実に1年5ヶ月ぶり!44ヨタハチ一時帰還!

 思いがけず我が44ヨタハチがガレージに帰還した。預けている先の工場が、場内を整理するとの事で傷つけてはいけないからと、一時我が44ヨタハチを返したいとの話が来た。実に突然だった。さあ、これには困った。今ガレージにはナンバーのないミニエースバンが惰眠を貪っている。ミニエースの行き場所がない。いやしかし、そもそも工場の方の都合で返されるのであるから…ということで、ミニエースは44ヨタに代わって工場に行った。現在は工場の外に置いてある。
 44ヨタハチをローダーで運んで、その帰りにミニエースをローダーで運ぶ。ローダーで運ぶ…。そう、実は我が44ヨタは走れない状態で帰って来たのである。返している間作業ができるように、とエンジンとミッションがアッセンブリーになった状態で返してもらった。初めて見る外された状態の我が44ヨタハチのエンジンとミッション。なんだかカタログでしか見たことのない状態に、これが自分のヨタハチに内蔵されていたものかと思うとなかなか理解できない。44ヨタハチのボンネット内を見ると、すっかりがらんどうになっている。やはり我が44ヨタのものなのだ。こうなれば話は早い。筆者の頭には44ヨタハチリフレッシュプランの段取りが組み立てられた。久し振りにわくわくした。
07/25/2004

海より深いかも…。極初期パブリカに悩む

 「パブリカを知らずしてヨタハチを語るなかれ」とは、筆者の旧車趣味格言の一つである。意味は読んで字の如く、ベースモデルであるパブリカを知らないとヨタハチを理解することはできないのである。逆に言うと、ヨタハチでわからないことはパブリカを見ればわかるかもしれないということである。例えば、10穴のホイールキャップはいつから8穴になったの?という疑問は、ヨタハチだけを見ていると膨大な資料やサンプルが必要であるが、パブリカを見ていると変った時期がおおよそわかる。おおまかな見当がつけばそこからどれくらい自由度があったのか考えをめぐらせることができる。
 ここは自分で立てた格言の原点に立ち帰ろうと今パプリカの研究を進めているが、結構難儀している。極初期、つまり発売された昭和36年6月(といっても、月末30日なので限りなく7月であるが)からのパブリカの研究をはじめたのであるが、見れば見るほど疑問が沸いてくる。ただ言えることは、筆者の44ヨタハチの部品取りとして昭和37年くらいのパブリカをもらったとしても、全く何の部品も使えないということである。
 …深すぎる。踏み込んではいけない深みに足を突っ込んでしまったかもしれない。
07/19/2004

時代はやはりライトに?図らずも利きガソリンをする

 この週末の土曜日、個人的に「20世紀に間に合わなかったヨタハチ」と言っているレストア途上のヨタハチの組み立てを手伝った。丁度そのオーナーがレストアに出した時が今から数えると初代となるプリウスが発売になった時であった。そのコピーを覚えているだろうか?「20世紀に間に合いました」である。レストアに出した当初、そのコピーをもじって「まあ、20世紀には間に合うでしょ?」とオーナーを励ましたりしたのだが、ところがどっこい20世紀には間に合わず、車体が帰ってきたのが去年の年末だったのである。
 そのヨタハチもだいぶ組みあがり、バッテリーケーブルを繋ぎ燃料を入れればエンジンがかかる状態だったので、今日こそ本格的にエンジンをかけるべくガソリンをタンクに入れた。しかし、あのエンジンについているポンプにはすっかり空になったフューエルパイプを通してタンクから燃料を吸い出すだけの圧が発生しないようで、いくらスターターを回してもダメ。仕方なく筆者がフューエルパイプにホースを取り付けてその上でガソリンを適当に口で吸い出すことにした。
 いや、懐かしい。こんなことをしたのは何年ぶりだろう。つい最近では十数年前、筆者がスバル360改450に乗っていた時のことだ。フューエルストレイナーが詰まってしまい仕方なくストレイナをバイパスしてエンジンをかけて帰った時にガソリンを吸った。その又前は高校生の時、いけ好かないクラブの先輩のほえ面が見たくて、その先輩の乗っていた初期型RZ350のタンクからガソリンを抜き去るときにゴムホースで勢いをつけるために吸った。その時のガソリンの味は忘れられない。口に含んだ瞬間、吐き出したものであった。先輩は彼女とタンデムで帰るつもりだったらしいがそうはいかない。一面にぶちまけたガソリンを見て焦り、その場をなんとか取り繕おうと必至になればなるほど意味のない言葉を口走っていた。その狼狽振りを思い出す。まずいが勝利の味、それが筆者のガソリンの味である。
 さて、現代に戻ってまさかこの年でガソリンを吸うことになろうとは思っていなかった。昔取った杵柄ではないが、ガソリンが出てきそうになってさっと口をホースから外すタイミングは絶妙である。とはいうものの、極少量であるがガソリンが口に入る。その時である、大変なことに気が付いた。ガソリンの味が軽いのである。
 以前口に含んだガソリンは舌に乗った瞬間爆発的に揮発成分が鼻から抜けて、舌には重たいまったりとした味覚が広がったものである。内臓がでんぐりがえるのではないかと思うくらいの嘔吐感がすぐに襲ってきてつばと共にガソリンを吐くのだが、吐いても吐いても舌に重たい感じが残っていた。しかし、現代のガソリンはどうだ、まず舌に残る重たい感じは少ない。その代わり鼻から抜ける感じは相変わらず、嘔吐感もあるが内臓がでんぐりがえるほど酷くはなく、つばと一緒に吐けば直ぐに舌から重たい感じはなくなる。何しろ、口に含んだ後つばと一緒に吐いても口でゆすぐまでにはいたらなかった。ものの良し悪しは別として、昔のガソリンに比べて今のガソリンは随分軽くできているんだなぁと思った。軽くと言っても物理的に軽いわけではなく口当たりが軽いという意味である。今回口にしたガソリンがハイオクだったとか、買ったガソリンが出光のもので、出光のガソリンはベンゼンフリーとか言って低公害を売りにしていた時があったなど、単純に比較できないファクターがある。しかしだからと言ってもう一度利きガソリンをやるほど酔狂ではない。
 普段その姿さえ見ることの少ないガソリンであるが、知らないうちに変っているのだなと思った。
 エンジンは無事にかかった。最初はバルブリフターの音がすごかったが、次第に音が消えていった。内燃機屋さんで加工をお願いした上でオーバーホールしたパーシャルフローのエンジンは排圧の高そうなエキゾーストを奏でながら暫くアイドルしていた。
07/06/2004