KV-1A重戦車・冬季迷彩
(ロシア・1940年-41年)

ワールド・タンク・ミュージアム、
シリーズ2のNo.20。

 大戦勃発直前、ソビエト(現ロシア)陸軍での新型重戦車開発において、当初「T-35」と同様に多砲塔型のものが考案されましたが、大型化による機動性の低下や、装甲が薄くなるなどの問題が発生し、解決できませんでした。このためキーロフスキー工場のコーチン設計局長は独自に単一砲塔の重戦車を開発するよう指示し、誕生したのが同車で、1939年9月に試作車が完成しました。国防相クリメント・ヴォロシロフ元帥にちなみ、「KV-1」と命名され、同年末より量産が開始されました。初期の1940年型「KV-1」から最終型の「KV-85」まで改良を重ねながら、1943年末まで量産され、全系列で4,600両余りが作られました。ちなみに同時に作られた重戦車に「KV-2 ギガント」(車体はKV-1と同じものを使用)というものもありますが、用途は主に砲兵支援用の車両で、ソ連兵士達からはその巨大な砲塔から「ドレッドノート」という愛称で呼ばれていました。

 

戻る