忙しい!ニューイヤーミーティング参加顛末記 その3

 ここで、わざわざ我がパブリカオーナーズクラブのブースに来てくれた方々には謝らなければいけない。遠いところから来てクラブブースに顔を出してくれた方々とわれわれとの交流の場となるべきところなのに、筆者も話はそこそこにしなくてはならず、どうもひとりにして席に座っているだけにしてしまった方も多く見受けられたように思う。
 何故だか忙しかった。かたずけものか来ていただいた方の応対をしているだけで終ってしまった感じだ。しかもどちらも中途半端。ゴミの分別もしなくてはならないが結局できず。折角きていただいた方や当クラブの会員にも居心地の悪いようにしてしまつたかもしれない。当然、筆者には辺りを見に行く時間なんてない。もっともそれはもとよりわかっていたので、お金も殆んど持っていっていなかった。
 何かが違う気がする。自分が楽しめないもの、他の人が楽しいのかな?どこか本末転倒な感じがするのは何故だろう。
 気が付くともう夕方。筆者のミニエースを見ていく反応もたいして見ていない。
 もしかすると筆者のミーティング参加の楽しみはミニエースを路上に復帰させたことで終ってしまっていたのかと思う。一人でミニエースを直していたときの方が今考えると充実していた感じだ。
 さすがに夕方になると風が冷たく感じる。
01/30/2004

手際悪い!ニューイヤーミーティング参加顛末記 その2

 永福料金所の手前に小さいPAがあるのだが、そこに予定集合時刻よりも早く到着した。これもひとえにミニエースが調子よく走ってくれたからに他ならない。暫くすると二台のパブリカに分乗したクラブのメンバーが到着。程なくして再び走り始めた。
 首都高を筆者のミニエースを先頭に4台が続いて走った。思わず先頭に立ってしまったが、本当はミニエースで列の先頭に立つのは非常にきつい。デフのギア比はミニエースの方がローギアードである。つまり同じスピードを出すにはミニエースのほうがエンジンを余分に回さなければならないということだ。慣らしも進んでいないエンジン、ちょっと不安に思った。
 そもそも、何台か纏って走ることになると、筆者は必ず先頭にされる。他の人はついてくればいいので楽だが、先頭に立たされる方は非常に気を使う。他の車が車線変更しやすい間を取るのも先頭を行く車の仕事、道を間違えれば責められるのは頭である。ろくに知らないところを走るのに道に迷うなという方が無理なのだが、多勢に無勢、その場の雰囲気は先頭を行くものに冷たい。列の先頭に立つのはさながら車体が異状に長いバスを運転するようなもので、列の一番最後まで気にしなければならない。実は前を向いている時間より後を向いている時間の方がずっと長く危険である。筆者がツーリングが嫌いな理由はこれである。気にして走っていてもちっとも面白くない。
 そう感じつつもレインボーブリッジを渡ってお台場の出口に到着。フジテレビの前を通ると既にロータス(しかし毎年会場で焼肉焼くのはどうかと思う)の集団が。会場付近の道は既に渋滞していた。到着したのは6時少し前。クラブスタンドの我々が入場するという時刻なのだが、一向にその気配はない。去年は多少早くてもそのまま入れてくれたので、今年も大丈夫だろうと入り口付近に行ってみたがまだ入場していないという。どうかしている。会場周辺はもの凄い車の量。入場しないとどうにも捌けないのは火を見るよりあきらか。その上あろうことか二重駐車はしないでくれと言う。そうもせざるを得ない状況を作っておいて言う言葉ではない。結局、筆者たちが会場に入れたのが7時半頃。6時に入場というから来たのに、これではなんのために時差をつけて入場しているのかわからない。参加しているみなさんは安くないお金を払って来てこの待遇である。一考の余地があるのではないだろうか?筆者個人としては、来年の参加はこの時点でしたくなくなった。
01/28/2004

