奇怪…。オイルフィルターエレメントを交換

 何が奇怪なのかと言うと、あのオイルのコンディションとオイルフィラーキャップ周辺の汚れ具合から想像すると、オイルフィルターケースの中は経験上スラッジが下に体積していたりするものである。現に、この間開けた別のエンジンはフィルターエレメントの下はスラッジが堆積していて、それを綺麗にするのにマイナスのドライバーでほじってスラッジを削り落としたのだ。しかし、今回はオイルはそれ相応に汚れてはいたが、スラッジの体積はなかった。この理由を探しながらのオイルフィルターエレメントの交換だったが、自分が納得できる答えが見つからない。
 しかし、一応の仮説は立てた。事実を列記すると、エレメントがオイルの汚れの割にはしっかりしていた(ましてや20年間オイルにつかっていたものであるのでぐずぐずになっていても当然なのだが)。そして、エレメントの下を支えるワッシャがなくなっていて、やはりその上でエレメントの底部を支えているゴムのガスケットが平らでなければいけないのに斜めに湾曲していたのである。
 以上のことから考えると、このエンジンのオイルは必ずしもエレメントを経由していなかったのではないだろうか?結果スラッジも沈殿するまもなくオイルと一緒にエンジン内を回り、エレメントは本来の役割を果たさないまま20年という時間が経過しても尚しっかり形になっていたのではないだろうか。全ては底部にあるはずのワッシャがないことによって引き起こされたものと思われる。このワッシャ、やはり下につくゴムのガスケットと共に外側に入ってくる汚れたオイルとエレメントを通って濾されたオイルとを隔絶するという、意外と大きい仕事をしているのではないだろうか。たかがワッシャ、されどワッシャなのである。一方で、これがないエンジンが結構あるのには驚かされる。
 作業の方はオイルフィルターをつけ、新しいエンジンオイルを入れたところで終了。オイルフィラーキャップの錆と油うんこが凄いので、口にウエスをつめてキャップは持ち帰った。あしたはこれを綺麗に洗って、錆を取ることにしよう。
08/30/2003

エンジン復活へ着々と。エンジンオイルを出す。

 ガソリンの吸出しに引き続いていよいよエンジンに着手することにした。エンジンはオイル交換に始まりオイル交換に終ると言われているように、先ずはオイルを交換することにした。
 ダニオくんはヨタハチ、パブリカと同じクランクケースであるから、オイル交換など筆者にとっては大した作業ではない。まず、オイルフィラーキャップを外し、レベルゲージも抜いて空気の通り道を作る。下にもぐってドレンプラグを外して…などと思ったらこのドレンプラグが回らない。何度やっても駄目。素人整備なんてこんなものである。基礎的なところで必ず躓く。こんな時は特に工具不足を憂う。こんなのインパクトレンチがあったら一瞬で開くんだろうなぁと思った。…いや、あるじゃん。筆者には直線距離にして30メートル先のトヨタビスタのディーラーの姿しか目に入らなかった。そこの工場でインパクトを借りてあければいいじゃん。工場まではどう運ぶか?そう人力で押すのである。普通の車ならこんな事は考えないがそこはそれ、車体が軽いことで有名なパブリカ系車両である。行程100メートルほどを一人でダニオくんを押して行くことにした。
 結果から言おう。これは失敗した。750キロで小さい車とは言え、やっぱり車は車である。これを人力で、しかも一人で押すなんて無謀だった。それまで気が付かなかったが、ガレージの前の道は少し登っていた。これを押していくのには結構大変な力が必要だった。途中からは下り坂になるのだが、余裕で指かなんかで押していたら弾みがついてしまった。ダニオくんの行く手を阻むように前に立ちはだかり必死になって止めた。危うく通りの多い道に出て行ってしまうところだった。
 ディーラーについて、柄がもの凄い長いスピナーハンドルでディーラーの整備の人がダニオくんのドレンを開けはじめる。「そんな、いくら長くったって、スピナーハンドルじゃ…」と思っていたが、そんなに苦労なく開いてしまった。
 帰りが又大変だった。帰りは登り坂のみ。エジプトのピラミッドを作った奴隷もかくありなんと言った感じでダニオくんを押した。なんとかガレージに再び収めて、作業を再開したが折からの高い気温とダニオくんを押した疲れで、集中力が途切れ作業どころではなくなってしまった。結局、エンジンのオイルを出してフィルターケースを外そうと作業をはじめたところで、気力がなくなった。出てきたオイルは軽くペースト状になっていた。前オーナーにいつ換えたかきいたところ、換えていないという。しかし、数年前にエンジンをかけたのではないかという筆者の問に、足りなかったからたしただけという答えが帰ってきた。ということは、あのエンジンオイルは少なくとも20年前から換えていないことになる。道理でペースト状な訳だ。
 結局作業を中断するような形で結局帰ってきた。車を押してディーラーまで持って行くんじゃなくて、スピナーハンドルを借りてくれば良かったんじゃないの?と疑い始めたのは夜寝る前だった。

