今年も終わり。2002年回顧、2003年展望

 さて、今日は大晦日。今年は一体筆者のヨタは進化したのだろうか?
 実のところ、8月にリアアクスルのホイールベアリングの不具合が発覚以来、ほとんど手を加えていない。大きく変わったところと言えば、タイヤとホイールが変って、筆者が買った当時のルックス(実はこっちのほうがそれっぽくて好きなのだが)以上になったことだろうか。来年は年始から修理に出すことが決定しているので、出来上がった頃には格段の進歩を遂げているはずである。
 今年もパーツのなくなる恐怖感との戦いだったが、結果からいうと思ったよりも補給しなくなったパーツはなかったように思う。毎年この時期には必ず思うのだが、来年はこんなにパーツはでないだろう、と。値段は確かに高くなってはいるが、まあ、出るだけ感謝しなければならないだろう。
 このホームページで言えば、来年は大型新企画をはじめたいと思っている。内容については秘密。しかし、あっと驚く内容であることだけは保障したい。お楽しみに。
12/31/2002

第3回「やらまいCAR」参加記 その7(最終回)

 不幸中の幸いだった。止まったのは富士川SA、当クラブの会員が住んでいるところからそう遠くない。燃料系のトラブル、もっと言えばキャブレターのトラブルであることがわかった。バラして清掃する手間も時間ももったいないので、解体車のキャブレター、まあそれとてどれくらい信頼できるかわからないが、を外して持ってくることになった。しかし、一方で何もしないで手をこまねいている手はない。ためしにキャブレターをバラして中を見てみることにした。結果的にはこれがよかった。…なんだこれは?フロートチャンバーの下に真っ赤な錆が溜まっていた。これでは止まる。早速誰かが持っていたブレーキクリーナを使って清掃。加速ポンプのロッドの動きが渋いのも気になる。それらをなんとか綺麗にした。その作業中、「いやあ、懐かしいねぇ」などといいつつ我々に声をかけてくるおじさまが何人かいたが、はっきり言って迷惑だった。しかし、立場上筆者はそうも言っていられないので、お話の相手をして差し上げる。その一方で、他の会員がキャブレター清掃をしていた。
 部品取りの車にはキャブレターがなかった。そういえば、この間解体した時に、持って帰ってきちゃったんだったっけ!手ぶらだと何しに行ったのかわからないので、やはり解体の700からキャブレターを外してきたが、アクセルリンクが違ったため、これはもとより使えなかった。結果バラしたキャブレターを再び取り付けて、スターターモーターを回す。会員全員の注目の中、程なくしてエンジンがかかった!期せずして歓声が上がる。クラブをやっていてよかったなぁと思った瞬間だった。
 その後、順調に東京に向けて走る。富士川での足止めのおかげで渋滞を避けられることができた。
12/31/2002

第3回「やらまいCAR」参加記 その6

 冬の陽は落ちるのが早い。遠州名物のカラッ風も強くなり、寒さが身にしみ始めた頃、東京へ帰着となった。
 さっきまで寝ていたバンで会場を後にして掛川ICより東名高速道路へ。暫くして上り線の牧之原SAにてようやく昼食となった。たいしたものは食べていなかったが、筆者もおなかが空いていたらしく口にするものが何でもおいしく感じた。車にもそれぞれご飯をあげて、次の停車は富士川SAだ。ここで、再びトラックに乗り換える。今度はオーナーが眠いというので、筆者が一人で運転だ。
 実は異変に気が付いたのは由比PAを超えてからだった。アクセルは一定の開度で踏んだままだったが、息つぎする瞬間がある。風が強かったので、風に押し戻されているんだろうぐらいにしか思わなかったが、やはりそれは異変だった。
 富士川のSAに入るとき、牧之原SAを出て以来そこで初めてアクセルを戻した。パーキングエリアに入るのに再びアクセルを踏んだのだが、何だかパワー感がない。それにいやに静かだ。ふとメーターパネルを見ると、オイル警告灯とチャージランプが点いていた。エンジン停止。惰力で駐車場の前に停車したが、パーキングロットに入るわけにはいかなかった。既についていた会員にエンジンが止まった事を連絡。一方でエンジン停止の原因を探る。出発前、このトラックはバッテリーのターミナルが外れやすいと言っていたので、ボンネットをあけてバッテリーターミナルを確認したが、怖いくらいしっかりついていたのでこれではない。スターターを回すときちんと回る。そこまで確認したところで、会員が助けにきてくれた。とりあえず、このままでは何も出来ないので、みんなの車が止まっているところまで押すことにした。
 プラグの何らかの異状で点火できないのではないかと思って、プラグを点検する。外したプラグは多少カーボンが乗っているが、やけ色は悪くなく、当然プラグがガソリンでべたべたということもない。異常な音が出てはいなかったので、エンジン本体のメカニカルなトラブルではない。ということは、燃料系か?富士川SAに着いて20分、その間とまった原因はわからなかった。
12/11/2002