ミニエース快走!ニューイヤーミーティング参加顛末記 その1

 ミーティングのある朝は早い。前の晩日付が変ってから寝たのに、起きたのは午前3時半。我がパブリカオーナーズクラブの会員Fくんとともにミニエースで家を出たのが午前4時を過ぎた頃だった。今回、ビールやコーヒーの給仕を手伝ってくれるOさんと合流。いざ、お台場目指して中央高速を八王子インターから高速道路に乗った。オイルを固い奴に換えたダニオくんはなかなか快調である。どうかと思われた高速での巡航も90キロを常にメーターは指していた。調子は落ちるどころか少しずつよくなっているのがわかる。
 小銭をしまうのが大変なので、筆者は高速道路代をカードで払っている。たとえ小額でもである。走りながらカードを財布に収めようとしたとき、領収書を同時に握ったのであるが領収書の金額が気になってとなりのFくんに金額を見てもらった。500円。中央高速高井戸〜八王子間は均一料金である。普通車は600円、軽自動車は500円。つまりダニオくんは軽自動車と思われたのである。無理もない。只でさえナンバーは仮ナンバー、車体の長さと排気量は4ナンバーであるが、高さと幅と重量はむしろ現代の軽のほうがある。
 「やっぱり軽と間違われているよ」二人の笑い声を残して、ダニオくんは一路最初の合流地点首都高4号線永福を目指す。
01/27/2004

仮ナンバーを取得。公道に復帰

 今日は朝一番で市役所に行って仮ナンバーの申請に行った。必要な書類は予め用意してあったので大丈夫な筈なのだが、初めて仮ナンバーなるものを取りにいくのでドキドキした。しかし、それも杞憂に終った。ものの数分でナンバーと許可証を取得。これをいつもの車屋さんに行ってダニオくん本体に取り付ければ路上に復帰となる。
 さて、ナンバープレートの数字を選択する事もできるようになってから随分時間がたつが、みなさんは自分の車にどんな数字を付けたいと思ったことがあるだろうか。今まで話をして来なかったが、筆者はミニエースのダニオくんが車検を取った暁には「・3−21」というナンバーを取りたいと最近まで思っていた。3−21、つまり「ミニエース」である。この「1」を「エース」と読むところにひねりを利かせている。これに倣って言えば、ハイエースは「・8−11」トヨエースは「10−41」なんてのもアリかもしれない。しかし、ミニエースの場合はことは簡単ではなかった。意外と「32」はライバルが多いのである。例えば、ミニには「・・32」あるいはミニクーパーには「32−98」とついている車が多い。或いはR32スカイラインではみんなこぞって「・・32」とつけている。スカイラインやミニのオーナーと同じかと思うと自分の程度の低さにある日ふと涙が出てしまったのである(ミニとスカイラインオーナーの方ごめんなさい)。それで「・3−21」は筆者の中で却下。とはいうものの、いろいろ考えたがなかなか筆者の琴線に触れるいい番号は思い浮かばなかった。
 さて仮ナンバーを受け取って車の中でもらったナンバープレートを見た。ナンバーは「32−15」。3215…。サニーいちご?ミニイチゴ?いやいや、ミニ…、ミニエース!で、5だから…ミニエースゴ。ミニエースGO!か!こいつはウマい!山田くん一枚やってくれ!って感じである。ミニエースの一時路上復帰に際してのナンバーとしてはこれ以上のものはないだろう。
 役所の仕事でましてやミニエースなんて知らないだろう、当然なんの意図もないはず行為でこうなったのである。さすがはわが町、昭島市である。利かす洒落もなかなか粋でいい。
 夜、車屋さんに行ってダニオくんを受領。公道に一時復帰を果たした。抹消登録されてから実に20年と3ヶ月ぶりのことである。
01/23/2004

止まった!ミニエースのブレーキ修理完了

 JAFに大嘘をついて運んだミニエースの様子を見に行った。行ってみるとダニオくんは工場の外に置いたままにされていた。なんと既にブレーキの修理は終ってしまったという。もっとも、筆者の手によって随分時間をかけて直したのだから作業自体が少なくても当然なのだが、時に素人整備はしないほうがまだましという状況を作ってしまうことも事実。何かヘタクソなところはなかったか聞いたところ、右のブレーキホースの取りまわしがなんだか怪しかったこと以外は大丈夫であるとのこと。フレアナットのつき具合もなかなかいいと言われた。
 さて、はやる気持ちを抑えてエンジンを始動。既にあたりは夜。寒かったので、暫く暖気をした。温まったところでクラッチをそっとつなぐ。すると解き放たれたかのようにダニオくんは前に出た。そこですかさずブレーキペダルを軽く踏む。ダニオくんは突然推進力を失いその場で停車した。治った!これでダニオくんは自力で走り曲がり、そして止まれることができたのだ。走って止まった距離は約50センチほど。車にとって50センチは小さい第一歩にしかすぎないが20年の時を経て、自力で前進しそしてブレーキで止まったという事実はダニオくんにとって大いなる意義がある。
 あとは少しの調整などで全ては終わりである。仮ナンバーをとれば大手を振って公道に再デビューである。
01/22/2004

