間一髪!純正ホイールと判明

 古いタイヤがついてすっかり錆びてしまった鉄のホイールを捨てようといつも行くタイヤ屋さんに行った。リムに錆の花が咲いてしまってもうこれはどうしようもないな、と思いホイールごとタイヤを処分してしまおうと思っていた。「ちょっと待ってよ。とっておいたら?」とタイヤ屋の親父が言うので、どうしてかと聞いてみたら、当時ものの純正だという。良く見るとホイールに打刻があってそれには74 7と書いてあった。つまり昭和49年の7月に生産されているということである。それが4本とも同じ打刻である。ミニエースの登録が9月だから、これはぴったり符合する。当時のカタログをみると、そこに写っているミニエースバンは銀色のホイールをしていたので、今塗られているガンメタリックは塗り替えたものに違いないと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。一転、ホイールは取っておくこととした。
04/17/2003

座り心地よし!ミニエースのシート付く

 陰干しの後ガレージ内で外したままにして干してあったシートをいよいよ市販のシートクリーナーを吹いて汚れを取ることにした。スプレーから放たれて白い泡がシートを一面覆う。泡が引き気味になったところで付属のブラシでシートをブラッシングすると、シート生地のシボに入っていた埃が大量に浮き上がる。これを乾いた雑巾で拭きあげる。この作業をフロントシートの背もたれと座面、そしてリアシートにする。その甲斐あってシートがしっとりとした黒味を帯びて綺麗になった。とはいうものの、そのまま座る訳には行かないので乾燥させがてら、サイドブレーキレバーの交換をする。二箇所クリップで止まっているピンを外して、取り替えればいいだけの作業なのだが、これに結構手間を取った。というのも、小さなスプリングの向きがわからずに、何度やってもレバーが止まらない状態になったからだ。結果的にはこれがよかったのだが、今日の東京地方の汗ばむような陽気のおかげでさっき洗ったシートはすっかり乾いていた。最初にシート座面を載せて、ボルトを留めたあと、シートバックを取り付ける。実は、このミニエースが来てからというもの、シートに一切座ることがなかったのである。普通なら喜びのあまりシートがいくら汚れていようとも座ってしまいたい衝動に駆られそうだが、湿っぽさが最後までそれを思いとどまらせてくれた。さあ、初めてミニエースに運転姿勢で乗ってみたが、想像したのよりも意外とヘッドクリアランスはある。ベンチシートも座ってみると意外と収まりはいい。難を言えば、前後方向の余裕がない。そのため、ひざから下は真っ直ぐ下に向いているような感じだ。ペダル操作もややしにくい。
 作業を始めたら意外と早く終ったので、もう一箇所気になる所に手を入れた。リアゲートである。ドアストライカが全く動かず、ドアを閉めてもとまったままにはならないのである。リンケージ、キーシリンダーなどをばらしてみたら、潤滑するはずのグリスがかちかちに固まってしまい、動かないのがわかった。ブレーキクリーナーでグリスを落として、乾かしたあとシリコングリスをくれてやった。ボディ側のストライカーの位置が悪かったのでそれも調整してきちんと開閉するようになった。この作業で内装を外したので、リアゲートの凹みも直すことにした。以前屋根を叩いた時の様子を思い出す。凹むのに力がかかったところがどこかよく観察し場所を決めたら、リアゲートが半分空いてる状態にして筆者の右アッパーを食らわせる。乾いた音を一つ残してリアゲートの凹みはとりあえずなくなった。
 作業後、少し離れてミニエースを見たが、少しずつ生気を取り戻している感じがした。ヘッドライトとエンブレムがついたら、かなり良くなるのだろう。
04/14/2003

ローダウンしかないか…ミニエース作業進む

 今週の金曜日は休みであったため、ミニエースにかまってやることが出来、結構作業が進んだ。
 先ず最初はフロントのシートを外した。室内清掃の邪魔をしている上に、何だか湿っぽくてそのまま座るにはどうも…。そこで外して陰干しをすることにした。背もたれを留めている金具を外すと簡単に背もたれがはずれ、シートクッションを留めているボルトが現れる。四箇所あるボルトを外してシートクッションを外そうとすると、なかなか外れない。シート生地が切れないようにシートをゆすると漸く外れた。しかし、そこに待ち受けていたものは見た事もないような状態の錆。赤ならまだいいがオレンジ色をしていた。シートクッションの骨が湿気を帯びてさびていたのだ。それも綺麗に運転席と助手席の下両方。幸い、フロアに穴をあける程のものではなかった。錆を箒がけして払うとさび付いた百円玉が現れた。綺麗にしてくれる筆者へのお駄賃だろうか?
 ジャッキも手に入れていよいよタイヤとホイールを交換した。薄汚れてしまった鉄ホイールを外して、最近までヨタハチに履いていたエンケイコンペエイトを履かせる。作業を終えたミニエースを見て筆者は言葉が出なかった。…くっ、カッコイイ!おおよそスポーティとは言えないミニエースバン、それがホイールを換えただけで何だか躍動感が出てきたから不思議だ。ただ気になるのはタイヤハウスの広さ。もとよりタイヤハウスの空間が大きいミニエースにハイトの低い70タイヤ付きのアルミホイールなんかつけたものだから、タイヤハウスのお化けのようになってしまった。
こうなったら、ローダウンしかないか?その瞬間、バニング系のカスタムをやる人の気持ちがちょっとわかった。
 車内の箒がけと雑巾がけをして綺麗にしたあと、荷室と運転席を仕切るパーテーションボードを部品取りのものに換える。
 一方、陰干しの進んだシートを先ず雑巾がけする。陰干しした甲斐あって、ヘッドレストについていた黒いカビはすっかり乾いて雑巾でひと拭きしたらあっと言う間になくなった。それでも、シート生地のシボに間には埃が入ったまま取れない。これは日を改めてシートクリーナーを使ってやらなければいけないだろう。
04/13/2003

