少し愛着が増す!ミニエース、ステッカーチューン

 どうしても何やっても回らなかった左のリアのホイールナットが漸く回った。どうやって回したかというと、火あぶりの刑である。ナットをトーチであぶって軽く煙を上げている所でCRCを吹く。潤滑液は熱っせられてもうもうと煙を上げるがそれでも吹くのを止めない。そうこうしているうちに、暖められて膨張し外に広がった(といっても、100分の1ミリ単位であるが)ナットのねじからCRCが入り込んでナットが弛むという寸法である。二つのナットはこの作業を二回繰り返したら素直に回ったが、一つはこの作業を三回、最後まで残った一つは五回やっても緩もうとはせず、頭に来て逆に締めこんでみたら苦もなく回るようになった。がんばれロボコンの歌ではないが、押してだめでも押し捲るでは駄目だったのだ。この辺は男女の機微に似ている。
 さて、ホイールナットに人生勉強させられている暇はない。気分がいいので更に手を加えることにした。前回窓に貼ってあったステッカーをはがしたが、この時実は貴重なステッカーも亡きものにしてしまったのだ。当時ものの無鉛ガソリンステッカーである。そう筆者の所のミニエースバンは昭和49年式なので、生産当初から無鉛ガソリン仕様なのである。
 無鉛ガソリンステッカーなんて、珍しく無いじゃんという貴方!今の新車にこのステッカーがついていないの知っていました?平成元年式のブルーバードに乗っている筆者にとっては、あのステッカーはあって当たり前のものでした。よる年波には勝てず、筆者の家ではブルーバードー代替計画が進んでいてめでたく次期ファーストカーはカローラフィルダーに決定したのだが、その品定めの際に若いディーラーマンとの会話で「あれ?無鉛ガソリンステッカーついていないんだ」「…ガソリンに塩って入っているんですか?」という、無鉛と無塩を間違えた会話で筆者は初めて気が付いたのである。いくらなんだって、ガソリンに塩は入れないだろう。まあ、かつてはいやな奴のバイクのタンクに砂糖をたっぷり入れてエンジンを焼きつかせてあげたりはしたが、醤油じゃないんだから勘弁して欲しい。
 話は戻るが、ここでかつて洒落で新品部品として取っておいた無鉛ガソリンステッカーがモノを言った。もともとついていた位置であるリアゲートの向かって左の下に新しい無鉛ガソリンステッカーを貼る。そして、リアウインド中央下には我がパブリカオーナーズクラブのステッカーを貼った。うぅぅぅん、なかなか素晴らしい。これだけでもかなりこのミニエースに愛着が増した感じである。ついているものが新しくなると、生命感が増す感じがするのは何故だろう。嬉しくなったついでに助手席の三角窓にも小さいステッカーをつけた。
 一方で我が44ヨタハチは生命感がなくなりつつある。まだ作業には着手されていなかった。もっとも、今回作業にかかれば、エンジンとミッションも降ろされるためにもっと生命感がなくなる感じになるので、あまり見たくない姿である。早くエンジンとミッションを降ろして、整備に着手したいものだ。

前途多難…。ミニエースのホイールナット回る!

 我がガレージにミニエースが来て今日で6日になる。その間、何もしていなかった訳ではない。いや、正確を期すなら何もできなかったといった方がいいだろう。
 実は運び込まれたミニエースは右のフロントタイヤのトレッド面が剥がれ落ちて、下のスチールコードが盛大に飛び出している状態になっている。来て最初の作業は今ついているタイヤ4本をホイールごと外してそれまでヨタハチに付けていたアルミホイール付きのタイヤに履き替えることにした。しかし、このタイヤで一体どんな走りをしたのか?もっともタイヤ自体も相当古い。そのタイヤが作られた時期を知る手立てを知っている人にはどの数字を見ればわかると思うので敢えて書かないが、数字の末尾が7であった。しかし、この7が指し示す年が問題である。このミニエース、昭和58年の10月には抹消登録されている。つまり公道を走ってはいけないということになる。そんな車のために1987年、即ち昭和62年にタイヤを新調するだろうか?そうなるともちろん1997年という線もない。そう、この数字と書類から判断できるのは、このタイヤは1977年、昭和52年に作られたものということだ。このタイヤをつけているホイールナットがなかなか弛まない。ボルトのねじ山は錆で埋まり、ナットとホイールの接するところもご丁寧に錆びている。実は到着した次の日にナットを緩めようとしたのだが、びくともしなかった。断念した帰り際、CRC5−56を嫌というほどかけて家に帰ったのだ。
 そして今日、再び見てみると錆びがCRC5−56を完全に吸ってしまって、しっとりといい色になっている。先ずはねじ山に乗っている錆びをワイヤーブラシで落とす。CRC5−56を吸った錆びはステンレスのワイヤーブラシでこすると苦も無く落ちた。そしてもう一度ねじ山とナットの根元に吹きつけ、しばし待った。
 待っている間にミニエースを雑巾かけした。錆びのある個所とその程度の確認をするには、綺麗にもなるのでこれが一番である。やってみてわかったが、意外と凹んでいるところが多い。外観の錆びは相変わらず。新しく見つけたところもなければ、治っているところもない。屋根に小さい穴を発見。このせいで内装が少し湿っぽいに違いない。当初は同時に中側も雑巾がけするつもりだったが、外側があまりにも汚くて中側までやる気力がなくなった。それよりもホイールナットである。
 再びホイールナットを回すのにチャレンジすると、かなり力は必要だったが、なんとか25年以上のブランクを経てナットは回り始めた。しかし、一本だけどうしても回らないところがあった。左のリアホイールのナットだけが、4つともどうしても回らない。このままではボルトごと捻じ切ってしまいそうだったので、諦めて再びCRC5−56を吹いた。ラストペネトレーターもあったのだが、それほどのものでもなかろう。
 最後にリアゲートの窓に抹消登録証上の前オーナーが貼ったステッカーを剥がした。なんだかこれだけで自分の車になった気がした。
03/23/2003