無力ぶりを痛感。ミニエース修復最終局面に

 いよいよミニエースの修復も大詰めを迎えている。まず最初は塗装が終わりパイプ類を取り付けた燃料タンクをいよいよミニエース本体に戻す作業をした。燃料タンクを留めていた鉄のベルト二本を燃料タンク本体に回してシャーシフレームに取り付け、フューエルゲージのハーネスとブローバイのホース、そして燃料タンクからキャブレターに行くメインのフューエルホースを車体側のフューエルパイプに接続した。一方ガソリン給油口の太いパイプも車体と接続。こう書くとなんだか簡単な作業のようだが、寒さで固くなったゴムのホースにはなかなかパイプが入らなかったりタンクは思ったようなところに設置できなかったりと思いのほかてこずってしまった。約二時間後、どうにか燃料タンクの取り付けを終えて新しいガソリンを注入。あのゴミだらけのタンクからガソリンを吸い出したときの記憶がにわかによみがえる。イグニッションスイッチをオン、フューエルメーターは勢いよくFの方向に針が振れる。スターターを回すとエンジンは目覚めた。嬉しい…。これにて燃料系の修理は全て終了した。ミニエースのダニオくんは自ら持つ機能でエンジンがかかるようになったのだ。ちょっと大げさだが、まともな姿でエンジンすらかからなかったことから考えると車としての機能を全うできるようになっただけでも素晴らしいことである。
 しかし一方で一敗地にまみれた。ブレーキフールドを入れるべくマスターシリンダー上のリザーバータンクを取り付けた。後に調整するにしても取り合えずの値はだして置こうとフロントのブレーキ調整をしようとしたのだが、どうもおかしい。ブレーキシューをブレーキドラム一杯に中で広げて4コマアジャスターを戻せばいいのだが、4コマ戻したくらいではドラムが回らない。回るようにすると6から7コマ戻す。それにやっているうちにいくつアジャスターを回したのかわからなくなるはで素人整備の限界を痛感。それよりも車両の運行上、自分以外の見知らぬ人に危害を加えるわけにはいかないので、ブレーキだけは急遽いつもの修理屋さんに任せることにした。これで来週には走って、曲がれて、止まれるミニエースが確実に完成する。自賠責保険にも来週から1月の間加入した。あとは仮ナンバーを取りにいくだけである。東京の多摩地区では休日を除く5日間しか仮ナンバーを取ることができないと言うので、仮ナンバーの申請は来週でいい。
 仮ナンバーの話が初めて出てきたところで、ネタばらしを一つ。実は年が明けてからというもの、家に帰っては毎日ガレージでよる遅くまで何かやっている。恐らくガレージのあるところの近所からは不審者だと思われているに違いない。しかしなぜそうまでしてこの時期にしゃかりきになって整備をしているのか。
 実は来週の25日に行われるニューイヤーミーティングにこのミニエースのダニオくんを持ち込むのである。これを見ている方でニューイヤーミーティングに行く方には是非見ていただきたいものである。トヨタ純正スポーツ800の部品取りと揶揄された車ではあるがその実、僕たちはあまりにもミニエースのことを知らなかったということに気が付くに違いない。予定よりは少し遅れたが、どうやら来週には走り出せる目途がたった。
01/17/2004

いや、乾いていた!燃料タンク組み立て完了

 塗装から24時間、こんなに寒くてもこれだけ時間があればちゃんと硬化していた。今日は塗装なった燃料タンクについていたフューエルゲージとホース類を取り付けた。
 長かった。外した燃料タンクを見たときには僕に治せるのだろうか真剣に悩んだが、ようやくこの日を迎えた。この週末にはミニエースに乗せられるだろう。
01/16/2004

本当に乾くのか?燃料タンクの塗装終了

 台風並みの低気圧が出来ている今日、北風吹きすさぶ中燃料タンクの塗り残した部分を塗装した。これにて燃料タンクの塗装は終了する。
 しかしあのPOR15っていうのはどうにも煮え切らない塗料だ。実は昨日燃料タンクを塗ろうと思っていたのだが、先日使った刷毛が塗料で固まってしまっていたのである。このPOR15、硬化した後に薄め液で洗ってもダメなのだそうだ。使用後きちんと薄め液で洗ったのに、刷毛二つがオシャカである。こんなことなら端から刷毛は捨てる心算でいて、薄め液は買わなければよかった。だから今日は新しい刷毛を買ってきての塗装である。
 帰ってきてからはフューエルゲージの用意だ。実はフューエルゲージは去年のニューイヤーで何故か新品を手に入れていたのでこれを使うことにしている。古いゲージもあるが、こういう機会でもないと新品は使わないだろうと思い切って使うことにした。ただし、これに付いているハーネスがいけない。長さは短いし、端子が丸ギポシのところが平ギポシになっている。このハーネスだけは作り直した。タンク上部を這う燃料ホースの用意もできた。明日に塗料が乾いていたら組みあげよう。
01/15/2004

