線へ。湾岸市川のパーキングエリアで少し休んで、東関東自動車道、東金道と経て現地には7時前に到着して途中で朝食を食べるだけの余裕をみせた。仮ナンバーがついてから160キロほど走ったのだが、サンバーくんと比べるとかなり余裕がある。やはり小さくても4ナンバー車である。エンジンのキャパシティの差は走るとはっきり現れる。アクセルの開度が少なくて済む。サンバーくんはアクセルを踏み抜いてしまうのだが、ミニエースではそんなことはない。ホイールベースが350ミリも長いのはこんなに疲れないで走れるものかと改めて思った。途中、料金所のたびに「これ軽自動車?」と聞かれたのには少し閉口したが、仮ナンバーで走っている上に、現代の軽自動車よりも長さ以外は小さいことを考えると致し方ないところだ。
 午前9時半頃には今回登録作業をお願いするトヨタディーラーに到着。ナンバーは希望ナンバーで32−15が付くことが決まった。
10/19/2004

再び仮ナンバーを!ミニエースに自賠責保険付く

 今年の2月20日に切れて以来だから、実に8ヶ月ぶりにミニエースのダニオくんに仮ナンバーをつけるべく、その手続きに必要な自賠責保険を今日つけてもらった。今回はナンバーを取る訳だから13ヶ月分の自賠責保険をつけなければならない。そう、商用車は未だに10年以上の車は1年ごとの車検になるのだ。
 しかし、自分のしようとしていることとは言え、手元に13か月分15140円の自賠責保険の証書を手にし、ミニエースのダニオくんが路上に復帰するのかと思うとなんだか信じられない。未だに筆者のガレージに来たときの痛々しい姿が目に浮かぶ。タイヤのトレッド面は剥がれ落ち、屋根は凹み、ライトが外されてマグロのかぶと焼きのようだったあの姿だ。あの状態から燃料タンクを清掃し、キャブレター、オルタネータをオーバーホールし、エンジンがかかるようにしたあの日々、ホイールナットが回らなくて炙ったりしたあの時の光景がよみがえる。
 今後の予定だが、まずこの自賠責を持って市役所に行き仮ナンバーを取得後、そのナンバーをつけてタイヤ屋に行きタイヤを交換。その後、ウォッシャー液が出るように整備して、光軸が調整しやすいようにライトのリムを外す。スペアタイヤを乗せてガソリンを満タンにしたら完成である。修理工場の社長が壊してしまったサイドブレーキレバーは付け替えてもらうことになっているので筆者の作業には入っていない。
 今回チョイスしたタイヤは135/95/12という商用車用のタイヤである。…表記は間違いではない。70でも60でもない、ましてや80(82という表記は今はないので)でもない、95である。つまり、時代の流れに逆らうかの如き高扁平率のタイヤである。パブリカ系商用車の新車当時のタイヤサイズは5.00−12−6PRである。それをそのままラジアルにしたのがこのタイヤである。現代では軽の低床のトラックなどに使われている。ミニエースの何が間が抜けているって、横から見たときのタイヤハウスにできる広大な空間である。ゲンコツが縦に一個半入る。それがこのタイヤをつければびしっと空間の開き具合が決まる。そして、正面と後から見ればなんとスリムな接地面。恐らく筆者の旧車と言わずカーライフの中で一番細いタイヤをつけることになる。少なくとも扁平率はピカ一である。ミニの10インチホイール用、そして先日売却したサンバーくんのタイヤよりも細いのである。タダでさえ浮いたように走るミニエースが更に浮いて見えること請け合いである。
10/16/2004

ミニエース、登録に向けて始動!

 ここのところ何の話題も提供していなかったミニエースのダニオくんであるが、何もなかった訳ではない。いよいよダニオくんの復活に向けて動き出している。昭和58年の10月に抹消登録されてから実に21年の時を経て公道に復帰である。
 まず、最初の関門は書類だった。抹消登録証はもちろんあるのだが、抹消をした人、ダニオくんの場合は法人だったのだが、の実印の入った譲渡証明書がない。前のオーナーの話ではもうなくなっている会社かもしれないともいわれていた。仮にそうであっても陸事付近の代書屋さんにいけばなんとかなるようであったが、逆にあった場合はマズい。通せる筋は通そう。とりあえず、抹消登録証上の会社名で検索をしてみる。「まさかそんなのある訳ないよな」などといいながらキーを押すと、なんと一番頭に出てしまった。そのアドレスにアクセスするとなんとその会社は今もご商売をなさっている上に、自動車を扱う仕事であった。筆者は早速そちらにメールを送り、事情を説明。数日後、筆者の元に実印と会社印の入った譲渡証明書が到着した。ありがたい話である。後は必要な書類を調えれば大丈夫である。一方、ダニオくん本体の方であるが、ここ一ヶ月風雨に晒されてやや錆が増えたが、エンジンはちゃんとかかるしブレーキも利き走るには問題のない状態である。ただ、いつもの工場の置き場に置かれていたダニオくんの中はやぶ蚊の温床になっていたのにはちょっと閉口したが、エンジンは絶好調。ウォッシャー液が出るようにして、今付けている乗用車用のタイヤを商用車用に換えれば車検も通る。
10/10/2004