足車のサンバー、2度目の車検

 最近は「走る工具箱」と呼んでいる足車のスバル サンバーが僕のところに来て2回目の車検を迎えた。3万円で買ってから4年。早いものだ。
 84年製、もちろん550ccの時の軽自動車である。次に車検を受けるときがあるとすれば、なんと製造後20年である。今からスバルサンバーオーナーズクラブの設立準備でもしなくてはいけない。車検を前に、もう少し新しいサンバーに買い換えようかとも思ったが、660ccになってからのサンバーはあまりいい評判を聞かない。ならば、適当に手も入っている今の車の方がいい。
よく考えてみると、3万円で買った車に30万円近く別に使ってしまっていることに最近気が付いた。
08/24/2002

クーリングシュラウド ロアを塗装

 かねてより申し上げている、チューニングエンジン製作。その小さな第一歩として先日ブラストしてもらったクーリングシュラウドのロアをつや消しの黒に塗装する。このシュラウドのロア、プッシュロッドカバーがこれを通るため、エンジンを組むときに予めこれがエンジンについた状態にしないといけない。かつて部品取りとして解体したミニエースのエンジンでこれを予めつけるのを忘れて、かといって今更ヘッドから外すのは嫌だ!とばかりに、左のロアシュラウドの前半分だけ切って残したエンジンを見たことがある。何でもそうだが、塗装は後回しになってしまいがちだが、この部品だけは最初に塗っておかなければならないことがわかると思う。
08/14/2002

威力を実感。サンドブラストにハマる。

 今更何を…という方もいるかもしれないが、今サンドブラストにはまっている。再三お伝えしたホイールのサンドブラスト、正直にいうと、今までそんなものの効果は当てにしていなかった。しかし、あんなにこすっても取りきれなかった錆がきれいに取れると、今まで俺は何をしていたんだという徒労感にさいなまれた。費用に対しての効果は絶大だ。そうなると影響されるのも早い。かねてより錆で再使用を断念していたクーリングシュラウドのロア二枚を土曜日に出し、今日引き取りに行った。…綺麗。これが二枚で千円ならすばらしい!これをペーパーかけしようと買ったから研ぎペーパーが確か全部で800円くらい。使った時間を考えると、もうとっくにもとが取れている。
08/04/2002

タイヤを交換!しかし…新たな不具合発覚。

 昨日予告したとおり、今日はタイヤをホイールごと交換した。まず、今ついているエンケイコンペ+ブリジストンB70を外す。良く考えたらこのタイヤ、一度も前後のローテーションさえしていなかったのだ。車体は軽いし、走行距離もあまりでていなかったのでいいかと思っていたら、もうタイヤを替えなくてはいけない時期にきていた。まだまだ山はあるから大丈夫だと思っていたら、外してみると意外と減っているのがわかる。後輪もはずしたが、こちらは意外と山が残っていた。どうも、駆動輪が後だから後が減ると錯覚しているのだが、ちゃんと前輪が減っていた。タイヤの真ん中あたりが外側に向かってテーパー状に減っているのをみてびっくりする。しかし、タイヤ屋のオヤジに言わせるとこれが普通だという。まだまだ勉強がたりない。
 そして、新たに鉄当時もの純正+ブリヂストンRD−108を取り付ける。つける前に比べてみたところ、外径はRD−108の方が大きい。なんと、19ミリも大きいのだ。つけてみるとそれは如実にわかる。確実に車高が10ミリほど上がった。乗ってみた感じでは、数字以上に高く感じる。つけた直後の感じは車高が高くなった分、何だか前に長くなった感じがする。つや消し黒のホイールと細いタイヤが、以前にも増してスパルタンな印象だ。買った当時も似た仕様だったのだが、いやいやどうして、今回は拘っただけあって過剰なほどの演出になってしまった。ハマっている。
 さあ、タイヤは転がってナンボ、テストを兼ねて路上に飛び出してみた。まず最初、走り出しの印象はステアリングが更に軽くなったことだ。もとよりそんなに重くないステアリングであるが、変ったタイヤの特性からまたしても軽くなっている。ロードノイズも前よりも静かである。反面、これはタイヤにグリップが無いということでもあるのだが。加速感は軽快。前のタイヤも軽快な加速感であると思ったが、やはり絶対的にグリップ力がある。このタイヤにはいい意味でも悪い意味でもグリップがない。困ったところは路面の凹凸について行ききれなくなったところだ。グリップのないタイヤと一つにつき1キロ思いホイールは路面状況にきちんと応答しきれていない。まあ、これはもとより想像していたことなので、さほどショックではない。
 ショックといえば、こちらだ。いよいよホイールベアリングを換える時が来た。テスト中、走る音に金属が擦れる音が混じっているのに気が付いた。タイヤを替えた途端だから、ホイールがきちんと真ん中に着ていなくて、どこかとぶつかっているものと思ったが、外して回してみたらホイールベアリングからの音である。今のタイヤが、よく出来たタイヤであるのはわかる。やはりグリップ力のあるタイヤは即ちロードノイズのあるタイヤという傾向は変らないことがよくわかった。まあ、ホイールベアリングも換える予定だったので、いうほどのショックではない。因果ははっきりとはしていないので、なんともいえないがやはりハイグリップ(と、言っても今のタイヤと比較して)のタイヤをつけた代償だと思えばいいのだろうか?
08/04/2002