思わぬ障害が…。ミニエースのブレーキマスターシリンダー交換

 ミニエースの修復も大詰めに来ている。今日までの間に、燃料タンクの方では表面の錆取りが終了。外側をPOR15の黒で塗装を開始した。ブレーキの方ではブレーキマスターシリンダーを交換した。
 燃料タンクの錆取りは思いのほかはかどり、今日塗装を開始。いきなり全部塗ろうとすると、タンク自体を置いておく術がなくなるので、燃料タンクの一方はまだ塗らないでおいてそのままにし、そこを下にして塗装した。POR15は初めて使ったが、なんだかよくわからない性質の塗料だ。はけを入れた感じでは粘度が高く素材に食いついてなかなか垂れてきそうにない感じであったのに、意外と流動性はある。新聞紙をひいて直に置いておいたのだが、そこまで垂れてしまったので急遽タンクに下駄を履かせることにした。説明書きによると塗装後3時間から5時間で触れる程度に硬化するとある。夏ではないのでその5時間というのを信じていたのだが、いざやってみると5時間でも硬化しなかった。予定では硬化したあとひっくり返して塗っていない部分を塗って今日一日で出来上がり!というのを期待していたのだが、そうはいかなかった。乾燥させるのに不本意ながら自分の部屋にタンクを入れた。今、こうして書いている横には黒々とした燃料タンクが聳え立っている。
 ブレーキのマスターシリンダーの方は少し手間取りながらも何とか古いマスターシリンダーを外し、既にオーバーホールしている新しいマスターシリンダーを組んだ。しかし、リザーバータンクとマスターシリンダーを結ぶホースがなんだか頼りない。断面には細かい亀裂も見えるし、もとからやわらかいホースとは言ってもこれはどうも…という感じだ。もしかしたら新品の部品がでるかもしれないという淡い期待を寄せてホースを発注した。なければ今のまま使おう。
 昨日はミニエースのトラックから部品取りをさせてもらって、エンブレムをつけるクリップとウォシャー液のパイプを繋ぐジョイントを手に入れてきた。ジョイントの方はそこにいたるホース自体がなかり堅くなっているため交換が必要と判断した。取り合えず今回はエンブレムがつくようにしただけにした。漸くフロントマスクにトヨタのマークがついた。なんだか俄然車らしくなってきた。
01/13/2004

右で終わり。ミニエースのブレーキ組み立て完了。

 今日の夜、ミニエースの右リアのブレーキの組み立てを終了した。これにてブレーキ本体の組み立ては終了。ブレーキのマスターシリンダーを交換して、ブレーキフールドを入れればブレーキは使用できることになる。
 流石に一度やっただけのことはあって要領は覚えた。今日はものの30分ほどでブレーキの組み立ては終了した。後の時間はリアのブレーキドラムを研磨して、リアアクスルに納めた。後はホイールをつければまた再びタイヤで地面に立つことになる。
01/10/2004

今の軽自動車と変らない?ミニエースの左リアブレーキ組立完了

 実は結構気にしていた所だったが思ったよりも簡単に終ってホッとしている。ミニエースの左のリアブレーキの組み立てが完了した。
 実はこの年式のミニエース、リアブレーキはオートアジャスト式になっているのである。故に手元にあった極初期のミニエースの修理書はこの部分に関しては使えないのである。手がかりはバラす前に撮っておいたリアブレーキの写真。最初はそれでもミニエースの修理書を参考に組み立てていたが、どうにも途中から組みあがらないで困ってしまった。
 信頼できる筋に相談しながら組んだのであるが、結局フロント側のシューをホールドダウンスプリングで固定して、ブレーキ上部のアジャスターをベルクランクになる金具と一緒に組みリターンスプリングを両方のシューにかけた。そして、修理書にはシューを組むとき最初から付けておくようにと書いてあったシュー下側のスプリングを最後に取り付けることで組み立てを完了した。
 と、まあこういうふうに書くと簡単だが、ここに行き着くまでにはあーでもないこーでもないと結構悩んだ。シューの表面はシリコングリスのついた手で触ってしまうし、いらぬ手間がかかった。この組み立ての方法、現在の軽自動車のリアブレーキも同じような手順で組むそうだ。ブレーキの機構なんてそんなに変っていないのだなぁと感じてしまう。
 
