最初は相模 5ナンバー!登録事項等証明書報告 その1

 盛り上げると言っておきながら、一向に書かなかったのは申し訳ない。先日取った登録事項等証明書からわかったことで面白かったことを報告しよう。
 まず、新車で買ったのは誰で、それはいつのことなのか気になるところだ。筆者の44ヨタの車検証を見ると、完成検査切れしてから登録している。ということは新車から半年は登録されていなかったことから、ディーラーの在庫車にいきなりなっていることになる。いかにもモデル末期という感じがして44ヨタにふさわしい。だから記載されている諸元が微妙にカタログデータと違う。車両重量が630キロとなっている。で、期待を胸に書類の最初のページを見てみると、どうも途中から始まっている。昭和46年の11月に相模5ナンバーから相模55ナンバーに登録変更されている。そう最初はなんと、相模5ナンバーだったのだ!所有者が変わらないのにナンバーが変更されているのをなんとか理由つけしてみると、シングルナンバーから二桁に移行して相模5ではなんだか古い感じがする。ついては車検か何かのついでにナンバーを変えてくれってことで、変ったのではないかと思う。余計なことをしてくれたものだ。
 驚くのは当クラブの会員が現在住んでいるところから自転車で行けるところに最初の所有者が住んでいたことだ。その最初の所有者は昭和48年の3月末に後に筆者の物になる44ヨタを手放している。
07/31/2002

ごめんね移り気で…。ホイールのブラストがけ再開

 今日ブラスト作業を中止したホイールを取りに行った。2本は既に作業をしてしまったということで行ってみたのだが、実際には3本のホイールがサンドブラストを済ませていた。「3本目ももうやり始めていたので、やっちゃいました」屈託無く話すその様子を見て、バイク屋さんの人に非常に申し訳なく思った。すかさず、再び残り一本のホイールのブラスト作業をお願いして帰る。
 さて、既に錆と塗料がきれいに落とされたホイールは錆が出ないようにサーフェイサーを塗っておいた。3本のホイールを塗るのに4本の缶スプレーを使用する。
07/29/2002

車内に数条の光!メーターの電球を交換

 みなさんは古い車のどういうところに古さを感じるであろうか?存在それ自体が古さを感じるのはオーナーしていないときであり、いざ持ってみるとそれらを感じる瞬間は仔細なことになっていることに気が付く。その中で、灯火類が薄ぼんやり点くというところも見逃せないところだ。八代亜紀の歌ではないが、明かりはぼんやりともりゃいいのである。
 ところが、最近当クラブの会員がメーターの電球を換えた。あらっ、なんだか明るいのもいいなぁ。何か新鮮に思えたのである。
そして、この一言が引き金になった。「松浦さん、早くこの電球も買ったほうがいいですよ。最近の車には使っている車が少なくなってきているらしくて、なかなか売ってないんですよ、電球が」この「もうすぐなくなる」とか「あと一セット」なんて言葉に旧車乗りはことのほか弱い。翌日には近所のカー用品屋にあった電球10個、全て買っていた。
 ヨタハチのメーターに使う電球は3Wの電球であるが、現在の規格では3.4Wの電球となる。ヨタハチはメーターとインジケーターランプに7つの電球を使う。しかし44ヨタはインジケーターランプが一つ増えているので、もう一つ多くなるのとヒーターのパイロットランプまで含めると9個必要である。
 さあ、いざ交換である。メーターの裏に手を回してソケットを外す。外してみた電球は軽く黒くすすけていた。これではぼんやりともらざるを得ない。新しい電球に換えて再び取り付ける。交換したのが昼間だったので、その夜、いさんで再びガレージに行き、暗い中電気をつけてみる。…明るい。何か、引き締まった感じがしてすばらしい限りだ。きれいでしかもプラス0.4ワットの明るさは筆者の想像以上だった。
 ここで、小情報を一つ。メーターに使われていた電球は、全てスタンレー製であった。トヨタで電気というと小糸と連想するが、このあたりはスタンレーが幅を利かせていたのだろうか?
07/28/2002

良く考えてみたら…。ホイールのブラストかけ中止

 今月は7月である。我が44ヨタは定期点検に出さなければいけない。実はとっくの昔に出していないといけないのだが、工場側の事情により出せないでいる。しかしながら、今回は定期点検にとどまらず、盛りだくさんになることは前述した通りである。そこで、ホイールのサンドブラストでの錆、塗装落としは中止してもらった。いつ修理が上がってくるかわからないのに新しいタイヤとホイールを入れる必要が無いことに気がついたのだ。当面は転がるだけでいい。
07/27/2002

