これで完全に派生車種担当!ミニエース購入を決定

 パブリカオーナーズクラブに属し、しかしパブリカを持っていないことの理由付けとしてパブリカ派生車種担当と自分で言ってきたが、それがいよいよ正当性を持つかもしれない。ミニエースを買うことにした。
 ミニエースと言うと、皆さんは何を思うだろうか?トラックの方が有名であるが、今回購入するミニエースはバンである。実はそれが今回購入に踏み切った最大の理由だ。
 この車、昭和49年7月に初年度登録されている。つまりミニエースとしては所謂最終型のものである。ということは浮き彫り2Uエンジン、ダイヤフラムクラッチ装備である。現在抹消登録を受けているのだが、その抹消された日付けがなんと昭和58年の筆者の誕生日であった。これがいけない。勝手に運命めいたものを感じてしまったのだ。最初はご多分に漏れずヨタハチの部品取りにいいなぁと思っていたが(いや、あまり手がかかるようだと部品取りにならざるをえないのだが)ちょっと躊躇するのには充分である。
 新品部品多数、予備のエンジンとミッションが数基、そして部品取りのバンが付いてきてちょっと公言できないような価格である。まあ、それだからそのままでは当然の如く乗れないが、取り合えず手に入れておかないと、こういうチャンスはそうめったにない。
 直して我がパブリカオーナーズクラブのサービスカーらしき演出ができたら格好いいだろう。ドア下には「自家用」の文字、ボディサイドには「パブリカオーナーズクラブ」のロゴを入れて、ツーリングの際にはパブリカの列の殿に控えて…。ボディカラーはモーリーブルーというのもなかなかない。もっとも、板金は不可避だから何色に塗ってもいいのだが、生産当時からないがしろに扱われていたミニエースが多かったので、せめて筆者だけは大切にしてやろうと思っている。「メーカー純正のスポーツ800用部品取り」などと言われてきたミニエースだが、筆者も含めてその詳細を知る人はあまりいない。購入が決まってからというもの、パーツリストと首っぴきである。
 予感があった訳ではないが、先月のトピックスに書いたことが現実になってしまってちょっと驚いている。流石にコーチとはいかなかったが、今ではバンも立派に希少車である。近日中に「ミニエースバンのページ」が出来るのは間違えないだろう。
02/22/2003

ああ!今生の別れ?44ヨタ工場に入場す

 入れる入れると言っていてなかなか実現できなかった整備に44ヨタを入れる事となった。
 今回の入場はステアリングギアボックスのオーバーホールとリアアクスルのホイールベアリングの交換とそれに伴なう作業である。近日中にエンジンとトランスミッションは降ろして今は主のいないガレージで今までやりたくてもできなかったガスケット類の交換などの作業を行う。実はこっちの方が大変なのではと思う。同時に燃焼式ヒーターも降ろしてケースの塗装とオーバーホールを行う。タイトルが大げさだと思う向きもあるかもしれないが、筆者の出している工場はこんな気になってしまう。かつて、トランスミッションが駄目になり、デフのオーバーホールが完了するのに半年を要した。趣味の車だから、整備する方もメインの仕事が手すきの時にするので、簡単にこんなに時間がたってしまう。
02/11/2003

スーパーカー世代の憧れ、トヨタ2000GTに乗る

 「対決!スーパーカークイズ」の司会をしていたのは誰?と聞かれて、今「笑点」で座布団を配っている元ずうとるびの山田隆夫だと、即座に答えられる人は関東圏の立派なスーパーカーブーム世代の人である。鈴鹿サーキットの最終コーナーをわずかな差で立ち上がっていくフェラーリとランボルギーニの姿を見て、それが拮抗した実力の差ではなく単に演出であったと気が付くまでにはかなりの時間が必要だった。今考えるとゴール直前をわざわざスローモーションにする必要が果してあったのだろうか?
 そのバリバリのスーパーカーブーム世代の筆者にとっては少なからずあこがれだったトヨタ2000GTを運転する機会を得た。トヨタの旧車オーナー三人で会ったのだが、なかなか勉強になった。同じメーカーの違う車種に乗っている人同士で会うと、自分の知らなかった情報をこんなにも得られるのかと思い知らされた。それは他の二人にとっても同じようで、何らかの役に立てたのは嬉しい。三人が三人とも自分の車でくれば、トヨタの名前だけを冠した車が三台揃い踏みになったのだが、それは後のお楽しみということになった。
 さて、白い2000GTを目の前にして最初に思ったのは、「これ、僕の乗れるの?」である。ヨタハチに乗っているお前がそんなこと言うな!と誰かに突っ込まれそうであるが、何しろ開いたドアの面積を見たら絶対乗れないと思った。ところが、いざシートにすわり、足を車内に入れると意外とあっさり乗れた。乗降のためにドアの前の部分を大きく取ったという話はなんとなくうなづけた。前期の2000GTだったので、5速のミッションはかつて乗り回した1600GTと同じなのでよかったが、乗ってみると意外とフェンダーの鋭利な張り出しが印象的で、異様にノーズが長く感じられる。シフトを入れ、ミートの位置が高いクラッチをつなぎ、路上教習中のドライバーのごとく前に進む。前期の2000GTって後期よりもスパルタンな感じがしたのだが、走り出した感じは凄くジェントルだった。スポーツ800の中でもラグジュアリー仕様な44年式よりもラグジュアリー。流石は高級スポーツ車である。スパルタンさで言えばヨタハチで130キロ以上出すほうがよほどスパルタン、というか、向こう見ずである。
 オーナーはこれで公言を憚るくらいのハイスピードで走ると言っていたが、なるほど、これはそんな感じである。せいぜい60キロくらいのスピードしか出さなかったが、出しても大丈夫だというポテンシャルを感じた。
 その後、筆者のヨタハチを駐車できるところに移動するため動かしたのであるが、非常に軽く感じた。2000GTの方が鈍重というのではない。動くためのエネルギー感がヨタハチの方が少なく感じたのである。
 結局、いろいろとお土産をもらって帰り始めたのが1時半ころだったろうか?すっかり空いてしまった首都高を乾いたエキゾーストを轟かせ家路に帰った。
 久し振りにお馬鹿な時間まで車をネタに遊んだが、なかなか心地よい疲れであった。
02/02/2003