前途は暗い…。ミニエースのガソリンを抜く

 そこかしこに問題もあるが電気も通ったので、今度は燃料系。ということで、今日は燃料タンクに入っているガソリンを抜くことにした。このガソリン、前オーナーがタンクが錆びないようにと置き始める前に(この時は自走したそうだ)ガソリンを満タンにしてくれていたのだ。ところがこれがあだになった。身動きの取れないダニオくんであるので、整備するにしても我がガレージでしないといけない。タンクのドレンプラグから抜けばいいだろうが、満タンにしているということで、30リットル以上のガゾリンが入っている。そんなタンクのドレンを開けたらどうなるか賢明なみなさんならお分かりになるはずだ。特にガソリンは既に腐っているのだ。ということは、給油口から出すしかないのである。灯油をストーブのタンクにいれるときに使うポンプ、あれを買ってきて加工して使うか、なんて思いながらカー用品屋さんに行くと、なんと今の僕にぴったりなものが売っていた。手動のポンプでポンプの玉の両サイドにホースがついている優れものである。本来はガソリンを携行タンクから吸い出して使う(タンクについているホースを使えばいいとおもうが)ものなのだが、タンクから吸い出したって誰に迷惑をかけるわけでないからいいだろう。世の中にどれくらいの人がミニエースのガソリンタンクからガソリンを抜く作業をしたか定かではないが、きっとこの品物を開発した人はミニエースのガソリンタンクから腐ったガソリンを抜いたことのある人に違いない!
 給油口を開くと案の定腐ったガソリンのにおいがする。シュポシュポとガソリンを吸い出すと、赤いはずのガソリンが黄色になっている。その黄色い液体の中をふわふわと漂うものがあることに気が付いた。錆である。錆びないようにとの配慮も空しく、しっかり中が錆びているようである。いや、今に始まったことではないのかもしれない。タンクにガソリンを入れても始動せず、ウォッシャー液の入っていた容器を改造したなんちゃってガソリンタンクでやっと動いたというのだから。燃料系は端から端まで手を入れないといけない。
08/24/2003

漸く口説き落とす。ミニエースのタイヤを処分

 少し前に、いままでついていたホイールを外して、今は表紙の如くエンケイコンペエイトを履いているとお伝えした。今日、永らく外したままで置いておいたミニエースのホイールからタイヤを外し、タイヤは処分することができた。
 できた、というのもなんか変な話であるが、既に一度タイヤを処分してホイールだけにしようと行きつけのタイヤ屋さんにいったのだった。しかし、タイヤ屋の親父は持ち込んだホイールの状態に恐れをなして外す作業を一度拒否したのだ。まあ、無理もない。裏は泥だか錆だかわからないもので赤茶色になっているし、ニップルの入るところは4本ともきっちり錆びているし、タイヤはタイヤで、70年代そのまま。一本はトレッド面が剥がれていてベースのスチールコードが錆て剥き出しになっている状態である。実際、外したときに剥がれた錆やら埃やらで機械が汚れてしまった。処分する費用もちょっと考えさせられるものだった。どうしても捨てたいと言った所、全部で3000円ならいいと言ってくれた。3000円、捨てるためだけに3000円…。一瞬躊躇したが今ガレージに積んでおいてあるだけで中が汚く見えることや、意外とでかく置くためのスペースのロスを考えると3000円なら安いと思い、それでもいいから作業してくれるように頼んだ訳である。
 コードが錆びているからだろう、いつもよりも大きな音を立ててタイヤがつぶれ、ホイールから外していく。タイヤはまんま70年代、2本はブリヂストンのRD−201だが、一本はオーツタイヤ、そしてもう一本はニットーのタイヤ。いかにこのミニエースが大事にされていなかったかがよくわかる。タイヤを外してみるとなんとチューブが出てきた。流石は70年代のままである。ホイールはやはりニップルを中心にした周辺の錆が酷い。昔はタイヤ屋さんでも、ニップルの穴をあけなおして元の穴は埋めるという作業をしていたらしいが今は流石にそんな作業はないらしい。錆のことも含めて板金するしかない。
 ここで、読んでいる皆さんは気づくはずである。ヨタハチのホイールって一緒じゃないの?だとしたら出るじゃん、と。そう、ホイール自体は出る。しかし、新車当時からついているホイールはそう簡単にはでないだろう。ここまでバカなことをしているのも、全てはホイールが4本とも当時のオリジナルだから、これだけの理由である。
 
08/09/2003

ミニエースバンのダニオくんを初公開

 ミニエースバンのダニオくんの話でここ数ヶ月持たせてきたが、そろそろネタ切れてきた。今まで画像などは一切出していなかったが、トヨタスポーツ800オーナー及び、パブリカオーナーに実物を見せると何だか素晴らしい反応を示すので画像の公開をしようと思った。
 トヨタ純正スポーツ800の部品取りと揶揄されているミニエースであるが、そのミニエースのしかもトラックではなくバンとなると、かつてミニエースを部品取りした経験のある諸氏にとってもなじみはないのではないだろうか?昭和48年3月発行のミニエースのカタログのコピー、「街のミスター・スマート」の意味するところがこの写真でよくわかると思う。ダニオくんは現在、かつて44ヨタハチに履かせていたエンケイ・コンペエイトを履かせている。これ一つでスピード感が増して見えるから不思議だ。

 ここで、主役の44ヨタハチ情報。リフトが開いたので作業にかかるのかと思いきや、まだ作業にはかかっていなかった。開始はお盆明けかもしれない。
08/03/2003

バッテリー充電完了!ミニエースの電気系をテスト

 バッテリーのチャージが終わり、いよいよミニエースのダニオくんに戻した。灯火類をテストしたが、ストップランプがつきっぱなしになる、ヘッドライトが点灯しない以外は、全て作動した。ヘッドライトが点かないのはシールドビーム自体が駄目になっている可能性が高い。ストップランプはランプスイッチがバカになっていたので、これさえ換えれば大丈夫。エンジンの電気系であるが、スターターモーターは作動しているモーター音はするもののスターター自体は回っていない。ワイパーモーターは動きが渋く、ブロワーモーターは動かなかった。そんな中、希望を持てたのはラジオであった。スイッチを入れると、素晴らしい音質で鳴ったのだ。おそらく20年以上ぶりに電気が通ったのにも関わらず、きちんと作動してくれた。
08/03/2003