01/08/2004

部品の神はいた。ミニエースのブレーキホイールシリンダー入手

 僕の部品の神様、ありがとう。必要な時に必要な部品が手元にくるなんて、神がついているとしか思えない。
 先日、ヤフーオークションでミニエースのフロントブレーキホイールシリンダが新品で出ているのを見て、思わず入札してしまった。フロントブレーキのホイールシリンダーは欠品しているのは既にお知らせした通りだ。なので、どこのものかはともかく手に入るものなら取り合えず手に入れておくべきものである。幸い、凄く安い値段で落札され、先日筆者の元に届いた。今日漸くその中身をみたら、先日不本意ながらオーバーホールした左フロントのホイールシリンダーであった。なんて偶然だろう。期待をしていなかっただけに嬉しさと驚きようは大きい。ただし、もう既にフロントブレーキは組んでしまったあとなので、仮にオーバーホールしたホイールシリンダーからブレーキフールドがもれるようなことがあってもこれで大丈夫である。
01/07/2004

迷う…。リアブレーキのホイールシリンダー交換

 今日はリアブレーキのホイールシリンダーの交換を行った。リアのブレーキというと、サイズが若干違う二種類のホイールシリンダーが手元にあることはお伝えした通りだが、どちらを使おうか最後まで悩んでしまった。取り付けるネジ穴の位置は同じ、フレアナットの入るネジの径も同じ。つまりどちらも使えるわけである。しかし、結局前のオーナーが取っていたホイールシリンダーを使うことにした。理由は簡単、そちらの方が古いからである。外したホイールシリンダーは見事なくらい固着していた。ピストンを押してもびくともしない。
 一方、燃料タンクの錆取りは着々と進んでいる。タンクシーラーをこぼしてしまった部分は空研ぎペーパーがなかなか立たず゜研ぐのに苦労した。逆にいうと、この強力な塗膜がタンクのなかで出来ているという訳で、これはこれで喜ばしいことである。次々と新しいタンクの地金が顔を出している。
01/04/2004

意外と楽かな?燃料タンクの錆取りに着手

 錆とりと言っても燃料タンクの中の錆ではない。外側の錆である。中を綺麗にしたんだから外もそれ相応にしたいと思い、少しではあるがタンク表面の錆を取り始めている。今月の表紙を見ていただくと状況が少しはわかると思うが、ダニオくんのタンクは上面が永年の風雨にさらされてもとの塗装はなくなり、厚い錆の温床となってしまった。対して下面は厚いアンダーコートの塗装に覆われて錆はあまりない。しかし、ないからといって安心はできない。実働していた十年の間にアンダーコートの質も変っているらしく、パリパリに堅いがもろい塗装や逆にガム質のやわらかい塗装など部分によっては入り乱れており、かえってやりずらくなっている。この塗装の違いだけ見ていても、アンダーコートに要求している性能の違いがよくわかってなかなか興味深い。何よりこの塗装の上から塗装をしても食いつかない。上面下面とも塗装を剥がなくてはならない。
 さて、粗めのペーパーをあてて研いでみたところ、錆の進行は幸い表面だけのようで、思ったよりやわらかい錆であることが判明した。一部だけ綺麗に研いでみると地金の綺麗な鉄板が出てきた。燃料タンクは細かく入り組んだものではないので、研ぐのも楽かもしれない。
01/03/2004

意外とあっさり。フロントブレーキ修理完了

 さて、新年最初のミニエースの修理はフロントブレーキだ。今日はブレーキシューを取り付けてブレーキドラムをつけるまでの作業をやった。ブレーキの修理はやり始める前はものすごく大変なもののように感じていたが、いざやってみるとこれがなかなか思ったよりも簡単だったりする。シューがちゃんとブレーキシリンダーの溝に入るのかな?シューホールドダウンスプリングはきちんと留められるのか?アジャストナットはちゃんと回せるのか?シューの表面にいらない油分などつけたりしないだろうか?など、いろいろ心配したが全て杞憂に終った。
 作業は夜の10時から始めて11時半には終了していた。本当はフロントタイヤを付けて馬から下ろしたかったところだが、冬の寒い折、タイヤの空気圧が少なくなっているのと、馬から下ろすのにガレージジャッキが必要なので、明日いつも行っているタイヤ屋さんに行こうと思っている。
01/03/2004