ホイールの塗装完了!タイヤ交換の準備よし。

 本日、最後までブラストに出していたホイールをもらって全てのホイールをつや消しの黒に塗った。買った当初も黒の鉄ホイールにブリジストンのSF248 155/SR/12というタイヤを装備していたが、ホイールは部品として出たままの黒色、タイヤもとにかく安くて直ぐに手に入るタイヤという安直なチョイスだったのを覚えている。
 塗装が終わり、新しいタイヤのRD−108をつけた状態で店を後にした。タイヤはホイールごと明日の朝換える。
08/04/2002

神奈川に定住も…。登録事項等証明書報告 その3

 その某旧車ショップでも、不要な税金がかからないように昭和61年の3月には抹消登録を受けている。買い手がついて、同年4月には川崎ナンバーがついている。ここから暫くは横浜、川崎界隈でオーナーが3人変っている。しかし、そのいずれも短い期間で所有者が変っている。名車といわれつつ、いや名車だからこそというべきか、一人のオーナーにずっと持たれることが少ない、わが44ヨタはそのいい例を示してくれている。
 筆者がヨタハチが欲しいので探してくれ、と頼んで現金30万円を某中古自動車店に持っていったのが、平成7年の4月であった。そして、その年の7月、所謂10年以上登録されている車の1年ごとの車検がなくなったその日に横浜ナンバーが1日だけ付き、平成7年7月4日、現在の多摩ナンバーがついたのである。以来、今日で7年1カ月。まもなく所有歴が一番長いオーナーに筆者がなる。
08/04/2002

流浪の旅の開始 登録事項等証明書報告 その2

 昭和48年3月末に愛知県に渡った我が44ヨタは、その後しばらく東海地方を転々と渡り歩く。愛知と岐阜を行ったり来たり。あるときは個人に、あるときには業者に。7回オーナーが変り、それぞれ2回の抹消登録と新規登録を経ている。平均所有期間は1年半。数字上は見事に車検残を半年残してオーナーが変っている勘定になる。
 再び関東に戻ってくるのはなんと昭和60年の11月末。その時の所有者は現在は悪名高い某旧車専門店。しかし、この当時は待っていれば出物が期待できた時代で、この店も割りと良心的な対応をしてくれていた時期である。思い起こせばこの頃、筆者はまだ車に興味は無く、むしろ航空機に興味のあったときだ。廃棄されるF−4Bファントムが、一千万円で買えると聞いて、まじめに欲しいと思っていたときである。形は違えど、古いものに対する興味はこのころには既に表面化していたらしい。今思えば、この頃部品を買って置けば、今頃は何不自由なくヨタハチライフが送れていただろうと思うのは、飽くまで結果論である。
08/01/2002