第3回「やらまいCAR」参加記 その2

 中井PAに着くとまだ誰もいなかった。集合時間が5時で4時15分についていれば当然である。コーヒーなど飲みつつ過ごしていると、パブリカバンとパブリカトラック、そして集合時間から少し遅れてパブリカコンバーチブルが到着。セダンとあいまってパブリカシリーズボディバリエーションフルラインナップ(パネルバンはちょっと…)となった。後から来た三台はここ最近ボディを治した車なので素晴らしいコンディションである。特にトラックはグレードがスタンダードにも関わらず塗装の出来はデラックス以上である。ここで筆者はセダンからスペシャルのバンに乗り換えて次の集合地点である富士川SAに向かって走った。
 「ゆっくり行きたいんですよ。できればPAに全部止まりたいくらいです」と、バンのオーナーである会員が言っていた。しかし、この車のどこにそんな不安があるのという感じであった。要は高速での遠出が初めてだということだ。確かにそれは不安だ。筆者も44ヨタを買ってから半年はおっかなくて高速道路には乗れなかった。しかしいざ乗ってみると、エンジンの回転数を一定に保てるので一般公道を走るよりも車に負担は与えないとわかる。高速走行に慣れた時にエンジンを壊してしまったことのある筆者には痛いほどよくわかる。そんなオーナーの不安をよそに、四台のパブリカは富士ICを通過。富士川SAを目の前にした。
11/27/2002

第3回「やらまいCAR」参加記 その1

 去る11月24日に掛川で行われた第3回「やらまいCAR」に参加した。主催のSTINGの皆様、お疲れ様でした。このミーティングに何を隠そう第1回目から皆勤賞の筆者としてはこればかりは外すことはできない。第1回では「遠来賞」なる賞まで頂いているのである。帰りの車の中はお土産で一杯だった。数回に渉って至って私的な観点からイベントリポートをしたいと思う。
 今回は自分の車はまだ修理をしていないので、大事を取って我がパブリカオーナーズクラブの他の参加者に便乗していく事となった。まあ、行き帰りにいろいろなことがあった。びっくりしたこと、楽しかったこと、どっきりしたことなど、いろいろである。
 クラッチに爆弾を抱えているものの、修理が取りあえず終った黄色いパブリカに乗ってうちを出たのが午前2時半。その後、この黄色いパブリカのオーナーを乗せて東名東京ICから乗ったのが午前3時半だった。
 ミーティングというと天気が気になるところ。今回も東京を出るときには雨が降っていた。前回は行き帰りはずっと雨。会場で過ごした時だけは何とか降らないでいたという記憶が脳裏をよぎった。そしてこの時は清水で一台パブリカが止まって、近所の車屋さんに引き取ってもらったっけ…。で、止まったパブリカって、この今乗っているパブリカである。…しかし、まあ修理したばかりだし、前回みたいなことは…。いや、そうでなくてもいつクラッチがなくなるかわからないし…などと、若干不吉に思いながら第一集合場所である中井PAへと向かった。僕の心配をよそに、乗っているパブリカは軽快なエンジン音を響かせながら走って行った。
11/27/2002

完全復活?里子のパブリカ

 永らく修理に出していた里子のパブリカが21日にようやく修理が上がった。エンジンは相変わらず静かである。信号待ちで止まろうとすると、エンジンも止まってしまったのかと錯覚するくらい静かだ。トヨタスポーツ800、パブリカなどといろいろとUP系車両を見てきたがこんなにエンジン音が静かなエンジンは初めてである。
 そんなパブリカであるが、また新たな問題点が出てきた。クラッチがどうも残り少ない。いや、これは実際に組むのに手を貸した筆者もそう思ったのである。しかし、これで前はちゃんと走っていたのだから大丈夫であろうと思ったのだが、ちょっと甘かったようである。クラッチのミートの仕方が悪いと滑る。慣れれば大丈夫だと思うが、早めに対処したい。
 今日はエンジンの慣らしで使ったオイルを出して新たなオイルを入れた。ついでに使えていなかった後付の油温計を使えるようにした。しかし、大して走っていないのに結構オイルが汚れていた。ベースとなったエンジンが何年も回っていなかったからだろうか。
11/24/2002