ついに到着!ミニエースバン、ガレージに収まる

 小雨が混じる中、ついにミニエースバンが本来の主がいない我がガレージに到着した。あえて納車と言わないのはなんのことはない、まだ御代を払っていないからだ。場所を移して置いているにすぎない。
 バンというとなんだか大きい車のようなイメージが筆者には付きまとう。諸元を確認して(ちなみに車体の長さはヨタハチと同じ、幅に至ってはヨタハチよりも狭い)充分に収まることはわかっているのだが、実際に収めて見るまではなんだか信用できなかった。夜9時少し前にローダーに載ってダニオ・ブルーのミニエースバンが到着。我がガレージの付近で下ろして、50メートル程を人力で押してガレージに収めた。心配は当然のことながら杞憂に終った。ガレージに収まったミニエースバンはあたかもずっとそこにあったかのごとく自然にたたずんでいた。シールドビームを外したフロントマスクは、なんだかマグロのかぶと焼きのようでちょっとグロテスクな感じがしたが、前オーナーの奥さんはミニエースバンを「ゴンタくん」と読んでいたそうだ。なるほど、そういわれてみると似ている。
 しかし問題もあった。いたるところ錆。ところにより穴あきという感じである。しかも改めて見ると屋根の凹みは凄い。ところがである、ミニエースバンが見たいがためにわざわざ来てくれた我がパブリカオーナーズクラブの会員の一人が、車内側から屋根の凹みをたたくと、あっと言う間に屋根をほとんど元通りにしてくれた。これには筆者もびっくりした。「伊達に13年車屋さんをやっていませんよ」とは、その会員の言葉である。こうなると、なんだかそのまま車検を取って直ぐにでも路上復帰できそうな気になるから不思議である。
 ガレージに灯はともるものの、辺りは闇。今日のところは精査は止めて、ガレージを閉じることにしよう。
03/19/2003

なんと車検証入れ付き!ミニエースバンの歴史に手かがり

 9日の日曜日、東京では風速15メートル前後の風が吹きすさんだこの日、我がサンバーくんを決死の思いで駆って、ミニエースの部品を受け取りに行った。
 本体を受け取るに先立ち、スペアにしていたエンジン(もちろんフルフローである。67万番台でした)とトランスミッションを中心に、新品と中古のパーツを多数受け取った。その中になんと、書類のついているミニエースバンに付いていた車検証入れがあった。入っていたのは車検証ならぬ抹消登録証の他に、整備点検記録簿そして取扱説明書である。現オーナーが引き取ってきたときに、グローブボックスの中で水浸しになっていたそうだが、いやいやどうしてその割にはなかなかいいコンディションである。横浜カローラのもので、リアゲートのディーラーステッカーとも合致する。この中には自賠責保険の証書なども残っており、このミニエースバンの歴史がこれで詳らかになる。トヨタスポーツ800やパブリカでも、その車が作られて以来備わっていた車検証入れがそのまま残っていた車を、筆者はそれぞれ1台しか見たことがない。ましてや生産当時からないがしろにされていたミニエースにそれが残っていたというのはそれだけでも驚嘆に値する。
 それと一緒に年式が合うミニエースのカタログも頂いた。これで細部もバッチリわかるというものだ。現行のダイナに使われている色に似ているから筆者が勝手に「ダイナグリーン」と名づけたその緑色のミニエースの色が実は「ダニオ・ブルー」ということが判明した。昭和44年くらいのミニエースにも同じような色があるのだが、ここには「モーリー・ブルー」とある。ダニオ・ブルーの「ダニオ」って何?モーリー・ブルーの「モーリー」って何?そもそもこれってグリーンじゃなくてブルーなの?という感じなのだが、何しろバンに限らずミニエースというと白のイメージの方が筆者には強い。水色っぽいグレーも捨てがたいところだが、このブルーというのはなかなか珍しいと思う。
03/12/2003

意外とガラクタばかり!部品棚を整理

 来るべきミニエースの搬入に先立ち、ガレージ内に置いてある部品の整理をした。いや、そのときその時では必要なものと思って取っておいたのだが、いざ整理をし始めるとあるはあるは、ガラクタが沢山出てきた。
 まずいらなかったのは、バイクの部品。ホンダNSR50用の部品がたくさんあった。そのうち、メインフレーム、フロントフォーク、リアスイングアーム、そしてレース用のチャンバーなどは最近レースをはじめた人に只でくれてやった。僕にとってはゴミ同然だが、必要な人にはお宝になる。メインフレームなんか、いざクラッシュした時にないとこの上なく困る部品だろう。それでもまだリアカウルとタンク、そして公道を走るに必要なリアビューミラーの類は残ってしまっている。
 UP系の部品でもいらないものがあった。解体した車から外したシールドビームはなぜか知らないが4個も大事にとってあったし、パーシャルフロー用のタイミングギアカバーもなぜかある。あの重たいフライホイールなんか三枚もあった。内側が削れて絶対に使えないミッションケースなどもある。これなんかはくず鉄屋さんに持っていけば、キロいくらかにはなりそうだ。
03/07/2003