お洒落は足元から。新しいタイヤを入手。

 現在つけているタイヤがもう使用し始めてから3年たとうとする。早いものだ。ちなみにどのようなタイヤかというと、ブリヂストンのB70というタイヤで、サイズは165/70/12である。これと12インチのエンケイコンペエイトとの組み合わせである。走行性能重視のタイヤ、ホイールのチョイスであったがここでちょっと遊び心が頭をもたげてきたので、思い切って変える事とした。
 今回選んだタイヤとホイールのコンセプトは「より当時らしく」。走行性能を考えると、ラジアルタイヤを外せないので、昭和40年代後半をモチーフにしたチョイスである。
 まずホイールは純正のスチールホイールに変える。純正と言っても生産当時、車に付いてきたホイールである。実は現在流通しているものは、生産した時期をリムに打刻してある。そしてハブ付近に三箇所耳がついているタイプである。今回使用するのは、当時のパブリカデラックス用のホイールである。入手したホイールは錆が出ていたのとパブリカのボディカラーに塗られていたので、今日急遽サンドブラストに出した。錆の落ちたホイールを昔の黒板に使ったような艶なしの黒に塗り、ホイールキャップはつけない心算である。
 タイヤは同じくブリヂストンのRD−108にした。サイズは155/80/12である。このRD−108というタイヤ、あまり聞いたことのないタイヤであると思われる。このタイヤのデビューは昭和48年。スチールベルトラジアルタイヤが出て暫くしてからのタイヤである。現在このタイヤは普通には流通していないが、何を隠そう、現在でもたまに生産しているのである。このタイヤのいいところは、トレッドパターンが古いままであることだ。今ではどのタイヤでも直線的なブロックパターンでできているが、このタイヤは昔よく見た蛇がのた打ち回ったようなパターンをしているのだ。
07/21/2002

車にも歴史あり。44ヨタの過去の所有者を調査

 みなさんは自分の車が過去にどのような人に所有されていたのか、ふと思ったことはないだろうか?あるときは間抜けな修理個所を発見して「誰だよ、こんなヘボ打たせたオーナーは!」
と憤ったり、あるときはそのこまやかな配慮に感動して「誰でしょう?このすばらしいことをしてくれたのは」と思ったりしたことがあったかもしれない。まあしかし、前者の場合がその殆んどであると思うが…。
 筆者もかねてよりどんな人が所有していたか実に興味を持っていたのであるが、遂にその手立てがわかり、実行に移した。
登録事項等証明書という書類がそうである。これを取り寄せれば過去に自分の車がどの人に所有されたかがバッチリわかる。驚いたことに過去の所有者の住所などが仔細に記入されてある。もしかすると、個人情報の管理にうるさくなった昨今、今後このような情報をこんなに簡単に得ることはできなくなるかもしれない。
 まず驚いたのは、我が44ヨタの過去の所有者が実に多いということである。なんと、過去に11人の男に姦られ…、いや所有されていることである。もちろん明らかに業者と思われる名前を除いてもこれである。その中でもなんと、もうすぐ所有8年目になりなんとする筆者が実は一番所有している時間が長いことも驚嘆に値する。もう車齢33年を突破した我が44ヨタであるが、その中の4分の1が筆者によって歴史づくられ、しかもそれが一番長いのである。平均所有歴は3年未満。これはトヨタスポーツ800が発売してしばらくは、車検が来るごとに転売されていたという当時の証言を如実に表すこととなった。
 暫くはこのネタで盛り上げていくので、お楽しみに。
07/09/2002

永年の懸案に遂に着手の機会。ワイパーモーター、リンク交換

 定期点検での修理第三弾はワイパーモーターとリンクの交換である。実は筆者の44ヨタハチはワイパーモーターがなんと1スピードのものがつけられているのである。言うまでも無く、年式的には2スピードでなければいけないのだが、筆者のものは購入時からそうなっていたのである。部品自体は少し前から入手していつでも交換できる体制にあったが、今までやらないでいた。何故か?ワイパーリンクをステアリングシャフトを避けて所定の位置に収めるのがものすごく大変そうに見えたのだ。
 しかしながら今回ステアリングシャフトを外す。この好機を逃す手は無い。ステアリングシャフトを外してオーバーホールをしている間になんとかやってしまおうと目論んでいる。
07/01/2002