フロアマットを確認!第一回部品取り車解体

 先日、車体代をお支払いできたので漸く筆者のものになったミニエースバンのゴン太くん、そのゴン太くんのために部品取りのバンから部品を少しであるが外した。今回は荷台にある部品を中心に絞って部品を取ることにした。今回の目玉は、なんと言ってもフロアマットである。筆者のミニエースにはホックがあるにもかかわらず、フロアマットがなかった。フロアマットを外すのなんか簡単だと思うだろうがそうは問屋がおろさないのはわかっていた。前オーナーの持ち物の部品が荷台にはあり、フロアマットを外すということは、それらを全部一度下ろすことを意味する。中でも最高に手間取るのは毛布である。この部品取りのミニエース、既に屋根に穴が空き雨が降れば荷台は水だらけ、当然この毛布は水をたっぷり含むことになる。
 軍手越しにも触るのはちょっといやだったが、荷物を全部出してフロアマットを外してみると、これが思わぬ幸運をもたらした。毛布が含んだ湿気と部品から落ちる油分でフロアマットはぐちゃぐちゃだったが、この適度なぐちゃぐちゃ具合がフロアマットに弾力を与え続けていた。マットはところどころに切れたところはあるものの、古いマットにありがちな日に焼かれて縮んでしまったということはない。
 この日はこのマットの他にホック、運転席と荷台を区切るパーテーションボードを含む荷台の内装一式、そして時間があったので、ゴン太くんのが折れてしまっているサイドブレーキレバーとだるまジャッキを外してもって帰った。
 最後に前オーナーのところに寄っていくと、当時のミニエースグッズをもらった。販促用のミニエースのシールで、いかにも70年代という感じのサイケなデザインのシールであった。これは貴重すぎて使えない。価値ある一品である。
 しかし、以前にミニエースのトラックを解体したのだが使える部品は徹底的に取ろうと思うと、一度で解体は終らないものだ。この日も三時間ほどやっていたが、部品を取るよりも取った部品の保管に時間がかかる。エンジンなどの大物パーツはまだまだ先のようだ。
04/08/2003

喜びと共に謎もまた…44年式サブカタログを入手

 その存在は知っていたが、まさか手にできるとは思っていなかった。44年式スポーツ800の資料としては基礎にして最大の情報源と思われていたサブカタログが手に入った。これはどういうものかというと、後期のスポーツ800のカタログに追加されるリーフレットでこの組でもって44年式のカタログとなるものである。内容としては、44年式となって変更されたところをそのリーフレットで補っている。表は銀色のスポーツ800の写真が大きく出ている。裏には変更されたところを説明している。我がホームページを応援してくれているファンの方からの厚意である。ありがたいことだ。
 今回手にしたものは原本ではなくコピーであるが、なかなか綺麗にコピーされていて資料としての価値は充分すぎるほどある。自動車趣味をするに当って、紙ものは資料的価値以外は認めないでいこうと誓いを立てたので、原本を大枚はたいて買う心算はない。なぜなら、筆者はレコード収集を趣味にしていたとき嵌りすぎてしまい中身は変らないレコードを盛大に集めすぎ身を持ち崩しかけた経験があるのだ。
 中身を読むと一つ気がかりな記述を発見した。「5 迷惑をかけない安全」というところで、「フェンダーミラーも丸型の可動式」となっていた。「可動式?…これってまさか…」実は、今まで裏づけがなかったのでどこにも書かなかったのだが、44年式トヨタスポーツ800は純正の状態でカローラSLやKP31パブリカに使われているミラーが付いているという情報を得ていた。この記述はその裏づけになる。
 「道路運送車両の保安基準詳解/交文社 刊」第2章 自動車の保安基準、第44条(後写鏡等)の部分を精査すると、筆者が44年式トヨタスポーツ800が誕生するきっかけとなったと言っている昭和43年7月運輸省令第28号によって、フェンダーミラーが歩行者に当った時に衝撃を緩衝できる構造であることと規定が追加されていることが新たにわかった。その結果、このミラーが使われることとなったようだ。ただし、このミラーは初期の段階では使用されることはなかったようだ。筆者の分類したところの44年式12型あたりから使用されはじめているようだ。ただし、実物の44年式でこのミラーをつけている車を筆者は見たことがない。
04/02/2003