第3回「やらまいCAR」参加記 その5

 おなかがすいたと言っていた会員には申し訳ないが、会場までの間にコンビニといわず、自動販売機の一つもなかった。新しくできた施設周辺はこんなものである。現地に着くと受付待ちの車でゴッタ返していた。これなら遅刻の汚名は着ないですむ。
 さて、ミーティングのほうであるが…大変申し訳ないことに、ほとんど覚えていない。覚えているのは、今年は夏からあまり写真を撮っていないなぁと思って、バシバシ写真を撮っていたことだけである。集合時刻に間に合わせたことで、既に事切れていた。乗ってきたバンの助手席で「よくあんな姿勢で寝れますね」と感心されるような姿で寝てしまった。会場にいたパブリカバンの写真を撮るともれなく筆者の後頭部が写っているはずである。帰って現像した写真も車の写真よりは会場にいた女性の写真が多く、車だけが写っている写真はあまりなかった。
 ふと目を覚ますと、バンの荷台には44ヨタハチにしか使えないパーツが数点あった。会場で出店していた方から買ったもののようだが、自分で買ったと言う記憶が薄い。どうも小人さんが筆者の寝ている間に出てきて、44ヨタハチに使えるパーツを買っていてくれたようである。しかし、御代は筆者の財布から出ていた。ちゃっかりした小人さんである。
12/08/2002

閑話休題。異車種オーナーミーティング開催。

 2日の夜、突然ミーティングを開いた。やんごとなき理由により、パブリカの資料を借りたく、ある方にお電話したところ急遽ミーティングと相成った。関東のある場所に集合。メンバーは『自称 無名』の2T−Gエンジン車乗りと、有名なM型エンジン車乗りと、初めてお会いする18R−G車乗り。そして筆者である。ミーティングの詳細は明らかにできないが、違う車に乗る人で合うのもなかなか面白い。ある人には当たり前のことでも、ある人には目から鱗の落ちる思いがするものである。この時に借りてきた資料も、筆者にとっては目から鱗の落ちる思いのするものであった。その資料とは、44ヨタハチには一切関係のないものだったが、パブリカオーナーズクラブとしては大変な資料である。
12/08/2002

第3回「やらまいCAR」参加記 その4

 由比のSAを出てから牧之原SAまでの間、パブリカオーナーズクラブ史上初の隊列を組んでいく…心算だったが、焼津ICに差し掛かったところで、パブリカオーナーズクラブ壮年の部の一台が隊列を崩したところで事態は一変、そこからは牧之原SAまでのタイムトライアルレースとなってしまった。トラックに乗っていた筆者は、乗っている車が人の物という遠慮もありたおやかに走行車線を走るのみだった。後から考えると、この判断がよかったのかも知れないが…。まあ、筆者が44ヨタにのっていれば、牧之原に着く手前の上り坂でミハエル・シューマッハもびっくりのブッちぎりの勝ちだせ!と思うと、我慢できずに飛び出した壮年の部の会員が可愛くなるから不思議だ。
 当初からそこで止まると宣言していたので、全員がはぐれることなく牧之原SAに到着。暫くの休憩の後、目的地の掛川ICに向けて走った。実は、牧之原に到着した時点で、当初の到着予定から結構遅れていた。イベントというと遅刻常習クラブのレッテルを貼られてしまっている当パブリカオーナーズクラブの会長をおおせつかっているものとしては、なんとしてもそのイメージを払拭したい。ワールドカップのロシア戦をおこなったところということは知っていても、掛川ICからどれくらいの距離があるのかわからなかったので取りあえず早く着いていたいところだ。おなかがすいたと訴える会員に途中のコンビニでなんか買え!言い放ち、取り急ぎ出ることにした。
12/08/2002

第3回「やらまいCAR」参加記 その3

 ちょっと嫌な予感はした。一台がなかなか出てこない。富士川SAを出ようとしたが、2、3台付いてきただけ。出口付近のガソリンスタンドの前で暫く待っているとようやく出てきた。その姿を確認して高速道路の本線に出たのだが、やっぱり後がついてこない。とはいえこっちは本線に出てしまった。80キロで流していると、一台が筆者の前に出た。一台が立ち往生しているとのことだ。今は走り出しているとのことで、遅れた車の運転者に連絡。富士川の次のPA、由比でまっていることにした。
 暫く待っていると、遅れたパブリカが姿を表した。立ち往生していた割には軽快に走っている。立ち往生したのは黄色いパブリカ、つい先日まで修理に入っていた車だ。聞くと、クラッチを焼いて煙を出したとのことだ。富士川から運転者が代わった上に、このパブリカは既報の通り、クラッチディスクの残りが少なくクラッチがどこでミートしているのかわからなかったようだ。期せずして東名のPAでも景色の良い由比で止まることとなり暫く写真を撮っていると、後からやってきたパブリカオーナーズクラブ壮年の部会員二人が本体に合流。端からは非常に迷惑な話かもしれないが、UP系車両8台が隊列を組んで東名を西に目指した。
12/01/2002