意外と重体!里子のパブリカ

 半年預けている間に里子のパブリカの車検が切れてしまっていた。再度車検を取得するために整備を始めてもらったのであるが、いやあ、出るは出るは駄目なところが。列挙してみると、ブレーキはカップキットを交換、ブレーキシューは全部張替え、ブレーキホースは亀裂が入っていた。ステアリング系はブッシュというブッシュが全部駄目、フロント、リアともブッシュと言わず、ゴム部品が全部駄目。おまけにフロントハブベアリングがインナーアウター共に駄目。…他にも駄目なところがあるであろうが、流石の筆者も正視できなくなってきた。
 まあ、考え方をかえれば、これだけやるのだから出来上がったらものすごくよくなっているということになる。まあ信じよう。
11/19/2002

ようやく復活に向かう!里子のパブリカ

 「っていうか、まだ治っていなかったの?」という向きもあるかもしれない。そうなのである、まだ治っていなかったのである。
 事の経緯をもう一度説明しよう。前会長のパブリカがエンジンからデンデン太鼓の音がすると言って診断にいったのが3月。その後、エンジンを下ろしてみるとオーバーホールが必要なため、代わりのエンジンを持っていって換装することになっていた。しかし、車屋さんのやんごとなき事情により、春が過ぎ夏が来て、秋も終ろうかというこの時に至るまで何もしていなかったのである。
旧車を修理できる職人さんとのお付き合いの仕方として、相手の気持ちを大切にする、はっきりいうとお金や立場だけで物事を言わないようにしている筆者としては「いいよ、社長のできるときにやってくれれば」というのが常なのだが、まさかここに至るまで何もしないとは思っていなかった。思えば筆者の44ヨタもデフとミッションの組みなおしに半年かかっていた。
 換装すればいいからという我々の声をよそに、やりはじめたら徹底的にやる人だものだから、持ち込んだエンジンもばらばらになっていた。その結果持ち込んだエンジンも元のエンジンより若干いいだけで、大差は無いとのことだ。そこで、2基あるエンジンのいい所取りでエンジンを組み直すこととなった。クランクケースを代表とするエンジンのセンターラインは持ち込んだエンジンを、シリンダーとピストンは元のエンジンを、シリンダーヘッドは左は元のエンジンのものをベースにバルブは持ち込んだエンジンのものを、右は持ち込んだエンジンのものを使う事とした。実はこれでも職人さんに妥協に妥協を重ねてやってもらったものである。実際の話は、きっちり寸法を出して加工したいようであったが、時間がないし、第一そうしたかったら早くやってくれっという話である。とはいえ、バルブはきちんと擦り合わせもしたし、各部の寸法はバッチリ見ているし、限られた範囲であるがすべきことは全部している。
 さて、手が足らないということで、筆者も部品の洗浄や本格的に組む前に必要な下準備などをしながら職人さんがエンジンを組むところを見た。いや、なかなか勉強になった。前からここはどうやるのかというところが、意外に簡単にしかし滞りなく行われているのを見て、いかに自分が難しく考えていたのかわかった。一方で今の自分にはちょっとできないこともよくわかった。必要となる工具や設備がない。ちょっとしたことで作業は停滞することは目に見えた。
 さあ、エンジンが組みあがり車に載せてエンジンを始動する。当然なのだが暫く間があった後、エンジンが無事かかった。最初こそオイルの回っていないバルブリフターの音が目立ったが、回しているうちに音が収まり、最終的には「こんな静かなパブリカのエンジン、見たことない」という状態にまでよくなった。これで組みあがって一番最初。今後の慣らし次第では楽しみになってきた。ちなみに、作業が一段落した頃時計を見ると、午前2時を過ぎていた。
11/08/2002

危うくオーバークール!クーリングダクト全閉の季節に

 10日ぶりくらいに近所を走った。東京地方はここ数日でめっきり冬らしい気候になってしまった。暑くても夏が好きな筆者にとってはちょっと悲しい。そんな中走りながらふと油温計をみると60度にも達していない。壊れたか?と思ったがどうやらそうではない。外が寒くてエンジンがかかっているにも関わらず、エンジンオイルの温度が一向に上がらないのである。そうか、筆者はふと思い出した。クーリングダクトを閉じていなかったのだ。今まで必要でなかったから一切操作しなかったのですっかり忘れていた。もうそんな季節になったのだなぁ、としみじみ思った。
 
11/06/2002